ねぶた題材風土記
第1回田村麿賞受賞ねぶた
[村上義光 吉野の関所]の舞台
 「太平記」と奈良県吉野町
青森ねぶたの最高賞・田村麿賞(現ねぶた大賞)が制定されたのが、昭和37年のこと。もう40年前にもなります。第1回目の受賞が日本通運の「村上義光 吉野の関所」(写真上)で、制作は北川啓三でした。この題材は、「村上義光 錦旗奪還」というタイトルでも、しばしば青森ねぶたに登場します。
この物語は、太平記に出てくる名場面で、舞台は、奈良県吉野町となっています。ねぶたの舞台へアクセスしてみると、意外にも、全国各地で「村上義光」をテーマのお祭りのあることがわかりました。
   
ねぶたの題材にもなる「太平記」  
中世には戦記文学「太平記」の舞台になるのも吉野であるが、この「太平記」は、後醍醐天皇の治世(1321年)に始まり、鎌倉幕府の滅亡、建武政権の崩壊、南北朝分裂、観応の擾乱など、「太平」とは名ばかりで、相次ぐ動乱を詳細に描き、二代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任をもって物語を締めくくる46年間の出来事を書いた物語だ。足利尊氏、楠正成、新田義貞など、名だたる武将が続々登場する。中でも青森ねぶたの題材にしばしば登場するのが、村上義光だ。
  吉野の山々。桜の名所として知られ、シロヤマザクラなど3万本が咲き誇る。
   
村上義光、錦旗奪還する場面  
山伏の格好をして里の動向を探っていた村上義光は、後醍醐天皇の王子大塔宮護良親王の一行から一足遅れ、急ぎ後を追ってきた。そこへ出くわしたのが、錦の御旗を担いできた武士5人。「なぜ錦の御旗が」と怪しく思った義光は、思わず呼びとめた。太刀を抜き斬りかかってきた武士たちを、刀は面倒だとばかりに投げ倒し、ある者は数メートルも投げ飛ばされてしまったために、これはかなわぬと錦の御旗を置いて一目散に逃げてしまった。
 
村上義光の墓所
   
奈良県吉野町  
吉野山の麓には後醍醐天皇を祀る吉野神社が、そして、そこから約1キロ、不動坂を登りつめた丘の上に村上義光公の墓がある。割腹して果てた義光を、里人が哀れんでこの地に葬ったと伝えられているという。
 
後醍醐天皇を祭神とする吉野神社
後醍醐天皇の皇子後村上天皇に若い命をささげた楠正行ゆかりの如意輪寺 後醍醐天皇の行宮として多くの遺品や古文書が残されている吉水神社書院
 
 
「吉野山灯り塾」が開催
   
村上義光を題材とした日本の祭り  

●麻生八幡神社秋祭り


(10月第一日曜日)<兵庫県姫路市奥山地区>

 

狭間に彫られて」いる「村上義光錦旗奪還」  (麻生八幡神社秋祭りに繰り出す屋台の狭間)

   

●佐保秋祭り


(10月第一土・日曜日)<兵庫県加東郡社町>

  佐保神社秋祭り(化粧屋台の狭間に村上義光が彫られている)
   
●日詰まつり
(9月第一日曜日)<岩手県紫波郡紫波町>
日吉祭りに村上義光が出ることも。その他、ねぶたの題材と同じ山車も数々。
   

●盛岡八幡宮例大祭


(9月14日〜16日)<岩手県盛岡市>

 

盛岡八幡宮例大祭。村上義光の山車が出ている

 

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