『それでそのまま行かせちまったのかよ!?イヤッ、玖月さんサイテー、人に非ずと書いて人でなし!!』
「・・・・ウザいと言っていいですか、本郷さん。」
『もう言ってるじゃねーか!』
すでに三十路を越えた筋骨隆々たるこわもて刑事に、「イヤッ」とか言われて喜ぶ人間がいるものか。受話器の向こうから聞こえてくる大声に心持ち電話を離しつつ、ユエは心の中で呟いた。
「ま、何とでも言ってください。彼女の依頼を蹴ったのは本当のことですからね。」
『ユエ、お前なぁ・・・貧乏くじ引くのもいい加減にしとけ。』
普通の声量に戻した本郷が、ころりと言い分を翻して呆れたような声で言った。
『主張、主張でもウザがられるだけだけどな。お前はもっとエクスキューズしていいぞ。依頼を断ったのは怖気づいたからでも、高額の報酬が見込めないからでもない。その彼女と・・・レイのためなんだろう?』
「それが分かったからと言って、何になるんです。僕の考えがどうであれ、行為の結果には何の意味ももたらさない。違いますか。」
『「何故」そうしたのかより、「何を」したのかという方が重要である・・・お前の持論だったな。』
「ええ。」
『・・・・・・。』
ためらいなく言い切ったユエに、本郷は思わずつきそうになったため息を飲み込んだ。この先、たとえその女性に逆恨みされても、自分の行為の結果として、彼は黙ってそれを甘受するだろう。そういう男だ、こいつは。
『お前の生き方に、ケチつける気はねぇが・・・お前が傷ついたら、悲しむ人間がいるって事を忘れるな。自分をもっと可愛がれ、いいな。』
「・・・で、心当たりはありますか?」
『いきなり話を戻すんじゃねぇよ!!折角シリアスに決めてんだから!!』
「果てしなく横道に逸れていくからでしょうが。貴方と論争する気分じゃないんですよ、今。」
『ったく、ホンット可愛げねーなお前は・・・。まぁいいや。お前の出した条件に、いくつか該当する場所があった。読むぞ。』
がさがさと紙をめくる音と共に、いくつかの住所が読み上げられる。メモにさらさらと書き取ったユエが手を止めるのと同時に、本郷の野太い声が再び聞こえた。
『とりあえず、現時点で怪しいのはこの辺だな。』
「ありがとうございます。助かりました。」
『何だかんだ言ってもほっとけねぇんだな、その女の子のこと。』
「・・・・乗りかかった船ですからね。」
その後事務的な会話をふたことみこと交わすと、ユエは礼を言って受話器を置いた。その途端、形の良い唇に湛えられていた淡い微笑は拭い去られ、何処か痛みを堪えるような光がその瞳に宿る。
”・・・・自分をもっと可愛がれ、か。その台詞は言う相手が違いますよ、本郷さん。”
本当ならば、ここで手を引くべきだ。依頼は断ったのだから、これ以上この件に首を突っ込んでも何にもならない。だが。
「・・・・・ユエ。」
―――それでは、この少年は納得すまい。
振り返ったユエの目に映るのは、全身を漆黒に包んだ少年。背後から射す明かりのせいで表情は読めないが、纏うオーラは鋭く、硬い。開け放ったドアに片手を掛けたまま、彫像のように立ち尽くすレイに、ユエは書き終えたばかりのメモをすっと差し出した。
「とりあえず、ここから当たりましょう。」
「・・・・いいのか?」
「止めたってやるんでしょ?付き合いますよ、最後まで。ていうか、そもそもの発端は僕にあるんですしね。」
ほんの僅かに笑ったユエだったが、すぐにその笑みは消えた。目を伏せ、躊躇いがちに言う。
「・・・分かってますよね?彼女が、こちらに戻ってくるのを望むとは限りませんよ。」
「ああ、分かってるさ。」
かさり。黒い手袋に包まれた指先が、紙片を挟み取る。
「けど・・・彼女が真実を知って、なお『戻って』来たいと望むのなら・・・・助けたい。せめて、彼女だけは。」
「彼女に、憎まれることになっても?」
「・・・・・・・・。」
丈高い青年を見上げ。少年は、ふっと、透明な微笑を浮かべた。
「・・・お互い生きてりゃ、いつかは分かり合えるかも知れねぇだろ。」
「・・・・はい。」
「行こう。」
ばさ、とジャケットを翻した少年を追いながら。
ユエは微かな明かりに輝くサングラスで、その双眸を隠した。