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2004年 7月31日
山と言われて富士山、エベレスト、K2など様々に高い山があります。では、どこまで低い山はあるのでしょうか?

山は平地より高く隆起した地域とされていて、特に高さが決められたものではありません。また、平地に住む人や守で仕事をする人にとっては、森林地域をそのように呼ぶ事もあります。
森という言葉ですが、これは木がこんもりと盛り上がったところを呼んでいたんです。それが転じて、人の住まない所、開墾していないところなどを「森」と呼ぶようになり、盛り上がったところである「山」と同義語になっちゃいました。
そうして平野に住んでいる人は、盛り上がってなくても開墾していない森に入る事を「山に行く」と言うようになりました。
なので、山というのはその人が住んでいる場所によって変わるそうです。あと、山の名前には「○○山」や「○○岳」のほか、「○○森」といったものもあります。

それで、肝心の一番低い山ですが、国土地理院で2万5千分の1系図に出ている山の地名を調べて見つけたのが、仙台の日和山という6.1mの山があります。
ところが、4.5mの高さである大阪の天保山の近くに住んでいる人が、ここが一番低いと言って、地形図に載せてくださいという事になりました。その要望どおり、天保山を載せてしまったので、今では地形図の中で天保山が一番低い山になっています。
ところが、まだ低い山があったりします。秋田県に標高−4mというところがあって、そこに3.77mの大潟富士という山が人工的に作られ、標高は0mとなってしまいます。地形図には載っていないんですが、地元の人はこれが一番低い山と言っているそうです。

山には平地よりも高く盛り上がった土地の事。盛り上げてつくった場所。の意味の他に、物事の絶頂。肝心な個所。根拠のない見込み。山の形をしたもの。の意味も持っています。
また、日本では古くから山は御霊・祖霊がある場所と信じられ、事あるごとに神事が行われてきました。あるいは死者の魂は、山に帰るという「山上他界説」という言い方もあります。その伝統は神道に繋がっていきますが、山そのものを信仰する流れも生まれました。
仏教でも世界の中心には須弥山(しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられ、山への畏敬の念はより一層深まっていきました。平地にあっても仏教寺院が「○○山△△寺」と号するのはそのような理由からみたいです。
あと、民衆の間でも信仰の顕れとして登山を行う習慣があって、霊場といわれる山岳など山には多くの人々が登っています。

山には他にもたくさんの使い方や意味があります。大きい山だけでなく、小さい山にも目を向けてみると楽しいかもしれませんね。
今日は山について話しました。


2004年 7月30日
風は常に動いている地球上の大気(空気)の事で、大気の物理的運動です。

自然の風は、ほとんどが温度差によって発生します。地球は太陽に近く、太陽から熱と光を受けています。太陽の光は常に一定方向なのに対して地球は自転しているので、時間や場所により太陽光線の当たり具合はさまざまで、地球上には暖かい空気と冷たい空気が同時に存在する事になります。
暖まった空気は上昇し、地面に対してかける圧力が少なくなります。その部分を低気圧と言い、逆に空気が冷え重たくなった部分を高気圧と言います。空気は気圧の高い方から低い方へ流れ込みます。この空気の流れが風です。
地球は自転しているので、空気は高気圧から低気圧に向かって真っ直ぐ吹くとは決まってません。北半球では高気圧から吹き出す風は時計回り、低気圧へ吹き込む風は左回りとほぼ決まっているそうです。南半球ではこれが逆になります。
また、地球全体では大気の大循環があり、貿易風や偏西風等と呼ばれています。それに、大陸と海洋との間で吹く風は季節風と言います。
規模の小さいものでは、陸と海との間にある海陸風で、昼の間は陸が海より暖まりますが、陸風が交代する朝と夕は風がやむので「なぎ」と言います。他には谷風で、昼間太陽の熱で山の斜面が暖められる事で起こる上昇気流で、谷から山側に吹く風を言います。夜になると山の斜面が急に冷えるので、谷の空気の温度の方が高くなり、谷から上昇気流が起こり山から谷に向かって吹く風を山風と言います。

一方、人工の風は温度差などは作らずに、ファンを回して空気の移動を力づくでやります。団扇(うちわ)、扇風機、クーラー、換気扇、ヘリコプターなどで、風をどのように利用するかに関係しますが、人工の風は基本的に人間が制御しているので、利用したい時だけ風を起こす事になります。

風の種類は
局地風。狭い範囲で、地形などの影響を受けて吹く風(やませ、おろし、空っ風など)です。
台風。熱帯や低緯度地方で発生する熱帯低気圧のうち、東経180度以西の北大西洋及び南シナ海で、最大風速17.2m以上のもので、巨大な空気の渦巻きです。
竜巻。主に積乱雲から垂れ下がる直径数十mから数百mの漏斗状の空気の渦巻きです。最大瞬間風速50m〜100mで、時には100mを越え、時速40km以上の速度で進み、進路の樹木や家屋を倒壊します。

もし風がなかったら、大気の循環が起きずに局所的に暑くなったり寒くなったりします。あって当たり前に思われていますが、風も良くも悪くも自然の一部です。安易に考えない方がいいかもしれないですね。
今日は風について話しました。


2004年 7月29日 台風
熱帯や亜熱帯地方で発生する低気圧を「熱帯低気圧」と呼びます。そして日付変更線(東経180度)より西の太平洋、南シナ海で生まれた熱帯低気圧のうち、中心付近の最大風速が17.2m/s(毎秒17.2mの風、34ノット)以上のものを台風と呼びます。

台風は英語でtyphoon(タイフーン)と書き、台湾の方から来る嵐を意味する中国語を、アラビア人がヨーロッパに伝えた言葉で、日本語では「大風」「颱風」から台風と書かれるようになったと言われています。
東経180度より東ではhurricane(ハリケーン)と呼びます。語源は南米インディオの「風の神」に由来しているそうです。インド洋で発生したものはcyclone(サイクロン)と呼ばれます。サイクル(旋回)を意味するギリシャ語に由来するといわれています。
また、オーストラリア周辺のものはwilly-willy(ウィリー・ウィリー)と呼んでいます。これは「どうしようもないやつ」の意味からきているそうです。

台風には種類があると言われています。
夏台風。この台風は太平洋高気圧に遮られて日本に近づけず、中国大陸やフィリピンへ進む傾向があります。大きさは中型か小型が多く、迷走する事が多いそうです。7月頃までの台風は台湾を通って、中国や朝鮮半島に進む事が多いそうです。8月の終わりから9月にかけての台風は生まれてからしばらくの間、北西に進み小笠原と沖縄を結ぶ線のあたりから、急に向きを変え、東からはりだした小笠原高気圧の淵にそって、北東に進んできます。これが日本にやってくる台風です。
秋台風。9月以降太平洋高気圧が弱まってくると日本付近に接近します。多くは南海上から放物線を描いて列島を縦断するコースをとります。偏西風にのって足早やに通りすぎるものが多いのですが、秋雨前線の活動を刺激して、大雨を降らせる場合が多いです。大型台風の多くがこの時期に来ます。
台風とは雨も風も起こすものですが、台風の構造やその経路の性格などによって二つに分かれます。
雨台風。大雨をもたらし、風よりも洪水など雨の被害のほうが大きい台風の事です。
風台風。風が非常に強く、雨よりも暴風など風の被害のほうが大きい台風の事です。

気象庁では毎年1月1日以後、最も早く発生した台風を第1号として以後台風の発生順に番号を付けています。なお、一度発生した台風が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合は同じ番号を付けます。
正式には西暦年の下2桁と組み合わせて「台風0410号」のように表記します。特に災害の大きかったものについては、伊勢湾台風や枕崎台風など上陸地点などの名前を付けて呼ぶ事もあります。
また、北西太平洋領域に発生する台風の呼名として、1999年までは米国が英語名をつけていましたが、これに代わり2000年1月1日からアジア名を用いる事になりました。今後は「Damrey」「Tenbin」「Bebinca」などの名前が付けられる予定になっています。

台風の元となる熱帯低気圧が発生するためには次の条件が満たされる必要があります。
海面下50m以上にわたって、26.5度以上の海水温になっている。大気が不安定で対流が発達できる。対流圏中層(上空約5kmまで)の空気が湿っている。赤道から500km以上離れている。発生前から小渦が存在している。対流圏下層と上層の風速差が10m/sec以下である。
これらの条件が満たされていれば必ず台風が発生するわけではなく、いくつかの条件が重なってようやく台風とよばれる低気圧が発生します。
台風の発生する理由ははっきりわかっていないものの、発達過程はかなり詳しくわかっています。台風の原動力は凝結に伴って発生する熱です。温暖な空気と寒冷な空気の接触などによる位置エネルギーが変換された運動エネルギーが発達のエネルギー源になっている温帯低気圧との大きな違いはここにあるそうです。
上昇気流に伴って空気中の水蒸気は凝結し、熱(潜熱)を放出します。軽くなった空気は上昇します。すると地上付近では周囲から湿った空気が中心に向かい上昇し、さらに熱を放出しエネルギーを与えます。このような条件を満たす時に台風は発達します。
なお、台風が北半球で反時計周りの渦を巻くのは、風が中心に向かって進む際に地球の自転による力を受けるためみたいです。中心から遠いほどその自転による力が優勢になり(北半球では気圧傾斜方向に対して右向き)、近いほど気圧傾斜力が勝って中心にまっすぐ向かう風になるそうです。

台風は平均して年間30個程発生し、そのうち10個前後の台風が日本に接近します。そしてだいたい3個くらいが上陸するそうです。台風からは、風害、水害、高潮、波浪などの被害があります。
台風対策として、家の各所を点検し、修理や補強をしておく。窓ガラスなどは、ガムテープやビニールテープで補強し、雨戸やシャッターがあれば閉めておく。庭やベランダなどに出しているごみ箱、鉢植えなどは固定するか、家の中に取り入れて風に飛ばされないようにする。
テレビなどのアンテナなどは針金などで補強する。排水口にたまっているゴミ・泥などを掃除して、家の周りの排水をよくする。浸水の恐れがある家や低地では、家具・電気製品などをなるべく高い場所に置くようにする。
停電に備えて、懐中電灯や携帯ラジオなどを家族で決めた場所に置いておき、電池の確認もしておく。非常持ち出し品を揃えて、出しやすい場所に置いておく。最寄の避難所・非難経路を確認しておく。土砂崩れなどが起きる危険がある場所も確認しておく。

台風は毎年のように到来し、たくさんの被害をもたらします。避ける事ができるならば、したいですが自然に逆らう事は不可能です。でも、小さな対策で大きな被害を避ける事はできるかもしれません。今一度点検や準備などをしておきましょう。
今日は台風について話しました。


2004年 7月28日 妖怪
妖怪はとてもあいまいで、人によって見方がそれぞれ違います。
山姥・天狗・一つ目小僧・海坊主・河童・雪女などが有名ですが、ある定義として個人の創作であると特定できないものとされています。

人によって考え方は違いますが、ほとんどでは妖怪は幽霊と違うとされています。
そして日常の経験や理解を超えた不思議な存在や現象であるとも考えられています。他に通常の生き物が生まれてくる理を無視し、人々の想いによって生まれてくるという考えがあります。
妖怪が生まれる原因は、噴火・地震・暴風・洪水などの天変地異への恐れ。病気や、貧しさ、死への恐怖心。動物など、自分に危害を加えるものへの恐怖心。杉の木や松の木など、人間よりも長生きをする植物などは、永久に死ぬ事はないと考えられていたので、自分もそのように永久に生きたいという不滅の生命の憧れ。人の噂や迷信をそのまま信じたり、宗教の教えや、教訓のたとえ話を本当のことのように思い込んでしまうなど科学的知識の不足。
によると考えられています。

ある人がある所で、「不思議だ、奇妙だ」と思うような現象に遭遇したとします。その現象は、音だったり、臭いだったり、姿形であったり、あるいはその組み合わせであったりです。
その現象に遭遇した者が、神とか霊といった存在の仕業ではないかと判断した時、私たちはその現象に「妖怪」現象という認識をする事が可能になります。
人間は、身近にある目に見えないもの、未知なるものへの恐怖心をそのままにしておくのは不安なので、それを無くすために名前を付けたり、形を与えたり、拝んだりする事で自分を安心させるそうです。

日本はその独特な風習より、日本の妖怪は難しく、神でもあり、悪でもある。そして西洋における、吸血鬼・魔女・人狼とは、明かに別物です。日本では、同一の人間が同一の妖怪を、時には神と奉り、時には悪と忌み嫌う事があります。また、一緒に遊んだり、贈り物も貰ったりもします。
その背後には日本独特の、生き物も木や石も魂を持っているという信仰です。魂があるから、人間との関係がうまくいかなくなると、怒り、祟るというわけです。怪異な現象を起こし、異様な姿で人を驚かしたのです。
そして人間がつくった道具も妖怪になりました。道具も長い月日が経つと、霊力を持つと考えられたからです。道具を供養するというように、人間と同じ扱いがされ、多様な妖怪が生み出されていったのです。

江戸時代の、現代の照明のようにはっきりとではなく、行灯のようにゆらゆらした光が、発想が広がってたくさんの妖怪を生み出したと言われています。
伝説や昔話にはどこか教訓が含まれています。自然を荒らさず、人を粗末にせず、欲望をむき出しにしない教訓です。もちろん妖怪などこの世にはいません、人の感受性や創造力が生んだたまものですから。
今日は妖怪について話しました。


2004年 7月27日 おばけ
おばけは御化けと漢字で書き、辞典によると何物かが霊能によって姿を変えたもの。特に、異様・奇怪な形をしたものをいう。
ばけもの。
死人が再びこの世に現れたときの、想像上の姿。
幽霊。
形や大きさが異様なもの。と、されています。

わかりやすい意見として、おばけは化かされる(だまされる)元の方なので、そのものの性状を表している。という考え方があります。
他に、おばけは出現する場所が決まっている。相手を選ばず、誰にでも現れる。出現する時刻は宵と暁の薄明かりの時である。前代信仰の零落した末期現象の姿であり、かつては神々のすがたであった。という考え方もあります。
また、会話は成立しない(にくい)。独自の理論で行動する。人や動物の姿ではない。という考え方もあります。

以上の考え方をあっているとした場合、おばけが苦手な人は出現する場所を避けるのが一番でしょう。ほとんどは会いに行ったりしない限り会えないとは思いますが、苦手な人はとことこん避けましょう。

また、場所によってはお化けは年越しの風習で、女性がが男性の格好をしたり、年寄りが娘の格好をするなどありました。これは恵方が大移動する節分は混乱に乗じて邪鬼がふと出てくる時でもあるので、自分ではないものになって魑魅魍魎にとりつかれないようにする意味があります。
また、普段着物を着ていた頃は、年齢や性別によって身につけるものや髪型が細かく決まっていました。なので年に1回、その決まりを破るのは気持ちがいい事だったとも考えられています。この「お化け」がほとんど見られなくなったのは、着物を着なくなったのが大きいみたいです。

おばけは日本だけでなく世界中にたくさんいます。思わず背筋が凍りつくような話もあるので、暑い時期にこれで涼しくしてみるのも一興ですね。
今日はおばけについて話しました。


2004年 7月26日 幽霊
1825(文政8)年、江戸の中村座で四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が初演されました。東海道四谷怪談(通称四谷怪談)は、夫民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で、江戸の町に実際に起こった事件を元にしているそうです。
そして東海道四谷怪談が初演された今日、7月26日を幽霊の日としているそうです。

幽霊は、死者の霊。亡魂。死者が成仏できないでこの世に現すという姿。おばけ。実際には存在しないものを形の上だけで存在するように見せかけたもの。と辞典にあります。
他の考え方によると、幽霊は思念によって生成された存在で、思念のエネルギーが大きかったり核となる魂の影響が大きいほど、幽霊の影響力は強化される事になるそうです。しかし、幽霊の存在も永遠のものではなく、残留思念という魂を持たない幽霊はそのエネルギーを消費する事によってその威力を弱体化させていき、やがては核を持たないものゆえに跡形もなく消滅してしまう。魂を持つ幽霊も帰るべき場所を知っているゆえに、永遠にその場に留まろうという意志を持つ事はない。目的が成就されれば、それらも納得して消えるそうです。
他の考え方だと幽霊は「肉体から遊離した霊体」で幽体離脱は健康な状態で霊体が生体から抜け出す現象で、「生霊」は強烈な感情の葛藤によって無意識的に分離された霊体の一部となるみたいです。

少し科学的に考えると、
幽霊は最近他界した近親者の存在を感じる事、記憶に残るその近親者の姿を強く思い描く事により起こる感覚となるみたいです。
他に、幽霊は科学で証明できない事を前提とした存在なので、本物の幽霊は単純に科学的な方法では決して見ることが出来ないという事とする考え方もあります。
また、日常生活にある見間違えを幽霊に結びつける方法などもありましたが、個人差が大きく、人によっては長引く事もあるので割愛します。

また、幽霊を人間に結びつける考えもあります。
幽霊会社とか幽霊人口という場合、亡霊が経営する会社でもお化けの人数と言った意味ではなく、実際には存在していないのだけれども手続き上存在するように見せかけているだけ、といった意味。
別の考え方として、古来から幽霊には三つの特徴があると言われている。一つはおどろ髪といわれる長い髪である。これは何年も前に済んだ事であっても、思いだけが執着していつまでもくよくよと後悔する事であるそうです。
これと反対に、将来の事をあたかももう来たごとくに、あれこれと考え迷って、不安で、じっとしてられないという体験もある。これを取り越し苦労というが、幽霊が手をちょこんと前に差し出している姿が、それを表現しているそうです。どちらも、どうしようもない人間の愚かさである。
そして三つ目の特徴は、足がないという事である。これは人間はいつも今に足を着けて生きていながら、一度も今に足が着いた事がない。つまり、今という時に出合い、今をいただいた事がないという人間の生きざまを象徴する。とすれば、なんと私たちの周囲には生きた幽霊がウヨウヨしている事だろうという考えです。
ちょっと皮肉ってますが言い得て妙かもしれません。

少し前ですが、人間が死ぬ瞬間に少し体重が減る事が判ったという研究が報告されました。この体重の減少分が人間の魂であるというような事が言われていましたが、この現象は人間以外の動物に関して同じ様な実験をしたらどうなるでしょう?
そう考えるとどこまでの動物にこの死ぬと体重が減るという現象が見られるのでしょう。犬や猫からはじめて、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、頭甲類、そして脊椎動物以外にどこまで・・・?
人間以外にも、猫や犬などの幽霊がいるという情報はあります。同じようにどこの生物まで幽霊は存在できるのでしょう?

人それぞれですから、幽霊に対する考え方もそれぞれだと思います。これからそういう話しが増える季節、幽霊とは何なのか考えてみると面白いかもしれませんね。
今日は幽霊について話しました。


2004年 7月25日 気温
1933(昭和8)年、山形市で日本の最高気温40.8℃が記録された日が今日の7月25日で、最高気温記念日となっています。

気温は大気の温度の事を指します。単位は℃(摂氏)で表されます。また、気象の世界では、絶対温度(K)という単位もよく使用されます。摂氏で表した温度に273.15を足すと絶対温度になります。
WMO(世界気象機関)での取り決めによると、地上気象観測では、気温は地表面上1.25m〜2.0mの高さで観測する事を基準としています。気象庁で測定される気温は、地上1.5mの高さを基準にしています。
1日の平均気温は一定時間毎に観測した値を平均したものを使います。そうして得られていく数値を算術平均したものが、それぞれの月平均気温及び年平均気温になります。

気温は高度が高くなるにつれて下がっていきます。地表に近い対流圏では、太陽放射によってまず地表が暖められて、暖まった地表が大気を暖めるためです。なので地表に近い方が気温が高くなります。気温の逓減率(ていげんりつ:高度に対する気温低下の割合)は平均して0.5〜0.6(℃/100m)です。
実際の大気では気温減率が小さくなったり大きくなったり、高度が上に行くほど気温が高くなっている層(逆転層)があったりして直線状にはならない事が多いです。

地表から高さ約10kmまでの範囲を対流圏(troposphere)と言い、天気現象はほとんどこの中で起こっています。
対流圏の上から高さ約50kmまでの範囲を成層圏(stratosphere)と言い、この層では上に行くほど気温が高くなって安定な成層状態となっています。高さ約25kmのあたりにオゾンの分布密度の極大層があって、このオゾンが加熱源となっている事や、上空に行くほど密度が小さくなって熱容量も小さくなっている事によって上空ほど気温が高くなる分布をしています。
成層圏の上から高さ約80kmまでの範囲を中間圏(mesosphere)と言い、この層では上に行くほど気温が低くなっています。中間圏より上の範囲を熱圏(thermosphere)と言い、この範囲では上に行くほど気温が高くなっています。

暑い時期の最高気温を見ると嫌になるかもしれませんが、水分補給や体温調節をするために見ておくと良いかもしれません。
今日は気温について話しました。


2004年 7月24日 四日市ぜんそく
四日市ぜんそくは三重県四日市市に1960年頃から発生した公害病です。多くの人が気管支炎や喘息にかかり、死者も出ました。

1960年に四日市第1コンビナートが操業を開始し、1961年に硫黄酸化物による喘息患者が多発しはじめました。1964年になって公害による初めての死者が出て、1965年に市民が「四日市公害患者を守る会」を結成しました。そして市が公害病に認定された市民への治療費の負担をはじめました。
1966年に昭和四日市石油が高さ120メートルの煙突を建設し、以後150メートル級の煙突が建設されていきます。1967年には患者たちがコンビナートの6社を相手に、慰謝料請求の 訴訟をおこしました。
1969年に大協石油が四日市で初めての脱硫装置を完成し、1972年に訴訟で患者たちが勝訴し、三重県が大手29工場に対して硫黄酸化物の排出量の低減を指示しました。

四日市ぜんそくを引きおこした有毒物質の中で、もっとも影響が強かったと思われている物質は石油を燃焼させたときに発生する硫黄酸化物(SOx)です。
コンビナートの操業が開発された頃は、排出される硫黄酸化物の総量が年間10万t近くまで増えてしまいました。石油は石炭のように黒い煙を出さないので、空が黒く覆われませんでしたが、喘息などの気管や肺の障害を引き起こす硫黄酸化物を多く含んでいました。
その事から、石炭の黒いスモックに対して、四日市の煙は白いスモックと言われました。四日市のコンビナートでは、中東産の硫黄分の多く含んだ原油を使っていた事が、被害をより酷くしました。
同様の喘息は、川崎市や尼崎市などいくつかの工業都市でも発生しています。

四日市は1965年に市が公害病と認定した市民に対し、市費で治療費を補償する制度を始めました。当時は国側にも公害患者を公費で救済する制度はなく、四日市の試みは全国で初めてのものでした。
認定患者の数は同年5月に行われた審査の時は18人でしたが、1967年6月末には381人、1970年9月末には544人と急増していきました。患者が多くなり、市だけでは治療費を負担できなくなり、国や企業も分担金を出すようになりました。
四日市の大気汚染を改善したのは、高煙突ではなく、脱硫装置の普及と硫黄分の少ない原油への切り替えでした。脱硫装置とは原油から重油を精製する過程で、硫黄分を取り除く装置の事です。
この2つは当時としてもっとも効果的な硫黄酸化物を減らす方法でした。国と企業は硫黄分の少ない原油の輸入を増やすと同時に脱硫装置の開発を進めました。四日市コンビナートでは、1969年に大協石油が初めて設置して効果を上げました。

四日市ぜんそくは典型的な経済高度成長期の「公害」で、その後の日本の環境政策の拡充に大きな影響を与えました。判決文の中で工場が1年間に排出できる煙の量を決定していて、これが大気汚染防止法の「総量規制」に繋がるそうです。
今日は四日市ぜんそくについて話しました。


2004年 7月23日 イタイイタイ病
イタイイタイ病は富山県の神通川中・下流の住民がカドミウムの慢性中毒による公害で、少し体を動かしただけでも体が痛むためこの病名がつきました。

大正から続いていた亜鉛の採掘によって汚染され、1922年にイタイイタイ病が発生します。1941年に岡山大学が神通川流域の農業芋と被害について調査を開始します。1946年に地元の開業医萩野医師がイタイイタイ病の原因究明の研究をはじめました。
1957年に萩野医師、富山県医学会で鉱毒原因説を唱え、1960年に小林教授がイタイイタイ病で死亡した患者の身体からカドミウムを検出しました。1961年に萩野医師と小林教授がイタイイタイ病の原因は三井金属鉱業神岡鉱業所のカドミウムであると発表し、1968年に患者たちが三井金属鉱業を提訴する。その直後、厚生省はカドミウム原因説を認めました。
1971年、72年と患者側が勝訴しています。

イタイイタイ病は重金属の慢性中毒によって腎臓障害を生じ、次いで骨軟化症をきたして骨が柔らかくなって、体のあちこちで骨折し患者がいつも「痛い痛いっ」と叫ぶので、この名が付けられました。
イタイイタイ病の患者数は数千人程度と見られますが、症状がリウマチや他の老人性疾患と似ていたり、またそれらとの合併症であったりして、イタイイタイ病の患者数の特定は難しいそうです。
1920年代から発生していたと考えられますが、イタイイタイ病として注目されるようになったのは、1950年代の頃からです。

カドミウムの汚染源は神通川上流の岐阜県神岡町にある三井金属鉱業神岡鉱業所でした。神岡鉱業所は亜鉛を製錬したあとにでるカドミウムを含んだ排水をそのまま神通川に流していました。
神通川の中流域では川の水をかんがい用水や飲料水として使っていたので、カドミウムが農作物や飲み水を通して体内に蓄積されていき、イタイイタイ病を引き起こしたのです。しかし、当時カドミウムという物質は良く知られていなかったために、原因究明は大変遅れてしまいました。地元の開業医らの努力によって、カドミウムが原因物質である事がつきとめられるまでには、長い年月がかかりました。
カドミウムは、亜鉛の鉱石に必ず含まれている重金属です。今ではカドミウムは鉄製品のメッキや電池に広く使われて利用価値が高くなったので、捨てられることはありません。しかし、イタイイタイ病が注目され出した頃は、ほとんど知られていない物質でした。
カドミウムが骨に取り込まれてカルシウムと入れ替わる事で骨が脆くなり、容易に(重症者はくしゃみをしただけでも)骨折を引き起こすようになりました。

三井金属鉱業の対応に不満をもった被害者たちは、1968年に損害賠償を請求して訴訟を起こし、国はイタイイタイ病の原因が神岡鉱山のカドミウムである事を認め、裁判も1971年に原告の勝訴となりました。これは、四大公害裁判の中で1番最初に出た判決で、日本中の公害に苦しむ被害者への大きな力を与えました。
カドミウムに汚染された農地を復元する作業も、鉱業所が工事費の35〜39%を負担して、1980年からはじまりました。

骨軟化症に対してはビタミンD2の高単位療法が極めて有効ですが、しかし、カドミウム腎症(尿細管障害)の治療法は知られてません。このような事が無いようにしましょう。
今日はイタイイタイ病について話しました。


2004年 7月22日 新潟水俣病
1964年頃から新潟県阿賀野(あがの)川下流域の人々に、水俣病と同じ症状が現れ、原因も同じものでした。

日本ではメチル水銀に汚染された魚介類を長期間、多量に摂取したせいによる中毒性の中枢神経系疾患の事を、熊本県水俣湾周辺の地名をとって「水俣病」と呼んでいます。そして新潟県阿賀野川流域で発生が確認されたものを新潟水俣病または第2水俣病と呼んで区別しています。
新潟での原因企業は昭和電工鹿瀬工場で、1950年から化学製品の中間品としてアセトアルデヒドの生産を行っていました。熊本のチッソに次ぐ生産量で製造工程で触媒として使われた無機水銀から微量のメチル水銀が工場排水として阿賀野川に排出されていました。

新潟水俣病の対策としては、工場の近くでとれた魚は売り場に出されていても食べてはいけないというくらいでした。現在はそのような事はありませんが、工場の排水によって生まれた病気なので、工場の問題など重要視しなければいけない事があります。
熊本や新潟以外に、有明海の第三水俣病やブラジル・アマゾン川の有機水銀中毒などがあります。原因は同じ有機水銀の汚染によるものです。そして、現在も政府からまともに援助はされていません。

私たちは公害があった事、そしてこれからも起こりえる事を忘れないようにしましょう。
今日は新潟水俣病について話しました。


2004年 7月21日 水俣病
水俣病は熊本県水俣市を中心にした、不知火海(八代海)で発生した水銀中毒です。認定患者だけで2千人を超す日本最大の公害病で、四大公害病の一つです。

1932年にチッソ水俣工場の有機水銀を含む排水の水俣湾へのたれ流しから悲劇は始まりました。そして1942年頃から水俣病と疑われる患者がでてきます。1954年にたくさんの猫が狂ったように死んでしまう事件が発生しました。
1956年になってやっと水俣病の患者発生が公表され、1959年7月に熊本大学により水俣病の原因が有機水銀に汚染された水俣湾の魚介類を食べた事によると発表されました。また、1963年には水俣病の原因はチッソ水俣工場から排出された水銀だという事が発表されました。
1965年に新潟水俣病の発生が確認され、1968年になってやっと熊本水俣病と新潟水俣病が公害病として認定されました。

水俣病には後天性水俣病(症状:求心性視野狭窄、言語障害、歩行障害などを含む運動失調、難聴、知覚障害)と、先天性(胎児性)水俣病(症状:脳性麻痺による知能発育障害、言語発育障害、咀嚼嚥下障害、運動機能障害、流涎)があります。
水俣病ははじめ原因不明の奇病とされていました。患者たちは伝染病だと思われたり、精神病棟に入れられたりされました。差別的な待遇を受けた人もいました。
また、毎日同じ魚を食べて生活していた漁師の家庭では、家族の全員が発病してしまうという事もありました。そして、水俣の魚が売れなくなったために、漁師たちは生活できなくなってしまい、毒入りの水俣の魚をとって食べるしか生活できない人もたくさんいました。

水俣病の原因になったのは水銀のなかでもメチル水銀とよばれる、神経細胞に障害をあたえる水銀による中毒でした。さらに妊娠した母親の胎内で水銀におかされ、病気のまま生まれてくる子も出てしまいました。
工場の排水にまざって海に流された水銀は、まず、プランクトンをとの微生物を汚染しました。そして、プランクトンを小さなが食べ、それをさらに大きな魚が食べ、最後に人間が大きな魚を食べて人体に入りました。
海水で薄められた水銀は、小さな生物から大きな生物へと移動する間に、濃くなっていきます。そのため、水銀は人間の体の中に入るときには高濃度となっています。それを食べるたために、被害が出てしまいました。

原因がわかってからも、チッソ水俣工場と国は、排水と水俣病の関連をなかなか認めず、何も対策をとらなかったので、被害者たちは耐えるだけしかできませんでした。
チッソ水俣工場の繁栄によって水俣市も発展し、引退した工場長が市長をつとめて、議員の多くも工場関係者でした。市の財政がチッソ水俣工場によって支えられていた事が、水俣病に対する行政の対応を遅らせてしまう原因の一つになってしまいました。
ようやく国が動き出して、水俣病が公害病として認定されたのは、最初の患者が発見されてから"12"年後の1968年でした。1969年に患者は補償を求めて裁判を起こし、4年後に勝訴しました。

1968年チッソ水俣工場は水銀の流出をとめ、熊本県は1980年から、10年ぐらいかけて水俣湾にたまっている水銀をふくんだヘドロをとる工事を行いました。現在では、漁業も再開されています。

2千人を超す患者数と言われていますが、実際には20万人近くの被害者がいました。患者になるには複数の症状が表れないと認定されず、明らかにメチル水銀汚染された魚を食べて障害を受けていても水俣病とはされませんでした。
水俣病のような悲劇を繰り返さないようにすると同時に、水俣病が終ってない事を理解して欲しいです。
今日は水俣病について話しました。


2004年 7月20日 公害
公害は事業活動その他の人の活動に伴って生じた、人の健康又は生活環境に係る被害の事を言います。

日本の公害の原点は足尾銅山鉱毒事件で、1880年から数十年にわたり、渡良瀬川の魚類や流域の農作物に大被害を与えました。1970年代の銅山廃止まで公害は続いたそうです。
戦後は重化学工業化が急速に進み、高度成長期に各地で産業公害が多発しました。そこで公害は初めて国民共通の関心を呼ぶ社会問題になりました。1960年代の産業公害の典型例が四大公害訴訟で、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つを言います。

1967年に日本では公害対策基本法制定され、1970年改訂されました。1971年、公害対策や自然環境を守る仕事をする国の役所として、環境庁(現在では省庁再編で環境省)が設置されました。1993年に環境基本法が制定され、典型七公害として示されています。
大気汚染。工場などから出される煙や自動車の排気ガスなどによって、空が汚れる事です。原因は工場や自動車などが化石燃料を使用している事です。
水質汚濁。生活排水や工場などからの排水によって、川や海が汚れる事です。川を汚す原因の8割は家庭から出る生活排水です。
土壌汚染。工場などから排出されたカドミニウムや銅などの害のある物質が土の中にたまる事です。そして人の健康や農・畜産物などに被害が生じたり、水質汚染の原因にもなります。
騒音。「無い方が良い音・好ましくない音」が騒音です。一般に言われる騒音は工場や建設作業、鉄道、自動車などが主な発生源になっています。
振動。工場の機械や建設作業、電車の通る時などに地面(地盤)がゆれる事です。
地盤沈下。地下水をくみ上げすぎると、地面まで沈んでしまう現象です。地盤沈下が起こると建物や道路にひびが入ったり、地中の水道管やガス管が破れたりする被害が発生します。
悪臭。腐った臭いや刺激的な嫌な臭いの事です。天気、気温、湿度あるいは臭いを感じる人の気分や体調によってその感じ方は大きく違ってきます。
環境基本法が制定された現在、公害は国内だけにに被害を及ぼす段階を言います。また、国内外を問わず被害を及ぼすものは環境問題にされています。環境問題に陰に隠れて公害問題を言う事は減りましたが、無視できるものではありません。

公害の原因は人為的なものです。今一度自分の周りを見て自然を汚していないか、迷惑をかけていないか確認してみましょう。
今日は公害について話しました。


2004年 7月19日 不快指数
不快指数は人が感じるむし暑さを、温度と湿度から数字で表したものです。

1959年の夏よりアメリカの天気予報で採用され、発表当初は不快指数discomfort indexでしたが、後に温湿指数temperature humidity indexとアメリカ気象局が改称し、日本では1961年の夏より不快指数が用いられるようになりました。
当時の目的は、暖房や冷房に必要な電力を予測するためでした。現在、日本では消費電力の予測に不快指数は使っていないそうです。

不快指数は0.81×温度(℃)+0.01×湿度(%)×(0.99×温度(℃)-14.3)+46.3の式で求められます。
簡略化した式だと(温度+湿度)×0.72+40.6で求められるみたいです。
不快指数は55以下の時体感が寒い、55〜60の時は肌寒い、60〜65は無感、65〜70では快適、70〜77ではやや暑い、77〜85では暑い、85以上で暑苦しいとなります。

不快指数は気温と湿度のみからの算出なので、風速による体感温度が考えられてません。なので、実際は風などあって値よりも涼しく感じると思います。
今日は不快指数について話しました。


2004年 7月18日 光化学スモッグ
1970(昭和45)年7月18日、東京都杉並区で日本初の光化学スモッグが発生しました。
立正高校で体育授業中の生徒が突然目の痛みや頭痛等を訴えて倒れ、四十数人が病院へ運ばれました。東京都公害研究所は「光化学スモッグ」であると断定しました。そして7月18日は光化学スモッグの日となっています。

工場や自動車などから大気中に排出された窒素酸化物(NOx)と炭化水素(HC)は、紫外線を受けて化学反応(光化学反応)を起こして「光化学オキシダント(Ox)」と呼ばれるオゾンやアルデヒド、パーオキシ・アセチル・ナイトレートなどの酸化性物質を発生させます。
気象条件によっては光化学オキシダントの濃度が高くなると、白いモヤがかかったようになります。この現象を光化学スモッグといいます。

光化学オキシダントなどは、ある濃度を超えると人の健康や植物などに害となるため問題視されています。なので、光化学オキシダントの濃度が高まると「光化学スモッグ注意報・警報」が出されます。
光化学スモッグは目や喉などの粘膜に触れると刺激を起こし、目がチカチカしたり、喉が痛くなったりするなどの症状が現れます。酷い場合は、呼吸困難になる事もあります。また、植物の葉に斑点などを生じさせたりもします。

光化学スモッグは4月から10月にかけて発生します。特に太平洋高気圧に覆われる7〜8月は、気温も高く紫外線も強く安定した天気が続くため、光化学スモッグが発生しやすい気象条件になります。
細かい条件を言うと、日中の最高気温が25℃以上、午前9時以降の日照時間が2時半以上、地表と上空1kmの気温差が7℃以下、夏型の気圧配置で等圧線の間隔が広いなどがあります。

光化学スモッグの対策としては外に出ないようにする事くらいみたいです。症状が出たら、目の洗浄やうがいなど、早めに洗い流し、酷い時は眼科や耳鼻科を受診しましょう。呼吸困難などを引き起こした場合は救急車を呼んでください。

光化学スモッグは近年になってまた発生頻度が多くなってきているそうです。少しでも異変を感じたらすぐに家の中に入って目や手を洗いましょう。
今日は光化学スモッグについて話しました。


2004年 7月17日 白瓜
白瓜は4月〜9月頃まで出回り、ほとんどは漬け物になりますが夏が旬です。

ウリ科の植物は世界に600種以上あり、主に熱帯から亜熱帯に分布しています。白瓜は中国古代の越の国から伝わったとされ、熟しても甘くならず、柔らかくもならない事から「かたうり」とも呼ばれるみたいです。

白瓜は生食よりも漬け物用がほとんどです。未熟なものは浅漬にし、熟したものは奈良漬けやみそ漬けに用います。
漬け物の他に皮を剥いて斜め切りし、軽く塩をふり、暫くおきます。これを軽く揉んでそのまま食べます。塩揉みもあっさりしていて美味しいそうです。
また、白瓜を食べやすい大きさに切り、あとはビールと砂糖・からしを容器に入れて混ぜておくだけのビール漬けというのもあります。漬けて2・3日経った頃が美味しそうです。

白瓜は薄緑色で持った時に重量感のある方が、品質がよいそうです。漬け物以外でも美味しく食べてみたいですね。
今日は白瓜について話しました。


2004年 7月16日 冬瓜
冬瓜(とうがん)は冬の文字が入っていますが、れっきとした夏の7月〜9月が旬の夏野菜です。

原産地は東南アジアでウリ科トウガン属です。ウリ科の中で冬瓜はかなり大きなウリです。本来は夏野菜ですが、貯蔵性がよくて風通しの良いところに置くと冬まで持ち越せるところから冬瓜の名前が付いたと言われています。
淡白であっさりとした風味とその爽やかな味わいが、胃の働きを促進させるとして、昔から暑気払の食べ物とされてきました。

冬瓜の96%は水分で、昔からむくみをとったり、熱を下げる効果があるそうです。ミネラルは少量ですが、ビタミンCが割と豊富なのと一度に食べる量が多いので、ビタミンCの効果が期待できます。ビタミンCは肌のしみを薄くする効果があるだけでなく、身体の免疫力を高めてくれますので、夏バテ防止に役立ちそうです。
冬瓜自体にあまり味がないので、薄味に煮てから、鶏そぼろ、エビそぼろ、カレーそぼろなど味のあるアンをかける食べ方が代表的です。あと、中国料理では、汁の実にも用いるようです。冷やし鉢や、冷製スープに用いるのも涼やかで美味しいです。

冬瓜を選ぶ時は粉が均一についていて、皮にしわがなくずっしりと重いものを選ぶと良いみたいです。形は丸いものと楕円のものがありますが、味に差はないそうです。大きいものは1mくらいで買うのに抵抗があるかもしれませんが、切られて売られていたりもするので必要な分だけ買う事も可能です。
冬瓜という名前の由来どおり、保存に適しているので、まるごと冷暗所に置いておけば、冬まで貯蔵できるみたいです。もちろん早く食べるに越した事はないでしょうけど。

冬瓜は名前から旬が冬と勘違いしそうですけど、夏の暑い時期に美味しく食べるようにしたいですね。
今日は冬瓜について話しました。


2004年 7月15日 夏大根
大根は種類によって旬が違い、夏大根は7月〜10月が旬なようです。

夏大根の代表は美濃早生(みのわせ)大根と言われています。生産される時期も長く、3月〜10月まで「春まき美濃」、「黒葉美濃」、「美濃つまり」など、品種も数10種に及ぶものが出回っています。
辛みが強くて煮炊きには不向きですが、おろしや漬け物用に夏場も欠かせません。また、煮炊きに向いているのもあるみたいです。

大根に含まれる酵素には解毒作用あり、焼け焦げに含まれる発癌性物質を分解し、毒性をとり除きます。また、ビタミンCが多い野菜としても有名で、ビタミンCは空気にふれると壊れてしまうので大根おろしを作るときは食べる直前にすりおろすようにします。
ただ、大根はおろして7〜8分後が最も辛いので、辛すぎるようなら少し時間をおくか、酢をかけるようにします。

大根は消化を良くして食欲の減りやすい夏の食欲増進をしてくれますが、殺菌作用も持っているため腐りにくくもしてくれるみたいです。
大根の辛み成分のイソチオシアナートには、白血球の活性化や害となる細菌を殺したり、力を弱めるなどの殺菌作用があります。お弁当などにアブラナ科サラダに、大根とワサビをおろしたドレッシングをかけたものを入れると、アブラナ科野菜から蒸発するイソチオシアナートの殺菌作用が他の食べ物にまで効果を与えるほどです。

大根は葉に勢いがあって美しい緑色のを選ぶようにします。葉が切り落とされているのは切り口が新鮮なものを選ぶようにします。きめ細かく、張りがあって白くきれいなもので、持ってみて重みがずっしりとするものが良いそうです。
保存は、まず先に葉に栄養が行かないように葉を切り、新聞紙に霧吹きなどで軽く水分を与え全体的に包み、ポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室に立てて保存します。

冬の大根の甘さに対して、夏大根の辛さは暑い事さえ忘れさせてくれるかもしれませんね。生のものだと身体を冷やす効果があるので、冷えに弱い人は食べ過ぎないようにしましょう。
今日は夏大根について話しました。


2004年 7月14日 とうもろこし
とうもろこしはかなりの期間出回っていますが、夏が旬の野菜で旬は7月〜9月と言われています。

とうもろこしは米や小麦と並ぶ世界三大穀物の一つで、起源はメキシコなどの中南米付近と推測され、マヤ・アステカ・インカといった文明はとうもろこしを中心とした穀類で発展したと言われるほど主要な穀物でした。
15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸を発見した事によりヨーロッパに伝わり、全世界に広まっていきました。日本へは16世紀にポルトガル人によって伝えられ、明治時代に入ってアメリカから導入された品種が北海道で栽培されるようになり、全国に普及しました。食用の甘味種をはじめ、加工用の爆粒種や馬歯種、飼育用の硬粒種があります。

とうもろこしは玉蜀黍と表記されます。その語源は、穀粒が玉の様な蜀黍(モロコシキビ)と言う意味です。江戸時代では蜀黍の一種と考えられていました。蜀黍は元々日本古来の黍に対して中国(三国時代の蜀)の黍と言う意味で、蜀(モロコシ)の黍(キビ)と名付けたものです。
このモロコシキビのキビが略され、モロコシと一般に呼ぶ様になりました。その頃、新しく入って来た黍を唐のモロコシと言う意味で、唐黍、唐モロコシと呼んだのです。なお、別名を南蛮黍(ナンバンキビ)、高麗黍(コウライキビ)とも言うそうです。

とうもろこしは野菜の中では高カロリーで、亜鉛や胴などの微量栄養素も含んでいます。セルロースが多く食物繊維も豊富ですが、外皮が厚く消化があまりよくありません。胚芽の部分に栄養が詰まっています。
コレステロールを正常化し、便通を整える効果があります。ひげには利尿作用があるので、漢方薬では「南蛮毛」と呼び、急性腎炎や妊娠時のむくみ解消に利用されるそうです。

選ぶ時は実がびっしりとついて、粒がそろっているもの。押してへこむくらいが良いそうです。とうもろこしの甘味種をスイートコーンと呼びますが、最近では、「味来」という品種がでまわっているようです(甘くてやわらかく、生食可のものもあります)。また、白粒種と黄色種をかけあわせたもので、粒に1/3くらいあるのをバイカラコーンと言います。
また、収穫した直後から味が落ちはじめ、24時間たつと栄養価が半減すると言われています。それくらい鮮度が落ちやすいので、買ってきたらすぐ茹でるか蒸すかしましょう。すぐに食べない場合は、ラップに包んで冷凍しておくと味が落ちません。
生のまま保存するのはあまりしないほうが良いのですが、どうしてもという時は皮付きのままラップで包み、冷蔵庫の野菜室へ。それでも、翌日には食べ切るようにします。

旬の時期には産地の北海道から空輸されるものもあるそうです。現在では朝採りされたものを直後に予冷して輸送するため、都会でも採りたての美味しさが味わえるようになりました。
それくらい鮮度が大事なのでとにかく早めに食べるようにしましょう。
今日はとうもろこしについて話しました。


2004年 7月13日 梅雨明け
そろそろ梅雨が明ける時期になって夏本番となりますが、最近ははっきりとわかるような梅雨明けがないですね。

梅雨が終わって夏になる事を梅雨明けと言い、日本各地の地方気象台・気象庁が梅雨入り・梅雨明けの発表をします。梅雨入り・梅雨明けの発表は、梅雨入り・明けしたと思われる時期に暫定的な発表を行います。
例年9月頃、5月から8月の天候経過を総合的に検討して、最終的なものとしているそうです。この際、梅雨入り・明けの期日の修正が行われたり、「特定せず」という表現になる事があります。
一般に、南の地域ほど梅雨の到来は早く、沖縄は5月中旬から6月下旬で、東北や北陸では6月下旬から7月下旬頃となるそうです。また、立秋(8月7日頃)を過ぎたら梅雨と言えなくなるので言えなくなります。

梅雨明け宣言と言われていますが、宣言する事によって梅雨が明けるわけではないそうです。基本的に、南から北の方向に梅雨明けになっていきますが、必ずしもそのように順番になっていない場合もあります。
梅雨明けには大きく分けて2つあります。一つは南の夏の高気圧が勢力をまして、前線を押し上げ、東北の北部まで北上して消滅する明け方。そして、もう一つが北と南の高気圧が仲良しになって一緒になってしまい、その間の梅雨前線も消滅してしまうという明け方です。
梅雨明けの直前は豪雨になる事が多く、逆に梅雨明け後から8月上旬くらいまでは「梅雨明け十日」と言って天候が安定する事が多いそうです。遊んだり出かけるならその期間が良いのでしょうね。

7月中旬頃に天気図から前線の動きを見て、そろそろ梅雨明けかなと予想するのも面白いですね。夏の予定とあわせて楽しく待ちましょう。
今日は梅雨明けについて話しました。


2004年 7月12日 ラジオ
今日7月12日の1925(大正14)年、東京放送局(現在のNHK)がラジオの本放送を開始しました。そのため、7月12日をラジオ本放送の日とされています。

本来ラジオは無線電信すべてを意味しますが、一般的には音声や音楽の無線放送、受信装置をラジオと呼んでいます。
1888年にヘルツによって電波が発見されました。電波を通信に利用しようと考えが生まれ、1895年に無線電信の公開実験がされ、同年に実用的な無線通信装置が発明されました。1897年にはイギリスに無線会社が創設されました。
1904年にフレミングは熱電子効果を利用した二極真空管を発見し、1906年にド=フォレストはこれをさらに改良して三極真空管を発見しました。これによって受信装置の性能は飛躍的に向上し、1912年に再生式回路、1918年にスーパーヘテロダイン回路がアームストロングによって発見されます。
世界初のラジオ放送局は、1920年にアメリカのピッツバーグに建てられ、今日のラジオ放送の幕明けとなります。日本は前述のとおり1925年の7月12日から本放送が開始されました。

電波に音響情報を乗せて送るためには、高周波の電波を低周波の音響信号で変調(modulation)する必要があります。そのため変調方式の違いにより数種類のラジオ放送方式が存在しています。
アナログ変調方式。振幅変調(AM)は、主として中波および短波の放送で用いられます。周波数変調(FM)は、主として超短波以上の周波数で用いられます。
デジタル変調方式。衛星放送や地上デジタル放送ではテレビだけでなく、ラジオ放送も行われます。衛星デジタル放送(BSデジタル放送、CSデジタル放送)、地上デジタル放送(デジタルラジオ)などがあります。
また、放送に用いられる電波の周波数の違いにより分類する事もできます。日本では主に中波を使うAM放送、短波を使う短波放送、超短波を使うFM放送の3種類の放送が行なわれています。

ラジオはいつでもどこでも聴く事ができ、一人の時に聴ける、などの利点がありますが、一番大きいのは「何かをしながら聴く事ができる」という点だと考えられています。何かをしながら情報を得られ、また、聞き流す事もできます。
そしてパーソナリティー(話している人)とリスナー(聴いている人)の距離が近いというのもラジオならではの魅力とされています。ラジオは地域密着型であり、電話、FAX、e-メール、携帯電話など常に繋げる事のできる状態にあります。
最近はラジオを聞きながらネット上でその内容について語り合うなど、若い世代のリスナーは自由にラジオとネットの世界を行き来しています。

ラジオを聞く機会はあまり多くないかもしれませんが、PCだけに限らず何かをしている時に少し聞き流してみると良いかもしれませんね。
今日はラジオについて話しました。


2004年 7月11日 キュウリ
キュウリはハウス栽培で一年中出回っていますが、本来の旬は6月〜9月までで代表的な夏野菜です。現在でも夏の路地物の方が美味しいです。

原産地はインドのヒマラヤ山脈あたりで、3千年前から栽培されていました。紀元前にヨーロッパに伝えられ、6世紀前後に二つのルートで中国へ。このためヨーロッパ型と華北型が産まれたそうです。
日本へは6世紀後半に中国から伝えられましたがあまり普及せず、本格的に栽培するようになったのは17世紀に入ってからみたいです。古い文献によると「下品の瓜」などと評価されていたみたいです。しかし、現在では爽やかな口当たりから、サラダに欠かせない野菜の一つとして人気があります。

一般に「キュウリ」と呼ばれていますが、本来の和名は「きうり」で、中国では「胡瓜」「黄瓜」と書きます。この「黄瓜」を音読みしたのが「きうり」です。漢字では「胡瓜」と書きますが、これは胡(西方の夷、次いでは西域地方・シルクロード)から到来した瓜を意味しています。また「黄瓜」とも書かれますが、これは成熟すると黄色になる事からです。

キュウリは非常に種類が多く、世界中で5百種もの品種が栽培されています。
白イボ系。現在栽培されているキュウリの90%以上が白イボ系です。 もともとは皮が薄くて歯切れの良い美味しいキュウリです。
黒イボ系。春収穫する種類で以前は南西日本で多く栽培されていましたが、皮が厚く、 白イボ系の真夏の旬の味に劣るという事で現在では九州・四国でわずかに作られているだけです。
四葉(スーヨー)キュウリ。本葉が4枚付いた頃から実がなるのでこの名があります。美味で有名な白イボ系キュウリで、普通の白イボキュウリの1.5倍ぐらいの大きなキュウリです。イボとシワが多く見た目が悪い上に鮮度落ちが早いのですが、歯切れが良く漬物にもむきます。
四川キュウリ。四葉キュウリの改良型で大きさは普通の白イボキュウリと同じぐらいですが、 四葉と同様にシワが多く、美味だそうです。
加賀太キュウリ。加賀野菜で直径が8〜10cmもある太くて大きなキュウリ。皮をむいて肉詰めや煮物にしたり、漬物にしたりします。
もろきゅう。品種ではなく、普通のキュウリを小さいうちに若採りしたもので、寿司のカッパ巻きに使われたり、味噌をつけてそのまま食べられたりします。「もろきゅう」は、もともとキュウリにモロミを付けて食べる料理の名前だったのですが、それに使うキュウリの若採りしたものの通称になりました。

キュウリは水分が96%と多く、栄養素はビタミン、カロチン、カリウムなどが含まれていますが、その含有量は少ないため栄養野菜ではなく、その歯ざわりやサッパリとした味覚を味わうものです。
ですがキュウリに含まれるカリウムは、体内でナトリウム(塩分)を排出し、高血圧の予防に役立ちます。高血圧の人や腎臓を煩っている方に勧めたい野菜です。なお、キュウリは急性の腎炎や膀胱炎、二日酔いにも効くみたいです。
キュウリはニンジンなどと同様に、アスコルビナーゼ(ビタミンCを分解する酵素)を含みます。他の野菜と組み合わせると、その野菜のビタミンCまで分解してしまいますが、酢やレモン汁を使えば分解されなくなります。

キュウリを選ぶ時はとげが鋭くて、触ると痛いくらいが新鮮で良いものです。以前は表面に白い粉(ブルーム)がついていて、鮮度の善し悪しはこのブルームにむらがなく、とげの鋭いものが新鮮とされていた。しかし、ブルームが残留農薬ではないかという誤った説が巷に流れたり、流通で落ちやすいため、昭和60年代に姿を消し、かわりに緑光りしたブルームレス種が登場して、鮮度の見分け方はとげの有無に頼るようになったそうです。
保存する時は乾燥と低温に弱いので、ポリ袋に入れて冷蔵庫の野菜室で保存します。野菜は畑でなっている時と同じように置くと長持ちするといわれ、キュウリもヘタを上にして立てて保存する方が鮮度が保てます。あまり長期の保存は出来ないので、2〜3日くらいで食べましょう。また、0〜5℃で保存すると白く濁った汁がにじみ出て腐敗が始まるので注意しましょう。

キュウリの粗悪品とされたりする曲がったものは、生育途中の栄養状態などによるもので、鮮度や味、栄養には関係ありません。見た目じゃなくて鮮度で選ぶようにしましょう。
今日はキュウリについて話しました。


2004年 7月10日 にがうり
にがうり(苦瓜)はゴーヤとも言われる沖縄の代表的な野菜で、6月〜9月頃が旬なようです。

にがうりは熱帯アジアが原産とされ、日本には江戸時代に中国から入ってきたと言われています。水分を蓄えるため表面にイボ状の凸凹と独特の苦味が特徴です。
和名を「ツルレイシ」と言い、沖縄では「ゴーヤー」「ゴーヤ」と呼ばれていて、最初に作った人の名前が胡屋(ゴヤ)氏だったということから名付けられた説があります。世界各国でも栽培されていて、中国では涼瓜(リョンクワ)、ベトナムではコークワ、タイではマラ、フランスではモモルディク イギリスではバルサムペアと呼ばれているそうです。世界各地でも、暑い季節に食べる定番の夏野菜です。
1992年にウリ類の害虫であるリュウキュウウリミバエの絶滅宣言が出されてから、沖縄の野菜は島外への持ち出しが可能になり、5年ほど前からにがうりの消費も3倍くらいのびて、全国でも夏になると店頭に並ぶようになりました。

にがうりの特徴は独特の苦味ですが、料理のちょっとしたコツで苦味も減らせられます。まず縦に割って種とワタの部分(ワタの部分は特に苦味が強い)を取り除きます。そのあと薄く切る、水にさらす、多めに熱を通す、タップリの油で炒めるなどで、苦味を減らせられます。また、タンパク質や酸味と合わせると苦味を減らせられるそうです。
逆に苦味を強くするにはにがうりの葉っぱも一緒に調理します。葉っぱはにがうりよりも格段に苦いそうです。なので入れるとしても3〜4枚程度に抑えるのが良いみたいです。葉っぱが手に入る方は試してみると面白いかもしれませんね。

にがうりはパセリやブロッコリーに次いでビタミンCが豊富とされていて、含まれているビタミンCは加熱しても壊れにくいのが特徴です。独特の苦味成分は「モモルデシン」という成分で、胃腸を刺激して食欲を増進させる働きがあるので夏バテ防止に効果が期待できます。
また、ミネラル分も多く、発汗作用があるので夏のスタミナ野菜と言えます。

にがうりを選ぶ時は、表面が濃い緑色でみずみずしく、イボ状の凹凸に張りがあり、つぶれたりしていないものが良いそうです。
保存する時は乾燥と湿気に弱いので、表面の水分を良くふいてからポリ袋に入れ立てたまま野菜室で保存します。低温障害も起こしやすいので注意が必要です。種をとっておいてから、ラップで保存でもいいみたいです。早めに使いましょう。

にがうりの料理ではゴーヤチャンプルー(にがうりと豚肉の卵炒め)が人気の高い、沖縄料理です。にがうりのほろ苦さに、豚肉、卵のまろやかさが引き立ちます。他にもいろいろな調理法があるので試してみましょう。
今日はにがうりについて話しました。


2004年 7月 9日 ピーマン
ピーマンの入荷量のピークは5月〜6月の初夏で、最も一般的な早熟ものが出荷される時期に当たります。露地栽培のものは7月〜8月が旬です。

熱帯アメリカ原産の唐辛子のうち改良を重ねて辛味がなくなった甘味種の事をピーマンと呼びます。15世紀にコロンブスがスペインに持ち帰って、ヨーロッパに広まったと言われています。
日本への渡来はポルトガル船からとする説と、ポルトガル、中国、朝鮮を経て、豊臣秀吉の時代に、高麗胡椒として伝わった説があります。どちらにしても江戸時代にはかなり普及していたようです。明治初期になって、ピーマンも含めてさまざまな唐辛子が欧米から導入されました。
唐辛子などの辛味種が広く栽培されるようになったのに対し、ピーマンはさほど普及しませんでした。一般家庭の食卓にものるようになったのは戦後の事です。少し前まではピーマンと言えば、その青臭さと特有の味から、子どもが嫌う野菜の代名詞でした。
でも、最近のスーパーで見かけるピーマンは、赤や黄色、オレンジなど色も多彩になっています。しかも、それらは緑のピーマンより少し大きく肉厚で、甘みが強く、青臭さもありません。そのため以前ほど嫌われ者ではなくなっているようです。

ピーマンはフランス語の「唐辛子」を意味する「ピマン」から名付けられたと言われています。本来は唐辛子全体を指しますが、いつの間にか辛くない唐辛子にだけ使われるようになったみたいです。

ピーマンはカロチンやビタミンCが多く含まれ、食物繊維も比較的豊富です。また、ビタミンCの吸収を助けるビタミンPも豊富に含まれています。旬の夏になるとこの作用が高まり、血液浄化作用なども加わるとも言われています。
赤色のピーマンは緑色のピーマンよりも栄養が豊富です。緑色のピーマンは未熟果で太陽の光を浴びて完熟すると次第に赤くなるのですが、その過程で赤色色素であるカプサンチンや多量のビタミン類が生成されます。
ピーマンに含まれるビタミンCは加熱しても壊れにくいのが特徴で、タンパク質と組み合わせる事で吸収率が高まります。また、カロチンは油と一緒に食べると吸収が良くなる事も覚えておくと良いでしょう。

ピーマンは切り口が新しいもの、皮がつやつやして、綺麗な緑色のもの選ぶようにします。ヘタが灰色になったものは痛んでいるそうです。また、緑色のピーマンに赤紫色が現れたものは鮮度が落ちてきているそうです。
保存は穴のあいたポリ袋などにいれて7〜8℃fで保存するようにします。それ以下だと窪みなど、低温障害が起きるそうです。

夏のピーマンは、メラニン代謝や脂肪代謝をよくする働きがあるので、しみ、そばかす、かぶれが気になる人はなるべく食べるようにしましょう。
今日はピーマンについて話しました。


2004年 7月 8日 そら豆
生食用のそら豆の旬はは桜前線より2ヶ月ほど遅れて北上すると言われています。なので4月〜6月頃、また、冷涼地の7月のそら豆も旬とみなされるそうです。

そら豆の原産地は西アジア、アフリカと言われていますが、エジプト説、ペルシャ説、カスピ海南部説などがあり、バビロフは中央アジアか地中海地域を原産地としているそうです。
古代にヨーロッパから北アフリカに伝わり、エジプトでは墓の棺の中から発見されていて、エジプトでは4千年前から栽培されたとみられています。
日本への渡来は聖武天皇時の天平年間の729〜749年の間で、インドの僧侶の菩提仙那が中国経由で来朝し、摂津難波津に出迎えた行基上人に「王墳豆」の種子一袋を手渡し、武庫(尼崎市)の岡治氏がこれを試作した事に始まったとされています。

そら豆をは空豆や蚕豆と書きます。莢(子実)が直立するように空に向かって伸びるために空豆、また蚕(かいこ)が繭(まゆ)を作る頃に美味しくなるため蚕豆と書くとも、莢の形が蚕に似ているためとも言われています。
また、4月〜5月頃に旬を迎える事から、四月豆あるいは五月豆とも言います。黒く着色した煮豆を於多福豆とも呼びます。これ以外にも日本各地には色々な呼び名が残っています。大和(奈良県)で大和豆、西国では唐豆、また、夏豆やがん豆などの呼び名もあります。

そら豆の茎は直立性で、株元から数本〜十数本に分かれて出ます。草丈は矮性系で30cm内外、高性系で150cmぐらいです。日本で栽培されている生食用品種は殆どが高性系です。茎は中空で方形、その色は淡緑色です。葉は互生で短い葉柄があり、羽状の複葉で各小葉は無柄で卵形〜楕円形、葉色は淡緑色です。
花は豆類の中では大きく、蝶の形をし、茎と葉の間に着きます。その色は白または淡紅、淡紫色で、中央の花弁に暗黒色の条斑があります。莢は扁平で長楕円形、4〜18cmで、中に1〜5個の種子があります。種子の大きさは品種により異なり、その形は腎臓形で扁平、種皮色は最初は淡緑ですが、成熟が進に連れ赤褐色となります。品種によっては褐色、黒色となるものもあります。ヘソ部は大きく目立ち、最初は緑、成熟がすすむと黒色となります。
そら豆は生育適温が15〜20℃で、20℃を超えると生育が抑えられます。一般的には耐寒性・耐暑性ともに劣りますが、幼苗期には耐寒性があります。むしろ、その頃一度低温に遭わないと、花芽分化・開花・結実しない性質があります。そのためそら豆は寒さに遭遇し、その後、温かくなる事により、冬が去り、春の到来を知り、子孫を残すために花芽を作り始めます。多くの植物がこの様な体内時計のようなものを持っています。

そら豆の主成分はデンプンとタンパク質です。他にビタミンC、B1、B2が多く含まれています。また、貧血やめまいを防ぐ鉄分も多量に含まれている他に、整腸作用のあるペクチンや体内コレステロール量の増加抑制などにも効果がある食物繊維も含まれています。

生食用のそら豆は新鮮さが重要です。収穫する時期が早過ぎたり、遅過ぎたりすると、食味が著しく劣りますが、ちょうど良い時期に収穫されたものでも1日おくと5%以上もの水分と共に美味しさの主成分・遊離の糖やアミノ酸も減ります。できるだけ新鮮なものを選び、買ったらすぐ調理する事が、美味しく食べるコツです。
選び方はサヤの色が美しく、背筋の部分が変色していないもの、シワがなく、外見で豆の形がきれいにそろっているものが良いみたいです。
保存するよりも食べてしまのが良いのですが、保存する場合は買ってきたらできるだけすぐに茹でて、ポリ袋に入れて冷蔵庫で保存して3日くらいで使い切ります。固めに茹でて冷凍しておくと、そら豆のない時期にも楽しめるそうです。

「そら豆の美味しさは3日間だけ」と言われるほど、その鮮度に美味しさが左右されます。鮮度が良い内に美味しく食べきるようにしましょう。
今日はそら豆について話しました。


2004年 7月 7日 枝豆
枝豆は大豆が熟する前に収穫したもので、7月〜8月に多く収穫され、塩茹でにしてビールなどと一緒に食べる事が多い時期でもあります。

枝豆はマメ科の一年草です。大豆の起源は中国北部を中心に自生するツルマメから発達したとされ、栽培は約4千年前からと言われています。大豆自体は古くから食べられていましたが、熟する前の枝豆の状態で食べるのは日本が始まりと言われています。
飢饉による食糧不足で収穫前の大豆を食べてしまったと言う説と、収穫できる時期の短い枝豆を希少価値の高い食べ物として珍重されていたという説。の2つがあります。そして江戸時代の夏には枝豆売りの姿があったといわれています。

大豆と同様にタンパク質が豊富ですが、大豆にないビタミンCを多量に含む。また、ビタミンA、B、カルシウムも多く含まれています。
枝豆がビールと一緒に食べられるのには理由があります。ビールには血液に必要なナトリウムがわずかしか含まれていないのでビールを飲むと身体が塩分を要求 します。塩茹でにした枝豆には、アルコールから肝臓や胃腸を守るメチオニンを多く含み、ビタミンB1、Cがアルコールの酸化を促し、肝臓の働きを助けます。これらから枝豆はビールのつまみとしては最適とされています。

良い枝豆を選ぶには枝にサヤが密集している事、サヤにうぶ毛があり青々して豆が丸くふくらんだもの、葉や枝が枯れていないものを選ぶようにします。生のものは枝つきのまま買って、茹でる直前に外すようにしましょう。
保存は硬めにゆでて冷凍保存するとかなり持ちます。
上手に茹でるにはざっと洗い汚れをとり、多めの塩でもんでうぶ毛を取り除きます。たっぷりのお湯に塩ひとつまみ入れて茹で(5〜10分)、途中でつまんで硬さを確認します。茹でたらザルに上げて塩をふって、うちわで冷まします。
水に取ると旨みが逃げるのでしないようにしましょう。サヤの両端を切っておくと見栄えが良くなり、塩味もしみやすくなるそうです。

これからビールなどが美味しくなる時期ですが枝豆も一緒に食べると、もっと美味しく腎臓に負担をかけないようにすみそうですね。とはいえ、飲み過ぎ・食べ過ぎないよう注意しましょう。
今日は枝豆について話しました。


2004年 7月 6日 冷房病
冷房病という言葉は一般的によく使われる言葉ですが、医学的には「抹消循環不全」や「冷房症候群」などと言います。

冷房病はクーラーなど冷房に長時間さらされた結果、表皮の温度が下がって健康に影響を及ぼす事を指します。冷え性などの体質ではなく、病気の一種です。なので誰もが冷房病になる可能性はあります。

人間の身体は、環境や季節に適応するようにできています。とりわけ四季の変化がはっきりしている日本の場合、身体はそれぞれの季節に対して準備を行っています。例えば夏なら内臓の温度が外気に合わせてどんどん上がらないように、毛穴を開いて汗を出すなどして体温を維持します。
このように体温調整を行っているのが自律神経系です。冷房の中に長時間いると、身体が夏向けになって汗を放散しようとしていたのに、冷房によって冬の状態に引き戻されてしまいます。そして自律神経系が夏か冬かわからなくなってバランスを崩してしまいます。

身体が冷えると血管が収縮して血流障害を起こし、内臓の機能不全を起こします。冷房病の初期症状としては、細胞に酸素が十分運べない、栄養を補給できないとかいった事から、肌の血色が悪くなる、手足が冷える・しびれる、むくみが生じやすくなる、肩こりが起こる、頭痛が起こる、といった事が現れます。
頭・首・肩・上背部を冷やすと頭痛・肩こり・風邪を引き起こしやすくなります。また、鼻の弱い人は鼻炎に、呼吸器の弱い人は喘息になりやすくなります。腰に冷房を受けると、腰痛・神経痛・膀胱炎を、そして腰以下を冷やすと坐骨神経痛・こむらがえり・足のだるさ・不眠症を引き起こしやすくなります。
また、自律神経系は腸の運動もコントロールしています。そのため自律神経系のバランスが崩れると、下痢や便秘に悩まされる人もいます。その他、頻尿、生理不順、腰痛、不眠など、自律神経失調症にはさまざまな症状が知られていて、重症になれば精神面にも影響を与えるとまで言われています。
冷房病の恐ろしいところは、放置しておくとどんどん症状が重くなる事です。最初は冷房の当たっている部分に対する冷えや、頭が痛い、肩がこる、手足がしびれるといった程度ですが、放っておくと秋になって全身的な不調となって現れます。その時には冷房は使っていないので「冷房病」という事に気付かない人がほとんどみたいです。冷房にさらされているその時だけではなく、秋口までに症状を悪化させる可能性がある事を知っておきましょう。

冷房病の予防はとにかく身体を冷やさない事です。
人間が急激な温度変化に対応できるのは、5℃以内と言われています。それ以上の変化を受けると、温度変化に対応できなくなってしまいます。人間が対応できる温度変化以内に、温度差を設定するようにしましょう。冷房の場合、27〜28度の室温にしておくのが最適だと言われています。
また、冷房を身体に直接当てないように、上着や大きめのスカーフを1枚用意しているだけでも大きく違います。暑くなると特に薄着になってきますので、冷房された場所に行くための準備を忘れないようにしましょう。
暑さで食欲がなく、そうめんなど冷たいものばかり摂り過ぎないようにしましょう。また、冷房の効いた部屋からでた後は、温かい飲み物や食べ物を口にするようにしましょう。身体を温める力の強い生姜やネギ、玉ネギ、ニラなどをふんだんに使うのもよく、夏バテ予防にもなります。食生活が偏りますと、ビタミンやミネラルが不足します。基礎体力が低下しても自律神経系はバランスを崩しやすくなります。
暑い時はお風呂に浸かるよりもシャワーで汗や汚れを落としがちですが、身体を温める事はできません。お湯に浸かる事によって、冷房で滞った血行を回復させられます。ぬるめのお湯にゆっくり入り、マッサージを行うなどをして、血行をよくすると良いでしょう。
入浴後は汗をしっかりとり、扇風機やクーラーの風を直接受けるような事は避けましょう。保温効果のある薬用入浴剤を用いるとより効果的です。

冷房病は誰にでもなる可能性はありますが、乳幼児や高齢の方、女性の方がかかりやすい傾向にあります。気付かずにあとで酷くなる前に冷やし過ぎないようにしましょう。
今日は冷房病について話しました。


2004年 7月 5日 アデノウィルス
アデノウイルスはインフルエンザウイルスの次に人の体から検出される頻度が高く、夏にプールを介して流行する事があったためプール熱やプール病とも呼ばれていました。

アデノウィルスは人に感染するものだけで49の種類があると言われています。のどの腫れ、目やに、目の充血以外にもいろいろな症状をひきおこします。扁桃炎だけをおこしてくる種類や結膜炎だけをおこしてくる種類(流行性角結膜炎)、また、血尿と排尿時の痛みを訴える出血性膀胱炎をおこしたり、急性胃腸炎の原因となったりする種類もあります。さらに、乳幼児の肺炎や気管支炎、いろいろな発疹症の原因となる事もある、多彩な症状をもったウィルスなのです。
アデノウイルスは概して潜伏期は5〜7日で、感染経路は便、飛沫、直接接触によります。免疫がつきにくいため何回もかかる事もあります。

有名なのがプール病・プール熱と言われるアデノウィルスの一種で、目や口の粘膜を介して体内へ侵入し、約一週間の潜伏期間の後に、39℃前後の高熱を発して目の充血や喉の炎症が3〜5日ほど続く病気です。ウィルスの種類によっては、脳炎や肝炎といった深刻な状況になる事がある感染症で、5歳以下の子供に多く、幼稚園での集団生活による感染拡大も起こったりします。
これまではプールを介した感染拡大が多く見られていましたが、プールとは無関係なはずの昨秋以降でも感染が増えているそうです。正確な理由が不明なため大規模な感染拡大が危惧されています。

アデノウィルスの予防はプールに入ったらよく目を洗う、うがい・手洗いをちゃんとするくらいしかありません。かかった時の治療は発熱に対する解熱剤、目の充血に対する点眼薬などの対症療法が中心です。
家庭での対応としては、水分を十分に摂取して安静と栄養補給を心がける。夏場であれば、クーラーを使い、過ごしやすい室温にする。目やにの中にはウィルスがいて感染する事もあるので、タオルは別々にして兄弟同士の入浴はひかえるようにするなどです。

アデノウィルスには幼児や小学生がかかりやすいみたいです。基本的に安静にしておくしか対処法がない症状だけに、日頃から免疫力を高めておく事が重要ですね。
今日はアデノウィルスについて話しました。


2004年 7月 4日 お中元
お中元は7月初め〜15日頃までに贈るのが一般的ですが、旧盆などで地域によって差があります。
一般に関東では6月末〜7月15日頃まで、関西では7月半ば〜8月15日頃までとなっているようです。

お中元は1年の上半期の区切りの意味です。1年を3つに区切った「3元」の日に神をまつり、供え物をして厄を払ってもらっていました。もとは古代中国の道教の祭で、供え物をして厄を払ってもらうものでした。「上元」は陰暦1月15日、「中元」は7月15日、「下元」は10月15日です。。日本では「中元」が先祖供養を行う「盂蘭盆会」と重なっていたため定着し、仏に供える供物を親類や隣近所に贈る習慣ができたと言われています。
現在では日頃お世話になっている方々に、贈り物をする習慣となっています。もともと日本では、1年を2つにわけて正月と7月(盆)をその始めとし、区切りとして親類や世話になった方々に盆歳暮などといって品物を贈る習慣がありました。現在はこの2つが合わさって、盆に贈るお中元だけとなりました。

悩むのは「誰に送るか」ですが、「日頃お世話になっている人」を基準に自分で判断します。塾は必要ないようですが、お稽古ごとは贈るケースは多いようです。挙式の際の頼まれ仲人なら3年まででよいとされています。お世話になった方への夏のご挨拶ですので、あまり難しく考える必要はないようです。
一度贈り始めると、関係が変わらない限り続けるものですし、お中元を贈ったなら、一年の締めくくりにあたるお歳暮も、もちろん贈る事になります。
相手が喪中の時、四十九日の忌明け以降であれば「お中元」として贈っても構わないみたいです。それ以前は「お供え」として贈ります。また、時期をずらして「暑中お見舞い」や「暑中ご挨拶」として贈る方法もあります。
本来は直接訪問して渡すのが良いのですが、現在ではお店から直送する事が多くなっています。その場合、ただ贈るより挨拶状を同封するか、別に手紙や葉書を出すようにします。
基本的にお中元に対するお返しは不要です。お礼状は気持ちを伝えるためと、品物がちゃんと届いた事を知らせるためもありますので、届いたらできるだけ早く出すようにします。親しい間柄なら電話でも構いません。

表書きは紅白蝶結びののしに「御中元」と表書きします。贈る時期が遅れたら、一般的には7月15日を過ぎたら「暑中御見舞」「暑中御伺」、8月に入って立秋を過ぎたら「残暑御見舞」とします。
贈る品物と金額ですが、お酒類・缶詰・海苔・菓子類・調味料など食料品や日用品で3〜5千円くらいが一般的です。 逆にふさわしくない商品は贈ると失礼にあたる品物「踏みつける」という意味の履物類と、時計や筆記用具類は「勤勉奨励」の意味があるので目上の人に贈るにはふさわしくない品物とされています。

現在、「お中元」は百貨店の販売戦略が生み出したものだったりすると言われています。明治44年の三越呉服店の広告で宣伝効果が大いにあったらしく、他の百貨店もそれに倣って夏には百貨店でお中元を、となったみたいです。
だとしても、普段から本当にお世話になっている人には贈りたいものですよね。お中元の時期は相手も受け取りやすいので、今回一度だけお礼をしたい場合にも良い機会です。「○○の件ではお世話になりました」という内容のカードや葉書を付けて贈りましょう。
今日はお中元について話しました。


2004年 7月 3日 ソフトクリーム
1951(昭和26)年、明治神宮外苑で行われた米軍主催のアメリカ独立記念日を祝うカーニバルでソフトクリームが販売され、初めて一般の日本人がソフトクリームを食べました。
その事から7月3日がソフトクリームの日となっています。

ソフトクリームは空気の混入量からアイスクリームと区別されていたりしますが、別の見方からすると「生まれたてのアイスクリーム」で、これをさらに冷やしたのがアイスクリームとされています。
アメリカなどではソフトクリームの区別がされてないので、アイスクリームで一まとめにされているみたいです。

基本的にソフトクリームは買っても持って帰る事ができないのでその場で食べるしかありません。上手に食べないと服についたりして汚れるので、場合によっては少し覚悟して買う必要があるでしょうね。

19世紀後半にアメリカの多くの地域で、キリスト教の安息日である日曜日にクリームソーダを飲む事を禁じる条例が成立し、ソフトクリームも禁止されました。
各アイスクリーム屋ではコーンではなくカップに盛って、「これはソフトクリームとは別物」といって売り出したとか、禁酒法の時代(1930年代)にできたとか、日曜日の売れ残りを売ったからとか、他にもいろいろな説があるようですが、ソースや果物や木の実などなど、いろいろなトッピングがされているアイスクリーム、サンデーが誕生したそうです。

ソフトクリームは空気の混入量が多く、ふわっと軽い味になっています。冷たくてふわっとした食感を楽しめると良いですね。
今日はソフトクリームについて話しました。


2004年 7月 2日 食中毒
他の季節でも注意をするに越した事はありませんが、梅雨の時期から夏にかけて特に注意が必要となる食中毒。どういうものなのか、どう対処すればよいのでしょう?

食中毒はかつて「食あたり」と呼ばれていたもので、飲食物によって下痢や腹痛などの健康被害を起こす事は古くから知られています。食中毒は飲食物を介して体内に入った病原菌や有毒、有害な化学物質によって起こるもので、比較的急性の胃腸炎症状を主な症状とする健康被害です。
なので、食べ過ぎや飲み過ぎ、ビタミン欠乏症などによる栄養障害、異物による物理的・機械的被害などは食中毒とは言いません。

食中毒は原因物質によって、微生物によるもの、ウィルスによるもの、化学物質によるもの、自然毒によるもの及びその他に大別されます。
「細菌性食中毒」一定以上の細菌に汚染された食品を食べ、体内で細菌が増殖したために起きる中毒で、食中毒の大部分を占めています。特に6〜9月に多発しますが、冬場における発生も見られるため年間を通じての予防が重要となっています。病因となるのはは腸炎ビブリオ、サルモネラ、ブドウ球菌などです。
「ウイルス性食中毒」平成9年に食中毒の病因物質に加わった新しい食中毒の仲間で、小型球形ウイルスがあります。カキなどの貝類が原因になる事が多い食中毒です。
「化学性食中毒」化学物質を誤飲したり、有害な化学物質に汚染した食品を食べる事によって起こる中毒をいいます。原因となるのは重金属、洗剤、農薬などです。
「自然毒食中毒」動物性や植物性の食品の毒性部分を誤って食べる事によって起こる食中毒をいいます。動物性での原因となるはフグ・毒カマス・貝などで、植物性では毒キノコ・バレイショの芽・毒ゼリなどです。

人間にとって栄養となる食品は細菌にとっても栄養源となる事と、調理器具類は食品の残さや汚れが細菌にとって栄養源となる事。細菌は食品中の水分を利用して増殖する事、50%以下では発育しにくく、20%以下では発育できません。ほとんどの細菌は10〜60℃で増殖し、36℃前後で最もよく発育します。
細菌は栄養・水分・温度の3つ条件が全て揃った時に発育します。なので3つの条件の内どれか一つでも無くす事ができれば細菌の発育を阻止する事ができます。
また、発育を抑えたり、殺菌するだけでなく菌を食品につけない事も重要です。そのためにはまず手を洗い、清潔に保ちます。傷などがある場合はゴム手袋などをして菌がつかないようにします。鮮度の良いものを選び、買ったものは家にすぐに持ち帰って冷蔵・冷凍して菌が増えないようにします。
生の肉や魚を保存するときは、他の食品と触れないようにしっかりと包みます。これは菌が移らないようにするためです。調理に使う器具はまめに洗って二次感染を防ぎます。常温保存は危ないので作りおきはあまりせず、食べる分だけを作るようにします。時間が経って少しでも怪しければ捨てるようにしましょう。

食中毒は種類によって潜伏期間が違い、症状が出るまで気付きにくいです。もし、食中毒のような症状(下痢・腹痛・おう吐など)が表れたら、すぐ近くの医療機関で受診してください。場合によっては救急車も使いましょう。

食中毒予防の三原則は、食中毒菌を「つけない、増やさない、やっつける」です。この簡単な予防法をちゃんとしていればまずなりませんので、調理時には気を付けるようにしましょう。
今日は食中毒について話しました。


2004年 7月 1日 わさび
わさびは1年中出回っていますが、花が咲いて生育が旺盛な春頃は茎に近い部分の水分量が多くなり、辛味が弱くなるので春以外の季節が旬となっているみたいです。

わさびは漢字で「山葵」と書きます。これはこずえが葵に似ているためです。それが奥深い山の湿地に生えるので「山葵」となりました。辛みが口に響くように伝わるため「早響(わさび)」とも言われています。 学名はWasabia Japonica Matsumで、学名から日本原産である事がわかります。

わさびはアブラナ科の多年生水生植物です。西洋わさびと区別するために「本わさび」と呼ばれます。夏涼しく冬温暖な山地の沢に生え、水温が10℃前後でないと育ちません。また水質などの条件が合わないと生育が悪くなったり病気になったりします。
収穫までに3〜4年かかる割に採れる量が極めて少ないので、どうしても貴重品になっています。本わさびの中でも、品種改良によって畑でも栽培できる品種もあり、沢沿いの傾斜地や山林の木の下で栽培されている事が多いようです。成長も早く1年半で出荷され、畑わさびと呼ばれています。
西洋わさびはワサビ大根、蝦夷ワサビとも呼ばれます。欧米ではホース・ラディッシュと呼ばれ、原産地は東ヨーロッパ説が有力です。日本では主に北海道で栽培されています。見た目は本わさびと全く違うのですが、辛味と香りの成分が本わさびと共通しています。
粉ワサビやチューブ入りの練ワサビはほとんどが西洋わさびを原料としていて、「本わさび入りの生おろしわさび」は西洋わさびを原料とした練ワサビに本わさびを加えたものです。西洋わさびは本わさびと同じ辛さと香りの成分を持ち、本わさびよりずっと安いので粉ワサビや練ワサビの原料として広く使われます。

わさびは通常根茎を利用しますが、葉、茎などにも同じ辛味成分があります。茎はわさび漬け、根から分かれて生えているヒゲ根は練ワサビの原料にされます。春先にだけ出まわる花わさびはわさびの花茎で、天ぷらやお浸しにします。
わさびはタンパク質、カルシウム、リン、ビタミンB1、B2、Cなどを含んでいて、体にいい食品ではあるのですが、一回の摂取量が少量であるため、栄養面であまり期待できるものではありません。その代わり、わさび特有の辛味は大きな魅力で、食欲を増進させる嗜好性食品として抜群です。
この辛味の成分は揮発性のアリル芥子油(がいしゆ)です。根や葉の細胞にシニグリンという物質が含まれていて、すりおろして細胞が壊れるとミロシナーゼという酵素の働きで分解されてアリル芥子油になります。
わさびはきめ細かくするほど辛味が増すといわれています。これは辛味成分が細胞の破壊によって生成されるためです。また、わさびは金気を嫌うので、すりおろしたらすばやく陶磁器の器に移すようにします。

わさびを選ぶ時は太くてみずみずしいものを選び、おろした時に粘り気があり、青々しているものが良く、葉柄や茎に黒い筋があるものはあまり良くないそうです。
わさびの品質低下を防ぐ最良の方法はなるだけ早く使いきる事ですが、根茎を水にぬらして新聞紙でくるんでラップして冷蔵庫で保存すれば一ヶ月は保ちます。また、水を入れたコップに根茎を浸す方法もあり、この場合水は毎日取り替えます。すりおろして余ったものは時間がたつほど香りが失せるので、保存にはむきません。使い切れる量だけするようにしましょう。

わさびは抗菌作用と食欲増進の効果を期待されて薬味などに使われていますね。本わさびはかなり手に入りにくいそうですが、手に入れられたらその風味を楽しんでください。
今日はわさびについて話しました。


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