1.スノードームの誕生

 スノードームの始まりは明らかではないが、19世紀前半にペーパーウェイトとして作られたのが 最初であるようだ。しかしその存在を世に知らしめたのは、1889年のパリ万博である。 この万博の主役はなんといっても出来たばかりのエッフェル塔だったが、スノードーム業者はこの チャーミングな建築物をスノードームに閉じ込めることを思い付いた。 これは、スノードームの歴史からみると一つの事件であったといってもいいだろう。 それまでのスノードームといえば、水と白い粉の入った 少し変わったペーパーウェイトでしかなかったのが、この時を境に「スノードーム」というものに なったのである。この記念碑的スノードームはセラミック製の四角い台にガラスの球がのっていて 中のエッフェル塔もセラミックで作られていた。大きさは手のひらに乗るくらい。おそらく 万博に訪れた人々の帰りの鞄に入って各国へと散らばっていき、エッフェル塔をまだ見ぬ人にも その姿を知らせることとなっただろう。
 さて、この新しい小さな「技術品」は、当時の上流階級の人々に気に入られ発展していった。 スノードームは華やかな居間を飾るちょっとした小物として、また、気の利いた土産物として、人々の生活にしっくりとなじんでいったのである。ヴィクトリア朝の人々は、こうした新奇なものの持つ俗っぽさ、チープさを「モダン」として愛した。
 チープとはいえ、現在のものと比べればそう安っぽい代物でもなかったろうが、この水と白いかけらの単純なしかけで成り立つ玩具が、その「軽さ」ゆえに愛されているのは昔も今も変わらない。
 また、ヴィクトリア時代の趣味人たちは旅行好きだったことから、観光地では土産物ドームの生産が盛んになっていった。


2.スノードームの台頭


 旅好きのヴィクトリア朝の人々の期待に沿うように、1900年代に入るとヨーロッパ各地にスノードームを制作する工場が生まれた。オーストリア、チェコスロバキア、フランス、ドイツのバイエルン地方、ポーランド。これらの工場はみな小規模であったため、ドームにその名が記されることはほとんどない。この時期のドームは、球形のガラスの球にセラミックで作られたモチーフが入っており、下に黒や茶色の台がついたもので、正確にはスノードームというよりもスノーグローブ(globe=球)と呼ぶべきだろう。この形は材質や台の色こそ変わりはしたが、第二次世界大戦までは主流であった。1900年初頭から現在まで操業をつづけその伝統的な形を守り続けているのが、オーストリアのメーカーのPERZYである。PERZYの製品はデザイン性と質にすぐれ、スノードームが全般的に土産物として安っぽく見られがちだった当時には際立った存在だったという。
 スノードームはいったん、土産物として認められるとその人気が衰えることはなかった。最初はもっぱら土地の名所旧跡をモチーフにしていたが、次第に宗教的なモチーフ、マリア像や 天使などのほか、子供向けに赤ずきんなどのおとぎばなしをテーマにしたノスタルジックな雰囲気を持つドームも作られるようになる。
 こうしてスノードームは、ペーパーウェイトに始まり、土産品、玩具とその活用のすそ野を広げ、1920年に入る頃には大西洋をわたることとなる。


3.新大陸

 スノードームにとってアメリカはあらゆる発展の可能性を秘めた新たなる土地であった。
 1920年代に入るとヨーロッパのスノードーム業者はアメリカとカナダに製品を輸出し始める。このころのスノーグローブは台の色にコバルトブルーが多く用いられ、土地の名前が刻まれているのが特徴である。用途は主に土産物であったと考えられる。当時、スノーグローブはその構造上、水漏れの危険があり業者はきっちりと封をするのに苦心していたが、その解決策が得られたのもここアメリカであった。
 1927年の8月17日、ペンシルヴァニア州ピッツバーグでジョセフ・ガラジャという人物が中に水の入った「画期的なペーパーウエイト」を作るべく、ガラスの球の底に水漏れを防ぐ特殊な栓と、水をこぼさずに台座にしっかりとはめ込むための溝を開発して特許を取った。彼は球の内部に動く金魚の模型と生きた海草を入れて、「卓上池」(=Novelty Pond Ornaments)と名づけて販売した。この卓上池は見た目はまったく伝統的なスノーグローブそのものであった。特許上はスノーグローブに応用することに付いての明記はないものの、1929年の通販会社のカタログにガラジャ氏の三種類の卓上池が紹介されており、そのうちの一つは、モチーフとしてスノーマンと雪片が使われていた。そのため、事実上、これが最初のアメリカ生れのドームということになる。
 ガラジャ氏の製法はまたたくまに日本の業者にコピーされ、1930年には日本製の台が陶器で出来ているスノーグローブと、モダン・ノベルティ・オブ・ピッツバーグ社(その所在地の記録から、ガラジャ氏が作ったと考えられている会社)の作るベイクライト製の台座のスノーグローブがアメリカ国内に広く出回るようになったのである。


4.アメリカの雪

 1930年の終わり頃までには、ほぼアメリカ全土にスノードームが行き渡ったといわれている。依然として主流は球状のスノーグローブであったものの、このころから形や素材などに様々な物が見られるようになる。中のモチーフとして、瀬戸物で作られたアールデコの建物や彫刻などは芸術性も高く収集家にも好まれたようだ。また、雪遊びをする子供をあつかったものは「スノーベイビー」シリーズとして人気があった。台に灰皿の付いた物が生れたのもこのころである。
 第二次世界大戦が始まっても、いくつかのスノードーム業者は細々と生産を続けていた。その代表がオーストリアのPERZYとアトラス・クリスタル・ワークス社(以下アトラス社と略す)である。
 アトラス社の創始人はウィリアム・S・シュナイダーといい、もともとはワシントンD.C.で土産物の卸し売り業を営んでいた。彼が扱っていた製品のなかでは、日本製のスノードームがとても人気があったが、戦争が始まって輸入が途絶えてしまった。そこでシュナイダー氏は自らスノードーム制作に乗り出すことを決意する。氏はニュージャージーのトレントン市に居を移して、アトラス社を設立、妻がモチーフに色を付け、息子が秘伝の雪作りを手伝った。ごく小規模から出発したアトラス社は、ミリタリーモチーフや土産物ドームで人気を博して急成長し、その後のスノードーム業界において傑出した存在となった。その成功の様子は、50年代初頭にシュナイダー氏の息子による「アメリカじゅうのどの家にも最低二つは我が社のスノードームがある」という記述からも窺い知ることが出来る。アトラス社の製品は、黒いずっしりとした陶製の土台にガラスの球が乗っていて中のモチーフも陶器で出来ているのが特徴である。土産物の場合は土台に地名を記してあった。
 このようにしてスノードームは新天地アメリカで、その数を莫大に増やし、人々の生活にとけこむこととなった。さらに、50年代に入ると、目的をもったドーム、つまり会社の広告やキャラクターをモチーフとした付加価値を持つ「ノベルティ」商品が登場するようになる。


5.商業主義の時代へ

 1950年代に入ると、スノードームもぐっとカラフルになってくる。Progressive Products社は広告用のドームや自治体等の記念品ドームを数多く生産した。
 同社のドームは、球状のガラスに四角いプラスチックの台がついていて、中には水の代わりに黄色のオイルが入っているのが特徴。オイルを使用したのは凍結防止のためもあったとも言われている。しかし、この会社は広告用のほかに、賞品として与えられるためのドームを作ったことでも有名である。スノードームがトロフィーの代わりに授与されたのだ。おそらくはそのために黄色(=金色)の色がつけられらのではないだろうか。
 金色のスノードームが"Do-good domes"(功労賞)として、登校児童のガード"school-crossing guards"(緑のおばさんのようなものだろうか?)やセールスマン、新聞配達人や各種自治体のボランティア等で目覚しい活躍をした人にその業績をたたえて贈られたのだ。
 Progressive Products社がこうした地域に密着したスノードームを展開していた一方で、シカゴのDriss Companyは、赤鼻のトナカイやスノーマン、ローン・レンジャーやデイビー・クロケット等のマス・イメージとしてのアメリカ的なドームを生産していた。球状のガラスにポリスチレンの色鮮やかな台がついているのが特徴である。
 これらの少し変化のついたドームを見ると、広告として、記念品、賞品として、またテレビや映画の二次商品として、スノードームが人々の生活の中に浸透していったことがわかる。


6.ドーム型スノードーム誕生

 スノードームがアメリカで目覚しい活躍をしていたころ、生まれ故郷であるヨーロッパでは何が起こっていたのだろうか。50年代はさまざまな意味でスノードームが大きな転換期を迎えた時代であるが、ヨーロッパではスノードームの形に画期的な変化が訪れていた。
 土産物ドームなどでおなじみの、卵を横にして半分に切ったようなあの形。あの形は一体どこから来たのか。これまでの歴史で紹介したスノードームは、基本的には台の上に球状のガラスが乗っかったもの、正確にはスノードームではなく、スノーグローブ(globe=球)というべきものであろう。ドーム型が登場したのは1950年代初頭の西ドイツである。
 ニュールンベルグで行われた国際おもちゃショーで、Walter & Prediger社とKoziol社が同時にドーム型の新製品を発表した。両社はスノードーム製造業ではライヴァル関係にあり、両社ともドーム型は自社オリジナルであり最初に開発したのは我が社であると主張して譲らなかった。とくに、Koziol社の社長、Steven Koziol卿は、このドームの形は自分の乗っているフォルクス・ワーゲンのリアウインドウからみた雪景色をヒントにしたものである、という逸話を残している。
 事態は裁判に持ち込まれ、1954年の「スノーボールファイト(スノードーム裁判)」として記録に残っている。結果は、Koziol卿のファンタジックな話とは裏腹にWalter & Prediger社が勝訴し、底が楕円形のスノードームを作る権利を獲得、以来、現在にいたるまで、3000種類以上にも及ぶ、おとぎ話や雪景色、祝祭日を扱ったモチーフを生み出し続けている。一方、敗れたKoziol社は流行を巧みに取り入れ、変形ドームやノベルティ、ディズニーのライセンス賞品などよりポップで目新しいものを製造してきた。現在は底面が正円のドームを作っていて、日本にも輸入されている。
 さて、この楕円のスノードームの何が画期的だったかというと、中に入れるモチーフに変化をもたらしたことにある。これまでのドームは球状だったため、中のモチーフも立体的(3次元)でなくてはならなかった。しかし、楕円にして裏側を着色した結果、平板な書き割り式のモチーフでも事足りるようになったのだ。というのもそもそも、Koziol社とWalter & Prediger社は土産用のプラスチック製のピンバッチを作っていた会社であった。そして両社ともこのバッチをスノードームのモチーフとしても活用する事を思い付いたのである。ピンは裏側には何も書いていないので、裏から見えないようにする工夫が必要だったのだ。
 ドーム型の誕生、そしてプラスチックの成型技術の向上により、ガラス製のスノーグローブからプラスチック製のスノードームへとスノードーム全体の流れも大きく変わっていく事になる。


ビートルのリア・ウィンドウの謎

 このドーム型にまつわるカラフルな歴史を読んで、ふと好奇心がむくむくともたげてきた。
 はたして、ビートルのリアウインドウは本当にあの形なのだろうか。
そこで、フォルクスワーゲンについてのサイトを開いてらっしゃる信沢あつしさんとたかしさんにお話を伺ったところ意外な事実が判明しました。

 ビートルのリアウインドウがオーバル型(楕円の形)になったのは1953年の3月31日からで、それまでは中央に仕切りのあるスプリットウインドウであったということ。スプリットウインドウとはおむすびを二つ並べたような形をしているものだそう。そしてこのウインドウを用いたビートルが世に出回ったのは1938年から。
 とすると、SNOW GLOBES, by Connie A. Moore & Harry L. Rinker, Courage Booksによれば、Koziol卿がビートルからドーム型を思い付いたというのが1950年のことだということから、卿の乗っていたビートルはおそらくスプリットウインドウのものだったと推測される。
 このスプリットウインドウとオーバル型では基本的には、真ん中に仕切りがあるかないかの違いのみ。そして更に興味深いのは、この窓は外から立ってみると楕円形なのだが、少し視線を下げると底辺の平らなウイスキーボンボンのような形にみえるという。屋根の傾斜と曲面の関係によってそのように見えるのだそうだ。つまり、フロントシートに座って、後ろを振り返るとドームの形に切り取られた雪景色がみえた、、、。
 その際に、間にある仕切りは気にならなかったのか、、、こればかりは本人にしかわからないことだが、おそらくそんな物も気にならないくらい、リアウインドウからみた雪景色が印象的だったのだろう。

 1950年のとある雪の日の出来事が、今こうして机の上にのっている小さなスノードームとして存在している。そう思うと心にしんとしみいるものがある。今から50年後の2050年にこのドームを手にする人はいったい何を思うのだろうか。


質問に答えてくださった信沢あつしさま、たかしさま、ご協力ありがとう御座いました。


信沢あつしさんのホームページ
Volkswagen Dictionary
フォルクスワーゲンの歴史や構造など詳しく解説されたページ

7.大量生産の時代

 1950年代の終わり、よりオリジナルな景色、他にはない形をもとめてスノードームの生産地ははヨーロッパからアジアへと移った。

 香港の生産業者は、より様々な種類のドームを、というアメリカの要求に敏感に対応した。しかし価格の安さとバラエティの豊富さは品質と相反する。丸坊主の水着美女、エッフェル塔に「プエルト・リコ」のプレート。だが、皮肉なことにこのような「エラー物」がコレクターズアイテムとして人気があるのも事実である。

 50年代がスノードームのターニング・ポイントだったとすれば、60年代はスノードームの最盛期といえるだろう。実に豊富な種類のドームが次々に世に出された。四角形、円錐形、小さなテレビ型、宝箱型(海に沈んでいる財宝を模したもの。土産物に今でも見られる。)長靴型、ベル型(クリスマス物に多い)、そして赤い台の上に球形のドームが乗ったカレンダー型。また、モチーフも船や列車、シーソーが動くものなどが出始めたのもこのころ。付属の電池で豆電球が灯るタイプはひとつの発明といっても良いだろう。ニューヨークのパークスミス・コーポレーションはソルト&ペッパー入れ型スノードームを発売、その他こった動物型や様々なクリスマスドームで人気を博した。

 60年代の半ば、香港産スノードームにひとつの事件が起こる。それはドームの中の水。香港の港から直接取った水をドームに詰めたため、水の汚染が発見されたのである。合衆国政府は輸入を禁止。輸入が再開した際にはドームに「液体には浄化添加物が含まれています」という表示がつけられた。

 アジア産のドームは品質ではドイツ産には及ばないが、形状の豊富さ、つたない彩色、ユニークなアイディアが特色である。独特のチープさに心ひかれる。大量生産により安価で見た目も楽しいドームが手に入るようになった一方、水の汚染という近代的な問題が生じた。社会現象は、この小さなドームの世界にも波及している。ドームの裏に書かれた前述の表示を見ると、手のひらの中にも時代の流れというものを感じる。
1.スノードームの誕生
2.スノードームの台頭
3.新大陸
4.アメリカの雪
5.商業主義の時代へ
6.ドーム型スノードーム誕生
ビートルのリア・ウィンドウのなぞ
7.大量生産の時代

履歴:
1〜6とビートルのリア・ウィンドウのなぞ、は1999年から2001年にかけて書いたものを今回のサイトリニューアルにあたって一部修正しました。(2004/4/21)
7を追加
(2005/07/03)

おことわり:
当サイトを参考にして何かお書きになられる場合にはその旨を表記してくださるようお願いします。
無断転載は禁止させていただきます。(2204/4/21)


アトラス・クリスタル・ワークス社のスノーベイビー・シリーズ


ドリス社の赤い鼻のトナカイ

walter & prediger

Walter & Prediger社のドーム
底が楕円形の形を現在でも作り続けている。


Koziol社のドーム
裁判に負けた結果、底が正円のドームを作るようになった


豆電球つきドーム。これは水を自分で入れるタイプ。



パネルの後ろに豆電球があります。

参考文献:SNOWDOMES, by Nancy McMichael, Abbeville Press.
SNOW GLOBES, by Connie A. Moore & Harry L. Rinker, Courage Books
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