―――お姉ちゃん、お姉ちゃん、待ってよう!!

 小さな身体で、ヒヨコのようにあたしの後をくっついて来る勇人。だぶだぶの服はつぎはぎだらけで、子どもらしい丸い膝小僧には絆創膏がべたべた貼ってある。
 これは、そう―――今から10年以上前の光景。最初にいた施設が資金難で潰れた後、院長のつてを頼って、二つ目の塒(ねぐら)にやってきた頃だ。生まれてから4歳まで育った、家同然の施設を追い出された勇人は、なかなか新しい環境に馴染めなくて・・・随分と長いこと、あたしにべったりとくっついていたものだった。

 ―――うっわ、姉さんちょっと!!またお守りの紐切れたっ!!

 フィルムが飛ぶように切り替わった場面には、17歳の勇人が映っている。いつの間にやら図体だけは大きくなったくせに、そそっかしい所は相変わらずで。紐が切れるのは姉さんの結び方が下手なせいだと、失礼千万なことを言っては膨れていた。

 『勇人・・・・。』

 いつだって、あんたが一緒だった。嬉しいときも、哀しいときも。楽しいときも、辛いときも。
 ねぇ、嘘でしょう?姉さんより先に死ぬなんて、あんたそんな姉不幸者じゃないわよね?

 ―――ねえ、もうすぐ姉さんの誕生日だね。今年は、思いっきりプレゼント奮発するから、楽しみにしててよね!!

 姿を消す、ほんの少し前に言っていた言葉が蘇る。

 『バカね・・・あんたがどっかふらついてる間に、姉さんひとつオバサンになっちゃったわよ?』

 弟を探すうちに過ぎ去った、21歳の誕生日。初めての、弟が隣にいない誕生日。
 豪華なプレゼントなんかいらない。あんたがいてくれれば、それだけで良かった。

 ―――楽しみに、しててよね・・・・・・。

 声が、姿が、遠ざかっていく。―――いや、そうじゃない。薄くなり始めた闇に、あたしは目覚めが近いことを知った。
 弟の幻に手を伸ばしても、その指は触れ合わない。どんどん遠ざかっていく、弟の後姿。霞がかったその幻影に、必死で声を張り上げた。 

 『必ず・・・・必ず見つけるから・・・・・。』

 ―――姉さんが、必ず見つけてあげるから。

 ―――だから待っていて・・・・勇人・・・・・。

 

 

 

 

 「勇人」

 突然響いた自分の声に驚いて、アスカはびくりと肩を震わせた。突然の目覚め。後頭部と背中に感じる固い感触に、床に直接寝かされていることが分かる。嗅がされた麻酔薬の名残か、がんがんと割れそうに痛む頭に、アスカは力なく呻いた。

 「う・・・・・・。」
 「あ、起きたか?」

 聞き覚えのある声とともに、ひょいと白い顔が彼女の顔を覗き込んだ。心配そうな、しかし明るさを失ってはいないその目に、彼女はほっと息をついた。

 「レイ・・・良かった、無事だったのね・・・・・。」
 「だから『大丈夫だよ』って言っただろ?それより自分の心配しろって。気分悪くないか?」
 「頭痛い・・・・最悪・・・・・。」
 「もう暫くして、薬が抜けきれば治まる。もうちょっと我慢しな。」
 「うん・・・・・っ!?」

 頷いて身体を起こそうとしたアスカは、自分の両手に嵌められている手錠に気付いて、顔を強張らせた。身体の前で戒められた両手に呆然としていると、レイがそっと背中を支えて抱き起こしてくれる。その両手首にも、彼女のものと同様の手錠が嵌められていた。

 「これ・・・・。」
 「すっごい旧式の手錠だよな、メッチャ趣味悪ぃ。これとそっくりなのを持ってるヘンタイを身近なトコで一人知ってるけど、そいつの方がまだましかもしれない。」
 「いや、そーじゃなくて。今の状況は?あたし達、捕まったのよね?」
 「そーだよ。」

 レイが簡潔に教えてくれたところによると、あの後、意識を失ったアスカと、拘束された上目隠しを施されたレイは、車に乗せられてここまで連れてこられたらしい。その後、ふたりとも手錠を嵌められ、この小部屋に監禁されたそうだ。
 そう言われて周囲を見渡せば、確かに彼女たちがいるのは、一辺が5メートルほどのコンクリートに囲まれた部屋だった。家具などは何一つなく、ただ床の片隅に排水溝がひとつ設置されているだけ。窓はなく、唯一の出口である鉄製のドアには、小さな覗き窓が付いている。
 これはまた、絵に描いたような見事な牢獄だ。いっそ感心したアスカの視線の先で、そのノブががちゃんと半回転した。

 「!!」
 「やあ、お目覚めのようだね。気分はどうかな?」

 穏やかにそう言いながら入ってきたのは、彼女たちをここに監禁した張本人である柳だった。相変わらずきっちりとスーツを着込み、背後に部下を従えて支配力をアピールしている。
 レイがさっき言ったのと内容的には変わらないのに、何でこいつが言うとこんなにも癇に障るのかと思いながら、アスカはそっけなく言い放った。

 「最悪よ。スイートルームとは言わないけど、せめてまともにベッドのある部屋にして欲しかったわね。」
 「それは失礼、レディ。だが、あいにく他の部屋は塞がっていてね。ここが一番まともな方だったのだよ。」
 「あんたにとっては、だろ。実際入ってる方はケツが痛くて敵わねーんだ、さっさと出してくれねーか?」
 「それは君たち次第だと、さっきも言ったはずだが?君たちが受けた依頼の内容を話し、我々のために働くと誓えば、すぐにでも出してあげよう。もちろん、それなりの報酬も用意するつもりだ。悪い話ではないと思うがね。」

 甘ったるいくせに、毒を含んだ声。聞いていたアスカは、嫌悪感に形のいい眉をきゅっと寄せた。
 だが、そんな彼女の反応を尻目に、一方のレイは何やら考え顔で、先ほどのように一刀両断に切り捨てはしなかった。熱の篭った柳の双眸から視線を外すと、ふう、とため息をつく。

 「どうすっかなぁ・・・・まぁ、確かに条件的には悪くねぇけど。」
 「ちょっと、レイ!?」
 「けど、俺もう相方いるしな。あいつについてはどうするつもりなんだい、柳さん?」
 「・・・・駄目だ。彼については、受け入れは認められない。」
 「何で?」
 「何でも何もあるものか。彼には君ほどの価値はない。何故君があんな男をパートナーに選んだのか、そちらの方が私には理解不能だ!」

 吐き捨てるようにそう言うと、柳はスラックスが汚れるのにも構わず膝をつき、レイと視線の高さを合わせた。

 「彼は君の鎖にこそなれ、翼にはなりえない。真に君の力になれるのは・・・・この私だ。」
 『うーん、これはもしかして・・・・。』

 ぽりぽりと頬を掻きながら見守るアスカ。その視線の先で、熱っぽい柳の目を見つめ返していたレイは、ふっと視線を外して俯いた。

 「少し・・・考えさせてくれないか・・・・?」
 「ああ、いいとも・・・。後でもう一度来る。いい返事を期待しているよ、冴羽君。」

 脈あり、と踏んだか。満足そうにそう言うと、柳は部下を引き連れて部屋から出て行った。重々しい音を立てて、扉が閉まる。
 ―――ばたん。
 部屋は再び、薄い闇に閉ざされた。

 

 

 「ちょっとレイ・・・・・。」
 「・・・・・・・っ・・・・っ・・・・・・・。」

 ぺしり。

 「いつまで笑ってんのよコラ。」
 「だ、だって・・・・・見ただろあのオッサンの顔!!つ、翼って、翼って・・・・ふ、ふふ、おっかし・・・・・!!くくく・・・・・。」

 床にうずくまって、声を殺して笑い転げる少年に、アスカはため息をついた。確かにあの男はいけ好かないが、ここまで笑われるのを見ていると流石にほんの少しだけ哀れになってくる。
 笑いすぎで目尻に浮かんだ涙を拭いながら、ようやく身体を起こしたレイに、彼女はぼんやりと言った。

 「あのオヤジ、絶対あんたに惚れてるわよね・・・・能力とか手腕とかもっともらしい事言ってたけど、そんなの二の次よアレ。」
 「だろうな。いい年こいてよくやるよ。」
 「まさか話受ける気じゃないわよね?」
 「たりめーだろ?俺は面食いだって言ったじゃないか。」

 澄まして言ったレイは、呆れたような顔をしたアスカの前で、すっと戒められた手を動かした。黒い手袋に覆われた指先がジャケットの右の袖を探ったかと思うと、袖の裾から針金のようなものを引っ張り出す。続いて、手錠の鍵穴にその先端を突っ込んだかと思うと。

 ―――かちゃり。

 「!!?」

 ものの数秒で手錠を外してしまった。アスカの目が丸くなる。呆気にとられる彼女に軽くウィンクして見せると、レイは自分の右腕、続いてアスカの両手の手錠を、次々と外していく。4本の腕が全て解放されるのに、1分しかかからなかった。

 「さて、あの変態オヤジが戻ってくる前に脱出するぞ!」
 「って、どうやって!ドアには鍵がかかってるし、外にはまず間違いなく見張りがいるわよ。武器も取り上げられてるでしょ?」
 「まぁ、そこんとこは任せなさい。」

 にやりと笑ったレイは、アスカの目を見つめて囁いた。

 「確かめに行くんだろ?ここで何が行われていたのか・・・・弟がどうなったのか。」
 「・・・・・ええ。」
 「今となっちゃ、奴らの目的は俺みたいだからな。奴らの相手は、俺がしてやる。―――あんたは、あんたの役目を果たせ。」

 ドアを窺いながら懐を探るレイ。その袖が、そっと、躊躇いがちに引っ張られた。

 「何で・・・・・・。」
 「?」
 「何で、そこまでしてくれるの?こんな、危険な目に遭ってまで・・・・・。」

 あの、金髪の青年もそうだった。何故彼らは、こんな自分に力を貸してくれるのだろうか。
 契約関係を結んだわけでもないのに。自分は彼らに何も返してあげられないのに、どうして。

 「・・・さあ・・・何でかな・・・・・。」

 ―――どうして、そんなに哀しそうに微笑うのだろうか。

 「もっと・・・早く逢えてたら良かったのにな・・・。」
 「・・・・え?」
 「何でもない。さ、行くぞ。」

 ―――そういって振り向いた彼は、やっぱり不敵な微笑を浮かべていたから。

 ―――小さく小さく呟かれた言葉の意味は、この時は分からないままだった。

 

 

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