AM11:28 都内某マンションの一室。
にぎやかな小鳥のさえずりが、薄皮が張ったような意識を刺激した。少年はゆっくりと瞼を開き、カーテンの隙間から漏れる光に目を細める。今日もいい天気らしい。
ベッドから身を起こすと、背の中ほどまで伸びた黒髪がさらりと肩から滑り落ちた。それをうっとうしげにかき上げながら、ベッドサイドに放り出してあった服を手早く身に着ける。細い皮紐で不揃いな長髪をまとめながら鏡の前に立つと、全身を黒衣に包んだ少年と目が合った。
色の白い、秀麗な顔立ち。さほど背は高くないが、均整の取れた細身の体はいかにも俊敏そうである。聡明さと好奇心を宿して明るく輝く漆黒の双眸とあいまって、見るものに黒猫のような印象を与える。
少年が大きく欠伸をしていると、ドアが柔らかくノックされた。食事の準備が出来たらしい。
「起きてるよー。今行く!」
ドアの向こうの相手にそう告げると、少年は左手に黒い手袋をはめた。
身づくろいを終えた少年がリビングに入っていくと、すでにテーブルの上には軽いブランチの支度が整っていた。コーヒーを注いでいた人影が振り返り、少年に微笑みかける。
「おはようございます、レイ。」
「おはよ、ユエ。」
ユエと呼ばれた青年は、少年より頭半分以上背が高い。窓から差し込む日差しを受けて輝く金の髪が、鮮やかに人目を引く。室内だというのにサングラスを着用しているため目許は見えないが、すっと通った鼻筋と形の良い唇から、かなり端正な顔立ちをしていることが分かる。しかしモデルのような容姿とは裏腹に、物腰は非常に柔らかく、穏やかな気性の大型犬を連想させた。
黒衣の少年の名は、冴羽 零(さえば・れい)。
金髪の青年の名は、玖月 故(くづき・ゆえ)。
彼らは、一部の世界ではちょいと有名な、《よろず屋》コンビであった。
《よろず屋》。それはその名のとおり、報酬と引き換えに、どんな依頼でもこなす職業のことである。依頼内容は実にさまざま。人手が足りないから引越しの手伝いをしてくれ、一日ウェイターをやってくれ、等というごく普通のアルバイト風のものや、迷い猫を探してくれ、という探偵の真似事風なもの。そして時には、結構危ない橋を渡ることもあるのだ・・・。
「・・・っていうか、毎度のように危ない橋を渡っているような気がするのは僕だけですかね、レイ?」
「ほとんどは『危ない』のうちに入んねーよ。昨日だって、俺も女の子も無傷で帰ってきたろ?心配しすぎなんだよ、お前は。」
食事を平らげ、コーヒーを飲みながら昨夜の仕事を振り返る。誘拐された少女をゴロツキどもから救出するという、少々危険な依頼。無事に仕事を終えて少女を自宅まで送り届けたレイは、報酬の交渉など面倒な事務をユエに任せ、先ほどまで惰眠を貪っていたのであった。ユエは血気盛んな年下の相棒を見やり、端正な顔に苦笑を浮かべた。
「あなたの力量は知っていますが、猿だってたまには木から落ちるんですよ?」
「猿は地面に降りることで人類へと進化したんだぞ?」
「河童だって川に流されることもありますし。」
「流れるプールで流されるのって面白いよな。」
会話にもならない会話を交わすふたり。もしこれを聞いている者がいたら、相棒の忠告を真面目に聞こうとしない少年に対して、不快感をもったかもしれなかった。
しかしレイは、ユエがどれだけ自分を大切にしてくれているか、心配してくれているか、よく知っていた。そして、レイが知っていることを、ユエもまた知っている。だからこれはお小言というよりは、ふたりなりのコミュニケーションなのである。・・・傍から見ていると、ただの馬鹿話にしか聞こえないが。
コーヒーを飲み終わったレイが席を立つと、ユエが言った。
「そうそう、さっき、本郷さんからメールが入りましてね。依頼したいことがあるから、2時に《The
Plow》に来てくれ、だそうです。」
「えー!?今日は家でごろごろするつもりだったんだぞ!昨日の報酬でしばらくは安泰だろ?無理に受けなくてもいいじゃん!」
「まあそうなんですけど、本郷さんには何かとお世話になってますからねぇ・・・。とりあえず、お話だけでも伺ってきます。レイは寝ててもいいですよ。」
「あのなあ、俺一時間前に起きたばっかなんだぞ。ひとりで家にいてどうしろってんだ?」
「じゃあ、一緒に行きましょう。本郷さんも喜びますよ。」
「フン、あいつが喜ぼうが踊りを踊ろうが俺の知ったことか。俺の休日を邪魔した罪は重いぞ。思いっきりシメてやる!」
そう宣言してリビングを出て行く相方を見送り、ユエは二時間後に訪れるであろう未来を想像してため息をついた。