今回の依頼は、いなくなってしまった飼い猫を探してくれ、というものだった。依頼人は中村ゆかりといい、なんと小学校3年生である。依頼メールを受けて待ち合わせ場所に出向いたレイは、大きな眼に涙を浮かべた子供に突然泣きつかれ、珍しくも途方に暮れることになったのだった。
しゃくりあげる彼女をなだめながら事情を聞き、依頼を受けたのが昨日の夕方のことである。こうした探し物系の依頼では、パソコンが得意なユエが情報収集を担当する。彼がタレコミ屋・情報屋などのネットワークにアクセスして情報を集め、明らかに嘘と分かるものをはじいてレイに報告し、真偽を直接確認してもらうというのがいつものパターンだ。今朝のトラブルは、「繁華街でそれらしい猫を見かけた」という情報を確認しに行ったときのことだった。
「・・・そんで一日歩き回って、結局今日は手がかりなしかぁ〜。」
その夜。調査を終えて帰宅したレイは、シャワーを浴びて濡れた髪を拭いつつ、ベッドに腰掛けているユエにもたれかかった。その体勢のまま眼を閉じ、相棒に問う。
「もう一件のほうはどうだった?」
もう一件。それは依頼人、正確には、その家庭環境についての調査であった。
報酬の交渉をするためには、ある程度相手の経済状況を知っておかなければならない。というのも、このふたりの場合、仕事の内容による報酬額の基準というものが存在しないのである。彼らが要求するのは、「その人が出せる精一杯の額」。その日の食事にも困る人間なら千円でも文句は言わない(ちなみに、今までの最低記録は百円である)。ただし、余裕があるのに出し惜しみする人間に対しては、容赦ない取立てが待っている。要はそこに誠意がみられるかどうかという、非常に曖昧、かつ主観的な料金設定であった。そのため、時には労働に見合わない、雀の涙ほどの謝礼しか出ないこともしばしばあるが、ふたりはそれで満足している。「とりあえず、その日腹を満たすだけの食事があればいい」とほざいているあたり、若いくせに妙に達観したふたりであった。
その達観した青年が、肩の上で寝入りかかっている少年に、昼間調べた内容をそらんじて聞かせる。
「依頼人・中村ゆかりは、父親である健二とふたり暮らし。父親の職業はフリージャーナリスト。わりと硬派な、いい記事を書くことで知られていますが、生活状況は慎ましやかですね。」
「中村健二・・・ああ、知ってる。前に、売春組織の実態をスッパ抜いたおっさんだろ?」
「はい。」
「結婚してたとは知らなかったなー。」
「母親は、2年前に亡くなっています。父親も忙しいですから、彼女にとっては、いなくなった猫が大切な友達だったのでしょう。」
「『翡翠』・・・だっけ。綺麗な名前だよな。」
レイは、調査のために借りた写真を思い出した。その名の通り透き通った翠の瞳をもち、可愛らしい赤い首輪をつけた白猫。主人の心配も知らず、いまごろ何をしているのやら。
「親父さん、最近見かけないけど、今は何してんのかな。」
「ここ数ヶ月、仕事は完全にオフにしています。どうも、かなり大きなネタに取り組んでいるようなんですが・・・」
「ん?」
「・・・最近、《Junk Street》で彼を見かけたという人がいるんです。」
その言葉に、レイが閉じていた眼をぱっと開いた。その情報が確かなら、彼は相当にヤバイ調査をしているのかもしれない。
《Junk Street》は、主に麻薬の取引を行う裏市場である。コカイン・阿片・モルヒネなどのスタンダードなものから、つい最近創り出された新種のドラッグまで、ここで手に入らないクスリはないと言われる。当然、治安の悪さは・・・述べる必要もないだろう。とにかく、一般人がうかつに踏み込めば未来はない。呆れたようなため息をついて、レイがゆっくりと頭を起こした。
「可愛い娘を置いて何やってんだか・・・。」
「逸脱しないで下さいね、レイ。僕らの仕事は、猫探し。彼の仕事を手伝うのはまた別件ですよ?」
「誰も手伝うなんて言ってねーだろ。麻薬組織を敵に回すと何かいい事あんのか?」
「ないですけど、レイってそういうハードボイルド系の男性好きじゃないですか。」
「誤解招く言い方すんな・・・!」
本気で嫌そうな顔をする相方に、ユエが思わず吹き出した。レイの形のいい眉が不機嫌そうに寄せられる。
「な〜に笑ってんだ、コラ!」
「うわっ!」
突然飛びかかられて、ユエは仰向けにベッドに転がった。してやったりという顔で見下ろしてくる加害者を、怒った様子もなく見上げる。
「危ないですよ、レイ。」
「うっさい。お前が悪い。」
「からかったのは謝りますけど、言葉の前半は本気です。」
ふと真剣な声音になった相棒に、レイは苦笑した。
「分かってる。自分の立場くらい認識してるさ。」
「それは結構・・・では。」
「え?」
ふいに反転した視界にレイが小さく声を上げたときには、ふたりの体の位置が入れ替わっていた。自分より一回り小柄な体を組み敷いたユエは、ゆっくりとサングラスを外す。
色濃いガラスの下から現れた双眸は、不思議な色をしていた。まるでサファイヤとアメジストを溶かし合わせたかのような、青とも、紫ともつかない神秘的な色彩。それは、光の加減や持ち主の感情によって、僅かに色合いを変える。
今は、優しく紫に煙る瞳を覗き込んで、レイは「積極的じゃん。」とささやいた。こつん、と額を合わせて、「このあたりで、仕事の話はやめませんか?」と呟く相棒に、抑えきれない忍び笑いを漏らす。
確かに、今は明日に備えて英気を養うべきときだ。レイはユエの肩越しに、ベッドサイドのランプを消した。