「なるほどね・・・そりゃ確かに急いだほうが良さそうだな。」

 レイは、助手席のシートに凭れながらそう呟いた。時刻は、そろそろ日付が変わろうかというところ。辺りには全く人通りがない。
 今日の昼間、美沙との話を終えたユエは彼女を自宅まで送り届けた後、車を回してきたレイと合流した。今ふたりは、彼女が住むマンションの前に停めた車の中で、入り口を張っている最中であった。
 毎日送られてくる手紙には、美沙の1日の行動が詳しく書いてあるという。どこへ行ったかはもちろん、何を食べたか、テレビは何を見たか、入浴剤は何を使っているか。家の中での出来事まで克明に書いてあるため、美沙は自分の部屋に盗聴器が仕掛けられていると思い込んでいた。
 そこで、ふたりが喫茶店から戻ってきた後、レイは美沙の許可を得て、彼女の部屋に盗聴器や隠しカメラが仕掛けられていないか、チェックを行ったのだ。この時になると、美沙はすっかりユエを信用していたらしい。ユエが「お願いします」と言うなり、簡単にオーケーを出した。呆れ半分、関心半分で部屋に入り込んだレイは、手早く室内のチェックを行ったが、盗聴器の類はひとつも見つからなかった。そもそも、玄関ドアの鍵穴にはこじ開けた形跡も全くない。誰かが侵入したとは思えなかった。
 盗聴器ではないなら、いったいストーカーはどのようにして彼女の情報を手に入れているのか?これについては、ふたりには、ひとつの推測があった。
 4階の美沙の部屋に明かりが灯っているのを眺めていたユエに、レイがふと声をかけた。

 「美人だよな、あの美沙って人。」
 「・・・?そうですね。最近ではあまり見かけなくなったタイプですが。」
 「お前に気があったみたいだぜ?彼女。」

 にやりと笑う相棒に、ユエは苦笑した。

 「妬けますか?」
 「妬く?俺が?・・・冗談。」

 するり。レイは猫のようなしなやかさで、ユエに身を寄せた。革手袋に包まれた左手が、ユエの首筋をなぞる。

 「お前は、俺のものだ。・・・俺以外の人間を選んだりできないよ、お前は。」

 傲慢ぎりぎりの自信を以って紡がれる言葉に、ユエは押さえきれない微笑を零した。この黒猫の自分にはない奔放さが、ユエは大好きなのである。
 すると、ふいにレイの体が緊張した。運転席のユエに半分覆いかぶさっていた体をぱっと起こすと、マンションの方をじっと睨む。―――正確には、その脇に備え付けられている、ゴミ捨て場を。
 真っ暗なゴミ捨て場で、なにやら黒い影がうごめいている。屈みこみ、次から次へとゴミ袋を手にしているようだ。闇を透かしてその様子を確認し、レイは「ビンゴ!」と呟いた。「ユエはここを頼む。」と低く告げ、「お気をつけて。」というユエの言葉に親指を立てて応える。車から素早く出ると、人影に歩み寄った。と、あちらもどうやら気づいたらしい。ひとつのゴミ袋を手にしたまま、慌てたように走り出した。間髪入れずにレイがその後を追う。
 人影は、荷物を抱えているにもかかわらず、なかなか快足だった。しかし、レイと競走して逃げ切れる人間はそうはいない。ほどなく、小さな公園にさしかかったところで追いつかれた。
 逃げ切れないと踏んだか、人影はゴミ袋を放り出してレイに向き直る。バチン、という音がして、その手に何かが現れた。公園のライトを受けて輝くそれは、小振りな折りたたみナイフだ。威嚇するようにナイフを構える人影に、レイは静かな視線を向けた。

 「もうやめようぜ?こんなことをしても、何も取り返せやしない・・・さらに大切なものを失うだけだ。」

 全く動揺を見せない彼に、戸惑ったかのようにナイフの先が揺れる。それを見逃さず、レイはゆっくりと人影に近づいた。ナイフを握った右手まで、あと四歩。三歩。二歩。――一歩。
 小さく震える右手をそっと掴む。そしてレイは、人影の名を呼んだ。

 「ね?・・・佐伯ちひろさん。」

 糸が、切れたかのように。彼女はその場に崩れ落ちた。化粧気のない頬に、一粒の涙が筋をつくる。
 やがて、微かなすすり泣きが、深夜の公園に響いた。

 

 

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