「・・・くっそー、アスカの奴言いたい放題言いやがって!死んでも出張サービスなんて頼むもんか!!」
「まあまあ、可愛い冗談だと思って流しましょうよ。」
「何処が可愛いんだ、何処が!」
ブラウニーを齧りながらその贈り主に文句を言うレイに、ユエは苦笑を返した。丁寧に剥がした包装紙を綺麗に畳んだ彼も、自分の分の箱を開け、薄いレースに包まれたクッキーを一枚口に放り込む。甘いものが余り得意ではない彼用に作られたそのクッキーは、カカオの風味を生かしながらも甘さを控えた、ほろ苦い味わいに仕上がっていた。余り口にしたことのない珍しい味付けに、ユエは少々驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。
「わ、美味しい。これは、カカオとシナモンとジンジャーと・・・この苦味はコーヒーかな?面白い組み合わせするなぁ、夏木さん。」
「お前な・・・分析してないで、一枚くらい普通に味わってやれよ。」
「おっと失礼、つい作り方が気になってしまいまして。」
「でも作り方が解ったら、今度俺にも作って。」
「ふふ、何ですかそれ・・・・今食べます?一枚。」
「いらね。それはお前が貰ったやつなんだから、責任持ってお前が食いなさい。」
「はいはい。」
そんな会話を交わす間にも箱の中身はどんどん減っていき、五分後にはふたつの箱は空っぽになっていた。何しろ夕べからろくに食べていないのだ。普段ならば少々甘すぎるくらいの菓子も、今の彼らには丁度良い糖分補給であった。
自分の分の空箱をユエに渡し、レイは「ごっそさん」と言いながら、少し移動して彼の隣に落ち着いた。甘いブラウニーは幾許かの満足感をもたらしたらしく、多少気分が落ち着いたらしいレイが、自然な仕草で身を寄せて来る。ふたり分の空箱と包装紙を片付けながら、ユエは傍らに寄り添った温もりに顔を綻ばせた。約一日ぶりの穏やかな時間に、緊張の連続で強張ってしまった体をゆっくりと解す。
「今年は、また一段と激しかったですねぇ・・・・今回逃げ切った事で、来年は捕獲部隊の数が少しは減ってくれればいいのですけれど。」
「そうだな。大体女の方もさ、そんじょそこらの三流どころに俺らの捕獲を依頼するのが間違ってるだろ。」
「それでも、ひとり雇えば結構なお金がかかりますよ?たかがチョコひとつにそれだけの執念を込められるって、ある意味凄いですよね。」
「ホントに・・・俺らの事、何にも知らねぇのにな。なんでそこまで夢中になれるのか、理解に苦しむね。
・・・・俺は相手の中身を知らなきゃ、とてもじゃないが『好き』になんてなれねぇけど。」
細い指先が、そっとユエの双眸を隠すサングラスを取り払う。外したそれを無造作にカーペットの上に放り投げたレイが、シャワーを浴びて本来の輝きを取り戻した金糸に指を絡めて笑うと、おとなしく首を傾けたままのユエはふわりと微笑んだ。
「そう言って下さるのは嬉しいのですが・・・・」
「?」
「・・・以前、『僕のどこが気に入ったのか』と訊かれて、『顔とカラダ』と答えた人の言葉とは思えませんね。」
その言葉に大きな目をさらに丸くしたレイは、次の瞬間盛大に吹き出した。細い肩を小刻みに震わせて、くつくつと声を殺して笑い転げる。
「な、何だよお前・・・・!あんな冗談みたいな答え、まさか真に受けてたのか?」
「100%真実だとは思ってませんけど。ま、ちょっとへこんだのは事実です。」
「くくく・・・・バッカ、んなわけねぇーだろに・・・・。」
笑いすぎで目元に滲んだ涙を拭い、レイは可笑しそうに呟いた。その瞳には、妙な所で真面目な相棒に対する、ちょっと困りながらも優しさを含んだ笑みが湛えられている。
「ま、そりゃあ俺の片割れですから?俺の隣に立って見劣りしない程度には、見栄えが良くないと困るんだけどさ。」
「はい。」
「それでも、綺麗なだけのお人形さんには用はないのよ、俺は。」
「はいはい、解ってますって。」
言ってみただけである。
触れ合った肩から振動として伝わってくる、未だ収まる気配のない彼の笑い声を肌で感じている時、ユエの視界に、手付かずのままだった最後の箱が飛び込んできた。ちんまりとテーブルの上に置かれたままのそれをユエが手に取ると、レイが目を止めて尋ねる。
「そう言えばそれは何なんだ?」
「これですか?・・・・はい。」
「へ?」
「自分の目で確かめて下さいな。」
にっこりと微笑む彼を訝しげに見つめ、レイは自分の掌に落とされた小箱に視線を落とした。自分の手の中にもすっぽりと収まる小さな箱は、空っぽとは思えないがかなり軽い。耳元でそっと揺さぶってみても何の音もしないのを確認して、レイはこくりと首を傾げた。
「これ、お前がマスターから貰ったんだろ?だったらお前が開けないと拙いだろうが。」
「違いますよ・・・・それは、僕がマスターに頼んで送ってもらった物です。別にマスターからのプレゼントじゃありませんよ。」
「なんだ、そうか。そんじゃ開けるぞ?」
「はい、どうぞ。」
笑ってそう言ったユエに、レイは内心首を傾げていた。小箱を飾るリボンに指を伸ばしながら、さりげなく傍らの相棒の表情を窺う。
別に不自然なほどの表情の変化があるわけではなかったが、なんとなくユエの様子がおかしいのだ。やけに楽しそうであり、わくわくしているようでもあり・・・・同時に、ほんの少し不安そうにも見える。そう、例えるならば、悪戯を仕掛けた子どものような顔と言うのが一番近い。
いつの間にかまじまじと彼の顔を覗き込んでしまっていたため、照れたように視線を反らされてしまった。早く開けてと、手の動きで促される。
(まあいいか。)
開ければ解る事だと、手早くリボンを解いて包装紙を剥がす。普段ならばびりびりと破いてしまう所だが(実際アスカのブラウニーの時にはそうやった)、なんとなくそれが躊躇われて、いつもユエがしているように丁寧にテープを剥がして開いていった。
・・・そして。
「紙箱・・・・?」
姿を現したのは、ごくありふれた厚紙製の小箱だった。しっかりとした造りの箱に濃い紺色の蓋が被せてある。視線を明後日の方向に向けたままのユエをちらりと窺うと、レイはきっちりと閉じられたその蓋を、そっと持ち上げた。軽い音と共に蓋はあっけなく開き、箱の中身を彼の目に晒す。
―――そして、箱に収められた「それ」を目にした時。レイは自分の頬に血が通う音を、はっきりと耳にしたと思った。
「な、なっ・・・・・。」
意外すぎて言葉が出てこない。瞬間的な失語症からなんとか回復すると、レイは身体ごとユエに向き直って叫んだ。
「お、おまっ・・・・何だよコレ!?」
「・・・・見たまんまだと思いますけど?」
「そうじゃなくて!!
・・・・そうじゃなくて、なんで指輪なんて持ってるのかって訊いてるんだ、俺は!!」
―――そう。安っぽい紙の箱に収められていたのは、それには似つかわしくないくらい美しい、ペアのリングだった。
宝石の類は一切付いていないシンプルなリングは、遠目には何の模様もないように見えたが、よくよく見れば艶やかな表面に、同じ図案の精緻な透かし彫りが施してあるのが解る。ただ、デザインはそっくり同じだが、それぞれの指輪は材質と大きさが異なっていた。ほっそりとした優美なリングは艶やかな銀で造られており、それより若干大きめのリングは鮮やかな金色に輝いている。
「これ」が――否、「これら」の指輪が、誰をイメージして造られたものなのかは、一目で解った。
開けたばかりの蓋を、動揺のあまりに思わず閉めてしまい、レイは箱を両手で持ったそのままの体勢で呻いた。
「信じらんねぇ・・・しかもオーダーメイドだよコレ・・・・。」
「だって下手な既製品なんかじゃ、貴方自身の輝きに負けてそれで終わりなんですもん。そんな所で妥協したくなかったですし。」
ゆっくりと視線を戻したユエの瞳を、レイは恨めしげに見上げた。だが、その頬は未だに赤い。もっとも、困ったように彼を見下ろすユエの頬にも薄っすらと血の色が透けていたから、お互い様だったのだが。
「・・・あの。なんかすっごい照れるんで、その顔で見上げるのは止めてくれませんか。」
「お前が変なモノ持ってくるからだろう・・・・!!」
「変なモノとは失礼な。これ選ぶまでに、すっごい悩んだのに。」
「だからそれが何でなんだよ。今まで、バレンタインには何もしなかったじゃないか俺たち。」
レイの言うとおりだった。毎年、彼らにとってバレンタインデーとは、(世間一般とは違う意味での)決戦の日でしかなかったのだ。迫り来るチョコレートと女の嵐をいかにして回避するかに頭を使うのに忙しく、互いに何かを贈れるほどの余裕はなかった。だから、彼が何故今年に限って、しかもチョコではなく指輪などという代物を持ち出してきたのか、レイにはさっぱり解らない。
だから心からの疑問を込めて尋ねたのだが、ユエの返答はあっさりしたものだった。
「んー・・・・飽きたから?」
「は!?」
「飽きたんですよ。こうしてバレンタインの度に、顔もうろ覚えの女性たちのプレゼント攻勢から逃げ続けて、一日を終えるの。」
真顔で失礼千万なことをさらりと言って、ユエは傍らの少年を抱き寄せた。驚いたように身を退きかけたレイの頭を、拘束にならぬ程度の強さで押さえつけて、ユエは湿り気を帯びたままの髪に鼻先を埋めた。
「毎年ね・・・バレンタインには、貴方に何かあげたいなって思ってたんです。別にチョコレートでなくても良かった。僕は貴方が好きだと・・・それが伝わるものなら、何でもね。バレンタインデーって、そもそもそういう日じゃないですか。」
「そりゃまあ、そうだけど・・・・。」
―――愛する人に、プレゼントを贈り気持ちを伝える日。
ふたりとも男であるけれど、まあそんな事は今さらだ。
「それなのに毎年毎年、女性たちの相手だけで手一杯で、そんな余裕ないでしょう?なんで貴方よりあの女性たちの方に多大なる時間を掛けなければならないのかと考えたら、何だかだんだん腹が立ってきましてね。それで今年はあんな妨害にはめげず、貴方にプレゼントを渡そうと決めたわけです。」
「・・・・はあ。」
・・・愛情のこもった女性たちのアタックを「妨害」と言い切りやがった。ここまで失礼だと、もういっそ清々しい。
「それで、何で指輪・・・?」
「友達からいくつかは貰うから、チョコレートだと印象が薄いでしょう?それに、初めてのバレンタインですから、どうせなら形に残るものにしようかと思いまして。」
「それにしてもだ。腕時計とかスニーカーとか、物を贈るにしても、もうちょっと選択肢があるだろう・・・?」
「う〜ん、まあそれはそうなんですけど・・・・。」
俯いたままぼそぼそと話すレイの様子を、怒っていると取ったのか。ユエは少しだけ身体を離し、心配そうな表情でレイの顔を覗き込もうとした。
「やっぱり・・・迷惑でしたか?」
「バカ、迷惑だなんて言ってねーだろ。」
ぎゅっとユエに抱きつき、レイは表情を見られまいと、彼の肩に顔を埋めた。
初めて彼がくれたプレゼントだ、嬉しくないわけがない。・・・・だけど。
「・・・でも、やっぱりこれは受け取れない。」
「何故?」
その言葉に、レイは哀しい微笑を浮かべた。
「・・・解ってるだろ?こんな、綺麗な指輪・・・俺の手には似合わないよ。」
――無数の傷痕が刻まれた、罪に穢れたこの左手。誓いのリングを嵌めるには、あまりにもふさわしくない。
手袋に包まれた左手を握り締め、そう言って哀しそうに微笑んだレイだったが、ユエは彼の言葉にそっと首を振った。
「あのね、レイ。貴方に似合わないと思うものを、僕がわざわざプレゼントするわけないでしょう?」
「そうだけどさ・・・・。」
言いかけた彼の左手に、そっと自分の手を重ねる。びくりと手を引きかけた彼を視線で抑え、ユエはその手の甲に、手袋の上から唇を触れさせた。
「・・・貴方の手は、綺麗ですよ。少なくとも、僕はいつでもそう思ってる。」
彼の傷痕は、彼が必死に生きてきた軌跡。そして、ある人を真剣に愛した証拠だ。
彼にとっては罪人の烙印でしかなくても、自分は彼の傷を美しいと思う。その左手を愛おしいと思う。
「・・・受け取って欲しいんです、貴方に。」
「・・・ユエ。」
「今だけでもいい・・・貴方の指に、嵌めさせてくれませんか。」
「・・・・・・。」
返事はない。しかし、ひどく緊張していた彼の左手が僅かに動いたのを、ユエは感じ取った。
ゆっくり、ゆっくり。最後まで逃げようとしていた左手から力が抜け、自分の手にそっと預けられる。躊躇いがちに、それでも自分を受け入れてくれた彼に、ユエは嬉しそうに微笑んで、自分より一回り小さな手を優しく握り締めた。
+++
―――その手を隠す黒い手袋に、そっと指をかける。
ユエ以外の人間には、決して赦されない行為。ともすれば反射的に振り払ってしまいそうになるのを堪えて、レイは目を閉じたまま、彼に左手を預けていた。
僅かな動きにもびくりと肩を揺らす彼を宥めるように、そっと額にキスを落として。ユエは静かに、その手袋を取り払った。
「っ・・・・・・。」
静寂に支配されたリビングに、ぱさりという微かな音はひどく響いた。テーブルの上に外した手袋を投げ出し、ユエは改めて彼の左手に口付けた。露にされた、彼の左手。白い肌に無数に走る傷痕に、ひとつひとつゆっくりと唇を押し当てていると、いつも隠されている肌に直接触れる柔らかい体温に、レイが落ち着かなさ気に身じろいだ。
「・・・おい。遊んでないで、早くしろよ・・・・。」
「はいはい。・・・・それ、貸してもらえますか?」
手渡された小箱から、銀色のリングを取り上げる。繊細な模様が彫り込まれたそれは、光を反射して眩しいほどに煌いた。
そして、手にしたそれに、そっと口付けると。ユエは口元に湛えていた微笑を消し、真摯な表情で、神の御前で誓いを述べるように厳かに言葉を紡いだ。
「この命ある限り、貴方と共に生きることを・・・・ここに誓います。」
薬指に、ゆっくりと嵌められていく指輪。美しく輝く銀のリングは、彼の細い指にしっくりと馴染み、あるべきもののようにそこに納まった。髪も瞳も衣服も、全身に漆黒を纏う彼に、艶やかな一筋の銀の光は、鮮やかなアクセントを与えた。
自分の指にぴったりのそれを物珍しそうに見つめるレイに、ユエは満足そうに笑って、彼の左手を解放した。
「ほら、やっぱり似合う。綺麗ですよ、レイ。」
「うわ、抜かりなくサイズまで測ってやがんの・・・っていうか、今の結婚式みたいな文句は何だ。」
「気にしないで下さい。気分です気分。」
「ったく・・・ほら。」
「?」
「手。俺だけ嵌めさせるつもりかよ?」
「!・・・はい。」
左手を差し出すと、レイは照れ隠しの仏頂面で金のリングを手に取る。彼の金糸に勝るとも劣らない美しい輝きに目を細め、彼は指輪を指先で弄びながら、生真面目に呟いた。
「一度拾っちゃった以上・・・。」
「?」
「・・・・このバカ犬の面倒を、最後まで見ることを誓います。」
「・・・・・・・えー?」
細く長い薬指に、素早く金の指輪が押し込まれる。指輪を彼の手で嵌めてもらえたのは嬉しいが、あんまりと言えばあんまりな「誓いの言葉」に、ユエは嬉しさと呆れが半々といった微妙な顔をした。
「ちょっと、それはないでしょそれは。」
「うるさいな、最後まで面倒見るっつってんだからいいだろうが。」
「・・・・もうちょっとムードづくりに協力しましょうよ。」
「もう、いいだろ別に!ちゃんと指輪交換は終わったんだから!!」
赤い顔で怒鳴るや否やソファから飛び下りようとしたレイを、ユエは素早く引き止めた。背後から細い身体を抱きしめ、首筋に顔を埋めて囁く。
「嘘ですよ。そんな事どうだっていい。・・・貴方が、受け取ってくれただけで。」
「・・・・・・。」
その言葉どおり、満ち足りたため息が首筋を擽る。レイを抱きしめながら、彼はぽつりと呟いた。
「・・・大好きですよ、レイ。」
「・・・知ってるよ、そんな事。」
「たまにはいいじゃないですか、再確認したって。」
「はいはい・・・俺も、お前が一番好きだよ。」
―――愛している、とは言わない。
愛を免罪符に相手を傷つける恐ろしさを、自分たちは嫌というほどに知っているから。
背後から絡めたふたりの指に、同じデザインの指輪が光る。それを見て、擽ったそうに肩を竦めたレイに小さく笑って、ユエはふと「してもいい?」と尋ねた。
「・・・唐突だな。お前こそ、一度ムードの読み方を勉強してきた方がいいぞ。」
「嫌ですか?夏木さんを呼ばないで済むように、優しくしますけど。」
「・・・・初夜か?」
どう見ても真顔で言ってるだろうという声音に、ユエは吹き出した。何だかんだ言いつつ、さっきの結婚式じみた宣誓の言葉に、より影響されているのは彼の方だ。
くすくすと笑いながら、ユエは腕の中の愛しい人に、悪戯っぽく囁いた。
「・・・お望みでしたら、手取り足取り一から手ほどきして差し上げますよ、花嫁さん?」
「けっ、バーカ。お前が俺にレクチャーなんて、十年早いっての。」
腕の中でくるりと振り返った「花嫁さん」が、恥じらいとは無縁の表情でにやりと笑う。掠めるように唇を奪った彼は、改めてユエの首に腕を回して艶やかに微笑んだ。
「でも、ま・・・付き合ってやるよ。俺からのバレンタイン・プレゼントだ。」
「ふふ・・・じゃあ、ありがたく頂きます。」
彼の身体を軽々と抱き上げて、ユエは自分の部屋へと足を向けた。
指輪より艶やかに輝く黒曜石の瞳が、笑みを含んで至近距離で瞬く。
―――今日は、君のお気に召すままに。
預けられた身体を、愛おしそうに抱きしめて。
ユエはゆっくりと、自室のドアを閉めたのだった。