6月20日 (金)7日目 走行距離 1.212km
特にトラブルもなく、心配していた車中泊もぐっすり眠れる。
夜は10時前に眠り朝は5時頃目が覚める。
出発した翌日(6/14)朝8時40分頃、ラジオを聞きながら新潟バイパス走行中、突然緊急地震速報が放送され最初はいつもの訓練かと思いましたが「本番」と知り驚く。
8時43分頃発生した「岩手、宮城内陸地震」です。ここでは、江差から奥尻島に渡りそれから積丹半島~小樽です。
開陽丸とは
幕末に江戸幕府が所有していたオランダ製の軍艦です。明治元年(1868年)江差沖で座礁そして沈没 。
昭和50年(1975年)から始まった引き上げ作業で発掘された遺物は32.905点に及んでいる。
ここ開陽丸をご覧ください。
←地図:開陽丸
奥尻島といえば、思い浮かべるのは「食の島」それに忘れてはならない「北海道南西沖地震」である。
平成5年7月12日午後10時17分発生。その直後に襲った大津波により大勢の犠牲者を出した。
奥尻津波館と時空翔をGoogle Earth で見る。(Google Earthが必要です。ここよりダウンロードできます・無料)
6月22日(日)10日目 曇りのち晴れ
積丹半島の神威岬に向かう途中、立派なトイレのある駐車場(沼前地滑り駐車場)で休憩。
沖を見ると小樽から新潟に向かう新日本海フェリー「らいらっく」が航行していた。
海岸線を走るので景色は最高だがカーブ、トンネルが多く気を抜けない。
神威岬は日曜日とあって大勢の観光客で賑わっていた。
ここに立つと地球の丸さがよく分かる。豊浜トンネル岩盤崩落事故は1996年(平成8年)2月10日(土)午前8時頃発生した。
路線バス(乗客18名、運転手1名)と 乗用車(1名乗車)が岩盤(推計重さ27.000t)の直撃を受け氷点下の中、懸命の救助作業に当たりましたが、家族や国民全ての願い 祈りもむなしく20名全員が犠牲となった。
新しい豊浜トンネル横の「セタカムイ道路防災祈念広場」に慰霊碑がある。
慰霊碑の前に立つと、手を合わせずにはおれない。
犠牲者の中には、まだ10代の子供達が8人もいたのです。
子供達(中学生ぐらい)が遊んでいたので事故現場はどの辺かと尋ねたところ「ここからは見えない
船で行かないと」とのことだった。天災か人災か、といわれたこの事故の裁判では国家賠償は認め、国の責任には判断を避けました。
小樽=小樽運河と、言われるぐらいよく知られてい。
『小樽運河のルーツ』
小樽運河は大正12年(1923年)に完成した。
この運河は一般的な内陸に水路を掘ったのではなく、沖合を埋め立てて陸との間に出来た水路です。(埋立式運河)
戦後は無用の長物化としてヘドロの悪臭が漂うに
なった.
昭和58年(1983年)小樽市は保全運動の高まる中、当初の全面埋立から半分埋立に計画を変更し工事に着手した。