空気を切り裂く澄んだ音。一瞬後に夜空に花開くのは、色鮮やかな幻の華。深い夜空に美しく映えるそれに、見守る人々は感嘆の声を上げる。・・・それは、隣の彼も同じことで。
「すっげー・・・・。」
「綺麗ですね・・・。」
けれど、どんな華より、純粋な感動の色を浮かべた彼の笑顔のほうが綺麗だと思ってしまった自分は、かなり末期かもしれない。
向こう側
「・・・花火大会?」
男にしては高めの澄んだ声が、暗い店内に凛と響く。相変わらず、閑古鳥の鳴いている《The Plow》。そのカウンター席に陣取ったレイは、興味津々の視線を話題の提供者に向けた。
「いいなぁ〜、なぁ、どこでどこで?この辺でやるの?マスター。」
「・・・カウンターで暴れるな、レイ。」
身を乗り出していたレイの視線の先で、地鳴りのようなうなり声とともに山が動いた。・・・いや、山ではない。よくよく見れば、それは人間だった。
「ずももも」という擬音語がゴシック体で付きそうな巨体。顔の下半分を覆う髭。じろりとレイを見下ろす視線は、無垢な子供が直面したならショック死しかねないほどの凶悪さである。だが、誰一人名前すら知らない、この《The
Plow》のマスターは、人を取って食ってそうな外見とは裏腹に、非常に温厚な性格であった。それを知っているレイは恐れる色もなく、ぱたぱたとくすんだカウンターを叩いた。
「だってマスター。俺、今まで一度も打ち上げ花火見たことないんだぜ?日本に住んでて夏の風物詩に一度もお目にかかったことないってどうよ。」
「一度もないのか?ユエと一緒に行ったりしなかったのか。」
「だってあいつ、人ごみ嫌いだし。大体、いっつも何だかんだで忙しくしてるうちに夏終わっちゃってたんだよな。」
「いい若いモンが、仕事一筋じゃちょっと悲しいぞ。」
「だから今年行こうとしてるんじゃんか!」
叫ぶレイに、マスターは「そうか」と目を細めた。
「だが、今から行っても見る場所がないぞ。川べりは午前中に埋まってるだろうからな。」
「え、マジ!?・・・ふたりだけでも、潜り込むスペースないかな。」
「まあ、座る場所はあるかもしれんが・・・お前らが群衆の中に座ってたら、さぞかし周囲の視線が痛いと思うぞ。」
「う・・・・・。」
秀麗な容姿も、時には面倒なものだ。レイは頭を掻いた。変装して行く気にはならないし、そもそもそんな所では落ち着いて見れやしない。どうするか、と考えていると、その様子をじっと見ていたマスターがふっと笑った。
「うちで見るか?」
「んー・・・・ん?何だって?」
「うちで見るかと言ったんだ。少し遠いが、この店の2階から花火が見える。どうせ今日は早めに閉める気だったからな。なんなら見ててもいいぞ。」
「ホントか!?」
目を輝かせてがばっと身を乗り出すレイに、マスターは「ただし」と厳かに告げた。
「条件がふたつある。」
「何だよ?」
「まずひとつめ。明日一日、お前らのどっちか片方が店を手伝うこと。」
「片方?ふたりでなくていいのか?」
「ああ。どっちみちふたりは無理だろうからな。」
「・・・・・?ふたつめは?」
「ふたつめは、部屋を汚した場合は、明日の開店前までにきちんと掃除しておくこと。」
「汚さねーよ、花火見るだけだし。」
「何でもいい。このふたつを守れるなら、オプション付きで貸し出してやる。」
「もちろん!じゃ、今夜借りるな!」
「ああ、好きにしろ。」
「やった―――!!」
勢い良く万歳をして後ろにひっくり返りそうになっているレイを横目で見ながら、マスターは髭の中で小さく笑った。たかが花火ひとつだというのに、本当に嬉しそうな顔をする少年。金色の青年が、この黒猫を甘やかす理由が解るような気がした。
・・・そして現在。《The plow》の2階にある小さなベランダに陣取ったふたりは、次々と咲き誇る光の華を堪能していた。しっかり敷いたビニールシートに素足を投げ出し、ユエが傍らの少年に声をかける。
「それにしても、場所をお借りするだけでも有難いのに、浴衣まで貸していただいちゃっていいんでしょうか。」
「マスター曰く『オプション』だそうだぜ?いいじゃん、こんな機会でもなきゃ着れねーしさ。」
笑って缶ビールを空けたレイは、白地に絣の浴衣を着ていた。長い髪はアップに纏めているので、白く細い首筋が露になっている。普段黒い服ばかり着ている分、さわやかな白い浴衣姿がはっとするほど新鮮だった。
隣のユエは、対照的に濃紺の浴衣姿だ。微妙な明暗で全体にランダムなラインを入れてあるそれは、彼の金髪をより鮮やかに引き立てている。彫りが深く、決して純日本的とは言い難い顔立ちのユエだが、不思議と浴衣姿が違和感なく決まっていた。お互い着替えてこのベランダに集まった時、「なんで黒髪の俺よりお前のほうが似合うんだ」とレイは首をひねったものである。
開始20分ほど経過した花火は、小休止に入っていた。一時の静寂を取り戻した夜空に、観客の期待と興奮の熱気が渦巻いているように感じる。レイが、身じろぎひとつしなかったため固まってしまった関節を解そうと伸びをした時、ふと名前を呼ばれた。
「何?ユエ。」
「いえ・・・ありがとうございます。今日、ここに連れてきてくれて。」
長い指が、白い頬に零れた一筋の黒髪をそっと耳にかける。笑みを含んだ紫水晶の瞳が、夜色の瞳を見つめた。
「俺は、自分が見たかったから引っ張ってきたんだけど?」
「引っ張っていくのは川べりでも良かったでしょう?ここにしてくれたのは、僕が人ごみ嫌いだからでしょ。」
「この自惚れ屋が。」
「違うんですか?」
「半分違う。」
つまり、半分は正解ということか。くすりと笑ったユエをレイは横目で軽く睨んだが、その目は悪戯っぽく笑っていた。
「衆目にさらされながら見たって楽しめないだろ。どうせなら落ち着いて見れるとこがいいに決まってる。」
「同感ですね。ねぇレイ。」
「ん?」
「こっち来て下さいよ。」
「・・・ヤダよ、暑苦しい。」
「いいじゃないですか。離れてたってどうせ暑いんですから。」
「どういう理屈だ、バカ。」
「バカでいいですから。お願いしますよ。」
「・・・・・・・。」
ふたりの間は、およそ30センチ。近すぎず、遠すぎない、いつも通りの距離。白い影が、ふと、その距離を縮めた。
25センチ。20センチ。17センチ・・・。
「っ、と。」
15センチの距離がなくなるのは、一瞬だった。反対側の肩に回された力強い腕に引き寄せられたレイは、苦笑交じりに「お前、紳士失格」と呟いた。
「何ですかそれ?」
「浴衣を着てる子と一緒にいる時は、肩を抱きたくなってもぐっと我慢するのが紳士なんだってさ。下手に触ると、襟元とか着崩れしちゃうだろ?」
そう言われてレイの首筋に目を落とせば、確かに白い肌が先程より大きく覗いていて納得する。「これは失礼」と、乱れを直そうと襟元に手を伸ばすと、白い手がそっとそれを阻んだ。
「・・・・レイ?」
「まあ、普段なら減点モノだけど。この場合はこのままでいいんじゃないか?・・・どうせ、今以上に着崩れすることになるし。」
艶を帯びた瞳が、自分の肩を抱く青年を見つめる。妖艶な笑みを浮かべる少年に、ユエは一瞬目を見開くと、ふっと笑った。
「・・・そうですね。」
襟元を彷徨っていた手が、先ほどとは違う意志を持って白い肌に伸びる。・・・と。
「痛。今度は何ですか?」
「ダーメ。もうすぐ花火が再開するだろ。見終わるまではお預けだ。」
「ひっど・・・!ここまで煽っておいてそりゃないですよ・・・・。」
「煽った覚えはねぇけどな。ほら、そこどいて。」
叩き落とされた手をひらひらさせながら抗議するユエを軽くいなすと、レイは彼の足の間に座り込み、濃紺の生地に包まれた胸に背中を預けた。ちょうど再開した花火を見つめながら、「おーいい椅子じゃ」などとほざいている様に、ユエはぐったりと脱力する。年下の少年にいいように遊ばれている自分を情けなく思いながらも、彼の腰に腕を回し、腹の前で組み合わせて、彼を腕の中に閉じ込めた。
「・・・後で覚えてなさい。」
低く囁かれた声に、少年は楽しげな笑い声を上げる。
またひとつ、空に光の華が咲いた。
←back
<2004.7.29 アップ>