「ユエー、そこのザルとってー。」
「あの大きいやつですか?はいはい。」
―――さらり。
あいつが上向いたとき。流れた金の髪が、俺の目を惹きつけた。
《変わらないモノ》
「・・・ユエ、髪伸びたな。」
手渡された大き目のザルに、茹で上がったふたり分のスパゲティを景気良くぶち込みながら、俺は何気なく言った。もわっと上がった白い湯気が視界を奪い、思わず眼を閉じる。
昼にしては早いが、朝というには太陽が高すぎる、中途半端な時刻。窓の外から聞こえてくる小鳥たちの鳴き声をBGMに、俺たちは実にめずらしく、ふたり一緒に食事の用意をしていた。
大体いつも料理はユエの担当だから、俺がキッチンに立つのは随分と久しぶりだ。お湯を切りながらぼんやりとそう考えていると、背後から戸惑ったような声が聞こえてきた。
「ああ、最近忙しくて切る暇がなかったんですよね。・・・見苦しいですか?」
パスタにオリーブオイルを垂らしながら振り返ると、自分の襟元に左手をやっている相方の姿。手元には、一体いつの間に仕上げたものか、深めの皿に盛られたシーザーサラダが鎮座している。
「早っ!!まだパスタ出来てねぇっての!!」
「いつも食事の支度をしてる、主夫の実力をあなどってもらっては困りますねぇ。」
「そういえば、ソースどうしよ?」
「今電子レンジで、冷凍してたミートソースを温めてますけど。」
「うっわ手抜きだ!」
「失礼な!ちゃんと家で作ったものなんですからね!」
いつも通りの、雑言のキャッチボール。キッチンで騒ぐ俺たちの声を遮って、電子レンジの終了音が鳴り響いた。
「「ごちそうさまでした〜。」」
無事にブランチが終了し、俺は満足のため息をついてカーペットに転がった。窓から差し込む陽射しが、全身を温かく照らしてくれるのが気持ちいい。ここのところ仕事続きだったから、こうしてのんびりするのは久しぶりだ。眼を閉じて陽だまりの中で丸まっていると、くすくすという笑い声とともに、髪がそっと撫でられた。
薄く眼を開けると、視界に入るのは少々色褪せたカーペットと、安物のTシャツ。視線を30度上方に修正すると、微笑を含んだアメジストの瞳と眼が合った。
「何笑ってんだよ・・・?」
「・・・いえ、本当に猫みたいだと思いまして。」
腹ばいになって俺を見下ろしてくる、年上の相棒。その金色の髪が光を弾いているのを見て、俺は唐突に、キッチンで立ち消えになった会話を思い出した。
「いや、似合うと思うけど。」
「・・・はい?」
さすがに、質問と回答との間にタイムラグがありすぎたか。疑問符を浮かべているユエに、俺は短く補足する。
「髪。」
「・・・ああ、伸びたなっていうアレの続きですか。」
「そ。伸ばすの?」
「いえ、そろそろ切りに行こうかと。」
その言葉に、俺は改めて彼の顔を見直した。色素の薄い白い肌。整った顔。ともすれば女に間違えられる俺とは違う、端整だが男性的な顔立ちだ。一時期は随分短くカットされていた髪は、半年近く放置されて肩にかからないぎりぎりのラインまで伸び、シャープな頬のラインを柔らかく飾っている。
「もったいないなぁ。切るなよ、綺麗なのに。」
「お褒めに預かり光栄ですが、伸ばすといろいろ面倒なんですもん。」
「・・・俺が髪切ろうとすると止めるくせに、そういうこと言うか?」
「あなたは切っちゃ駄目です。お気に入りなんですよ、この髪。」
「サイアクー!!超自己中だよこの男!」
楽しげに笑うユエ。腹立ち紛れに睨みつけてやっても、応えた様子もない(もっとも、床に転がって下から睨んだって迫力は皆無なんだけど)。その時、彼が肩を震わせるたびに揺れる金の流れに、ふと既視感を覚えた。
・・・何だっけ?月光で染め上げたようなそれを見つめながら記憶を探る。ほどなく導き出された答えに、俺は小さく笑った。
「ああ、そうか。」
「?」
「いや、今のお前の髪。ちょうど、俺たちが初めて会ったときくらいの長さだなって。」
その言葉に、ユエは懐かしそうに眼を細めた。
―――今から4年前。白く染まった、異国の街で。
『―――来いよ、お前も。』
差し出した手。握り返した手。
あの日から、俺たちは《相棒》になった。
「・・・もう、4年になるんですね。」
「そだなぁ。」
あの時とは、ふたりとも随分と変わったと思う。4年前、こいつはこんなに柔らかく笑わなかった。俺はこいつの前で、こんなに無防備に寛げなかった。
―――4年間、同じ時間を生きて。そしてお互いに、誰かと寄り添って生きる温かさを思い出した。
「なんかもう20年くらい一緒にいるような気がするなぁ。気分は熟年夫婦?」
「ふーん、新鮮さが足りないと?分かりました、熟年夫婦的生活に刺激を与えるべく、努力しましょう。いろいろと。」
「・・・や、やだなぁ、冗談だってば。」
にっこり微笑みつつ、眼がマジだ。首筋に伸ばされてきた指から逃れ、俺は慌てて身を起こす。ヤツの勢力範囲から退去しようとした瞬間、わずかに早く腕を掴まれ、ぐいっと引っ張られた。
「いて!」
カーペットの上に転がされ、悲鳴が上がる。この野郎、いくら受身取ったって、フローリングに落ちたら痛てぇっつーの!!
本格的に圧し掛かってきたユエを見上げて、俺はぶすっと呟いた。
「重い、ウザい、邪魔。」
「つれないですねぇ。」
「うるせぇよ。さっさとどけ。んでもって髪切りに行って来い!」
「行きますよ・・・明日ね。」
「今日は一日休みなんだから、今日行・・・っ!」
不覚にも、語尾が不自然に途切れた。しびれるような感覚。
「・・・っ前な、こんな明るいうちからサカってんじゃねぇよ!」
もがきながら叫ぶが、この体勢では相手を跳ね除けることは出来ない。自分では見えないが、おそらく首筋には紅い痕がついているだろう。そろそろハイネックを着る季節でもないのに、どうしてくれるんだ。
わめく俺に、犯人は、そっと顔を上げて囁いた。
「・・・駄目ですか?」
頼むから、哀願する大型犬のような眼で見るのはやめてくれ。俺は思わず力を抜き、ため息をついた。
時折見せる強引さと、それとは裏腹に頼りなげな眼差し。人間、身につけて欲しくないものも身につくものだ。
「レイ・・・?」
黙りこんだ俺の様子を伺うように、髪に唇が落とされる。その困ったような声に、俺は白旗を揚げた。
「・・・昼飯の片付け、お前がやれよ。」
心底嬉しそうに頷く彼に、男前が台無しだと囁いて、その首に腕を回す。目の前を滑る金糸に指を絡めて、そっと笑った。
―――4年前は、こいつのこんな表情が見られるとは思わなかったけど。
外から響く小鳥の歌声が、随分と遠く聞こえる。
―――4年後も、こいつと一緒にいられればいい。
心の中で呟いて、俺は重ねられた唇に眼を閉じた。
これからの時間の中で、俺たちがどう変わっていくのかは分からないけれど。
―――俺の相棒は、コイツだけ。
それはきっと、変わらないモノ。
←back
<2004.6.3 アップ>