★涙と笑いの入院と手術の詳細編★
<入院と手術の詳細編>
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<入院の決断>
痔なんてよくある病気だし、たいした事はない、なんて考えていた私も、
「これは手術しないと直りませんよ」と言われた時は、正直ショックだった。
たとえ医者や看護婦でも他人に自分のお尻の穴を毎日見せるのは、相当の勇気がいる。
なのに手術とまではっきり言われては、もう自分の人格を全て投げ捨てる覚悟を強いられた思いだった。
でも、こればっかりは、仕方がない。一生こんなものを抱えて生活するなんてもういやだ。俺は男だ。
ちょっと我慢していればこの苦労は報われるんだ…と自分にいい聞かせて、
「じゃあ、早速入院の手続きをお願いします」と言ってしまった。
「入院は、約10日間です。総費用は、6人部屋で約6万円、2人部屋なら約13万円になりますが、
どちらにしますか?」と受付窓口のおばさんの事務的な質問。「う〜ん」安い方がいいに決まっている。
しかし、なかなか決断できない。6人の方が楽しいだろうが、6人いるということは、
6人分の苦しむ姿を毎日見るという事。そんなのいやだ。
「2人部屋でお願いします」と答えてしまった。
「手術するには、まず大腸検査をします。下剤と腸内洗浄剤を飲んで、内視鏡を入れて検査します」
「え−、なんでそんなのやるんですか」「仮にポリープやガンがあったら、
痔の手術どころではないでしょう」妙に説得力のある言葉だった。なら仕方ないか。
(※この検査内容は省略します)
「ところで、入院日は何日にしますか?」
「ゴールデンウィークなら仕事に支障が少ないので、4月28日にしてください」
「じゃあ、その日の3時に来てください」
いよいよ、全てが決定してしまった。本当にこれでいいのだろうか。不安を胸に秘めながらも、
「じゃあ、よろしくお願いします」と明るげに答える自分が、妙にかっこいい気がした。
<いざ入院>
約束の日が来た。この日まで幾度となく、やっぱり入院やめようか、
などと自分を正当化する理由を考えつつ、そうしている内にこの日がやって来てしまった。
約束の3時だ。
「入院予定のOですが…」
「あっ、Oさんですね。3階の302号室になります。行って待っててください」
3階でエレベータを降りると、そこには病院とは思えないスペースがあった。
「な、なんだここは…」まるで喫茶店のルノアールの様な雰囲気だ。丸テーブルが幾つもあって、
ゆったりとした椅子。端には大きなテレビがあって、大勢の人がワイワイやっているではないか。
それも楽しそうに。
右をみると、病室のドアが並んでいた。302号室は右から2番目の部屋だった。
既に、自分の名前が貼ってあるではないか。同室の患者さんは鈴木さん(仮名)か。
「失礼します。今日からお世話になるOです。よろしくお願いします」
「ああ、どうも、私は昨日入院して、今日の4時に手術なんですよ」と答えたのは、
50歳前後の男性だった。
私のベッドは窓際だった。空が見える方がいい。ラッキーだ。
そうこうしているうちに看護婦さんがやってきた。
「手術は明日の11時ね。それまで、何も食べられないわよ」と、500ccの腸内洗浄剤を置きながら
「これを約45分かけて3回に分けて飲んでね。その後は、水を沢山採るようにしてね」
これを飲むと、お腹がぐぅ〜と鳴り出し、トイレとの往復が始まる。便が透明になって、
水同様になるまで繰り返すのだ。
でも普段休みなく働いている消化器を洗浄してあげるにはちょうどいいかも知れない。
ガラガラガラと移動用の台車が急に入って来た。ああ、可哀そうに、鈴木さんの手術の時間だ。
「頑張ってください」
「はい、頑張ります」と引きつりながら答える姿は、明日の自分を想像させる一瞬だった。
40分もすると、その男性が戻って来た。やけに早く終わるものだな。
結構手術は簡単なのかも知れない。
「う〜、う〜」随分苦しそうだ。とても話しかけられる雰囲気ではない。
落ち着くまで待ってからいろいろ聞こう。
しかし、寝込んでしまった鈴木さんには、話しかけることもできないまま、消灯の9時になってしまった。
よし、今日は良く寝て、明日に備えるぞ。
無理だった。とても眠れる状態ではない。隣の鈴木さんがうなり続けるのだ。
「痛い、痛い、うぉ〜」呼び出しボタンを何度も押して、看護婦さんを呼ぶのだ。
午前3時、睡眠薬が効いたのか、やっと静かになった。
<いざ手術>
午前9時、看護婦さんがやってきた。
「浣腸しま〜す。はい、お尻を出して」
えっ、浣腸なんてするの?こんなところで?僕はとまどったが、横になって潔くお尻を出した。
「あら、大変ね。すごい」・・・・よけいなお世話だ。そんな事言われなくても分かってる。
浣腸が終わると、すぐにトイレに直行、便意は当分つづき、相変わらず水が出るだけだ。
午前10時、今度は麻酔のアレルギー検査だ。注射針を軽く腕に刺して反応を見る。
「大丈夫みたいね。じゃあ、点滴の用意をしますので待っててね」
午前10時45分、点滴と移動用台車を持った看護婦さんが2人やってきた。腕に点滴針を刺すが、
ほとんど点滴は流さない。説明によると、手術中何かあった際の輸血経路の事前確保が目的だそうだ。
移動用台車に寝かされ、いざ手術室へ。
病院の天井だけが流れていく。なんだか重傷患者になった気分だ。
一人で歩けるのに、なんでこんなところに寝かされて運ばれるのか、理解できなかった。
患者に観念させる手段なのか。
手術室のドアが開いた。中に入るとすぐに裸になる。真裸だ。不思議な開放感!なんでもしてくれ〜!
手術台に座らされ、医師が一言「背中に麻酔をしますから、力を抜いて」
医師が背骨の窪みの数を指を当てて数え始める。
「1、2、3…」指がとまった。
その位置に印を付け、消毒液を塗った直後に、ぶさ〜っと太い感触の注射針が刺さる。
イテ〜!こんな痛いの初めてだ。続けて2本目がぶさ〜っ。まだ打つのか。うぉ〜。
そのまま、手術台にうつぶせに寝かされる。
手術台は、足の部分が二股になっていて、両脇に開脚する仕組みだ。上下移動もできる専用台だ。
右腕には点滴針、左腕には5分おきに自動で作動する優れものの血圧計バンドが巻かれる。
「感じますか?」医師の声が足元で聞こえる。
「いいえ、何も感じません」
手術室には、医師1名、看護婦1名のたったの2名だ。でも看護婦さんは、若くなくて助かった。
静かだったので、目を足元に向けてみると、看護婦さんが容器を持って何かを溶かしている。
あっ、あれは、床屋のひげ剃り石鹸の容器だ!
ということは…看護婦さんはカミソリを出してお尻の毛を剃り始めた。
ジョリ、ジョリ、ジョリ。(この時点で私の人格は完全に破壊された)
音だけ聞こえるが、何をしているのかよく分からない。今はきっと消毒しているのかな。
少しすると手術台の下半身部分が若干上がり、足が開いていく。
いよいよ手術の始まりだ。その後は全く分らない。電気メスの音や金属音が聞こえるだけだ。
時計はしていないので、血圧計の動く回数を数える。今6回目だから30分が経過したはずだ。
普通手術そのものは20分程度と聞いていたが、全く終わる気配はない。どうしてだ。
思わず声が出てしまった。
「先生、フル装備の痔だから大変でしょう。すみません」
「痔ろうもあるんですよね」と医師がつぶやく。
もしかして、これから痔ろうを手術するのか。それとも場所が特定できないのか。不安になった。
「先生、痔ろうは上の方ですよ」思わず確認してしまった。
「あ〜ここね。分かってますよ」ちょっと間があいて答える医師。
「先生、なんだかお腹が張って苦しいんですけど」
「お尻の穴を広げてるから、お腹が張るんですよ。心配いりませんから我慢してください」
そうこうするうちに、血圧計は10回目の計測が始まった。もう50分経過したことになる。
「はい、終わりです」と医師が自分の左側に立って言うと、
すぐに切除した痔の肉片と痔ろうの切除部分を乗せたトレーを見せてくれた。目をこらして見ると、
意外と小さく思えた。これで全部とは、とても思えなかった。
その後、点滴と血圧計を外され、横付けにされた移動用台車に移され、仰向けに寝かされる。
感覚は依然として無く、自分の下半身が上向きで丸見えだ。早く服を着せてくれ!
看護婦さんが、ガーゼの様なものを持ってきた。
あ〜、ふ、ふんどしだ〜。
慣れた手つきでふんどしを付けられる。そして上着には、浴衣を付けられた。
いよいよ病室に戻される。あ〜やっと終わったかぁ。
<術後の闘い>
病室のベッドに寝かされた自分の下半身は、まだ全く感覚が無かった。右手でいろいろ触ってみる。
何だか、他人の身体を触っているみたいだ。しかも冷たくて気持ちが悪い。
「4時間は水分を採らないでね。その後はさらに4時間安静にしててくださいね」と看護婦さんの声。
麻酔の為、痛さは無いものの、気分は最悪だ。誰にも話しかけられたくない。そっとしておいて欲しい。
突然、部屋のテレビのスイッチが入った。テレビは2人部屋で一つ共用のものがある。
どうやら、昨日手術を終えて山を越えた鈴木さんがつけたらしい。
テレビの音がやけに耳の中で反響する。うるさい。お願いだ切ってくれ。
こう思いつつも、言葉に出せない。こうなれば、とにかく寝るしかない。寝よう。
結局寝れずに4時間が経過した。喉が渇いた。下半身の感覚がかなり戻っている事に気が付いた。
その数分後、聞いてはいたが、ものすごい激痛がお尻を走った。ついに麻酔が切れたのだ。
「イテ〜!う〜!」経験した事もない、最強の痛みの到来だ。
まるで、直径5cmの焼け火鉢をお尻の穴に突っ込まれて、トンカチで打ち込まれる様な激痛だ。
こんなのどうやって我慢しろというのだ。我慢できても10分が限界だ。
看護婦さんがやってきて、「お尻のガーゼを交換します」と言うと直ぐにお尻のふんどしを取った。
「あら、あまり出血してないわね」えっ、そうなのかと振り向くと、
そのガーゼは真っ赤な血の跡が染みついていた。厚く重ねたガーゼなので、相当の血の量だ。
これでも出血していない方なのかと不思議な感じがしつつも、
「看護婦さん、それより痛いので、何とかしてください」と言葉を返した。
「じゃあ、痛み止めを注射しましょう」モルヒネの出番だ。
噂には効いていたが、相当効くらしい、数分後、注射を持って看護婦さんが現れ、左上腕にブチュ〜。
10分も経たない内に、もうろうとしてきた。そしてそのまま眠りに付いてしまった。
目が覚めると、3時間が経過していた。もう、午後7時だ。激痛がまた襲って来て目が覚めたのだ。
う〜、我慢できない。思わず呼び出しブザーを押した。
「どうしました?」
「痛いです、何とかしてください」
また看護婦さんがとんで来てんで来て、注射を1本。
「おしっこ出ました?」そう聞かれて、トイレに行ってない事に気づいた。そういえば、膀胱が張っている。
相当尿が溜まっている。よし、トイレに行こう…と立ち上がったが、お尻の激痛で、
なかなか、思うように歩けない。「イテ〜!」
何とかトイレにたどり着いて、壁に手を付いて体を支えながら、尿を出そうと試みる。
出ない。出ない。おしっこが出な〜い! なぜだ、こんなに膀胱が張っているのに。
挑戦は5分が限界だった。結局出ないまま、ベッドに戻った。
麻酔の影響で、筋肉が思うように働かないのだ。だんだん、苦しくなって来た。
このままだと膀胱が破裂するような思いがした。またブザーを鳴らす。
「看護婦さん、おしっこが出ないんですけど」
すると、初めて見る夜勤の看護婦さんがやって来た。こんどは結構若い看護婦さんだ。
持って来たアルミ製のトレイには、ビニールの管がついた採尿パックと、
ゼリー状の液体の入った容器、そして消毒液が置かれていた。
「これから導尿しますね」と言うと、ふんどしをずらして、僕の大事な所を許可もなくつかみ、
管にゼリーを付けて、尿道に差込み始めた。
「イテ〜、痛いです看護婦さん」
「あら、ごめんなさい」
下を見ると、尿道から血が出ていた。へたくそなやつめ。尿道が化膿したらどうするんだ…。
そう思いつつも、まかせるしかない自分が情けなかった。
「大丈夫よ、このくらい。どうせ抗生物質の点滴してるんだから、すぐ直っちゃうわよ」
たとえそうでも、こんな経験初めてだ。後で痛くなったらどうしようかと不安が過ぎった。
看護婦さんは、自分の手を僕のお腹に当てて、押しはじめた。
するとどうだろう、どんどん尿が出るではないか。結局400ccも尿が出たのだった。
導尿が終わると、また眠くなってきた。もうろうとしながら、また眠りに付いた。
「イテ〜!看護婦さん来てください」同じ事の繰り返しだ。2時間で痛みが切れたのだ。
「普通は、2回が限度なんですけどね。この注射は強力なので」と言いながら、3本目を打ってくれた。
また、眠りに付く。
「イテ〜!看護婦さん来てください」まただ。結局2時間しかもたない。
「もうだめです。3回も打ってるんだから」
「お願いします。最後でいいですから、後1本だけ」
結局4本目の注射をしてもらった。これであと2時間は安心だ。
消灯の時間はとっくに過ぎていたので、睡眠薬を飲ませてくれた。
目が覚めると朝の4時だった。外はまだ暗い。痛みは依然結構なものだ。
でも、少しだけ和らいだ気がした。やっぱり、この痛みは我慢するしかないのか。
うとうとするうちに、6時になった。外は完全に明るくなった。
なぜか、昨日の事がかなり過去の事のように思える。そういえば、女房はいつ帰ったのだろう。
全く気付かなかった。
<入院生活>
6時30分、大きい声で、患者の名前を一人づつ呼ぶ声が聞こえた。朝食の時間だ。
ここはこんなに早いのか。ベッドから降りて、ゆっくり歩こうとするが、
一歩進む毎に振動がお尻に突き刺す。
「イテ〜!」食事は、自分の病室から廊下の端まで歩いて取りに行き、
病室まで自分で運んでこなければならない。病室のドアを開けると、廊下には、一斉に、
食事を取りに行く患者がぞろぞろ出て来た。しかし誰一人として早足で歩く人はいない。
ほとんどの人がお尻に手を当て、ゆっくり歩いている。その微妙な速度の差が、
術後の日数を如実に証明しているようだ。昨日手術した数名は、案の定一番遅い。
1回目の食事は、ほぼ流動食だ。味のない重湯だった。お腹は空いているが、我慢するしかない。
座って食べようとしたが、痛くて無理だったので、結局立ったままの食事となった。
午前中に点滴を2本受ける。これは約2時間かかるが、
このの時間は唯一治療を受けている気分になれる大切な時間だ。
午前10時、アナウンスが入る。
「診察の時間です。1階に降りて並んでください」
病室の外がざわざわしてきた。患者が一斉に診察室へ向かうのに我先と言わんばかりのざわめきだ。
なぜ、あせっているのかは、1階へ降りてみて分かった。
そこには、長い行列ができていた。診察室は4つあるが、一列に並んで順番に入る。
僕は一番後ろに並ぶことになった。
ズキン、ズキンとお尻がうづきはじめた。イテー。
立っているとお尻の筋肉に負担がかかって強烈な痛みが襲ってくる。
みんな痛いのを我慢してまで早足で並ぶ訳がやっと分かった。
しばらくすると自分の診察の番がまわってきた。診察室は3畳ほどの広さだが、
奥が通路でつながっていて、医者が行き来しながら順番に診察できる仕組みだ。
ベッドは幅60センチほどで、腰上の高さだ。その上に横向きに寝かされて、お尻を出し、医師が
自分の所へ来るのをじっと待つのだ。
しばらくすると、後ろに気配がして、お尻に何かつっこんできた。何の前触れもなく、診察が始まった。
3秒と経たない内に、「はい戻っていいですよ」と看護婦さんが声をだした。
起き上がりながら振り向くと、そこにはもう誰もいなかった。
いったいこれは何だったのだろう。複雑な気分になった。
後で聞いて分ったのだが、軟膏をお尻に刺しただけだったらしい。それにしても事務的だ。
少しぐらい「どうですか、痛くないですか」ぐらい声をかけてくれてもいいのに。
きっとここの医者は、患者を顔で覚えているのでなく、お尻の穴で覚えているのに違いない。
でも、自分が医者だったら、来る日も来る日も他人のお尻の穴を見ていれば、
早く診察を終わらせたくなる気持ちも分らないではない。とりあえず我慢するか。
午前11:30、昼食の時間になった。今度は重湯などではなく、きつねうどんだ。
やっと食事ができる満足感と、多少の不安を感じつつ、また立ったまま一気に食べた。
おいしかった。久しぶりの食事のような気がした。でも痛みは殆ど治まらない。
入院中、唯一自分でやななければならない仕事がある。それは、お尻のガーゼの交換とふんどしの交換だ。
ふんどしは、薄いガーゼでできており、風通しがよく、取り外しが簡単なものだ。
10センチ四方のガーゼは、ナースセンターの入口に常時置いてあり、それを毎日数十枚取りに行って、
共有で使用するスプレー式でフォーム状の消毒剤(抗生剤入り)をガーゼに付けて、バンソウコウでお尻
に貼るのだ。簡単な事ではあるが、これが以外に技術がいる。
あまり、押し込み過ぎると肛門が圧迫され痛いし、軽く貼ると肛門に当たらない。
この微妙な貼りかたをマスターすると、一人前の患者になれるのだ。(自慢にもならないが)
ガーゼは、厚さ5ミリ程度あるが、最初は出血も多いので2枚重ねが必須だ。
3枚以上重ねると、かさばってうまくいかない。でも2枚では、どうしても漏れてしまう。
浴衣姿の患者達はみんなお尻の辺に血が付いているまま、平気でうろうろするのだ。
こんな事は、この病院では当たり前の事だった。
病室の外は、団らんの場所がある。とても広い談話スペースだ。
ジュースやコーヒーを飲みながら、殆どの人がたばこを吹かしてくつろいでいる。
本当に不健康な光景だ。でもヘビースモーカーの私は、すぐその環境に慣れてしまった。
女房に円座(ドーナッツ座布団)を買って来てもらって、座る楽しみを覚えた。
こうなれば、自由な余暇を満喫する気分で毎日が過ごせる。
痛みは殆ど沈静化しないが、入院仲間と楽しく話したりして有意義な時間を過ごすと、
次第に痛いのを我慢することに慣れ、自分が強くなっていくのを実感として感じることができた。
この病院では、「どんな痔があったんですか?」などと聞く患者は一人もいなかった。
みんな、不思議な事に、かつての自分の痔の状態や、術後の状態を自ら進んで演説を始めるのだ。
大地主が土地の広さを自慢するように、大痔主自慢合戦が繰広げられるのだ。
でもみんな自分の事で精一杯で、聞き手にまわる者は誰もいない。勝手に話し続けるのだ。
私は、演説を遠慮した。何故なら、看護婦さんから聞いて自分の痔が病院一と分っていたからだ。
私が口を開くと、みんなのプライドを傷つけることになるからだ。妙な気遣いだが、重要なのだ。
術後3日目の朝が来た。
今日の朝は、焼いてない食パンと紅茶、そしてサラダだ。朝の常食は、いつも同じメニューなのだ。
この朝の食事は、何とか円座に座って食べたが、1分もしない内にお腹が苦しくなった。
術後、初の便意だ。直ぐにトイレに駆け込んだ。
本能に従ってふんばると、目の前が真っ白になって、最悪の痛みが襲ってきた。
「イテー、ウォー、ヒィー、ウ〜」思わず大きな声を出してしまった。
人に聞かれる恥ずかしさなんてどうでもいい、大きな声を出す事によって、
自分にまだ意識がある事を自覚したかった。
排便しているという感覚は全く無い。便器をみると、出るものは出ていた。不思議な体験だ。
便と一緒になにか黒っぽい粒のようなものが便器に落ちた。何だこれは。
気にはなったが、拾って見る気にはなれなかったので、取り敢えずウォシュレットのボタンを押した。
「イテー、ウォー、ヒィー、ウ〜」排便時を超える痛みだ。目の前が真っ白になって何も見えない程だ。
お尻の洗浄は大切なので、中途半端でやめるわけにはいかない。我慢するしかなかった。
この時から、排便の恐怖が自分の不安の中で一番の位置を占めるようになった。
トイレを出ると、「頑張ったねーと」と言いながら直ぐに隣の鈴木さんが入って行った。
2人部屋はトイレ付きの部屋なので、中の声は全部聞こえるのだ。
今度は、鈴木さんの絶叫が始まった。人ごとではないが、笑いが止まらなくなった。
しばらくすると、鈴木さんが出て来て、「こんな物がでたよー」と一言。
一目見て解ったが、さっき自分のお尻から落ちた物と全く同じものだった。
一見黒い粒だが、良く見ると、小さな輪ゴムだ。直径2ミリ程度で、真ん中に小さな穴がある。
手で引き伸ばす事などできない強力な輪ゴムだった。
後で判明したが、内痔核に取り付けて、先端を腐らせて自然に落とす為の用具らしい。
昔は、この代わりに糸を使っていたようだ。
この事実が分かり、手術直後に見せてもらった切除部が少なく思えたことが、納得できた。
術後4日目になると、お風呂に入ることができる。といっても、傷口がふさがった訳ではない。
多少出血していようと、風呂に入るのだ。この病院の風呂は、
家庭にある大きさの浴槽が6つ並んでいて、その都度自分の浴槽を決めて、お湯を自分で入れる。
お湯がお尻にしみないか不安が過ぎる。そーっと入ってみると、意外に気持ちいいものだった。
これなら毎日入ることは苦にならない。
しかし、傷口が露呈したままで、お風呂に入っていいものか、多少の不安があった。
風呂に入った後は血行が良くなるせいか、痛みの程度が多少和らぐ。
汗をかいてビールを飲みたい気分だが、そうはいかない。販売機のジュースで我慢する。
アルコールは最低2ヶ月間はお預けだ。
術後5日目の朝がきた。
この頃になると、痛みもだいぶ和らぐだろうと期待していた私は、予想がはずれてがっくりときた。
痛みは殆ど変わらない。確かに手術の日から比べればかなり楽になったが、
問題無く生活できるレベルの痛みでは決してなかった。
こんな生活が当分続き、あっという間に入院から9日目の朝がきた。
この日は、点滴もなく、食べて寝るだけの生活だ。昼過ぎに看護婦さんがきて、明日退院していいと
告げられた。まだこんなに痛いのに、何故退院なのか、とても不満に思った。
しかし、特別な治療があるわけでもなく、まあいいか、と覚悟を決めた。
<いざ退院>
退院の朝がきた。
この日は、朝一番で身の回りのものを片づけて、久々に洋服を着る。とてもすがすがしかった。
午前10:00、費用の支払を済ませ、9日ぶりに外に出る。本当に気持ちがいい。
帰りは、最寄りの駅から電車に乗る事にした。しゃばの空気を出来る限り吸っていたかった。
駅まで歩くこと約15分、通常なら5分の道程だが、早く歩くことができず、
一歩一歩着実に歩いた。
電車に乗る頃には、お尻周辺の筋肉が限界に達し、早く座りたいという衝動にかられた。
幸い席が空いていたので、座ることにし、ゆっくり腰をかけた。
イテー、ドヒャー。声は何とか押さえたが、強烈な痛みが襲ってきた。
電車の椅子は柔らかいので、大丈夫だと思っていた自分がバカだった。
椅子の表面がお尻の切れ目に食い込んで圧迫される。以前はこんなことは感じなかったが、
敏感になっているせいで、電車の椅子は食い込み安い性質だということを初めて認識した。
仕方なく、立ち上がって、筋肉の辛さを我慢しながら約20分、自宅のある駅に着いた。
駅からは、妻の自転車に両手をついて、ゆっくり歩いて何とか自宅に到着した。
当初の予定では、退院後一週間会社を休んで自宅療養するつもりだったが、
お尻はそれを許してくれなかった。結局、退院後2週間も会社に行けず、
ガーゼを取り替えるのが主な仕事の毎日が続き、入院日から通算で約23日間の休養となってしまった。
その後も痛みは当分残り、殆ど痛みが無くなったのは、手術日から起算して、1ヶ月目だった。
傷口は、自宅に帰ってから鏡で初めて見たが、当初はとても人間のお尻とは思えないほど、
それは悲惨な状態だった。
3ヶ月も経つと、傷口もほぼ奇麗になって、健康体の生活が完全に復活した。
思い起こせば、この間、女房は毎日病院に来て、一言の文句も言わず面倒をみてくれた。
自分は痛みとの闘いで、女房の気持ちなど振り返ることが無かったが、
健康体に戻って初めてそのありがたみを痛感した。
痔なんて命を取られる病気じゃないので、人はあまり同情してくれないが、
自分ではいい体験ができたと思っている。
もう、入院なんて恐くないし、多少の痛みも耐える自信がついた。
痛さが限界になるまでほっておいた事が、いかに馬鹿げていたかを思い知らされ、
痔が無い生活がいかに快適なものか、しみじみと実感する今日このごろである。