いつも傍にいるから、普段は意識もしないけれど。
時間は流れている。僕も君も変わっていく。
今の君が変わってしまうのは少し不安だけれど。同じ時間を重ねられるのは、きっと素敵な事だね。
今
―――かたん。かたん。・・・・がん。
先ほどから繰り返し発せられる、妙な音。リビングの方から聞こえてくる、固いものが軽くぶつかり合うようなその音が気になって部屋から出てきたユエは、何やら珍妙な格好をしている同居人の姿を目にして、サングラスの下の双眸を瞬かせた。
「・・・・何してるんです、レイ。」
「・・・あ、ユエ。」
くるりと振り返ったのは、中学生ほどの少年だった。肩ほどの長さの髪をゴムで縛って、ゆったりとした黒のトレーナーを身につけている。未発達な線の細い体つきと、伸ばしかけの髪を留めている赤いヘアピンのせいで、まるで女子中学生のように見えた。(だが、そんな事を言ったら鉄拳が飛んでくるに違いない。変声期が終わっても思っていたほど声が低くならなかったことを、彼はひそかに気にしているようだから。)
その彼が、なんだか知らないがリビングの壁にべたりと張り付いていたのだ。一体何をしていたのやら。とりあえず、第一印象から連想される状況を言ってみる。
「・・・ゴキブリの真似?」
「なんでやねん。」
すぱん。裏手ツッコミが綺麗に入った。
「だってそう見えますよ、黒い服だし。」
「触角は生えてねーだろ!大体こーんなオトコマエなゴキブリがいてたまるか!」
彼に関しては、未だ「オトコマエ」というよりは「可愛らしい」と表現する方が適切なような気がするが、その点についてはユエは慎ましく沈黙を守った。
「じゃあ何してたんです?随分と必死なようでしたけど。」
「アレだよ、アレ。止まっちまってるんだ。」
くい、と細い指が指し示す方向を辿れば、そこにあるのは。
「・・・なんだ、鳩時計ですか。」
リビングの壁の上方に掛けられた、おんぼろの鳩時計だった。
「間の抜けた鳴き声がイイ」と言ってレイが選んだそれは、カチカチと時を刻んでいるユエの腕時計と、短針が180度逆を向いていた。レイは、これを外そうとして、必死に爪先立ちをしながら指を伸ばしていたのだ。
「電池切れかな?ていうか、取りたいなら椅子に乗ればいいでしょうに。」
「だってあと1センチか2センチで届くんだよ・・・!!なんか悔しいじゃねぇか!」
現に、時折指先が時計の底を掠めては、本体を揺らしている。・・・かたん、かたん。「う〜」と唸って頑張る小さな背中を見やって、ユエは苦笑した。
気持ちは分かるが、時計の底に指が届いたとしても、さらにそこから数センチ持ち上げて、裏の金具をかぎ状のフックから外さないとこの時計は外れない。部屋の中で飛び回る彼がうっかり叩き落とさないようにと、わざわざ面倒な取り付け方をしたのだから。
ふっとため息混じりに笑ったユエは、ぺしぺしと壁を平手で叩いているレイの背中側から手を伸ばし、ひょいと時計を外した。・・・それも、いとも簡単に。
「あ――っ!!」
「な、何ですか。はい。電池換えておいてもらえますか?」
ぽん、と渡された時計を受け取って、レイはふくれっ面でユエを見上げた。
困ったように見下ろしてくる視線は、遥か上にある。広い肩や、すらりとした伸びやかな手足に視線を流して、レイはきっとユエを見上げた。
「見てろよ〜・・・・ぜってぇお前より背高くなってやるかんな!!」
「・・・・おや。」
肩を怒らせながらリビングを駆け出していく少年の後姿を見送って、ユエは「怒らせちゃったかな・・・・」と頬を掻いたのだった。
「・・・・なーんてこともあったよなぁ。」
かちり。腕時計を見ながら時間を合わせているレイを見て、ユエはふわりと笑った。
「ふふ、そうでしたねぇ。子どもっぽくて可愛かったなー、あの時のレイは。」
「へん、悪うございましたね、最近は子どもっぽい可愛らしさがとんと見られなくなりまして。」
「いえいえ、今でも十分可愛いですとも。」
「そりゃどうも。」
鼻で笑う彼の背で、中ほどまで伸びた髪がさらりと流れる。動き出した時計を確認する横顔は、数年前よりシャープさを増し、人の目を惹きつけずにはおかない、凛とした美しさを醸し出していた。
折れそうなほどに華奢だった手足は、強さを秘めた伸びやかな四肢へ。残念ながらユエには追いつかなかったけれど、それでも随分背の伸びた体は、細身でありながらしなやかな筋肉に覆われている。ユエの手の中で毛を逆立てていた仔猫は、それはそれは美しい黒猫へと、その姿を変えた。
改めてその成長の様を思い返し、ユエはしみじみとため息をついた。
「レイも大きくなりましたよねー・・・・。」
「うわ、ジジくさっ!」
「だって、ねぇ・・・・・。」
時計をフックに掛けなおすレイに、すっと並ぶ。今では背伸びをするまでもなく、軽く手が届くようになった彼の目線は、数年前より随分近い。
「ほら、こんなに近くなってるもの。」
「バーロォ、俺はお前を抜かす気満々だったんだぜ?それなのに170ちょいで止まっちまってさー。あぁ、もう伸びねぇだろーな・・・そう思うとちょっと残念。」
「やっぱり、もっと欲しかったですか?」
尋ねるユエに、レイは顔を上げてにっと笑った。
「そうだなー。ま、欲を言えばあと数センチは欲しかったけど、別にいいさ。だって・・・・。」
ぐい。首に回した右腕で、少し高い位置にある頭を引き寄せる。
「・・・こういうことするには、このくらい身長差あったほうがいいもんな。」
「・・・同感です。」
触れるだけのキスを交わして、吐息の触れ合う距離で笑いあった。
姿は変わっても、ユエを見つめる漆黒の双眸は、変わらぬ光を宿している。
「僕も少しは変わりましたか?」
「うん。怒りっぽくなって心配性になって好戦的になったな。」
「・・・・う、嬉しくない。」
「でも、俺は今のお前の方が好きだぜ。」
「フォローありがとう。・・・さて、そろそろご飯にしましょうか。手伝ってもらえます?」
「うぃーす。今日は何だ?」
「今日はですね・・・・。」
連れ立ってキッチンに向かう二人。以前よりずっと和やかな雰囲気を漂わせるその背中を、壁の時計が静かに見下ろしていた。
―――時を重ねて、少しずつ変わって。
―――でも、君が君であることは、いつだって変わらないよ。
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<2004.11.27 アップ>