新年へのカウントダウン

 

 つけっ放しのテレビから聞こえてくる、人々のざわめき。画面の向こうに集まっている、老若男女さまざな人々は、残す所数分となった今年を惜しみつつ、新たな年の訪れを静かに待っている。もっとも、気の早い者たちの中には、既に完全に正月モードに突入している者もいるようだ。ブラウン管に映し出される、完全に出来上がっているおっさん達の姿を眺めながら、ユエの傍らに寄り添っている少年は、温かいコーヒーをゆっくりと啜った。
 暖房が効いてはいても、深夜のリビングはなんとなく肌寒い。最初はいくらか離れて座っていたのに、いつの間にか傍らのユエにくっついて暖を取り始めていたレイは、赤ら顔のおっさん達の集団が足を縺れさせ、ごろごろと転んで団子状に潰れるのを見て、思わず苦笑した。

 「あーあ。・・・ったく、あんなにべろべろになっちゃって。十二時まであと少しなのに、それまで待てねーのかよ。」
 「ま、いいんじゃないですか?楽しそうですし。それよりレイ、寒くないですか?」
 「ん、平気。ぬくいぬくい。」
 「完全に湯たんぽ代わりですねぇ、僕。」
 「せっかくの高い体温を有効活用してやってるんだ。ありがたく思え。」
 「はいはい。」

 どうせ新年の挨拶をしたら寝に行くのだから、今さら毛布を持ってくるのも面倒だ。
 人にくっついているくせに不遜な物言いを柔らかく流しておいて、ユエは穏やかな目でテレビを眺めた。サングラスに隠されていない、無防備に晒されたままの双眸が、ブラウン管の眩い光を映して深い輝きを帯びるが、その目は心なしか少し眠たそうだ。それは、傍らのレイも同じ事で、時折くあーっと猫そっくりな欠伸を零している。

 「あー、なんか眠くなってきた・・・。」
 「昨晩は徹夜でしたもんねぇ。あの仕事、深夜には終わると思ってたのに、意外と手間取っちゃいましたから。」
 「せめて、今朝帰ってきてから仮眠でも取れれば良かったのにな・・・。」
 「だから、『寝てていいですよ』って言ったじゃないですか。」
 「あのな、お前が一人で大掃除してるってのに寝られるわけないだろ!」

 師走は皆が慌ただしく動き回る月であるが、それはレイたちとて例外ではない。ケーキの販売、レストランのウェイター、大邸宅の掃除の手伝いなど、切った張ったの立ち回りとは全然関係ない方向の善良な依頼が多数舞い込み、二人揃って働きづめになるのが毎年のパターンである。商売繁盛は結構な事だが、主夫であるユエも仕事で手一杯になるため、どうしても自宅の手入れの方が疎かになりがちなのだ。
 それでも、几帳面なユエは、月初めから僅かな時間をやりくりしては、普段手が届かない所の掃除や不用品の整理などをこつこつとやっていた。もともと普段からこまめに家事をやる彼の事だから、年末の大掃除も余所に比べれば随分と楽である。だが流石に、家具を動かしての掃除などの大掛かりな作業は、彼一人では少々厳しい。そのため、レイと休日が重なった時にやろうやろうと先延ばしにしていた所、結局大晦日である今日まで持ち越してしまったのだった。

 「今年も、最後の一日までよく働いた・・・。」
 「お疲れさま。二人とも、最後まで元気で働けて、何よりでしたね。」
 「・・・うん。」

 まるで年寄りのような会話だが、いつ何時、仕事の最中に大怪我を負うかもしれない彼らからすれば、それは心からの言葉だった。お互い、命に関わるような重傷を負う事もなく、病気に見舞われることもなく、一年の最後の日をこうしてふたり揃って迎えられた事は、彼らにとっては何よりの喜びである。預けた頭を、懐くように広い肩にすり寄せるレイを、ユエは左腕で懐に抱き込んだ。

 「・・・今年一年、ありがとうございました。」
 「こちらこそ。来年も、よろしくな。」
 「はい。」

 顔を見合わせて、柔らかく笑い合う。再びことりと頭を落としたレイは、喉を鳴らし、とても穏やかなため息をついた。
 そのまま黙りこくってしまった彼に、ユエが眠ってしまったのだろうかと首を傾げた、その時。

 「・・・あ。」

 彼にくったりと身を預けていたレイが、突然ぽつりと呟いた。つられて画面を見たユエは、そこに表示された「新年まで58秒」の文字に目を止め、優しく目を細める。

 「・・・カウントダウン、開始。」
 「だな。」

 ――刻一刻と減っていく数字を見守りながら、今年あった出来事をひとつずつ反芻する。

 仕事を通して、いろんな人に出会った。新しい友人が出来た。時には、心や身体に深い傷を負った事もあった。
 本当に、色々な事があったけれど、今年も自分の傍らには、ずっとこのパートナーがいた。

 美味しいレストランを見つけて、一緒に喜んだ事。些細な意見の衝突から、派手な喧嘩をやらかした事。・・・そして、心や身体の傷に耐えかねて、片方が地に膝をつく時には、必ずもう片方がそれを引っ張り上げてきた事。
 嬉しい時には共に笑い、哀しい時にはその痛みを分かち合って歩いてきた、この一年の出来事が、走馬灯のように脳裏を過ぎる。そして、年の最後の瞬間まで一緒にいられた事に、ふたりはそれぞれの内心で感謝の言葉を呟いた。

 『・・・10秒前ー!きゅーう、はーち、なーな・・・・!』

 残り10秒を切り、テレビの向こうのボルテージも徐々に上がっていく。確実に減っていくカウントダウン。・・・それが、残り5秒を告げた時。

 「・・・・・・?」

 ふと、肩の辺りに留まっていた温もりが離れた。静かに視線を落としたユエの目に、静かな微笑みを湛えて自分を見上げるレイの姿が映る。
 何よりも雄弁なその黒曜を覗き込んだユエは、音にされない心の声を読み取って、端整な唇を微かに綻ばせた。

 

 『さーん!にーい・・・・!!』

 

 ――ユエの脚に手を置いたレイが、そっと身を伸ばす。

 ――僅かに首を傾けたユエの髪が、金の波となって白い肌に落ちた。

 

 ・・・そして。

 

 テレビの向こうから響く、『あけましておめでとうございまーす!!』という歓声をどこか遠くで聞きながら、ふたりは重ねた唇を、ゆっくり、ゆっくりと離した。至近距離で絡み合う漆黒と紫暗の視線が、微笑とほんの少しの照れくささを含んで揺らめく。そのまま、子どものように互いの額をくっつけて、ふたりはくすくすと楽しげに笑った。

 「・・・あけましておめでとう、ユエ。」
 「おめでとうございます。今年も一年、どうぞよろしく。」
 「ああ。」

 キスで繋いだ、年と年の狭間。離れていった唇を惜しむように、もう一度だけ啄ばむような口づけを交わすと、レイはひらりと身を翻してユエの腕から抜け出した。しなやかな仕草でひとつ伸びをすると、ユエに右手を差し出して笑う。

 「さ、新年の挨拶も済んだ事だし、そろそろ寝ようぜ。明日はアラシたちと初詣行くんだから、早起きしなくちゃ。」
 「そうですね。」
 「とりあえず、寝る前に”姫始め”だけやっとく?」
 「!!・・・いえ、それは明日の夜のお楽しみという事で。」
 「ふふっ・・・あっそ。」

 差し出された手に掴まって、ユエもすらりと立ち上がる。一瞬だけ握られた手はすぐに離されてしまったけれど、別に構わなかった。行為には及ばないとしても、今夜はきっと同じ寝室で眠るから。

 (同じ初夢、見られたらいいなぁ。)

 別に、富士だの鷹だの茄子だのが出てこなくてもいい。見たいのは、彼と共にある自分の姿だけだ。それに、たとえ夢が見られなかったとしても、目覚めて最初に目にするのが彼の姿であるなら、それだけで十分。山の夢を見るより、そちらの方が自分にとってはよっぽど幸先の良いスタートなのだから。

 (今年も一年、一緒に頑張りましょうね。)

 細い背中に、穏やかな目でそう語りかけ。
 ユエは、リビングの電気を静かに消して、一足先に寝室へと消えたパートナーを追いかけたのだった。

 

 

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