―――廃ビルでの死闘から、十日後。

 レイとユエは、暖かい日差しの中、連れ立って《The Plow》へと向かっていた。
 ちょうどワイドショーの時間帯らしく、連なった店先に置かれているテレビから、甲高い女性アナウンサーの声が聞こえてくる。興奮気味に声を張り上げるその顔に、彼らはブラウン管越しにちらりと一瞥を投げた。

 『・・・の大規模な臓器売買組織の摘発に、世間には大きな衝撃が走っています。心身に多大な障害が残った被害者もおり、警察は彼らの受け入れ先を・・・・。』

 「・・・先は長そうですね。被害者の救済は、組織を壊滅させるより遥かに大変だ。」
 「そうだな・・・。でも、それは俺たちにどうにかできることじゃない。」

 傷が癒えきっていない右足をほんの少し引きずりつつ、レイが呟く。その脳裏に浮かんでいるのが誰なのかは、聞かずとも解った。

 

 ―――あの日。廃ビルから脱出した後、彼らは証拠のフロッピーとともに、彼女の身柄を本郷に預けた。

 彼女はれっきとした被害者遺族であり、また彼らに命を狙われた被害者でもある。事情を聞いた後、彼女が落ち着いて生活できる場所を探してやってくれというレイたちの頼みを、本郷は快く引き受け、無骨な手で華奢な肩を優しく抱きながら彼女を連れて行ったのだった。
 事件が終幕を迎えた今、裏稼業である自分たちが彼女に関わるのは好ましくない。レイはそう考えて、彼女を乗せたパトカーが遠ざかっていくのを黙って見送った。

 

 『あれで・・・良かったのかな・・・。』 

 いつも通り黒衣に身を包み、無表情を装っているレイだったが、その顔色は冴えない。あの時、死に急いでいた彼女を止めたのは、果たして正しかったのか。あのまま死なせてやるべきだったのではないかと、彼はずっと考えていた。
 そんな彼を、傍らでずっと見守っていたユエは、いつもよりゆっくりと歩を進めながら、微笑とも苦笑ともつかない淡い笑みを浮かべて、そっとその顔を覗き込んだ。

 「・・・レイ、そんな辛そうな顔をしないで。アラシたちが心配しますよ?」
 「・・・解ってる。」

 とりあえずそう答えたものの、その返答はどこか上の空だった。小さくため息をついたユエは、くいっとその顔をこちらに向かせて、無防備なその顔面にぴしりとでこピンをかました。額に炸裂した痛みに、レイが小さく悲鳴を上げる。

 「いって!何すんだよ!?」
 「こーら、いい加減に戻ってらっしゃい、レイ。」

 口調は厳しいが、その口元には穏やかな微笑が浮かんでいる。くしゃりと黒い髪をかき回して、ユエは同じ色の双眸と真正面から視線を合わせた。

 「大方、あの時彼女を死なせてあげた方が良かったんじゃないかって悩んでるんでしょうが・・・今さら悔やんだって、どうにもならないでしょう?」
 「そうだけど・・・・。」
 「貴方を哀しませたくない。そう考えて、彼女は死ぬのを思い止まったんじゃないんですか?それで貴方がそんな顔してたら、彼女の勇気もかなりの勢いで無駄になるんじゃないかと、僕は思いますけどね。」
 「・・・・・・・。」

 ぐうの音もでない。
 滔々と正論をかまされ、レイは眉間に皺を寄せて沈黙した。その頭をぽんと叩くと、ユエは明るく笑いかけた。

 「大丈夫ですよ。彼女は強い人だ。いずれは新しい生きがいを見つけて立ち直ってくれますよ、きっと。」
 「そう、かな・・・・。」
 「ええ。その時には、きっと貴方に感謝するようになる。・・・だからそれまでは、貴方が仮の『生きがい』になっておあげなさい。」
 「・・・・・ん。」

 こくん、と小さく頷いたレイが、ほんの少し笑う。歩きながらそっと身を寄せてきた彼に、ユエは眩しそうに目を細めた。

 「・・・・ありがと、ユエ。」
 「・・・お礼言われる事じゃありませんて。」
 「そんでも・・・・ありがと。」

 ―――いつも、傍にいてくれて。生きる理由をくれて、ありがとう。

 「・・・・うん。」

 じゃれついてくる彼に微笑み、そっと手を握る。確かなその感触が、泣きたいほどに嬉しかった。
 笑い合い、寄り添って歩く彼らの前方に、やがて《The Plow》の古色蒼然とした佇まいが見えてきた。

 

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 ―――カラン。

 一度見事に破壊されたものの、ユエの手によって綺麗に修復されたドアを押し開ける。

 「ちわー・・・・」
 「いらっしゃいませー!!」
 「・・・っす・・・・・?」

 レイの台詞が、妙なところで切れた。ドアを押し開けた姿勢のまま固まり、黙然と店内に視線を注いでいるレイの後ろで、ユエがくつくつと忍び笑いを零している。
 足を踏み入れた瞬間に元気よく飛んできた、明るく若々しい声。マスターの地鳴りの如き重低音とは明らかに違うそれは、それほど馴染みがあるわけではないが、確かに聞き覚えのある声だった。しかし、それはこんな所で聞くべきものではないはずで。

 「・・・嘘だろ・・・・?」
 「こら、そこ!入るんならさっさと入りなさい、寒いじゃないの!」

 細い腰に手を当てたその人に一喝され、らしくもなく立ち竦んだレイの背中を、ユエが軽く押した。

 「ほらレイ、早く入りましょう。」
 「いらっしゃい、ユエ。いつものでいいのかしら?」
 「ええ、お願いします・・・夏木さん。」
 「はーい!」

 後頭部で束ねた栗色の髪を軽やかに揺らし、にっこりと笑った女性――夏木飛鳥その人に、レイは恐る恐る近づいた。

 「・・・本物?」
 「あんたが言ってる『本物』が夏木飛鳥って女のことなら、本物よ?」

 シンプルな白のカッターシャツに黒のスラックスという格好の彼女は、澄ましてそう言うと踵を返した。ひらひらと手を振っている双子たちがいるボックス席へとふたりを誘うと、その前に、流れるような手つきでコーヒーカップをサーブする。一連の作業を終えた彼女は、ユエの勧めに従ってカウンター席に腰を下ろした。

 「まったくもう・・・レイは常連だって聞いてたのに、一週間以上も待たせるんだもの。あと一日遅かったら、こっちから連絡しようと思ってたのよ?」
 「何しろ、この人ここ暫くは半分引きこもり状態でしたからねぇ。」
 「え、そーなの?」
 「彼女の行き先が解らなくて、実は結構傷ついてたとか?キャー!ユエ、ぼんやりしてると浮気されちゃうヨ!?」
 「うーん、それは困るなぁ。」
 「・・・てめぇら。一秒以内に黙らねぇと、そのツラ素手で変形させんぞ・・・・?」

 かなり本気の口調で呟いたレイは、その会話を楽しそうに聞いているアスカに向き直った。打って変わって真剣な表情で尋ねる。

 「アスカ、なんでここにいるんだ?勇に新しい住処を探してもらったんじゃねぇのか?」
 「探してもらったわよ?あたしウェイトレスをやってた経験もあるからさ、本郷さんの紹介で、ここで住み込みの店員をやらせてもらえる事になったの。今はここがあたしの職場で、同時に家ってワケ。」
 「な、なんでわざわざ・・・!もっとまともな職場もあっただろ!?」
 「・・・レイ、お前なぁ。うちが思いっきりまともじゃないような言い方は止めてくれんか。」

 静聴していたマスターが苦笑気味に合いの手を入れるが、レイは「だってまともじゃないじゃないか」と一蹴した。まあ、彼の表現もあながち間違っているとは言えない。彼が、ならず者が集まるこの店を、肉親を失くし手酷く傷ついている彼女を置いておく場所として認めにくいのも、無理はなかった。
 ここを選んだ本郷や、その選択を知りながら何も言わなかったユエを疑うわけではないが、やはり何故という思いは拭えない。眉を寄せた彼にくすくすと笑うと、アスカは「レイ」と呼びかけた。

 「・・・んだよ。」
 「怒らないで、ちゃんと聞いてよ。本郷さんはね、いい加減な気持ちで、あたしをここにやったんじゃないのよ?ちゃんとあたしの話を聞いて、その上でここに連れて来てくれたんだから。第一そうでなかったら、ユエがとっくの昔にあんたに教えてるでしょ?」
 「まあそうだけど・・・。」

 組んでいた脚をきちんと揃え直して、アスカは真剣に、一言一言を確かめながら彼に言った。

 「ここに集まるのが、裏稼業の人間だって事は聞いたわ。時には危険に巻き込まれる事もある。聞きたくないような事を聞く場合もあるって。本郷さんは、そう説明してくれた後で、あたしにこう言ったの。
 『あの店に来る連中は、多かれ少なかれ、嬢ちゃんみてぇな辛い過去を抱えてるモンなんだ。別に傷の舐め合いをしろとか、不幸比べをしろってんじゃねぇ。・・・ただ、あいつらの生き様は、あんたに何か教えてくれるかもしれないぜ』、ってね。」
 「・・・・・・・・。」

 レイの顔から、表情が消えた。だが、それは機嫌を損ねたわけではなく、色々な感情がごちゃまぜになってひとつに絞りきれないという感じの無表情である。甚だ微妙なその顔を見つめながら、アスカは続けた。

 「自分でも・・・これからどうしたいのか解らないの。ただ、このごちゃごちゃの気持ちに整理がつくまでは・・・勇人の事を、本当に受け入れられるまでは・・・あたしは、前に進めない。ここにいれば、その手がかりが見つかりそうな気がするのよ。
 ・・・だから、お願い。ここで働かせてくれない?」

 経営者でもないレイに言うには妙な台詞だったが、彼の了承を得られない限りここでは働けないだろうと、彼女は思っていた。だから、マスターと面接した時より真剣なくらいに真剣に訴えたのだが、当の本人は心底呆れたようなため息をひとつついただけである。心配そうに、或いは面白そうに眺めているボックス席のギャラリーを無視して、レイはマスターに声をかけた。

 「マスター、彼女こんなこと言ってるけど?」
 「俺はもう一週間以上前に了承してるぞ?実際、彼女はよく働いてくれてるしな。というか、今訊かれてるのはお前だろうに。」
 「この店バイト雇わなきゃならねぇほど忙しくねぇだろが。普段何してんだよコイツ?」
 「コーヒーの淹れ方や調理を覚えたり、食材の買出しに行ったり、皿洗いしたりだな。やる事は結構あるもんだ。」
 「ふぅ〜ん・・・・・。」

 がしがしと頭を掻いたレイは、手をつけていなかったコーヒーを一口啜った。ほう、と息を吐くと、虚空をぼんやりと見やって独り言のように呟いた。

 「そーいえば、さっきから右足の傷が痛いんだよなぁ・・・。」
 「・・・・え?」

 脈絡のない台詞にきょとんとするアスカ。と、レイの横で、同じくコーヒーカップを口元に運んだユエが何気なく応じた。

 「だからあと三日は家で大人しくしていなさいと言ったんです。傷が開いたんじゃないですか?」
 「うーん、これはもしかして、もう暫く家で謹慎してなきゃいけねぇのかな?」
 「そうですねぇ、あと一週間くらいはね。」
 「おいおい、一週間もここのコーヒー飲めねぇのか?」
 「仕方ないでしょう、マスターが店を離れるわけにはいかないんですから。もっとも・・・」

 ちらりと、悪戯っぽい微笑が閃いた。

 「・・・特別に出張サービスをして下さる店員さんがいらっしゃれば、話は別ですけど?」

 その言葉に、アスカの顔がぱっと明るくなった。スツールから飛び降り、ふたりに勢いよく言う。

 「やる!それ、あたしがやります!!」
 「え、お前がやるのか?言っとくけど、俺たちコーヒーには結構うるさいぜ?」
 「あんたが来るまでの一週間、みっちり特訓したのよ。絶対『美味い』って言わせてみせるから!」
 「・・・そっか。」

 かたん、とカップをソーサーに戻して。レイは仕方ないな、という風に苦笑した。

 「・・・ま、サービスの幅が広がるんなら、人員強化もいいんじゃないか?」
 「―――やった!!」

 小さくガッツポーズをしたアスカ。ギャラリーたちもほっとしたように表情を緩め、アラシとアズマに至ってはぱちんと両手を打ち合わせている。どうやら自分が最後の承認者であるらしいと、レイは小さくため息をついた。
 何やかやと話しかける双子たちと嬉しそうに話している彼女を見ながら、隣で満足そうに微笑んでいる相棒に、低く囁く。

 「・・・ユエ。てめぇ知ってたくせに黙ってやがったな?」
 「とんでもない。貴方がずっと自分の殻に閉じこもってたから、話す機会を逸しただけですよ。」
 「ふん・・・・ま、そういう事にしといてやるか。」
 「ふふふ・・・まあ洒落っ気も何もない店ですからね、ひとつくらい華があってもいいんじゃないですか?」
 「ったく、どうなったって知らねぇぞ俺は。」

 苦笑交じりにそう言うと、レイは空になったカップを差し出す。するりとスツールから滑り降りた彼女は、それを受け取りながらふたりに笑いかけた。

 「これからよろしくね、お二人さん。」
 「・・・ああ。」
 「こちらこそ、どうぞよろしく。」

 そんなこんなでやって来た、新しい仲間。
 レイは揺れる栗色の髪を眺めながら、新たな波紋の予感にこっそりと苦笑したのだった。

 

 

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