摩訶は浪漫 入川水系域

入 川 水系域

奥トボの金色の妖怪・・・(大滝・矢竹沢)
  矢獄沢には、下流から辿り上ると半里ごとに「前トボ」「中トボ」「奥トボ」と呼ばれる谷の入り口がある。
 奥トボは沢の最もの奥地で魔の住むところだとして誰も近ずく者はいなかった。
 或る日、村の因業な爺は村人が止めるのもきかずに、奥トボへ独り行って木々を伐っていた。
 すると、山の奥の方からも木を伐る音がする。
 爺は不思議に思い『アハハハ…』と大声で笑うと、奥の方からも『アハハハ…』と大きな笑う声がした。
 天狗の仕業だと思い腹を立てた爺は『天狗のバカヤロウ…』と大声で怒鳴った。
 すると、全身が金色の毛に覆われた妖怪が『バカヤロウ!!』と耳を劈く大音響と共に叫びながら現れた。
 因業な爺は、その場に昏倒してしまった。
 それみたことか・・・と村人達は気を失って倒れていた因業爺を助けだした。
 爺の話によれば、その時の凄まじさといったら体中の肉が引き千切れんばかりだった、と云う。

  
矢竹沢の奥トボを訪ねてみた。でも恐ろしく、為るべくに静かにしてこっそりと辺りを見回して帰ってきた。
 正直を申せば、何処が奥トボなのか確とは判らなかった…のだ、残念です。
 矢竹沢は矢獄沢と呼ばれていたのですね。この話、大赤沢での事であると云う伝えもあります。

 
(矢竹沢の中・下流については、コンテンツ【辿る谿】に概念を記してあります。)
 
武田の千カマドからの煙り・・・(大滝・股ノ沢)
  武田の金堀人足が山を越えてやって来て、股ノ澤筋は金堀りが盛んとなった。
 益々に金は絶え間なく出でて遂に人足小屋は千軒を越えカマドの数も千を越え夕餉には山々が煙った。
 いよいよに遊女達も列をなして峠を越え来て十数軒の遊び小屋を建て人足達を慰む程になった。
 千のカマドを証とし澤縁に千軒地蔵を祀り、守護寺として山上に清光寺を造り設けた。
 やがて武田家は滅亡して山奥に淋しくあった千軒地蔵を運び来て栃本地内に移した。

  
奥秩父の地は金鉱脈の宝庫である。
 彼方の山間に此方の谷間に金の採掘の根拠がある。栃本集落の外れの千軒地蔵もまた然り。
 その幾つかを然らば我もと夢想して訪ね歩くのですが…。

 
(新編武蔵風土寄稿 ヨリ)
 金山三ヶ所 みな御林山の内にあり、其一は股ノ澤と云、栃本の西七里にあり、其一は眞ノ澤と云、これも栃本より
 七里にありて、往昔金を穿しあと八十三穴ありと傳ふれど、今現に見ゆる所は苔むしたる穴、十二三許も往々にあ
 り、その深さ五六間よりして底際をしらずといへど、岩崩れありて通りがたき所多し。
 さて古へ盛に金を掘出せし頃は、人家も多く立ちならび、甚賑はひしよし傳ふ。
 今尚金穴の下に千軒屋敷の跡と唱ふる所あり、平坦の地三十間に六十間許の荒蕪せる所に、石垣の跡など往々
 にあり・・・。(中略)
 
寛永年中信州佐久郡落合村の民金山を見出し、伊奈半十郎へ告て穿ちしが、元より秩父の山なればとて、大瀧
 村の民より訴て留山となるよし、其後延寶年江戸のものにて、野田市郎左衛門・多賀井右衛門なるもの請負てほ
 りぬ、貞享年中に埼玉郡越谷宿の・・・、(後略)

  
その後も彼の者此の者と探し掘り進めた記録が多くある。 さても、浪漫の埋まっている地域には違いない様。
 貴方様も捜し求めて徘徊するのもまた一興かと思うばかり、強運ならば金の大鉱脈に探し当るかもしれません。




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