片割れ
――どうして、僕たちじゃ駄目なんだろうね。
静かな声が、ふたりきりの店内に小さく響いた。
――どうして、って?
栗色の髪の女性は、手元から視線も上げずに、唯一の客に問い返す。
食材の仕込みでもしているのだろうか。とんとんとん、と刻まれるリズムは、とても軽快だ。
――こんなに好きなのに。あの子を哀しませるような事は、絶対しないのに。どうして僕たちじゃ駄目なんだろう?
そう言って突っ伏す青年。微かなライトが、彼のこめかみに疾る赤を照らし出した。
いつも一緒にいる片割れの姿は、今日は彼の隣にはない。だからだろうか?普段ならばあり得ないような、妙に切なげな声を出され、彼女は小さくため息をついた。
――何を今さら。あんた、あの子を手に入れるのは不可能だって、解った上で片想いしてるんじゃなかったの?
――・・・そうだけどさ。
――成就する恋愛がしたいなら、余所を当たりなさい。あの子が相手じゃ、どう頑張っても不可能よ・・・あんたにはね。
一欠けらの気遣いも遠慮もない台詞。最初から、彼女に生温い慰めなど期待してはいなかったが、やっぱり面と向かって叩きつけられると結構痛かった。
突っ伏したまま、胸元のシャツをぎゅっと握り締める。『胸が痛い』というのが、なかなかに秀逸な表現であると知ったのは、あの漆黒の少年に出逢ってからだ。
――どうして・・・あいつより先に出逢えなかったんだろう・・・・。
あの子の心の拠り所となっている、金色を纏う青年。彼よりも先に、あの子に出逢えていたならば。
彼に奪われる前に、自分たちのものに出来ていたなら。今、あの子の隣に立っているのは、自分たちだったかもしれない。
――それはないわね。
――!!
思考を読んでいたようなタイミングで、彼女がぽつりとそう言った。驚いて顔を上げれば、彼女は何事もなかったかのように、刻み終わった野菜をタッパーに移している。じっと見つめる青年の視線に気付いたか、鳶色の瞳が初めて彼の姿を映し出した。
――言ったでしょう?あんたじゃ無理よ。・・・たとえ、彼より先にあの子に逢えていたとしても。
――ちょっと待て。今のは聞き捨てならないぞ。
そりゃあ自分たちは、彼ほどずば抜けて端麗な容姿をしているわけではない。彼ほど明晰な頭脳を持っているわけでも、家事が得意なわけでもない。
だけど、戦闘能力と、あの子を想う気持ちだったら、誰にも負けない。彼を傷つけようとする、どんな敵からだって護ってみせる。それだけでは足りないのだろうか?
そう訴えると、鳶色の瞳の美女は、呆れたように華奢な肩を竦めてみせた。
――その心意気は立派だと思うわ。けど、あんた達が不合格なのは、もっと根本的な所でよ。
――何だよそれ。一体何処が悪いっての?
むくれる青年の問いには答えず、彼女は妙な例え話を持ち出した。
――あんたの弟と、あの子。ふたりが同時に致死率100%の伝染病にかかったとしましょう。
――は?
――あんたの手には、治療薬が一本だけある。半分では効果がなく、一本丸々投与しなくては意味がないけれど、その代わり投与すれば、その人は必ず助かる。
――・・・・・・・・・。
――そして薬を与えられなかった方は、必ず死ぬ。・・・・さ、あんたはどっちを選ぶ?
・・・青年は、答えられない。
それは、答えが出ないからではない。いとも簡単に導き出された答えから、彼女の言いたい事を悟ってしまったから。
俯いた青年を、女性は静かに見つめる。彼には見えなかったけれど、その目は、とても優しい光を宿していた。
――あんたの・・・いえ、あんた達の気持ちに、嘘はないんでしょう。けれど、結局はお互いを見捨てられないあんた達に、あの子が全てを預ける事は出来ないわ。
――・・・・・・・・・・。
――あの男だったら、誰であろうと、迷わず犠牲にする。それが赤の他人だろうと、友人だろうと・・・ひょっとしたら、自分自身でさえも。
――・・・・うん。
ああ見えても、彼は優しい男だ。哀しむし、苦しむだろう。最後の最後まで、きっと両方助けるために力を尽くすだろう。
だが、あらゆる手を尽くして、それでもどうしようもないとなれば・・・彼はきっと躊躇わない。その優しささえ、たったひとつの護るべきもののためなら、彼は押し殺すだろう。
・・・たとえ誰に非難されても、何を失っても。
――そこまで徹し切れなければ、きっと手に入らないんでしょうね。
――エゴ、だよねぇ・・・・。
――そうね。けど、誰かを大切に想うのって、結局はそういう事なんじゃない?
――そう・・・かもね。
・・・絶対に、失くせないもの。
優先順位の先頭にある名前が、あの子のものではない時点で・・・・自分たちには資格がないのだと、彼女は言う。そしてきっと、それは正しい。
――やんなっちゃう。
――?
――ずっと付き合ってきた僕たちより、キミの方がよっぽどあの子の事解ってるみたいだ。
――ふふっ・・・まさか。
笑いながら、彼女は手早く片づけを終え、熱いコーヒーをサーブしてくれた。艶やかな紅唇が、奢りよ、と囁く。
――あの子の事を話す時に、一人称が単数形になったなら第一歩でしょうけどね。
――弟であろうと渡さない、ってくらいの気概が必要って事?うーん・・・うん。やっぱ無理さね、それは。
――うん?
――だって、やっぱさ。僕の優先順位ナンバーワンは、不肖の弟だもん。
・・・これでも僕、お兄ちゃんだから。守ってやんなくちゃいけないわけよ、色々と。
そう言って柔らかく微笑う青年に、女性も唇をふわりと綻ばせた。
――いいんじゃない?そーゆーのも、アリでしょ。
――そっか。
香ばしいコーヒーに口をつけながら、青年は心の中で呟く。
(優先順位一番じゃなくても・・・結構、みんな好きなんだけど。)
コーヒーを淹れてくれる、この女性も。彼女の雇い主も、常連の刑事も。
・・・そして恋焦がれる少年と、その相棒も。
種類や程度は様々なれど、みんな好きだ。大切だ。その気持ちに、嘘はない。
(・・・みんなを犠牲にしなきゃならない日なんて、永遠に来なければいい。)
もしもそんな日が来てしまったら、自分はきっと、たったひとりの片割れを守るために戦うのだろうけれど。
叶うならば、今日のような穏やかな時間が、いつまでも続きますように。
――え?何か言った?
――んーん、べっつにー。
・・・信じてもいない神に祈りを捧げ、青年はもう一度だけ笑った。
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<2005.8.25 アップ>