―――ジャキッ。

 ぽっかりと空いた不気味な銃口が向けられた先には、人影はない。拳銃を片手に勇んで踏み込んだ男たちは、しばし様子を窺ったあと、戸惑ったように銃を下ろした。 

 「・・・いねぇぞ!あのガキども、何処に行きやがった?」
 「外には逃げられねぇ、この中にいるはずだ。探せ!」

 ばらばらと散る男たち。その様を、どこからともなく静かに見ていた双眸が、嘲笑うかのように冷たく細められた。
 天井までの距離はかなりあるため広く感じるが、屋根を支えている数本の鉄製の柱に加え、乗用車ほどもある巨大なスクラップがそこかしこに転がっているため、意外と死角が多い。同僚とともに歩を進めていた男の一人は、想像していたより動きにくい状況に、忌々しげに舌打ちをした。

 『くそっ・・・・なんでたかがガキふたりのために、こんな大人数を投入しなくちゃならねぇんだ?どうせ中からは出られねぇんだから、建物ごとふっ飛ばしちまえばいいのによ。』

 かたん、という微かな物音に、反射的に銃口を向けるが、そこには誰もいない。大きく息をついて、再び視線をめぐらす。

 『ふたりとも綺麗なツラしてやがったからな、消すのは惜しいが。あぁ、殺す前に楽しませてもらうってのも悪くねぇか。』

 下卑た笑いを口元に浮かべた男は、隣の同僚の呟きに、ふと我に返った。

 「あん?何だって?」
 「いや、だからな。あの黒髪の方、どっかで見たことがないか?」
 「あぁ?ねぇよ。色町ででも見かけたんじゃねぇの?」
 「いや・・・そんなんじゃなくて・・・・。」
 「おいおい、どうだっていいじゃねぇかそんな事。どうしても気になるなら、後で本人に聞けば・・・・。」

 そう言って、男が笑った瞬間。

 

 ―――音もなく、漆黒の風が疾り抜けた。

 

 「「・・・・・・え?」」

 がちゃん、と音を立てたのは、床に転がり落ちた自分の拳銃。その上に、ぼたぼたと赤い液体が滴り落ちる。
 呆然と視線を落としたふたりは、自分の右腕から迸っている夥しい血に、狼狽の叫びを上げた。

 「うわっ、うわぁぁああ――――!!?」
 「腕・・・・っ!!俺の腕がぁ―――!!」
 「おい、どうした!?」
 「な、なんだこりゃ・・・・!?」

 仲間の絶叫に駆けつけた男たちは、血の海の中でのた打ち回る仲間の姿に色を失った。丁寧に調べずとも、その腕が腱を切断され、もはや使い物にならないだろう事は明らかだった。

 「こ、これあのガキどもが・・・・!?」
 「あいつら、ただのガキじゃねぇ!!油断するな!!」
 「・・・今さら気付いたって遅ぇんだよ。」
 「なっ!?何処だ、何処にいる!?」
 「!上だ!!」

 まるで、影のように。気配すら感じさせずに、彼はそこにいた。
 均整の取れた、しなやかなシルエットを黒衣に包み、闇色の髪をなびかせた少年。巨大な墓標のような鉄塊の上から、男たちを見下ろすその双眸は、獲物を狙う肉食獣の鋭さをもって彼らを射抜いた。
 その左手にある一振りのナイフが、男たちの強張った表情を鏡のように映し出し、冷たい光を放った瞬間。彼らの背筋に、異様な寒気が走り抜ける。本能が発したそれが恐怖だと理性で理解するより早く、彼らは手にした銃を頭上に向け、トリガーを引き絞った。乾いた散発的な銃声が、耳障りな反響を持って彼らの耳を打った。

 ――――ガンガンガンガン!!

 「・・・遅ぇよ。」
 「ぎゃあぁぁぁぁあ!!」
 「ぐあぁぁっ!!?」

 放たれた銃弾が虚しく宙を貫く。銃声の残響が消えるより早く、鋭い刃にアキレス腱を掻き切られた男たちが地面に倒れ伏す。信じられないスピードで背後へと回り込んだ彼に銃口を向けた男は、鳩尾に強烈な蹴りを食らい、胃液を吐きながら吹っ飛んだ。

 「速い・・・・!!?」
 「くそっ、この化けモンが!!」

 半ばパニック状態に陥った男たちが銃を乱射するも、弾丸は彼を掠めもしない。黒い影が駆け抜けるたびに、ひとり、またひとりと、絶叫と共に男が地面に倒れ伏す。
 彼らは、根本的に間違っていた。障害物の多いこの部屋では、数を頼みに敵を取り囲んで押さえ込むのは難しい。ここで戦う上で必要なのは飛び道具ではなく、敵の位置を把握する鋭い感覚と、障害物をくぐり抜けるための俊敏性である。それを、彼らは分かっていなかった。たとえこの建物の構造を熟知していようが、この室内は、鉄錆びたこのジャングルは、紛れもなく『彼』のテリトリーであるのに。
 間近に倒れこんだ仲間を見ながら、冷たい汗を浮かべた男は、かちかちと鳴る歯の隙間から声を絞り出した。

 「バカな・・・銃すら持っていない相手に、こんな・・・・!!」
 「・・・寝惚けたこと言ってんじゃねぇ。この戦場(ステージ)で、銃がなんの役に立つってんだ?」

 ―――ゴッ。
 一片の躊躇いもなく、ナイフの柄が後頭部に叩き込まれる。

 「これだけ遮蔽物があっちゃ、遠くから狙い撃つどころか下手すりゃ跳弾して自爆だ。自分らのホームだってのに、そんな事も考えなかったのか?」
 「う、うるさい、黙れ!!」
 「てめぇがな。」

 ―――ヒュッ。
 今までとは違う風切り音とともに、レイの右手から黒い蛇が疾った。ナイフを警戒して距離を置いていた男が、顔面を横切った激痛に天を仰ぐ。

 「・・・・・がっ・・・・・!?」

 声も出せずに昏倒した男に目もくれず、レイは身を翻して疾りながら、右腕を一振りした。引き戻された蛇―――親指ほどの太さを持つ漆黒の鎖が、彼の右腕に絡みつく。たった今敵の顔面を砕いた武器を、今度は防具として使い、頭上めがけて振り下ろされた銃把を受け止める。骨に響くような衝撃に耐え、渾身の力を込めて踏みとどまったレイは、力が緩んだ一瞬の隙に、左手の刃で相手の二の腕を切り裂いた。吹き出す血潮を、跳びずさってかわす。

 ―――彼は、手加減しなかった。
 殺しこそしなかったが、確実に戦闘力を奪うだけの傷を、全員に与えていく。ひょっとしたら、彼らのうち何人かは、身体のどこかの機能を永遠に失う羽目になるかもしれない。
 だが、相手は多数で、そして全員が銃で武装している。この状況で手加減するのは自殺行為でしかない。彼らが敵として目の前に立つ以上、全力で排除する。一旦戦闘に踏み込んだ彼に、迷いはなかった。

 だらりと垂れ下がった腕を抱えて崩れ落ちそうになる男に向かって、レイは突然トップスピードで突っ込んだ。その視線の先にあるのは男ではなく、その背後の巨大なスクラップだ。強く地面を蹴ると、前のめりになった男の背を踏み台代わりに蹴りつけ、うつ伏せに倒れこむ彼を無視してひらりと鉄塊を飛び越える。
 その後ろに潜んでいた最後の敵が、自分の頭上を跳び越して背後に降り立った影に、慌てて振り向くより早く。その首に冷たい鎖が食い込み、爪先が宙に浮いた。固い床に引きずり倒され、驚愕と恐怖に限界まで目を開いた彼が、掠れた悲鳴を上げる。必死にもがく彼の腹と胸を膝で押さえつけ、鎖の両端を手にしたレイは、冷たい目で男を見下ろした。 

 「ひっ・・・・・!!」
 「さてと、てめぇで最後だ。さっさと落ちな。」
 「がぁっ、・・・・っ・・・・・・・。」

 ぎりぎりと食い込んだ鎖が気道と動脈を圧迫し、男の視界が暗くなる。膝を押し返そうとしていた体が、徐々に力を失っていくのを感じながら、レイは容赦なく鎖を引いた。
 ―――その時。

 

 「―――そこまでだ、冴羽零君。」

 

 場にそぐわない、落ち着き払った男の声が、彼の手を止めさせた。男の苦悶の表情を無機質に見つめていた双眸が、ゆっくりと声の主に向けられる。
 冷たく光る黒曜石が捉えたのは、スーツ姿の中年男性の姿だった。上等なスーツを品良く着こなし、わずかに白髪の混じった髪を丁寧に撫で付けて、派手ではないが整った顔に柔和な微笑を浮かべている。こんな殺風景な場所にいるのは明らかに場違いだと思わせる、いかにも上品な、好感の持てる紳士であった。
 ・・・もっとも今は、その背後に銃を手にした男が二人控えており、さらにその銃口のひとつはアスカのこめかみに押し当てられているとあって、到底好意的に見ることなど不可能だったが。
 左側の男の、丸太のような腕の中でもがいているアスカを見やり、レイは感情の読めない目で正体不明の紳士を眺めた。

 「やれやれ、派手にやってくれたものだ。とりあえず、その男を絞首刑に処すのは止してくれないか?」
 「その状況でお願い風に言われると、より一層腹が立つな。」

 舌打ちして鎖を離したレイは、ゆっくりと男の上からどいて立ち上がった。既に泡を吹いている男を無視して、両手を肩の高さに上げ、一歩下がる。スクラップに背を預けるように立ちながら、レイは半眼で紳士を睨みつけた。

 「その銃口をどけろ。レディはもっと丁寧に扱うもんだぜ、オッサン。」
 「ふふふ、君がフェミニストだとは知らなかったな。私としてもこんな粗暴な手段は不本意なのだが、君のスピードに対抗するにはこれしかなくてね。」

 アスカを捕らえている男までの距離は、およそ3メートル。レイの瞬発力をもってすれば一瞬の半分で到達できる距離だが、飛びかかって万が一トリガーが引かれてしまったら、彼女の命はない。拘束から逃れる隙を窺う彼女を、そっと目で制する。
 銃口が自分に向けられているなら、いくらでも対処のしようがあるのだが、これでは迂闊に動けない。何よりも的確な方法でレイの動きを押さえ込んだ紳士は、立ち尽くす彼を見てにっこりと笑った。

 「はじめまして、と言っておこう。私の名は柳 哲郎(やなぎ・てつろう)。東亜警備保障・警備部長だ。まぁ端的に言えば、そこに転がっているモノ達の上司にあたる。」
 「はっ、ずいぶんと部下思いな上司さまですコト・・・俺の自己紹介もお望みか?」
 「いいや。君のことならよく知っているよ。」

 レイの皮肉をさらりと流した紳士――柳は、アスカを捕らえている男たちを、手を振って一歩下がらせた。

 「私は、以前から君に興味があった。若干15歳で《よろず屋》を開業し、わずか4年で、この世界で知らぬ者がないほどの腕利きとしての地位を確立した。一度引き受けた依頼は100%遂行するという極めて優秀なその手腕。いや、実に素晴らしい!!」
 「そりゃどうも。」

 レイの返事は何処までもそっけない。だが柳は、愛想も可愛げも全くない彼の態度には目もくれず、彼に一歩近づいた。

 「私はね冴羽君。君に、是非私の下で働いてもらいたいのだよ。」
 「はぁ!?」

 驚愕の声を上げたのはアスカである。彼女を押さえ込んでいる男たちも、寝耳に水だったのだろう、一瞬動揺したように肩を揺らした。
 発言者以外で、唯一平静さを保っていたレイは、軽く肩を竦めてみせた。

 「これだけ部下をボコボコにした相手を目の前にして、お礼参りどころかスカウト?あんた、部下に嫌われてるだろ。」
 「上の人間は下の者に僻まれるものだ。それに、我々は無能な人間を必要としていない。君を手に入れることが出来れば、あの程度の犠牲はむしろ安いといえるだろう。
  いずれはこちらから迎えに行くつもりだったのだがね。今回、君のほうから出てきてくれたので手間が省けたよ。」
 「どっちにしろ無駄手間であることには違いねぇよ。あんたの下につく気なんぞさらさらない。駒が欲しいなら他を当たれ。」
 「何故だね?君なら即座に幹部クラスだ。金も色も自由に出来る生活が待っているというのに。」

 その言葉に、レイは鼻で笑った。

 「俺、面食いなんだ。あんたのツラ見ながら仕事するなんて耐えられねぇよ。」
 「・・・・・っ!!」

 ぴき、と柳の額に青筋が立つ。男盛りで、ダンディなこの男にとって、この台詞は結構屈辱であったようだ。その様子を面白そうに見ていたレイが、一瞬アスカに視線を投げる。彼女に何事か目配せした彼は、次の瞬間、とんでもないことを口にした。

 「大体、せっかくその女(ひと)みたいな美人を仲間に加えたんだぜ?勿体なくって、今さら解散なんて出来るかよ。」
 『なっ・・・・・誰が誰の仲間だって!?』

 叫びかけたアスカは、喉元まで出かかったその台詞を、ぎりぎりのところで飲み込んだ。さっきの目配せが、『余計なことを言うな』という意味であることを悟ったからだ。
 おそらく、彼には何か考えがあるに違いない。そう信じて、彼女は彼の行動を見守ることに決めた。
 一方、そんな彼女の心中など知らない柳は、疑わしそうな視線で彼女の全身を眺め回した。小蛇に這い回られているような不快感を堪えて彼女が睨み返すと、彼は再びレイに向き直る。

 「分からんね、何故こんな女を?腕も素人より少しマシという程度のようだし、君が仲間にする価値があるとは思えんが。実際、彼女はいとも容易く、我々に捕らえられているではないか。」
 「その素人もどきに、アジトへの侵入を許したのは何処のどいつだったかな?言っとくけど、彼女の本領は戦闘じゃない。甘く見てると痛い目に遭うぜ。」
 『な、何を考えてるのよアンタは―――!?』

 しらっとした顔で大風呂敷を広げていくレイに、アスカは内心冷や汗を流していた。大体、こっちは銃を突き付けられ、圧倒的に不利な立場にいるというのに、なんで彼はこんなにも平然としているのか。頭の配線が何本か断線しているのではないかと、彼女は本気で疑った。

 「彼女が本当に君の仲間であるとしたら・・・君は我々に関する、何らかの依頼を受けていたということだね?」
 「ま、そういう事になるかな?」
 「その内容は?誰から、どんな依頼を受けた?」
 「馬鹿だなー、依頼内容をそう簡単にばらせるわけねぇだろ?」

 軽い口調で、レイは事実をどんどん改竄していく。本来、レイはアスカに巻き込まれただけなのに、話の中では完全に主従が逆転している。気付けばアスカは、『何らかの依頼を受けたレイに命令されて柳たちのアジトに潜入した、よろず屋見習いの女』に仕立て上げられていた。
 既に驚くのも馬鹿らしくなってきたアスカに、柳は改めて銃口を押し付けた。

 「この状況で、黙秘権が認められているとでも思うのかね?話さなければ、彼女の綺麗な顔が吹っ飛ぶぞ。」
 「あんたこそ分かってんのか?彼女が死んだら、俺が大人しくしている理由はなくなるんだぜ。」
 「ふーむ、それは困るな。君に本気で暴れられたら、始末に負えない。では、仕方がないな。」
 「んぅっ!?」

 ぱちん、と指を鳴らす音がしたかと思うと、ふいに口と鼻を布で塞がれ、目を見開いたアスカはくぐもった悲鳴を上げた。つんとした薬品臭が鼻をついたかと思うと、ぐらりとその視界が揺れる。

 『しまった・・・・!!』

 もがこうとしても、既に手足に力が入らない。遠ざかる意識を、柳の声がざらざらと引っ掻く。

 「・・・で君たちを始末してしまっては、何にもならないのでね・・・彼女と一緒に、我々のホームまで来てもらうよ・・・・そこで・・・ゆっくり・・・・・・。」

 鉛のように重い瞼を、渾身の力を込めて持ち上げる。微かに開いた視界に、こちらを見ているレイの姿が見えた。その唇が、ほんの微かに動く。

 ―――だいじょうぶだよ―――

 声にされないその声を読み取ったのを最後に、彼女の意識は闇に沈んだ。

 

 

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