「しっかし、あれだな。」
 「はい?」
 「お前、あの跳ねっ返りの一体どこがいいワケ?」

 ・・・いきなり何なんですか、本郷さん。

 

 理由

 

 「それは、仕事と関係あるご質問ですか?」

 コーヒーのカップを手にしたまま、ユエは本郷にサングラス越しの視線を向けた。《The Plow》の薄暗い店内とはいえ、瞳の色素が薄いため暗視能力の高いユエにとって、サングラスはなんら視界の妨げにはならない。彼の眼は、正確に相手の姿を捉えていた。
 よれたトレンチコート、ぼさぼさの髪に無精ひげ。ある意味非常に刑事らしい刑事であるこの男は、《よろず屋》を開業して間もなく知り合った、現時点では数少ない協力者のひとりだ。だが、出会ってそろそろ半年経つが、この無遠慮な話し方にはいまいち慣れる事が出来ずにいた。
 そもそも自分たちは、一週間前に発生した傷害事件についての情報を交換していたのではなかったか?なんでこんな話に飛んだのだろう。現実逃避気味にそう考えるユエに対し、ふたつ隣のスツールに腰掛けている本郷は、にやりと人の悪い笑い方をした。

 「バカップルの惚気が傷害事件に関係あるわけねぇだろ。仕事の話はもう終わり。」
 「誰と誰がバカップルですって?」
 「お前と、レイが。」
 「・・・本郷さん。そのコート、白より茶色の方が素敵だと思いますよ。」
 「待て待て待て、悪かった!悪かったから、そのカップを戻せ!!」

 スツール上でのけぞる本郷に、ユエは彼の頭上で逆さにしようとしていたコーヒーのカップをソーサーに戻した。なみなみと注がれた熱い液体が波立つのを見ながら、本郷は胸を撫で下ろした。

 「あー、びっくりした。お前最近、行動がレイに似てきたんじゃねぇか?」
 「大丈夫ですよ。あなた以外の方に対しては、理性派で通していますから。」
 「・・・俺の前でもそうしろよ。」
 「礼儀を守ってほしいのなら、まずご自分が礼節をわきまえる事ですね。」

 容赦のない突っ込みに、本郷は苦笑した。本人の言うとおり、普段は冷静なサポート役に徹しているユエだが、仕事に関係ない場所、かつごく限られた相手に対しては、意外と年相応の顔を見せることがあった。特に話題が、あの黒猫に及ぶとその反応は顕著だ。

 「別に隠すことねぇのによ。俺は差別しねぇぞ?お前らがデキてたって。」

 懲りずに吹っかけた本郷に、ユエは極寒の視線を向けた。気のせいか、彼の周りの空気が帯電したような錯覚すら覚える。

 「何度言ったらご理解いただけるんです?レイは僕の恋人ではありません。」
 「でも、アイツと寝てるんだろ?」
 「・・・本当にデリカシーのない人ですねぇ。」
 「すまんな、性分なもんで。」

 一向に悪びれない本郷にため息をついて、ユエは先ほど攻撃に使い損ねたコーヒーを優雅な所作で口に含む。ゆっくりとカップから唇を離すと、ぽつりと呟いた。

 「そうですよ。」
 「・・・は?」

 反射的に聞き返した本郷は、続けられたユエの台詞に、口に含んだコーヒーを吹き出した。

 「僕は、レイと寝ています。」
 「・・・っ、げほっ、お、前な!いきなり何を・・・!!」
 「聞いてきたのはそちらですね。」

 淡々と言い切られ、本郷はぐっと詰まった。確かにそうだが、まさか本当に答えるとは思わなかった。今までにも似たようなちょっかいをかけたことはあるが、全てあっさりとかわされていたのだから。
 何で今日に限ってカミングアウトする気になったのか。そう尋ねる本郷に、ユエは小さく笑って逆に質問した。

 「ねぇ、本郷さん。なんで僕が、レイを恋人扱いされると機嫌を損ねるのか分かってらっしゃいます?」
 「あ?・・・そりゃまあ・・・隠してることを無遠慮に聞かれるのが面白くないっていうか・・・。」

 そもそも、世間的に見て大っぴらに認められる関係ではない。つっつかれて嬉しい人間はあまりいないだろう。そうと分かっていながらちょっかいを出すという自分の行為は棚の上に上げて、本郷がそう答えると、「違います」と速攻で否定された。

 「じゃあ何なんだ?」
 「本郷さんにとって、恋人の定義は何ですか?」

 質問に質問が返ってきた。しかも微妙に話が繋がっていない。わけがわからないが、ユエの真面目な声音に、本郷はつい姿勢を正して答えた。

 「そりゃ・・・その時一番大切な奴とか、守りたい奴とか・・・下世話な言い方すれば、セックスの相手とか?」
 「では、仮に家族が一番大切だったら、家族が恋人ということになるのでしょうか。それに、心が繋がっていなくてもセックスは出来ます。」

 あなたの定義は不完全だ、と言い切られ、本郷はカチンときた。年功序列なんてくそくらえだが、20歳そこそこのガキに馬鹿にされればやはり面白くない。じろりと金髪の青年を睨みつけ、本郷は反問した。

 「じゃあセンセイ、恋人ってのは何なんだ?完全な定義とやらを教えてくれ。」
 「ありません。」
 「はぁ!!?何だそりゃ!!人を馬鹿にしといて自分はソレか!?」
 「馬鹿になどしていませんよ。大体誰に聞いてもそんな答えなんですから。強いて付け加えるのなら、『相手を独占したいと思う』という意見がありましたけど、独占欲など子供が親に対しても抱く感情ですからね。恋人に対してのみ有効な判断基準とは言えません。
 結局のところ、恋とは何か、明確に知っている人はいないんですよ。好意や性欲や独占欲や・・・さまざまな感情を不確かな言葉で綴り合わせて創り上げた、幻想の名前が『恋』なんです。言い換えれば、どんな美しい感情も、醜い感情も、『恋』はすべて包括している。ある意味、とても広義な名称です。」

 ユエの白い手がふうと伸ばされ、カウンターの上に置かれた、陶器の砂糖壷を手に取る。いつも数個の角砂糖しか入っていない(だが絶対に切らしていることもない)その壷は、微かな照明を受けて艶やかに光った。

 「例えて言うなら、この砂糖壷のようなものですね。」
 「・・・『恋』がか?」
 「そう。本郷さん、この中に何が入っていると思います?」
 「・・・砂糖壷なんだから、砂糖に決まってんだろ。」
 「そうですね。十人中九人はそう思うでしょう。しかし、蓋を開けない限りは、本当にそうかどうかは分からないんですよ?
 もしかしたら、サービス用の飴でも入っているのかもしれない。ビー玉かもしれない。ただのゴミかもしれない。何も入っていないかもしれない・・・だけど、『砂糖壷』に入っていれば『砂糖』だと、誰もが思い込む。実際にそこに何が入っているかは関係なく、そう規定されてしまうんです。」
 「・・・悪いユエ。おバカな俺にも分かるように、分かりやすく言ってくれ。要するにそれがなんなんだ?」

 頭を抱えた本郷に苦笑して、ユエは砂糖壷をカウンターに戻した。

 「・・・僕の想いを、そんな曖昧な言葉に預けるのは嫌なんです、僕は。」

 そのどこか切なげな横顔に、本郷は目を奪われた。

 「レイ以上に大切なものなんて、僕にはない。彼が僕以外の人間を見ていれば振り向かせたくなるし、思い切り抱きしめたいと思う。・・・でもね。だからといって彼を『恋人』だと言うのは、やっぱり違うと思うんですよ。
 さっきも言ったように『恋』はあらゆる感情を含みますから、僕の想いを『恋』と名づけることは出来るでしょうが・・・逆に『恋』という名から、僕の感情を残さず抽出することはできないんです。名前を介して伝えた瞬間、それは分解され再構築されて、僕の今もっている感情ではなくなっている。そして大抵の人はそのことにすら気づかず、この想いを完全に理解したかのような錯覚を抱く・・・それが、嫌なんです。」

 だから、彼を恋人扱いされるのは好きではないのだと。そう結んで、ユエはちゃんと伝わったかと本郷の顔を覗き込んだ。

 「あー・・・うん。半分も理解できてるか怪しいけど・・・つまりは、勝手にお前らの関係を規定するなってことか?」
 「まあ、そうですね。」
 「そうか。じゃあとりあえず・・・不用意にからかったりして悪かったな。許してくれ。」

 律儀に頭を下げて詫びる本郷に、ユエは小さく微笑して、自分の中の彼の評価を書き換えた。――無遠慮ではあるが、理の通じない相手ではない。もしかしたら、それほど付き合いにくい人間でもないのかもしれない。

 「でも・・・」
 「?」
 「名前がないと、不安にならないか?」

 感情がなければ、言葉がないように。言葉がなければ、感情は揺らぐ。自分の心に名をつけない青年は、そんな不安を感じはしないのか。

 「感じませんね、別に。」
 「なんで?」
 「僕にはレイが必要。レイにも僕が必要。・・・一緒にいるのに、これ以上の理由は必要ありません。」

 そう呟いてコーヒーを飲み干した青年を、本郷は眩しいような気持ちで眺めた。これまでパートナーが欲しいと思ったことはなかったが、こんな風に想い合える相手がいると言うのは幸せなことだろうと、素直に思う。
 自分にも、いつか現れるだろうか。凭れあうことで堕落するのではなく、共に支え合い、ひとつの道を歩いていける伴侶が。
 そう思った自分に、本郷は苦笑した。コイツと話していると、新しい発見がいろいろあって退屈しない。

 「ユエ、もう一杯コーヒーどうだ?おごるぞ。」
 「・・・後で何か請求するつもりとか?」
 「違ぇーよ。・・・いい話聞かせてもらった礼だ。」

 その言葉に、サングラスの下で目を見張ったユエは、ふわりと優しく微笑んだ。

 「・・・ええ、頂きます。」

 笑いあうふたり。彼らの関係は、まだまだ始まったばかりだった。 

 

 

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<2004.6.4 アップ>