・・・それは、偶然だった。中村健二監禁事件の背景に《フローラ》が絡んでいることを突き止め、その調査も同時に行っていたユエは、2年前に起きた、主婦の変死事件の記事をたまたま見つけ、驚愕した。歌舞伎町の路地裏に倒れていた女性の死因は、薬物の多量摂取によるショック症状。そして彼女の名は―――中村あかね。健二の妻であり、ゆかりの母親である女性であった。
健二は、ベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けたユエから視線をはずした。バスケットの中の林檎が光を弾いているのを見ながら、口を開く。
「――あの日は、私たちの結婚記念日だった。ゆかりと三人で祝うつもりで、いつもより早く家に帰ったんだ。そこへ電話がかかってきた。・・・妻が死んだと。何を言っているのかと思ったよ。」
「・・・香取に捕まって、無理やり薬物を打たれたんですね。」
「ああ。だが、警察はそうは思ってなかった。妻に薬物依存症の経歴はないかと、何度も聞かれた。妻は、自分の意志でそんなものに手を出したりはしないと、何度言っても信じてもらえなかった。
――だから、自分でやることにしたんだ。あかねを殺した奴を、必ず白日の下に引きずり出してやる。そう思った。」
一気にそう言い、健二は息を吐いた。微かな自嘲の笑いを浮かべ、目の前の青年に問う。
「軽蔑するかい?――私は、正義のジャーナリストなんかじゃない。私怨に縛られた、ひとりの男にすぎないんだよ。」
その問いに、ユエはそっと首を傾げた。金の髪が、わずかに揺れる。
「僕は、動機というものに興味はありません。ひとの心など、他人には決して分からない。『何故』そうしたのかより、『何を』したのかという方が僕にとっては重要です。あなたの原動力が愛する人を奪われた憎しみだろうが、純粋な正義感だろうが、あなたが強制売春組織を摘発したという事実には変わりないのですから。
・・・僕がお聞きしたいのは、別のことです。」
「別のこと・・・?」
「はい。これからも引き続き、麻薬問題を追うつもりなのか、ということです。」
ユエは、サングラス越しの視線を、真っ直ぐに健二に向けた。
「《Junk Street》は、複数の組織が混在する、国内最大規模のマーケットです。今回のような潜入取材を敢行すれば、今度こそ命はないかもしれませんよ。」
その言葉に、健二は微笑した。
「今回のような危険な取材はもうしないよ。ゆかりや、無関係な君たちまで巻き込んでしまったからね・・・。愚かだったと思っている。だが、麻薬組織撲滅運動は続けるつもりだ。
麻薬に人生を狂われた人たちは、たくさんいる。これから、私と同じ考えを持つ同志を探して、反麻薬グループを組織しようと思っているんだ。私は文章をもって、麻薬の危険性を世間に訴えていく。
・・・香取が逮捕されて、やっと私は前を見ることができたと思うんだ。あかねの復讐ではなく、大切な人を麻薬に奪われる人がもう出ないように、と・・・最近、ようやく思えるようになった。」
憑き物が落ちたかのような健二の様子に、ユエも微笑を浮かべた。どうやら、余計な心配だったらしい。彼はもう大丈夫だ。と、健二が悪戯っぽい微笑を浮かべて、ユエを覗き込んだ。
「しかしあれだね、君は依頼を受ける度に、依頼人に仕事のアドバイスをしているのかい?」
苦笑するユエ。「いいえ。《よろず屋》としては分を超えた差し出口です。」
「では何故?」
「・・・子供が、父親を失って悲しむのは見たくないと思っただけですよ。」
――そんな思いをするのは、彼だけでいい。心の中で呟いたとき、にぎやかなさえずりが聞こえてきた。レイとゆかりが帰ってきたらしい。ユエは、上着を手に立ち上がった。
「では、これで失礼します。」
「おや、もう行くのかい?もう少しゆっくりしていけばいいのに。」
「長居をしては傷に障りますから。ゆかりちゃんのためにも、早く良くなってくださいね。あの子は、あなたのことがとても好きなようですから。」
健二が笑って頷いた時、病室にふたりが入ってきた。無機質な病室に、甘い花の香りが満ちる。レイが差し出した花瓶を窓際のサイドテーブルに置くと、ユエは相棒に「行きましょう。」と声をかけた。残念そうに声をあげるゆかりの頭をくしゃくしゃとかき混ぜて、レイはにっと笑った。
「またメールしてこいよ。今度は仕事抜きでデートしようぜ。」
「うん!するする!」
「レイ・・・小学生をナンパしないで下さい。ほら行きますよ。」
・・・がしっ。
「ぎゃー、襟首掴むな!首絞まる!!」
「では、失礼します。中村さん、お大事に。」
「人の話を聞け―――!!」
カラカラカラ、カラ、パタン。
嵐のように去っていったふたりを見やって、ゆかりがあっけに取られたように呟いた。
「・・・金髪のお兄ちゃん、何か怒ってた?」
「・・・いや、別に怒ってはいなかったと思うよ。」
ユエの思考をなんとなく理解した父親は、視線を泳がせてのたもうた。その目に、窓際で光る花瓶が映る。と、そこに何だか妙なものが花とともに生けられているのを見つけ、健二は目を見開いた。
花の茎に支えられて鎮座しているのは、彼が《よろず屋》たちに渡したはずの茶封筒だった。慌てて開いてみると、中には十分の一だけ減った中身と、一枚の紙切れ。そこには、乱暴な字で、こう書かれていた。
―――Good Luck!!―――
健二は、紙切れを手にしたまま硬直し、次の瞬間、弾かれたように笑い出した。肋骨の痛みに息が詰まったが、こみ上げてくる笑いは抑えられない。
Good Luck、か。これが彼らなりの激励というわけだ。笑いを収め、健二は眼を閉じた。まぶたの裏に浮かぶ若者たちに、心の中で告げる。
――分かっているさ。私はもう迷わない。最後まで、自分の信じる道を進もう。
眼を開き、健二は心配そうな顔をした娘を見つめた。この子には、全てを話しておかなければならない。今回の事件のこと。母親のこと。そして、これから自分がやろうとしていることを。娘がそれを理解し、受け入れてくれることを信じて。
長い話を始めるべく、口を開いた健二。窓の外には晴れ上がった蒼穹が、彼を応援するかのように広がっていた。
end