―――ばしっ。

 乾いた音に数秒遅れて、じんじんと疼きだす頬。

 細い背中が駆け出していくのを、どこか遠い風景のように眺めていた。

 

 行方

 

 ――レイと、喧嘩をした。

 確認するまでもないその事実をやけに客観的に認識する。のろのろとベッドに腰を降ろせば、静まり返った寝室に、無機質なスプリングの軋みがひどく寒々しく響き渡った。

 ――なんで、こんな大喧嘩になったんだろう。

 きっかけは、些細なことだったはずなのに。ただ、プログラミングの最中にじゃれついてきた彼を、軽く振り払っただけだった。

 けれど、いつもなら笑って引っ込むはずの彼は、今日に限ってはしつこくて。
 また、自分も何故か、いつものように彼の我侭を甘受してやることができなくて。

 原因らしきものを考えてみれば、単にお互い疲れていて余裕がなくなっていた、それだけのこと。
 ・・・でもそんなものは、相手を傷つける言い訳になんかならない。

 ―――ばしっ。

 子どもじみた罵詈雑言の応酬を断ち切ったのは、平手の音。
 ひりひりと痛む左頬に、そっと指を這わせる。鏡を見なくても、熱を持ったそこは、おそらく薄っすらと紅くなっているだろうことは見当が付いた。

 ―――殴られた頬より、傷ついた心が痛い。

 ああ、なんて陳腐な言い回し。けれど真実。
 彼にからかい半分に小突かれることは何度もあったけれど。
 ・・・彼に本気の怒りと拒絶の視線を向けられるのが、これほど痛いなんて。

 「洒落に、ならないよなぁ・・・・・。」

 本当に、洒落にならない。こんなにも、自分は彼に依存しているのか。
 彼がいない、声が聞こえないというそれだけで、見慣れた自分の部屋が冷たく感じられるほど。
 ・・・彼に存在を否定されるのが、これほどまでに恐ろしく思えるほどに。

 「・・・情けない。」

 年下の少年一人に、ここまで心乱されていることに。
 そして、そこまで大切に想う人の心ひとつ、満足に守れないことに。

 どさりと仰向けに倒れこむと、右腕が何かを下敷きにした。引っ張り出してみれば、それはレイが先ほどまで抱え込んでいた枕。
 淡いブルーのカバーが掛けられたそれに、自分に手を上げた瞬間の、彼の顔がダブって見える。

 ―――殴られたこちらより、遥かに痛そうな顔をして。自分の行動に対する驚きと後悔に、凍りついた瞳。

 「・・・・あ〜っ、もう!」

 くしゃくしゃと髪をかき回して跳ね起きる。ベッドが悲鳴を上げるのを無視して、家の鍵を手に取った。
 彼に言われた言葉全てを受容できるわけじゃないけれど。引っぱたかれた頬は未だにじんじん痺れているけれど。

 「・・・あなたがいなきゃ、文句も言えないじゃないですか。」

 ―――喧嘩も、仲直りも、ひとりきりじゃできないんだから。

 飛び出していった、彼の行方を追って。

 ―――さあ、探しに行こう。

 

 

 

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<2004.8.6 アップ>