何もなくてもいい。

 綺麗な服も、美味しい食べ物も、温かい寝床も、何ひとつ無かったとしても。

 ――それでも、繋いだ手があるのなら、そこがきっと僕らの居場所。

 

 

 世界の果て

 

 

 「・・・残念。今日はベッドにはありつけなかったですねー。」
 「・・・うん。」
 「ま、明日は依頼が入る事を祈りましょう。・・・よし、この辺でいいかな。」

 人気の無い、小さな公園の隅に設けられた、ささやかな植え込みの陰。ともすればホームレスやアベックの溜まり場になってしまいそうな場所だが、幸いそうした者たちの姿も今夜はなく、一夜の寝床にするは十分だ。

 周囲を確認しながら、肩にかけたドラムバックをどさりと地面に下ろしたユエは、いい場所が見つかって良かったなと安堵しつつ、右肩を軽く回した。最低限の身の回りの品しか入っていないとはいえ、それなりの重さのあるバッグを一日中担いで歩き回っていたのだから、流石に少々肩が凝ってしまっている。
 もっとも、肩が凝っているのは、そのせいだけではない。今の状況に馴染め切れていないというのも大きな理由だろうと、ユエは冷静に判断した。・・・なにせ、つい数ヶ月前までの生活とは、立場も、住む場所も、何もかもが違ってしまっている毎日だったから。

 「大都市東京の片隅でサバイバル生活かぁ・・・まさかこんな経験が出来るとは、思っても見ませんでしたよ。」
 「・・・・・・・・・・。」

 

 ――経済大国、日本。

 

 片割れの提案に従い、お互いのルーツとも言えるこの国にふたりが到着してから、一ヶ月ほどが経っていた。やってきた当初の、身を切るような寒風は徐々に緩んできているが、日が暮れた後の冷え込みはまだまだ厳しく、桜の祝福を受けるのはもう暫く先になりそうな気配だ。まったくの新天地であるこの国で、ふたりは身を寄せ合いながら暮らしていこうと誓い合っていたが、現実はそう甘くはない。係累も知り合いも無く、しかも法の定めを無視したやり方で潜り込んだこの国で、そう簡単に定住する場所を得られるはずも無く、今のところ、彼らは半分路上生活者と化していた。

 (最後にベッドで寝たのって、一週間前だっけ?・・・そろそろちゃんと休ませてあげないと、彼の身体が心配だな・・・。)  

 定期的に仕事が来るわけではない、《よろず屋》という稼業。将来的には、実力あるコンビとしての地位を確立するつもりだし、その自信もあるユエだったが、今のところは自分たちから売り込まないとその日の食事にも困る状態である。まぁ、仲介屋とのツテもなく、こなした依頼の数とてまだまだ少ないのだから、それも致し方ない事だったが。今日も、僅かな食料を手に入れるのが精一杯で、とてもではないがホテルに泊まるほどの資金はなく、彼らは公園の片隅で夜を過ごす事を余儀なくされていたのだった。

 「さ、早いところ休んで、明日に備えましょう。」
 「・・・ん。」

 疲れが溜まっているのか、黒衣の少年は、最近やけに口数が少ない。妙に静かな相棒を気に掛けつつも、ユエはとりあえず今夜の寝床を確保するのが先だと判断し、てきぱきと必要なものを調達し始めた。日中、休憩中のサラリーマンが読み捨てて行ったらしい新聞紙の束を集め、近くの水飲み場からペットボトルに水を汲んでくる。やがてふっと姿を消したかと思うと、彼は両腕に数枚のダンボールを抱えて戻ってきた。近くのスーパー辺りで調達してきたのか、どれも比較的新しく、皺も少ないものばかりだ。新聞の束をばらして汚れたページを取り除きながら、それをぼんやりと見ていたレイは、そこにプリントされた文字を確認して、くすりと苦い笑みを浮かべた。

 「・・・野菜の箱は持って来なかったんだな。」
 「以前うっかり転がったらじっとり湿気を含んでて、冷たさに悲鳴を上げたのを忘れたわけじゃありませんとも。」

 一見乾いていたように見えたのに、寝転がった途端ダンボールの内側から冷たい水がしみ出てきて、服まで濡らされて閉口した記憶はそう古いものではない。危うく風邪を引く所だったもんなぁと苦笑しながら、ユエは受け取った古新聞紙の束を、適当にジャケットの内側に突っ込んでいく。こうして紙の断熱効果を利用する事で、体温の低下を防ぐのだ。
 そんな、慣れた手つきで野営準備を整えていく相棒の姿を無言のうちに眺め、レイは小さくため息をつく。自分の分の新聞を手に取りながら、彼は沈鬱な吐息の延長のように、ぼそりと呟いた。

 「・・・そっか・・・・。」
 「・・・レイ?」

 冗談のつもりで言った言葉に、思いがけず返って来た重いトーンの声。敷布団代わりのダンボールを地面に敷き、その上に腰を下ろして一息ついていたユエは、そのあまりに深刻そうな声音に、訝しげに眉を寄せた。

 「レイ・・・どうしたんです?」
 「・・・なんでも」
 「ない、って事はないですよね。まさか、具合が悪いとか?流石にこの季節に野外生活はまずかったかな・・・。」

 慌てて立ち上がり、額に手を伸ばしてくる彼に、しかしレイはおもむろに首を振った。確かに、少々強引に触れた額はひんやりと冷えていて、熱があるようには思えない。と、ほっと安堵の息をついたユエをじっと見つめていたレイは、何を思ったか、大きな目をそっと伏せた。いつも元気な少年が、何故か悄然と肩を落とすのを見て、ユエは今度こそ本気でぎょっとする。「・・・僕、何かした?」と、うろたえつつも自分の言動を振り返っていたユエだったが、少々空回り気味なその思考は、ぽすりと胸元に預けられた頭によって中断された。

 「・・・・・・・?」

 躊躇いがちに、遠慮がちに、自分へと預けられた身体。意図の良く解らぬままに寄せられたそれを抱きしめていいものかと、ユエは戸惑った。迷った末に、彼は恐る恐る細い背中に掌を当ててみたが、小柄な少年がそれを嫌がる気配はなかったので、外れてはいなかったようだとひとまず安堵する。・・・と、彼の胸に顔を埋めたままのレイが、微かに震える声で、小さく小さく何かを呟いた。

 「え?ごめんなさい、何?」
 「だから・・・・ごめんって、言った。」
 「は?」

 サングラスの下で、ユエは目を丸くした。彼から、謝罪を受ける覚えがないからだ。
 自分のいないところで何かやらかしたのだろうか、と、ユエは密かに首を傾げたが、考えても解るわけがない。とりあえず、素直に本人に理由を尋ねてみようと視線を落としたユエは、腕の中から見上げてくる、哀しげな黒曜と対面した。

 ・・・青白い街灯に照らし出されたその瞳は、光の加減か、まるで涙ぐんでいるように見えて。気づけばユエは、無意識のうちに腰を屈め、正面から彼を見つめて話しかけていた。

 「ごめんって・・・なんで謝るんですか?別に、貴方何もしてませんよね?」
 「だって・・・」
 「・・・だって?」

 自分でも、「こんな声が出せたのか」と内心驚いてしまうほど、ユエの声は優しかった。長い指が、ごく自然な仕草で、もつれ気味の黒髪や少し荒れた頬の肌をなぞる。この時、ユエには、自分がレイに触れているという自覚はほとんどなかった。ただ、その苦悩を少しでも軽くしてやりたいという思いが命ずるままに動いていただけだったのだが、それがかえって良かったのかも知れない。気負いや戸惑いのない、自然な動きで触れられたレイは、それに安心したようにぽろりと本音を零したのだから。

 「だって・・・こんな生活、お前には辛いだろう?」
 「・・・・はい?」

 思わず、ユエの手が止まる。途切れた慰撫に息を詰めたレイは、くしゃりと顔を歪ませて、苦しげな表情を隠すように面を伏せた。その顔を覆った手の隙間から、感情を押し殺したような声が漏れる。聞き取りにくいそれを、ユエは耳を澄ませて懸命に聞き取った。

 「・・・仕事もろくになくて、その日のメシにも困って・・・・夜に、柔らかいベッドで休む事も出来なくて。怪我しても病気しても、まともな医者にかかることすら出来なくて、未来への展望なんてものこれっぱかしもない――しかも隣にいるのは、セックスの相手すらろくにできない、貧相なガキ一人。」
 「・・・こら。」

 らしくもない自虐的な物言いに、ユエは少しだけ厳しい声を出した。少々乱暴に、黒い頭をくしゃくしゃとかき回し、次いでぐいと胸元に引き寄せる。びくりと緊張した少年を、構わずしっかりと腕の中に抱え込んで、ユエは強い声で言い切った。

 「苦労する事なんて、最初から解ってた。それを覚悟の上で、僕は貴方と一緒に来る事を選んだんですよ?・・・・そんな事、貴方だっていい加減解ってくれてるはずじゃありませんか。」
 「でも・・・。」
 「それに、野外生活送ってるのは貴方だって一緒でしょうが。体力的に差がある分、むしろ辛いのは貴方の方なのに、なんでそっちが謝るんです。」
 「・・・俺は平気だよ、路上で寝る事なんて慣れっこだし。けどお前は、ずっとちゃんとした家のある生活してたんだから、外で寝るのなんて結構きついだろ?」
 「・・・・・・・・。」

 ユエが、不意に沈黙する。図星を突かれたとも思えるその反応に、やはり負担になっているのかと、レイは罪悪感で一杯になった。

 (ごめんな・・・・。)

 この生活が、ふたりとも納得した上で選んだものだという自覚はある。ユエの言うとおり、この程度の苦労は予想の範囲内だったし、これからそれを改善すべく手を打っていく気も満々だ。ましてや、彼を手放す気など、最初からレイには欠片もない。そんな事が出来るはずもない。・・・だから、本当なら、この生活から解放する気もないくせにこんな事を言うのは、卑怯な事なのかもしれなかった。

 それでも、根っからの野良育ちではない相棒を、レイは気遣わずにはいられなかったのだ。小さい頃から、コンクリの壁に背を預けて、浅い眠りを取るのが日常に近かったレイとは違い、ユエにとって野外での睡眠はかなり堪えるはずなのだ。

 (・・・こいつは、耐えられるだろうか。)

 住処のない、今の生活にだけではない。
 現在に対しても未来に対しても何の保証もない、危うげな日々に。命のやり取りを日常のものとする、過酷な職業に。・・・そして、血の繋がった子供すら残せぬ、自分たちの関係に。
 ――彼は、耐えられるだろうか。

 「っ・・・・・・・。」

 そう考えると、レイは不安と罪悪感で、彼の顔をまともに見ることが出来ない。彼を信じながらも、自分が彼にどれほどの負担を強いてしまっているのか改めて考えてしまうと、彼に手を伸ばしたのは間違いだったのではないかとすら思えてしまって・・・たまらなくなるのだ。

 ・・・が。

 

 ――はぁ〜〜〜っ・・・・・。

 

 「あー、もう・・・・なんでこう、この人は賢いくせにバカなんだろうなぁ。」
 「ばっ・・・バカぁ!!?」

 深夜の公園に、レイの怒声が響き渡る。他に誰もいないとはいえ、透き通ったレイの声は恐ろしいほどによく響いて、ユエは咄嗟にその唇を掌で塞ぐ。だが、心底呆れたようなため息の上に暴言を吐かれたレイは、先ほどまでのしおらしさは何処へやら、噛み付きそうな剣呑な目つきでユエを睨みつけていて、ユエは簡単だなぁと内心で苦笑した。

 怒鳴らないでね、と視線で訴えてから、ユエはそっと掌を外す。顔全体を振るようにしてその手から逃れたレイは、頭ひとつ分以上背の高い青年を睨み上げるや否や、機関銃のように悪口雑言を叩きつけた。

 「ンだよ、人が心配してんのにっ!!そりゃ、お前が人並み以上に体力あるって事も、お互い承知の上で此処に来たって事も、そもそも最初に声かけたのは俺の方だって事も解ってンよ!!それでも・・・っ・・・・、しょーがねーだろ・・・!?心配なモンは心配なんだからっ!!!」
 「・・・・・・・・・。」

 最初こそ威勢が良かったが、レイの声は徐々に震えを帯びてきていた。最後の方では、もはや半分悲鳴のようになってしまっていたそれを収めるように、ユエは再度彼に手を伸ばす。ぽんぽん、と背中を叩き、昂ぶった精神を宥めるように、努めてゆっくりとその髪に触れた。

 そんなユエの触れ方に気づかず、レイは途切れ途切れに罵詈雑言を喚き続けている。軽く息を切らし始めた頃には、既にその言葉は半分意味がなくなって、幼子が駄々をこねるような意味を成さぬものになってきていたが、それでも良い。無理に止めさせようとはせず、ユエはただその背中を叩きながら、彼の声が自然に途切れるのを根気強く待っていた。

 ・・・今の彼には、溜め込んだものを吐き出すという作業が、何よりも必要だと思ったから。

 (不安だったんですね、貴方も・・・・。)

 

 ――ユエを、幸せにしてやれるのか。自分に、それだけの力があるのか。

 

 ユエをこの世界に連れ出してきた当人である以上、他ならぬユエにそんな不安を打ち明ける事は出来なくて、レイはずっと思い悩んでいたのだろう。弱冠15歳、世間的にはただの子供である彼がこんな悩みを抱えていたなんて、傍から見ればいっそ微笑ましいくらいだが、本人にとっては笑い事ではない。きっと深刻な悩みだっただろう。
 しかし、彼がそこまで自分を想ってくれていた事は、不謹慎ながらユエにとっては嬉しい事実だ。思わず目元を緩めたユエは、精一杯優しく、腕の中でもがく身体を抱きしめて頬をすり寄せた。

 「・・・・ぅ、・・・・・。」
 「ん・・・・よしよし・・・・。」

 そうして、どれほどの時間が経ったのか。いつしか、ユエはダンボールの上に座り込み、ぐずるレイを抱き込んだままその背中を撫でていた。いい加減喚き疲れたレイは、半ば茫然としたまま、抵抗もせずに広い胸に凭れかかっている。此処が屋外だという事も忘れたような、ひどく無防備なその様子に微笑みながら、ユエはそっと目を閉じた。

 少しだけ首を傾け、レイの肩を抱いている左手の傍まで顔を近づけると、彼は掛けたままだったサングラスを、慎重な手つきで外した。目元を撫でた夜気に、全身が僅かに緊張したが、ユエは深く深呼吸する事でどうにかそれを鎮める。野外で瞳を晒すという事に対する恐れをふっきるように、彼が指先から滑り落としたサングラスを、寒さにも負けずに生き残っていた雑草が柔らかく受け止めた。

 「っ・・・・・!?」

 だが、ぱさり、という微かな音に敏感に反応したレイは、弾かれたように彼の胸から顔を上げた。その目の前に晒された、端正な青年の素顔に、レイは軽く息を呑む。だが、そんな彼を宥めるように、ユエはほんの微かに微笑んでみせ、その額に触れるだけの口づけを落とした。

 「ユエ・・・?」
 「クマ、出来てますか?」
 「あ?」

 脈絡のない質問。先ほどとは逆に、今度はレイが目を点にしたが、ユエは構わず意味不明の質問を重ねた。

 「僕の顔ですよ。クマ出来てますか?肌荒れしてますか?今にも倒れそうなほど、憔悴した顔してますか?」
 「・・・いや。」

 戸惑いながらも、レイは素直に答える。その答えに、ユエは満足したように笑って見せた。
 確かに、連日のハードな生活で、その美貌には多少の翳りが見えている。頬の線は一ヶ月前よりさらにシャープになっているし、櫛も通さぬ金髪はぼさぼさで、土ぼこりでややくすんでしまっていた。それでも、目の下にものすごいクマが出来ていたり、疲労で真っ青な顔色をしているという事はなく、その変化はむしろ、彼の美貌に野生的な魅力を添えているくらいのものだ。

 そこまで考えて、うっかり彼の顔に見惚れてしまっていたレイは慌てて視線を外した。少しだけ、頬が熱い。だが、ユエはそれに気づいているのかいないのか、くすくすと楽しそうに笑っただけだった。

 「まったく・・・貴方、よく僕の事を心配性だとか世話焼きだとか言うけれど、貴方のそれだって相当なものですよ?」
 「・・・え?」
 「心配するのに忙しくて、僕自身の事をさっぱり見てくれてないんだから、本末転倒とはこの事ですね。・・・ずっと一緒にいるんです。よく見れば、僕の疲労がそれほど酷くはない事くらい、すぐに分かるでしょうに。」
 「・・・・・。」

 確かに、それほどひどく疲労しているようには見えない。でもそれは、彼が自分の疲れを隠すのに長けているせいだと思っていたのだ。本当はかなり堪えているだろうに、無理して平気な顔を装っているのだろうと。・・・だって、この生活で、彼が疲れないはずがないのだから。

 しかし、つっかえつっかえそう訴えるレイをダンボールの布団に横たえてやりながら、ユエはその推測に緩やかに首を振る。レイの横に静かに身を横たえ、掛け布団代わりに余った新聞やダンボールを身体の上に広げて、ユエは優しい声で囁いた。

 「確かに、こういう風にして寝るのが初めてなら、かなり消耗するでしょうけどね。・・・僕は、こういうのには結構慣れてるんです。だから平気。」
 「嘘つけ・・・だって・・・。」
 「確かにここ暫くは、普通にアパートで寝る生活をしてました。・・・けど、子供の頃は、こうして屋外で夜を明かすことも少なくはなかったんですよ、僕。」
 「え?それって・・・・・・・、っ!!」

 そこで、レイは鋭く息を呑んだ。ユエの言葉の裏に隠された事情を、正確に察したからだ。顔をこわばらせ、凍りついたような目で見つめてくる少年に苦笑して、ユエは眼差しだけで頷いてみせた。ほんの微かなその仕草が、レイの推察を肯定していて、レイは堪らずに目を閉じる。迂闊に訊いてしまった事に、レイは苦い後悔を味わった。

 (・・・母親の、せいか・・・・。)

 八歳で家を出るまで、彼は、彼を憎み続けていた実母と暮らしていた。ユエの瞳を疎み、虐待を繰り返したという彼女。そこでの生活は、殴られ、蹴られ、罵られる事が日常だったと、彼は訥々と語っていた。

 

 ――おそらく・・・否、確実に。彼の野宿経験は、その八年間で培われたものだ。

 

 母親に家を追い出されたのか。はたまた、自分を痛めつける手から逃れるために、彼が自分から家を出ていたのかは解らない。けれど、きっと幼い彼は、母親が精神の均衡を崩す度に身一つで寒空の下に出かけ、街の片隅で身を丸めて朝を待っていたのだろう。

 ・・・ボロボロの服の内側に、断熱材代わりの新聞紙を突っ込んで。今のように、寄り添って体温を分け合う相手もなく・・・たった、一人きりで。

 

 (・・・ユエ・・・・。)

 自分の方が泣きそうな顔をして、レイは片割れにきつく抱きついた。此処が野外だとか、そんな事は既にどうでもいい。ただ、彼に少しでもぬくもりを与えられれば、それで良かった。
 レイの指がユエのブルゾンに食い込み、押し付けられたふたりの胸元でがさがさと新聞紙が耳障りな音を立てる。そんな、懸命に縋りついてくる年下のパートナーを、ユエはひどく愛おしげな目で見つめていたが、やがてその耳に、強い決意を秘めた声が届いた。

 「・・・ユエ。早く、デカイ仕事こなそう。」
 「はい?」
 「そんで、高額のギャラぶんどって、家買おうよ。・・・・俺たちだけの、家をさ。」
 「・・・・・・・・。」

 

 ――古くても、狭くてもいい。・・・ただ、冷たい雨や激しい風から守ってくれる、自分たちだけの砦が欲しい。

 

 疲れ果てた時には安心して身を休め、寒い時には中で寄り添いあって暖を取る。

 そして、傷つき疲れて帰れば、大切な人が笑って「お帰り」と言って迎えてくれる・・・そんな家を。

 

 「買って、作っていこうよ。・・・・ふたりで。」
 「・・・うん。」

 冷えた指先を絡め合い、ユエは妙に幼い仕草で頷く。照れたように、ぐいっと乱暴に少年の頭を抱きしめて、彼は満ち足りた顔で目を閉じた。レイもおとなしく身を預けたまま、埃っぽい服とがさつくダンボールに頬を押し当てる。

 「・・・・・・・・・・・。」

 言葉が途切れ、ふたりの周りに、深夜の静寂が帰ってくる。遠くから時折響いてくる車の音が、低い音楽のように耳朶をくすぐり、寝心地最悪な寝床にもかかわらず、ふたりに穏やかな眠気をもたらした。
 ・・・そして、聞こえてくる音は、もうひとつ。

 

 ((・・・心臓の鼓動が、聞こえる。))

 

 ――とくん、とくん、とくん。
 寄せ合った身体から、お互いの心音が伝わる。 

 「なんか・・・・・。」
 「ん・・・・?」
 「世界に、ふたりっきりって、感じ・・・・。」
 「・・・・ん・・・・・。」

 夢と現の狭間で、呟いたのはどちらだったか。
 茫洋とした呟きに同意の呻きを零して、もう片方も、相手の身体に両腕を回す。

 

 ――早く、早く。手に入れよう。

 

 街の片隅で、身を寄せ合って。いつか来るその日を夢見て、今は静かな眠りに就く。
 いつしか、穏やかな寝息を立て始めたふたりの姿を、花咲く日を待つ桜の蕾が、そっと見守っていた。

 

 

 

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