「米倉守」栗原一郎個展 に寄せて 〔2000年冬日本橋三越本店〕

 

 昭和という時代の「肖像」

 栗原一郎の世界は、一種の自己陶酔による絵画といってよいかもしれない。それは少なくともきらびやかな芸術ではない。私には思いっ切り酒を飲んだあとのすがすがしさのような性格の絵画に思われる。

 今回の人物画群も、ある特定の個人〔私も知っている〕、特定の瞬間の表情を絵画に捉えた仕事である。描くことで、その人間のその瞬間の気持ちをよびさまし、さらにその瞬間を超えて性格や人物の個性に対する強い興味と溌刺たる好奇心があふれている。

 肖像画といってよいのだが、私は少し違う印象を今回の仕事にもった。例えばルオーは肖像画は描かなくても「人間」を描こうとした。それにくらべるとピカソは、肖像画さえ静物として描いている。栗原は人間の「存在」を描いているが、そこに私は切々と戦後の風俗、昭和という時代の終戦時の感情を受けとるのだ。ここには流れ去った敗戦時のすえた夕映えのような雰囲気が漂っていると同時に、そこからしたたかに立ちあがって歩いてきたものたちの沈黙がある。

 僧侶も役者も落語家もボクサーも、女も、絵を描く男も、そのこまやかな風格が、その顔かたちから、好みや性行のすみずみまで、画家はなんとも深い愛情を持って追求しているのだ。

 それは鑑賞画のみに通う画境ではなく、画家の生きた同時代の暮らしに通う関心から入った画道によって身についた画境である。つまり日本の近代洋画の強調した造形的興味だけに傾いた画面とはまったく別種の境地が展開されてきたのである。見方によれば、昭和のある時代の“肖像画”がここに成就されたと考えてもよい。少なくとも画家と同世代の私はそんな昭和という濃度の高さを栗原作品から感じている。

 敗戦時から抜け出たところに自分の美術の方向を考えていた画家に、その時代と歴史は栗原がそこから離れようとすればするほど執拗に追いすがり、まつわりついて離れなかったのだろう。造型志向の画家たちの塗られた絵とは違って、栗原の画面は描かれた絵である。ほとんど日本画に近い空間とモノクロームに近い色調は、主眼とするものだけをわしずかみにした有機的な感覚に導かれて、鎖雑のうちに混沌とした調和を醸し出している。

 混沌とした終戦時の昭和を出発点として前進しようとした画家の前進は、前進というよりは出発点への回帰だったのではないか。真実を失わず前進しようとすればするほど、それは栗原一郎への回帰であった。

 私は栗原一郎の過去の作品を見てきて、そして今回の人間像に接して、底まで飲み、泣き、心を締めつけ、そのあと浄化されたものがこころを満たす、たっぷりとした美、風俗画的にいえば“たらふく”の哀切美を、昭和という時代とともに実感した。

 「二頭のロバが、麦ワラの上をグルグル回っていた。まん中に石臼があり、それを中心に、ロバはただひたすら歩き続けている。時折、農夫がムチを当てると、ロバはふたたび歩を運び始める。こうして製粉の作業がつづいているのだった。」 (ぼくの哲学日誌)。

 森本哲郎氏はモロッコでみた農作業の情景をこう書いている。そして、ロバは死ぬまで歩き続けるだろう。ロバの目標は、ただ前へ進むということであり、しかも、進んでいるつもりでも、実は同じ円を繰り返し描いているにすぎない、と。 芸術は繰り返しだと思う。栗原一郎は同じ主題、同じ問題を繰り返し、繰り返し回り重ねてきたのである。石臼のかわりに、自分のまわりを、問題のまわりを、前進しているつもりでまわってきたのだ。

 が、それゆえに、ロバの歩みで、石臼のまわりには、着実に挽かれた粉が積み上げられて行った。

 栗原一郎の画業もそうではなかったか、と今にして思うのである。その永い時間と軌跡は、石臼のように重い、簡単に持ち上げられぬ、いわば容易に解答など得られないものへの根源的な問いであった。

 あたかもロバが石臼をひいて粉の山をつくりあげるように、栗原一郎はゆっくりと美の糧を挽いて、自分にとって絵画的なものの真実を否応なしに貫いてきたのである。

 そこに昭和という時代の「戦後」の匂いをかぎ、失われたものの側に立って、人間にとっての本当に大切なものを示唆する栗原一郎の本質を聞くのである。 

(敬称略)

 


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