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| 2005年 2月28日 | フカヒレ |
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フカヒレ(鱶鰭)は、大型の鮫(サメ)のヒレを乾燥させた食材です。中華料理の高級食材として使われ、特にフカヒレスープの主原料となっています。 ちなみにフカヒレスープは世界三大スープに含まれていると言われています。 サメは全部で8枚のヒレを持っていますが、通常フカヒレとして利用されるのは尾びれ、第1背びれ、胸びれ1対の計4枚です。世界には300種以上の鮫がいると言われていて、そのうち20種ほどの鮫のヒレが、現在国内でフカヒレの原料として利用されています。 日本では気仙沼の水揚げが最も多いですが、この多くは鮪延縄漁業で一緒に釣れた鮫からくるものみたいです。それでも日本産は世界でも高級品とされています。 フカヒレは乾燥方法によって、「陸干し(生で港に運ばれ、血抜きした後に乾燥させたもの)」と、「船干し(遠洋漁船の上で、血抜きをせずに船の上で乾燥させたもの)」があります。また、その色相によって白翅(シロビレ)と黒翅(クロビレ)に分けられ、白翅の方が珍重され特に好まれるそうです。 鮫の体内には尿素やアンモニアなどが含まれ、ヒレにもこれらの成分を含んでいるためフカヒレにも独特のアンモニア臭がするそうです。そこでヒレを水で戻した後、皮や軟骨を除去し、脱臭処理(ショウガ、ネギ、紹興酒に数時間漬け、さらに一日中流水に置くのを約1週間繰り返す)して初めて食用となります。 ヒレには、「きんし」と呼ばれる糸状の硬タンパク質とそれを取り囲むゼラチン質の組織があり、きんしのみを取り出して利用する場合と、尾びれや背びれをゼラチン質の組織ごと姿煮等として利用する場合があります。 フカヒレは血管・皮膚・内臓の老化を防ぎ、美容に良く、スタミナをつけると言われ、古くから長寿を保つ食品として食べられています。軟骨に含まれるコンドロイチン硫酸は体液を保持する作用があり、肌荒れ、皮膚炎、心臓病、心筋梗塞、腎炎や肝機能改善などに有効と言われています。 また鮫の軟骨は癌細胞の破壊に有効・鎮痛作用があるという臨床結果もあり、フカヒレは漢方、薬膳として以外でもその豊潤な香りと奥深い味わいから、中国の高級宴席には欠かす事のできない「中国料理の王様」と呼ばれているそうです。 フカヒレ自体は、基本的に無味無臭が原則ですが、独特の臭いは残ってしまうそうです。フカヒレスープなどは高級なスープを使用して味を染み込ませるため、その店の高級スープの味がわかるそうです。ちょっとお値段張りますけど、試してみたいですね。 今日はフカヒレについて話しました。 | |
| 2005年 2月27日 | 新撰組 |
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1862(文久2)年の今日、「新選組」の前身「壬生浪士組(壬生浪士隊)」が結成された事から、2月27日は新選組の日となっています。 新撰組(しんせんぐみ)は正規名は「新選組」であるとされていたりします。発足して後に新撰組と書かれた文書があったらしく、現在では「新撰組」と表記される事が多いようですが、実際には語句の意味から言っても「新選組」が正しいと学者は考えているようです。 当時は当て字も多く、「耳で聞いたとうり」漢字を当てはめたらしいという話もあります。こちらでは新撰組として書きます。 新撰組が結成された背景には、1853(嘉永6)年の「黒船来航」が原因にあるみたいです。そして2度目の来航の時に、幕府はアメリカと和親条約を結びます。徳川幕府の長かった「鎖国」体制が終わりを告げたのでした。 しかし、この条約は京都にいる天皇の許可(勅許といいます)を得ぬまま、幕府の時の大老・井伊直弼が独断で結んでしまったものでした。この事に怒った人たちは「尊皇攘夷(天皇を尊重し、外国勢力を排斥しようという思想)」と呼ばれる運動を起こします。 尊王攘夷派に対する大弾圧(安政の大獄)を経て、過激な尊皇攘夷派の人たちは、反幕・倒幕思想の元、テロリズムへと走っていくようになります。これらの尊皇攘夷の志士達が多く集まった場所が、天皇のいる土地である京都でした。 1863(文久3)年、時の将軍の徳川家茂は、京都へ赴く(上洛)事になりました。そこに清河八郎の提案で、「将軍警護のために江戸において浪士を募って京都へ連れていく」という目的のため「壬生浪士隊」が結成されます。 元々は上洛する将軍を京都に護衛する為に組織された300人程度の腕に覚えのある浪人と百姓の集まりです。最初は「浪士組」とも呼ばれ壬生狼(みぶろ)と軽蔑されていたとの定説がありますが、近藤本人が「壬生浪士」と書簡に残したものもあるようで、自ら名乗ったという説もあります。 翌1863年2月に江戸を出発しましたが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出しました。これに反発したのが近藤勇一派と芹沢鴨一派でしたが、そんなこんなで浪士組は空中分解してしまいました。 その後、慌てた幕府によって清河らは江戸に返されましたが、近藤・芹沢ら24名は清河と袂を分かち京都に残ります。彼らは、京都守護職という任にあった会津藩に身を寄せ、会津藩預かりの元、京都の治安維持を目的とした組織を結成します。これが「新撰組」ですが、「新撰組」の名が付いたのはもうちょっと後の8月みたいです。 かくして新撰組は誕生し、尊攘派志士の取り締まりに辣腕を振るう事になります。しかし、その内部では、近藤一派と芹沢一派との対立がありました。芹沢は粗暴な性格で知られ、評判も良くなかった事もあり、芹沢一派は近藤達に粛正されます。これによって新撰組は、近藤の元に組織が一本化されます。 新撰組の絶頂期は、1864(元治元)年の「池田屋事件」の頃と考えられています。この事件で、尊皇攘夷派の大物を数多く討ち取り、その名は天下に轟きました。 しかし、時代は変わっていき、薩摩と長州という大藩が倒幕の為に手を結び、朝廷の意志も幕府支持から倒幕派支持へと変わっていきました。 倒幕軍(官軍)と幕府軍が激突した、1868(慶応4)年1月に始まる鳥羽伏見の戦いで、幕府軍は大敗し、江戸へ向けて撤退していく事になります。幕府軍に参加していた新撰組も、江戸へと落ちていきます。この中で新撰組も次第に散り散りになっていきます。 沖田総司は病(結核)に倒れ、近藤勇は官軍に捕らえられ斬首されます。土方歳三は残った隊士を集め、北へと転戦して箱館(現・函館)の地で戦死します。土方戦死の一週間後、箱館五稜郭の旧幕府軍は官軍に降伏します。 鳥羽伏見の戦いに始まる、約一年半に渡る「戊辰戦争」と呼ばれる一連の戦いは、この箱館戦争の終結をもって終わりとなりました。幕府は消えて武士の世は終わります。それはまた、「新撰組」の時代の終焉をも意味していました。そして、時代は明治の世へと移っていきます。 本当は新撰組の思想もまた「尊皇攘夷」であったそうです。ただ、彼らは幕府を信じていたのです。幕府のために戦い、尽くす事が彼ら自身の栄光へ繋がるのだと信じていました。混迷する時代の中、ただ一点、その信念の元、がむしゃらに戦い続けていたのです。 新撰組をまとめていたのが、「局中法度」という副長の土方歳三が作り上げた新撰組の「法」でした。「武士道に背くまじき事」という基本理念の本に、私闘・脱隊・勝手な金策などを禁じたもので、それに背いたものは切腹という非常に厳しいものでした。 芹沢派の粛正もこの法度に則った物とされました。「局中法度」は初心を忘れて「侍」になる事ばかりにこだわっていると、博学で人格者であった山南敬助は愛想を尽かして脱走しますが、捕らえられて切腹させられます。 この「局中法度」により、新撰組は、その外に対してのみならず、内にも多くの血を流していく事になります。「局中法度」はただ単純に、侍に切望した武州多摩の百姓達が「侍はこのようにあるべし」と夢に描いた戒律なのかもしれません。 新撰組の強さは情報収集能力と闘い方みたいです。新撰組の闘い方は、いつもきちんとした正攻法で、多人数で囲み相手を疲労させたうえで殺害する。味方には死者を出さないというものみたいです。 京都での4年間で新撰組の死者は58人であると言われ、任務時やその時の負傷により死亡したものは7名しかいません。残りは病死、粛正と仲間内の殺し合いによるそうです。 新撰組の「誠旗」は有名です。山形の模様の旗に描かれた「誠」という文字は、新撰組のシンボルだったと考えられています。「誠」の由来は、壬生浪士結成当時は尊皇攘夷を志す集団として天皇に対する想いをこめて「誠忠」という文字だったそうです。 それが発展して様々なバリエーションの「誠」になったという説があります。なので、「誠忠」と描かれた物も存在するようです。 新撰組の隊服も誠旗と同じく有名で、浅葱色に白く山形の模様がついたダンダラ羽織です。この有名なダンダラ羽織は、かの有名な忠臣蔵の武士たちが討ち入りの時に着用した服が参考にされたようです。ただ、テレビとかでは、隊士はこれを着用していますがそうでもなかったようです。 最終的に新撰組は不幸な運命を辿るのですが、その散り際が一つの魅力としてもあるようです。 今日は新撰組について話しました。 | |
| 2005年 2月26日 | ボルシチ |
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ボルシチ(Borsch)は、ロシアの伝統的な料理で世界三大スープのうちの1つとも言われています。 ボルシチはウクライナから伝わったロシアの伝統的な家庭料理です。家庭料理なので、地方ごとに十数種類以上のレシピがありますが、簡単に言うと牛肉と野菜の鮮やかな深紅色の煮込みスープです。ちなみに「シチ」がスープの意味になっています。 基本的には「ビーツ」という赤かぶの一種(中まで赤い色をしたかぶ、砂糖大根の仲間)を使用し、これから深紅色の色素が出てボルシチ独特の赤色になります。さらにタマネギ、トマト、ニンジン、牛肉などを炒めてからスープで煮込みます。 それ以外の具としてソーセージ、ハム、ベーコン、肉だんごなどの肉類や、魚のから揚げなどを使ったりもします。ちょっとずつ違いますがいずれもスメタナをかけて食べる事と、原料にビーツを使用している点は共通しています。 ボルシチに入れるビーツは、缶詰として国内にも輸入されているので探せば手に入れられます。また、スメタナが無い場合は、ヨーグルトか生クリームで代用してください。 ボルシチに使われるビーツはまだ効能などはわかっていませんが、食物繊維が豊富にあるみたいです。また、スメタナは牛乳からつくったサワークリームのようなもので、ヨーグルトにいる善玉菌などが含まれています。 ボルシチは野菜から出ただしが牛肉にしみ込んでコクのある風味が味わえます。季節の野菜をいれて美味しく食べましょう。 今日はボルシチについて話しました。 | |
| 2005年 2月25日 | ブイヤベース |
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ブイヤベース(boillabaisse)は、フランスの地中海地方にある港町マルセイユの名物料理で世界三大スープの1つと言われています。 ブイヤベースは「沸騰して下に落ちる(または煮立たせる・火を弱める)」の意味です。漁師たちが網にかかった雑魚を自分たちの食事として煮込んだものが原点で、ブイヤベースがぐつぐつと泡を立てて煮る事に由来します。 ブイヤベースはトマトベースのスープに旬の様々な魚介類を加えたもので、貝や頭や骨付きの魚から出るコクのあるスープができます。難しい料理ですが、初心者が作ってもそれなりに美味しくできるそうです。 本場のブイヤベースは、4種以上の魚のみが入ったシンプルで素朴な料理です。また、マルセイユには「ブイヤベース憲章」なるものがあり、この事細かな細則によって伝統的な味が守られているそうです。 ブイヤベースの作り方は、魚は内臓を抜き、小さい魚はそのまま、大きいものはぶつ切りにします。口の広い大きな鍋に、切り分けたタマネギ、ポロネギ、トマト、つぶしたニンニク、ういきょう、パセリ、ローリエ、タイムなどの香草類、干したオレンジの皮と一緒に、身の硬い魚を入れ、オリーヴ油をかけ、水(だし汁)をひたひたになるまで注ぎます。 塩・胡椒をしてサフランを加えて強火にかけ、沸騰後5分したら、身のやわらかい魚を加え、さらに約10分間強火で煮るとできあがりです。魚は取り出して皿に盛り、煮汁は漉して薄切りのパンを入れたスープ皿に注ぎます。 魚は白身の魚で、できるだけ多くの種類を使う方が味は複雑になり深みが増すそうです。沿岸の岩場でとれた魚だけを使うのが良いとか、小魚はスープを美味しくするので必ず入れるなど言われています。 ブイヤベースは様々な具材を煮込むため、ビタミンとかミネラルとか種類や量が一度に摂れます。他にもサフランなどの香草類の効能なども得られそうです。ちなみにブイヤベースは19世紀、文学作品に多く登場したために有名になったそうです。 今日はブイヤベースについて話しました。 | |
| 2005年 2月24日 | 地雷 |
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1995(平成7)年の今日、カンボジアで地雷の根絶を訴える集会が開かれた事から、2月24日を地雷を考える日となっています。 地雷は地上または地表近くに設置されるもので、対人地雷の場合は人間、対戦車地雷や対車両地雷の場合は車両の接近または接触によって爆発します。海で使用される地雷もあるそうです。 戦略的な観点からみれば、特定領域への敵の侵入を防ぐために使用されていると言えます。もともと地雷は、国境線にそって埋められていましたが、今ではどこに埋まっているかわからなくなっています。 そのため、紛争が終わっても田や森林には地雷が残り、毎年25000人〜27000人が地雷の被害に遭っていると言われます。被害者の80%は非戦闘員で、その24%近くは14歳以下の子どもです。 地雷の種類は「対人地雷(anti-personnel mine:戦車に随伴する歩兵および対戦車地雷除去要員を阻止する地雷)」、「対戦車地雷(anti-tank mine:戦車の進入を阻止する地雷)」、「対ヘリコプタ地雷(anti-helicopter mine:ヘリコプターに対して多数の子弾/破片を放射する地雷)」などがあり、問題となっているのは対人地雷です。 対人地雷には地雷を踏む事によって爆発し、その破裂が人間の下半身を奪う「破裂型」。地雷内部に無数の破片を埋め込み、爆発によってその破片が人間の下半身、胃、胸部などに致命的ダメージを与える「破片飛散型」。地面に仕掛けて張ったワイヤーを引っかけたと同時に最初の爆発が起こり、それによって胸の高さ(1〜1.5mぐらい)に飛び出した爆弾が二度目の爆発を起こして、広範囲にわたって破片を飛散させ、周りの人間に致命的ダメージを与える「飛び出し型」。などがあります。 対人地雷が生まれたのは、敵が地雷を除去するのを防ぐために発明されたのが始まりです。第1次世界大戦で生まれた戦車は防御性が高く機動力もあり、戦闘の主流として普及しました。 そして、それと同時に戦車を破壊する手段として、地雷が用いられるようになったのです。これらの地雷は、形も大きく目立つため、簡単に除去されたり、逆に敵の手によってその地雷を自分達に仕掛けられたりする事もありました。 そこで、除去されにくくするために用いられるようになりました。その後、第二次世界大戦までに対人地雷は改良を重ねられ、戦略の主要な位置を占めるようになり、各国で広く用いられるようになりましたが、それは兵士を標的にしたもので軍事目的にのみ関係して用いられていました。 現在の対人地雷は殺す事よりも、負傷させる事を目的に開発された兵器になっています。負傷した兵士を後方に運んだり、治療やリハビリを施したりと、敵方に時間的・経済的負担を負わせるとともに、周りの目撃者に精神的打撃と恐怖心を植え付ける効果もあるそうです。 ただし、殺す事が目的でないといっても、地雷を踏んで生き残れるのは2人に1人と言われています。また、敵方の経済活動を破壊する事も目的にしているため、広場・田畑・水汲み場・山林など、人の集まる場所に多く埋められます。地雷は半永久的に作動するので、戦争が終わったあとの地雷原が民間人の生活の場になる事もあります。 対人地雷は、1つ100〜1000円ぐらいで安く手に入ります。しかし、対人地雷を1つ除去すると、その費用は10万円にもなります。そして、地雷を1個除去する間に20個埋められていて、全て取り除くには1100年間かかると言われています。 現在、日本を含め世界の約130ヶ国が参加して決めた「対人地雷禁止条約」で、対人地雷を作る事も、使う事も、持つ事も禁止する事になっています。ただし、アメリカやロシア、中国といった地雷製造国であり輸出国は条約に参加していません。 また、国家間の戦いより、地域レベルの戦いや場所を選ばないテロなどが主流の現在の世界では、反政府ゲリラやテロリストなど国家に属さない組織に条約の効力がありません。地雷程度なら、ゲリラでも製造できてしまうのも問題です。 それでも地道に除去作業は続けられ、地雷のない地帯を作ろうと頑張っています。また、地雷による障害者の治療など、様々な支援が必要とされています。 今日は地雷について話しました。 | |
| 2005年 2月23日 | 富士山 |
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「富士山ふ(2)じ(2)さん(3)」の語呂合せと、この時期、富士山がよく望める事から2月23日を富士山の日と、パソコン通信「NiftyServe」内の「山の展望と地図のフォーラム(FYAMAP)」が制定しました。 これとは別に山梨県河口湖町が2001(平成13)年12月に制定しています。 富士山は、静岡県と山梨県に跨る活火山であり、標高3776mの日本最高の山です。底面直径は約56km、体積は1400立方kmに及ぶ世界でも著名な円錐成層火山です。頂上には直径500m・深さ250mの火口があります。 等高線は頂上付近では同心円状ですが、中腹以下では北北西から南南東に至る線を長軸にした楕円を描いているそうです。これは山腹にある寄生火山や火口、さらには山の割れ目の半分以上がこの線に並んでいる事に関係があるものとされ、またこの方向は富士山地下深部の張力割れ目の方向でもあるらしく、富士山の噴火といえば古くからこの割れ目を通じて起こっていると言われています。 富士山は約900万年前現在の富士山の周辺に位置する丹沢や御坂の山々が、海から隆起を始めたところから始まります。富士山は典型的な成層火山(コニーデ)で、現在の富士山の山体の形成は、大きく三段階(小御岳→古富士→新富士)に分かれます。 富士山の土台となっているのが小御岳火山です。この火山は、今から数十万年ほど前に噴火しました。小御岳火山が噴火した頃は、日本各地で火山の噴火活動が盛んで、愛鷹火山や箱根火山も同じ頃に噴火したと考えられています。 小御岳火山は、多くの噴火によって溶岩や火山灰などが層を作ってできた火山(成層火山)で、2400mほどの高さがありました。現在、山の大部分は富士山の溶岩に埋めつくされています。 古富士火山は、今から8万年ほど前に小御岳火山の南側斜面から噴火が始まりました。特に2万5千年ほど前の噴火は、多量の火山灰・火山れきを爆発的に放出する巨大噴火でした。 しかも、この時期が氷河期であったため、富士山の厚い雪と氷河が高温の溶岩によって溶け、噴火した溶岩の塊や火山れき・火山灰などと混じって泥流となり、小御岳火山をおおいつくしました。 一方、上空に噴き出された火山灰は、偏西風によって関東地方に降り積もり、関東ロームと呼ぱれる地層を作りました。このような巨大噴火によって古富士火山は、しだいに大きな火山に成長し、2700mほどの高さになったと考えられています。 今から1万4千年ほど前、新富士火山は古富士火口付近を噴火口として、再び活動を始めました。この溶岩は、富士山斜面や富士川橋附近の川底・水神の森のまわりに見られるばかりでなく、田子の浦港の地下100mくらいのところまで山麓を流れ下っています。 新富士火山は、1万年前頃から少しずつ噴火の規模を小さくして、8千年前頃には、ほぼ今の富士山が形づくられ、1707(宝永4)年の宝永山の噴火を最後に活動を休止しています。 富士山では高山植物や高山鳥は少ないそうです。これは氷河期以降にできた新しい山であるからと言われ、また富士山は年降水量2500mmを超える多雨地帯で、この雨は透水性の強い地面に浸み、伏流水となって富士宮・三島・小山・富士吉田などで湧出し、忍野八海・白糸滝など有名です。 また富士山には八百八沢と言われる沢が発達していて、その最大のものが富士西南側に見る大沢で、大沢くずれは最近とみに崩壊が著しいために富士山の山形を変えるのではないかと砂防工事が行われています。 富士山は遠くから眺めるのなら、11〜3月の冬季に日の出から10時頃までが良いみたいです。日の出とともに気温が上がると大気中の水蒸気が増え展望が悪くなるためです。 富士山に登る場合は夏の間が楽みたいです。ただし、体調や装備などはしっかりとしておかないと痛い目に会います。ちなみに登山家の間では「富士山に 登らない馬鹿 二度登る馬鹿」と言う言葉が流布してるそうです。 富士山は古文献でや別名は不二山とされています。竹取物語での命名など名前の由来にはいろいろあるみたいです。 今日は富士山について話しました。 | |
| 2005年 2月22日 | トムヤムクン |
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エスニック料理の代表格であるトムヤムクンは、世界三大スープの1つと言われ、本場タイだけでなく日本でも圧倒的にファンが多いようです。 トムヤムクンのトムは「煮込む・茹でる(スープ)」、ヤムは「辛味付け・あえる」、クンは「海老」の意味で「海老の辛煮込み」をあらわしています。また、トムは「酸っぱい」、ヤムは「辛い」で、トムヤムクンは酸っぱくて辛い海老のスープであるとも言われています。要は柑橘系の酸味の効いた辛くて酸っぱいスープです。 このトムヤムクンには各種のハーブがふんだんに使われているそうで、鍋に入ったスープの中身は海老とかの食べられる具よりも、だしを取る目的で入れられたハーブの方が量が多かったりするくらいだそうです。 また、「ココナッツミルク」も入るため、ただ辛いというわけではなくまろやかさも出るそうです。 トムヤムクンの作り方は、材料を適当に切っておきます。鍋に水を入れて沸騰したところへ、コリアンダーなどの野菜を入れて固形スープを入れて煮立たせます。どの後海老、レモン汁、しょうが、レモングラス、唐辛子、ナンプラーなどを加え、海老に火が通るまで煮ます。 トムヤムクンにはさまざまな効能があるそうです。調理に使われる香味野菜のナンキョウ(タイショウガ)、レモングラス、カフィライム(コブミカン)の葉に強い抗癌作用があるそうで、ナンキョウ、カフィライムの葉はベータカロチンの数十倍から百倍もの抗酸化作用があり、レモングラスも消化器系癌の原因となる細菌への殺傷能力が高いそうです。 他にもハーブから消化促進・健胃整腸効果・食欲増進などがあったり、ベータカロチンも豊富に含まれています。ライムにはビタミンCや、白血球の中の風邪に対する免疫力を強くする働きがあるそうです。 さらに、唐辛子の辛味成分カプサイシンが中性脂肪を分解してエネルギー代謝を促したり、食欲増進や発汗を促進して体を冷やす効果もあります。 トムヤムクンはタイの日常生活の中ではそんなごちそう然としたものではなくて、庶民のお惣菜として親しまれているそうです。あまり食べる機会はないかもしれませんが、一度食べてみたいですね。 今日はトムヤムクンについて話しました。 | |
| 2005年 2月21日 | 新聞 |
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1872(明治5)年の今日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞(現在の毎日新聞)」が創刊した事から、2月21日を日刊新聞創刊の日としています。 新聞は、社会の出来事について事実や解説を伝える定期刊行物です。基本的には日刊で社会全般の事を扱うものを言いますが、週刊・旬刊・月刊のものや、経済・スポーツなど特定の分野だけを扱うものもあります。 日本で新聞と名のつく最初のものは1862年の「官板バタビヤ新聞」だそうですが、現在のような体裁をもつ日刊紙としては1870年「横浜毎日新聞」の発行が最初であると言われています。 日刊の新聞(一般紙とも言われます)には大手の全国紙や一つの県単位で発行される地域密着の地方紙、隣接する県も対象にしたブロック紙があります。各地域の新聞販売店からの宅配による月極め販売や鉄道駅売店、コンビニエンスストアなどでの一部ごとの販売が行われています。 内容は政治・経済・社会的なニュースだけでなく、テレビやラジオの番組表、天気予報、読者投稿欄や囲碁、将棋欄などの家庭一般向け記事が掲載されます。自社の論説委員が書いた社説を掲載して、その新聞社の見解や意見を社会に示す事もあるそうです。 日本は新聞が最も読まれている国の1つであるため、世論の形成に新聞が大きな影響を及ぼす事が多いと言われています。 報道だけではなく企画記事もありますが、そこには新聞社の問題意識が反映されています。読者は「事実」を知るだけでなく、それを報道する事で記者が新聞社が込めた視点や問題意識を読み取る事ができます。 新聞は様々な情報が手に入れられますが、その情報は少なからず記者や新聞社の視点・思想が入っています。他の新聞と比べて見るとその差はわかりやすいと思います。新聞はそういうのも含めて読んだ方が良さそうです。 今日は新聞について話しました。 | |
| 2005年 2月20日 | 選挙 |
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1928(昭和3)年の今日、日本で初めて普通選挙が実施された事から2月20日を普通選挙の日としています。納税額に関係なく、満25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられました。 女性も参加した完全な普通選挙が実施されるようになったのは1946(昭和21)年4月10日の総選挙からで、4月10日は婦人参政記念日・女性の日となっています。 選挙(せんきょ)は、首長や会議の議員、団体の代表者や役員を選び出す事で、ほとんどの場合は投票によって行われます。選挙に投票する権利の事を選挙権、立候補する権利の事を被選挙権と言います。 「選挙」には、多くの種類があります。国の代表である国会議員を選ぶ選挙から、市・町・村の長や議員を選ぶ選挙、各種委員を選ぶ選挙、最高裁判所裁判官に関する国民の審査などまであります。 また、選挙には一定年齢に達したすべての住民に選挙権を与える「普通選挙」と、収入・資産・家柄などで制限する「制限選挙」があるのを始めとして、「平等選挙(1票の価値が同じ)」や「差別選挙(納税額で票の価値に差がある)」、「秘密選挙(誰がどれに入れたか不明)」「公開選挙(署名などで内容がわかる)」、「直接選挙(有権者が直接選ぶ)」「間接選挙(選挙人を選んでさらにその人に投票してもらう)」、「強制選挙(必ず投票しなければならない)」「任意選挙(投票するかどうか選択できる)」などあります。 日本の選挙の歴史は、1889(明治22)年に満25歳以上の男性で直接国税15円以上を納めている者に選挙権が与えられる制限選挙から始まり、1900(明治33)年に10円以上、1919(大正8)年に3円以上と引き下げられて、1928年に納税条件が撤廃され満25歳以上の男性全員に選挙権が与えられました。1946年になってやっと満20歳以上の男性と女性に選挙権が与えられました。 選挙権は、原則として満20歳以上(選挙の翌日から満20歳になる場合も可)の日本国民に与えられます。地方選挙に関しては、3ヶ月以上その区域内に住んでいる事も必要になります。ただし、犯罪を行ったとかで選挙権が停止される事もあります。 被選挙権は、参議院議員や都道府県知事の場合、満30歳以上の日本国民に与えられます。衆議院議員や地方公共団体の首長の場合は満25歳以上、地方公共団体の議員の場合は満25歳以上かつ、その区域に3ヶ月以上住所をおいている日本国民に与えられます。 近年投票率の低下や議員の汚職などいろいろと問題になっています。また、現在の日本で現実的な国の舵取を行うのは、選挙で選ばれた議員ではなく「役所党」といった過酷な受験競争を生き抜いた人たちであるとも言われています。 今日は選挙について話しました。 | |
| 2005年 2月19日 | プロレス |
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1955(昭和30)年の今日、日本初のプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合が開催された事から、2月19日はプロレスの日とされています。 「プロフェッショナル・レスリング」の略がプロレスで、プロレスラーと呼ばれる興行会社と契約を結んだレスラーが打撃や投げ、関節技などを用いた試合を見せる興行です。女性プロレスラーの行うプロレスは特に女子プロレスとされ区別されるみたいです。 プロレスの起源は、イギリスのランカシャー地方のレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)にあると言われています。19世紀の初め頃に、ボクシングなどとともにイギリスで興行が開始されていて、1830年代にはアメリカにプロレスが伝えられます。20世紀に入ってメキシコや日本にも伝わり、現在の形になったそうです。 元々は、賞金付きの腕試し大会でレスリングが開催されていましたが、現在ではレスラーは興行会社と契約を結んだ従業員として戦うタイプの、ショー性を高めた物が多くなっています。また、学生達の愛好家による学生プロレスも存在するそうです。 プロレスの基本的なルールは、対戦相手の両肩をマットに押しつけ(フォール)、3カウントが入れば勝利となります。その他にノックアウトやリングアウト、ギブアップなどで勝敗を決めます。 プロレスはさらに、レスラーの選手生命にかかわるような悪質なもの以外、反則が5秒まで許される「5秒ルール」。技をかけられた方のレスラーが手足でロープに触れるか、体の部分がロープ外のリングサイドエプロンに完全に出た場合は、いかなる技もはずさなくてはならないという「ロープブレイク」。(これをはずさない場合には、いきなり反則負けではなく、5秒ルール適用などとなるそうです)などがあります。 対戦の舞台となるのは3本のロープを四方に張り巡らせたリングで、形状はボクシングなどとほぼ同じみたいです。ただし、自らロープに走ったり、相手をロープに走らせるなど、ロープの反動を積極的に用いて技を仕掛けたりなどは、他のリングを使用する格闘技にはありません。 その他に、自らコーナーに登って飛び降りる技や、相手をコーナーから落とす技など、リングの形状を用いた技も多くあります。 プロレスは、「観客に何をアピールするか、またアピールできるか」がプロレスのテーマであるとも言われています。「誰が一番強い」ではなく、「誰が一番魅せる」がテーマなのだそうです。 そのため、プロレスでは相手の技を敢えて受ける「受けの凄み」というものがあるみたいです。相手の技を受けきった上で、さらにその上をいく鍛え抜かれた強靱な体が必要であり、勝利までの流れに大掛かりなドラマを表現する必要があるそうです。 試合によっては最初から勝敗が決まっていたり観客を意識していたりと、ある意味芝居の一種とも言えます。なので、試合の結果よりも途中過程を楽しむのが良いようです。 今日はプロレスについて話しました。 | |
| 2005年 2月18日 | 雪 |
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雪は、気温が摂氏零度以下の大気の上層で雲中の水蒸気が結晶して地上に降る白いものです。地上に降ってくる事を天気、地上に積もった堆積物を指したりもします。現象のみを表す場合は「降雪」、地表面に雪が堆積している状態やその雪を「積雪」と言います。 雪の語源は、様々な説があります。「神聖であること」「いみ清めること」を意味する「斎(ゆ)」に、「潔白(きよき)」の「き」であるという説。「潔斎(けっさい)」を意味する「斎潔(ゆきよし)」からという説。 その他に、「緩水(ゆるやかひ)」の転、「冷気(ひゆけ)」の転、「深雪(みゆき)のみの略などあります。 縄文時代の昔から、雪は人間の営みにとって、貴重な水資源を貯えるという大きな役割を果たしていました。稲作の時代になると平野部だけでなく、「耕して天まで至る」と言われるほど山頂近くまで棚田を切り開く事を可能にしました。 雪のもたらす恵みの偉大さは、人々にとって過酷な生活条件をも上回る価値あるものだったようです。 雪の結晶の形成の仕組み。上空は高いほど気温は低く氷点下となっています。その時、大気を浮遊する物質の周りに水蒸気が付着して凍ったり・凍った水蒸気(氷晶)が付着してできます。 さらに落下しながら周囲の水蒸気や氷晶がくっつき、これらの過程を繰り返す事によって雪の結晶が大きく個性的な形に成長していきます。 こうしてできる雪の結晶は、中心はより高いところの大気状態を表し、外側は下層の大気状態を表しています。雪の結晶は、落下しながら通過する大気の温度や湿度によってその形を変えていき、地上にいながらにして雪の結晶から上空の気象条件を推測できちゃいます。 雪に関連する言葉も挙げておきます。「霰(あられ)」、丸く丸まった少し押し固められたような雪というか氷で、直径5mm未満です。「凍雨(とうう)」、雨粒が凍った雪というか氷ですが、雪の分類です。「霙(みぞれ)」、水と雪が混じってる状態です。「雹(ひょう)」、主に積乱雲から降る氷の粒で、直径5mm以上のものを指します。 「にわか雪」、にわかにぱらぱらと降る事です。「霜(しも)」、空気中の水蒸気が凍った現象です。 また、1936年に、北海道大学で中谷宇吉郎が雪の結晶を世界で初めて人工的に作成しました。この時作られた人工雪発生器は、ウサギの毛を結晶の核として用い、器具の中で水蒸気を対流させるものでした。これらの研究で、雪の結晶の形が気温と湿度によって変わる事が明らかになりました。 気象レベルでの人工降雪は、人工降雨と原理的に変わらないそうです。雲の中にヨウ化銀を撒布する方式が主に用いられます。雪が少ないスキー場では、小さな氷の粒を撒布して人工雪を作ります。この人工雪は氷の結晶ではなく、中谷らの研究が生んだ人工雪とは質的に異なるそうです。 雪の状態から上空の気象条件がわかる事から、「雪は天から送られた手紙」と言われてるみたいです。雪害などもありますが、上手に付き合っていきたいですね。 今日は雪について話しました。 | |
| 2005年 2月17日 | ダイヤモンドダスト |
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1978(昭和53)年の今日、幌加内町母子里の北大演習林で氷点下41.2℃という最低気温が記録されました。しかし、気象庁の公式記録の対象から外れていたために、別の日の旭川市氷点下41.0℃が公式の日本最低気温となっています。 これをプラスイメージに変えようと、町内の若者グループが中心となり、この日ダイヤモンドダストの観察等厳冬の一夜を体験する「天使の囁きを聴く集い」を1987(昭和62)年から開催しています。 その事から2月17日を「天使のささやきの日」「天使の囁き記念日」と、北海道幌加内町の「天使の囁きを聴く会」が1994(平成6)年に制定しました。「天使の囁き」は、空気中の水蒸気が凍ってできるダイヤモンドダストの事です。 空気中にある水分(水蒸気)が、冷やされて小さな氷の粒(結晶)になって空中に浮かぶ事があります。その小さな氷の粒の事を氷晶(ひょうしょう)と言い、浮かんでいる現象を細氷(さいひょう)と言います。 その細氷が光を受けてキラキラと光る様子からダイヤモンドダストと呼ばれているのです。このダイヤモンドダストという言葉は、日本で生まれた言葉(和製英語)です。 英語では「Ice Crystal Display(氷晶陳列・氷晶見世物)」「Ice Crystal Precipitation from Clear sky(快晴の空からの氷晶降水)」「Clear Sky Precipitation(晴天降水)」「Atmospheric Ice Crystals(大気中の氷晶)」「Ice Needles」「Frost Mist」などと呼んでいるみたいです。 ダイヤモンドダストを見るにはいくつかの発生条件をそろえないといけません。 「気温が氷点下15℃以下である事」、湿度によってさらに低くなる事があるそうですがこう言われています。ダイヤモンドダストの氷の粒は凍結核(空気中の埃など)がない状態でできるので、通常の氷よりも低い温度でないとできません。 「空気中の湿度が高い事」、湿度が高いというのは、空気中に水蒸気が多く含まれているという事です。ダイヤモンドダストは氷の粒がくっついて大きくなってできますが、湿度が低いとくっつく量が少なくなって目に見えるまで大きくなれくなります。 「天気が良く、太陽が出ている事」、天気の良い冬の朝はより冷えます。地表の熱が雲にさえぎられる事なく空に逃げるので、冷えるのです(放射冷却)。冷えると氷点下15℃以下になりやすくなり、また、光が当たってキラキラ光るわけですから光源(太陽)ないと見られません。 「風がない」、風が吹いていると温度や湿度が安定しません。別の場所から違った温度や湿度の空気がやって来るからです。あと、ダイヤモンドダストを見る前に氷の粒が風に飛ばされたら話になりません。 ダイヤモンドダストは北海道など寒い地域でしか見られませんが、人工的に見れるようにもできるみたいです。きっと素敵に見えるのでしょうね。 今日はダイヤモンドダストについて話しました。 | |
| 2005年 2月16日 | おなら |
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おならは嫌われこそはすれ、好かれるものではないですね。おなら、誰でも知っている人体の生理現象ですが、なぜくさいのかとか音はなぜ出るかという事についてはあまり知られていません。 かつておならは音が出ないとおならとは呼べなかったそうで、「おなら」という言葉が使われ始めたのは室町時代からなようです。「屁」は下品で女性が使いにくいので、そのかわりとして「屁を鳴らす」に「御」を付けたものとして「おなら」という言葉が使われ始めました。 おならは、口から入った空気と腸の中で発生したガスが肛門からでる事を言います。回数は1日に6〜20回で、量は0.5〜2l(リットル)、1回0.1lが平均なようです。個人差や食べ物の違いで一定ではありません。 おならの成分は、ほとんどが窒素・酸素・水素・二酸化炭素・メタンなどです。しかし、90%以上を占めるこれらには臭いがありません。おなら独特の臭いは、わずか数%含まれるアンモニア・硫化水素・インドール・スカトールなどが原因です。 これらの臭いの素となるガスは、大腸の中の細菌がタンパク質を分解する時に生まれるそうです。 おならは臭いとともに音も出ます。便が漏れないように普段は肛門の筋肉が、力強く締めつけています。おならが出る時は、同時に粘膜が振動して音が出ます。おならの出る速さや量で音の強弱や高低が変わります。 大きな音のおならはあまりくさくない、という例は結構あります。これは、おならの量が多いために大きな音になり、量の多いおならは臭いのしないガスが大部分で、くさいガスが少ないからです。 音のしないおならは全体の量が少なくて、くさいガスの濃度が高いという事になります。要は比率の関係です。ですが、これがいつもというわけではなく、大きな音のおならでも食べ物の種類や便秘など腸の働きの違いでくさい事もあります。 おならは気にしなければ気にしないですむのですが、「ガス・おなら恐怖症」というのがあります。「ガスやおならが出て困る」「人前で、ガスやおならが出るのではないか」という不安に苛まれている症状を言います。 腹鳴(ふくめい)恐怖症(人前でお腹が鳴る、もしくは鳴るのではないかと恐れて人前に出る事ができなくなる症状)と共に、対人恐怖症の1つとも考えられています。程度の差こそあれ、悩んでいる人は結構多くいると思います。 おならを我慢すると、身体に負担をかけてしまいます。外に出れなかったおならは、行き場をなくして血液に押し戻されます。そうすると、血液をろ過する役目を果たしている肝臓にも負担がかかってしまいます。また、臭いが身体に移るとも言われています。 おならを我慢するのはいろいろ良くないのですが、我慢しなければいけない時はなくせません。そこで、おなら自体の量を減らしたり、臭いを少なくしたりするようにします。 おならの量が増える原因はいくつかあって、代表的なのですと「空気を胃によく入れる」「肉類をよく食べる」「善玉菌を摂らない」「朝食を摂らない」「ストレスを溜めやすい」「便秘がち」などです。 「空気をよく胃に入れる」は、よく噛まずに食べたものに空気が多く含まれていたりしますので、よく噛んで食べます。「肉類をよく食べる」は、悪玉菌がくさいガスを発生させやすくするのでなるべく避けます。 善玉菌や朝食は腸の調子を正常に働かせるために必要です。また、悪玉菌の働きを抑えたりできます。ストレスも腸が正常に働かなくなる原因になります。便秘になるとおならの回数が増えるそうです。 以上より対策を考えると、肉類を避けてよく噛んで食べるようにして、善玉菌を積極的に摂り入れていきます。あとは運動とかでストレス発散して、睡眠時間をちゃんととって朝食も食べれるようにする事ですね。 おならは腸の調子がかなり大きく影響しているみたいですね。なるべく正常な状態に保って、より良くしていきたいものです。 今日はおならについて話しました。 | |
| 2005年 2月15日 | 善玉菌と悪玉菌 |
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人間の消化管内に生育する微生物を腸内細菌と呼んでいます。腸内細菌を大きく分けると、善玉菌(有用菌)と悪玉菌(有害菌)、日和見菌に分けられます。 善玉菌は、その名の通り善い働きをする腸内細菌であり、代表的なものとして乳酸菌やビフィズス菌があります。これらの善玉菌が腸の中にたくさんある人は、長生きで生活習慣病にもなりにくいと言われています。 善玉菌の主な働きは、「脂質代謝の活性化(脂肪減少)」「酵素の活性化」「消化・吸収・代謝への関与」「抗生物質の産生」「薬物の代謝(効果増量)」「ホルモン・ビタミンの産生」「有害物質や発癌物質の分解」「腸内pHの安定と腸の蠕動(ぜんどう)運動の活性化」などです。 これらの働きによって、病原菌をやっつけたり、その力を十分に発揮できないようにしたりできるみたいです。 対する悪玉菌は、ほとんどが病原性を持っているそうです。腸の中にいるだけでは発病はしませんが、特定の悪玉菌が非常に増殖すると、病気になってしまいます。 悪玉菌は腸内を腐敗させ、タンパク質や乳糖を分解して有毒物質を発生を作り出します。また、体内に有害物質を取り込みやすくなり、蓄積された有害物質も排泄されにくくなります。他に自然治癒力や免疫力が低下、血液循環が悪くなり、血液が汚れてしまいます。 日和見菌は、通常は大人しくしていますが、腸内が悪玉菌優勢となった時は悪さをし始め、善玉菌が優勢になるとそちらの味方をするといった性質を持っています。 また、大手術や老化などによって体力や免疫力が低下すれば、通常は病原性のない細菌によって感染症が引き起こされる事があり、これを日和見感染と言うようです。 腸内にはこれらの細菌がいますが、善玉菌だけでなく悪玉菌がいるからこそ、体の免疫作用が生まれたり、善玉菌が負けじと頑張ったりするそうです。健康上で重要なのは、こうした善玉菌と悪玉菌のバランスがとれているかどうかという事になります。 と、言っても基本的に善玉菌が多いようにしておくのが良いみたいです。善玉菌は、ヨーグルトや牛乳などの乳製品を取ったり、整腸剤などに含まれる乳酸菌を摂取するのが手頃にできる方法です。 また、食物繊維を多く含む食品は有害物質を体外に排出してくれるばかりでなく、そこに含まれる食物繊維が餌となって善玉菌の増殖を助けてくれます。最後に食事が欧米型の肉メインになると悪玉菌が増えやすいそうなので、できれば避けます。 悪玉菌はストレスによっても増えるそうなので、身体を動かしたりして発散させたりしましょう。 今日は善玉菌と悪玉菌について話しました。 | |
| 2005年 2月13日 | プロバイオティクス |
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プロバイオティクスは、ヨーグルトなどに含まれたりして使われているので、名前くらいなら知ってる人も多いかと思います。 プロバイオティクス(probiotics)は抗生物質(antibiotics)に対比される言葉で、生物間の共生関係(probiosis)を意味する生態学的用語を起源としています。 プロバイオティクスは、腸内に住む微生物のバランスを改善して有益な作用を与える生きた菌、またはそれを含む食品などの事です。 代表的なのが乳酸菌ですが、全てがそうというわけではなく、乳酸菌の中でも生きて腸に届く乳酸菌だけがプロバイオティクスと呼ばれるそうです。 同じようなものに、「プレバイオティクス」「シンバイオティクス」があります。 プレバイオティクスは、大腸にそのまま到着してビフィズス菌などの有用菌のエサとなり、増殖させる働きのあるものを言います。 シンバイオティクスは、プロバイオティクスとプレバイオティクスを併せ持つものを言います。 プロバイオティクスには様々な効果があります。代表的なものですと「整腸作用」「血中コレステロール低下作用」「癌予防効果」「血圧正常化作用」「免疫賦活作用(免疫力増加)」などがあります。 プロバイオティクスは探せばヨーグルトや納豆などすぐ発見できます。花粉症を抑える働きもあるそうなので、これからの対策に意識的に摂ってみるのも良いかもしれませんね。 今日はプロバイオティクスについて話しました。 | |
| 2005年 2月13日 | 抗生物質 |
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少し古いですが、20世紀で人類を幸せにしたものは「抗生物質」であるとアンケートでなったそうです。入手方法はそれほど難しくなく、お医者さんに行くと抗生物質を出してくれます。しかし、抗生物質とはなんなのでしょうか? 「抗生物質(antibiotics)」は、「微生物が産生する物質のうち、他の微生物の発育を阻害する物質」と定義されています。現在ではそれらに化学変換・修飾を施したものも定義に含まれています。 最近では合成技術の発達により、抗菌力を持った化合物を人工合成する事が可能となりました。これらは上の定義から外れるため抗菌剤と呼ばれる事もあります。 また、抗生物質は生物に抗(あらが)う物質で、自分以外のものを殺してしまう物質です。微生物は他の微生物と同じ場所を争う時に、抗生物質を作ります。もちろん自分で作った物質で自滅しないように、効果や対象は限定されています。 ただ、微生物が抗生物質を作る理由は諸説あって、上記のは有力な説の1つです。 抗生物質は感染症の治療に革命を起こし、長く人類を苦しめてきた疫病の数々が影を潜めるところまで追い込みましたが、細菌は素早く逆襲を開始しました。抗生物質の効かない「耐性菌」の出現です。 耐性菌に対して新たな抗生物質を開発しますが、少しするとまたそれに対する耐性菌は出現します。このいたちごっこには限りがありません。さらに、抗生物質の乱用が耐性菌の蔓延の原因となっているとも言われています。 家畜の飼料に混ぜたり、病気のたびに「念のため」と抗生物質は安易に使用されていて、人類自身の手で耐性菌を生まれさせているような状況です。言い換えると「弱い菌を滅ぼし、強い菌をいっそう鍛えている」状態です。 どのような抗生物質でも耐性菌が出現しないという事はありえず、現状を放置すれば「どんな薬剤も効かない、治療のしようが全くない感染症」がいつか出現します。今できるのは、工夫して「その日」がやってくるのを一日でも先延ばしにする事だけです。 また、日本では抗生物質を風邪をはじめとした様々な病気に対して使っています。「他の感染症を防ぐため」と言われていますが、欧米では予防効果はないという事が大規模研究で明らかになっており、抗生物質は使うべきではないという考えが一般的です。 また、抗生物質を医者が出さないと、説明しても納得しない患者さんがいます。医学的には正しくないのですが、医療としてみた場合は薬をもらう事で安堵感を与える事から処方されたりするようです。 これにはかかりつけ医や、かかりつけ薬局で良く話し合って、必要以上の使用などを防ぐようにしましょう。 抗生物質は使い方さえ間違わなければ、絶大な効果を得られます。ただし、間違ってしまうと病気がいつまでも治らずに悪化してしまう事もあります。正しく使ってください。 今日は抗生物質について話しました。 | |
| 2005年 2月12日 | ペニシリン |
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1941(昭和16)年の今日、イギリスのオックスフォード大学附属病院が、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功した事から、2月16日をペニシリンの日としています。 1928(昭和3)年、イギリスの病院に勤務していた細菌学者サー・アレグザンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming)は、病原菌の一種であるブドウ球菌の培養実験を行っていました。 ある日、ブドウ球菌の培養シャーレ中に1ヶ所だけ菌が成育していない場所がある事に気付きました。そこには偶然紛れ込んだアオカビが生えていました。そこで、「アオカビがブドウ球菌を殺す何らかの成分を作っているためではないか」とフレミングは考えました。 このカビの培養液を800倍に薄めても、ブドウ球菌の発育を妨げました。これに彼はペニシリンと名付けて1929(昭和4)年に発表しました。しかし、熟練した化学者の協力がなかったので、治療価値を調べるまで精製する事ができないまま10年間放置されていました。 そして1940(昭和15)年、フレミングのペニシリンの論文を見た病理学者フローリーと生化学者チェーンらは努力の末、この成分を純粋に取りだす事に成功します。ペニシリンと名付けられたこの成分は、ブドウ球菌などの細菌をきれいに殺してしまうのに、人間など高等生物にはほとんど害がないという素晴らしいものでした。 これ以後、世界各地の土の中から、有効なカビを見つける努力が始まりました。現在ペニシリンは合成できるようになっています。 ペニシリンは抗生物質のなかった時代から考えると画期的な薬で、感染症に対する効果があまりにも劇的で、それまでは、死に至ってしまっていた多くの病気を魔法のように治してしまいました。当時はどんな病気でも治るという、薬の神話を作り上げました。 さっそく大量生産され、第二次世界大戦の戦場で多くの兵士の命を救う事になりました。実際、終戦後の1950〜60年代にかけて人類の平均寿命は急上昇しています。これもペニシリンによる効果と考えられています。 ペニシリンは抗生物質の一種で、細菌の細胞の一番外側にあって周囲から細胞を守ったり、細胞の形を保ったりする働きをしている細胞壁の合成を阻害します。この細胞壁は人間など動物には存在していません。 だから、ペニシリンは人間に与えても無害となります。この性質がペニシリンが非常に優れた抗生物質である最大の理由です。 ただし、ペニシリンは優れてはいますが、決して過信してはいけない薬です。アレルギーによる死亡事件が報告されています。 ショックを含め強いアレルギー症状に念のため注意してください。特に、アレルギー体質の人や、今までに薬による発疹などアレルギー症状を起こしたことのある人は要注意です。 また、ペニシリンの効かない細菌(耐性菌)もでてきていて、いたちごっこになっていたり本来身体がもっている抵抗力をなくしてしまったりといった問題もあります。 ペニシリンが大量生産された当時は魔法の薬でした。ですが、現在では上手に扱わないと手痛いしっぺ返しをされてしまいます。 今日はペニシリンについて話しました。 | |
| 2005年 2月11日 | ちり鍋 |
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ちり鍋はふぐちりばかりが有名な気がしますが、ふぐなど魚介類だけでなく豚肉や鶏肉でも作られたりしています。また、冬の俳句の季語にもなっています。 冬の俳句の季語にもなっているちり鍋は、新鮮な白身魚が決め手とされています。新しい魚の切り身は煮るとちりちりと音が出て縮まります。そこから「ちり」鍋とつきました。 「魚を豆腐や野菜と共に水煮する」料理は、古来から中国・四国地方で行なわれてきましたが、鍋物として東京で流行したのは江戸末期からなようです。また、明治以降来日外国人が刺身を避けるので、魚の身を薄くそいで熱湯で湯がいて食べさせたところから、この料理が起こったという説もあります。 鱈ちり、鯛ちり、ふぐちりなどと用いる魚の名をつけて呼ばれますが、ふぐちりは特別で他の魚介類と一緒にしないで食べます。また魚だけでなく、豚ちり、鶏ちりなども広まっています。 そこで、現在では具に関わらず、水からだしを取って煮るタイプのものを「ちり」と呼ぶようになってきています。この「ちり」タイプの鍋物は、それぞれ各人がお皿の上で、自由に味付けを加減できる事が魅力なようです。 ちり鍋の作り方は、基本的な感じに行きますと、魚介類と、魚介類の味を邪魔しないような野菜、豆腐などをぶつ切りなどそれぞれ切っておきます。 鍋に昆布を入れて水を入れて火にかけます。煮立ったら魚介類を入れて、再び煮たったら、他の材料を加えて、ポン酢とかに薬味を加えて食べます。 語源となっている「ちりちり」という音は、賑やかな現代では聞き取りにくいですが、なんとかして静かに聞きながら食べれたらとっても美味しそうですね。 今日はちり鍋について話しました。 | |
| 2005年 2月10日 | ふぐちり |
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東ではふぐちりですが、西ではてっちりと呼んでいるふぐの鍋料理です。淡泊なのにえもいわれぬ味があるふぐちりは、冬の一番のごちそうです。 ふぐちりの作り方は ふぐのくちばし、頭骨、かま骨、中骨、身皮、うぐいす骨、白子を鍋の材料となるように適当に切り、野菜類も鍋用に適当に切ります。 鍋に水を入れて昆布を加え、ふぐからは良いだしが出るので、そのだしが良く出るように水から加え火に掛けます。そうして火の通りの遅い物から材料を加えていきます。ふぐちりができ上がれば、ポン酢醤油などを付けていただきます。 ふぐちりを食べた後、残りの具材を引き上げ雑炊にします。調味料で味付けして、ご飯を加えます。沸騰してくれば卵を軽く解きほぐしたものを加え、切った三つ葉を入れ蓋をして火を止めます。ふんわりと卵が固まれば茶碗に移して、焼き海苔をもみ海苔にして上から掛けていただきましょう。 ふぐは免許などの許可がいるので少し入手が困難ですが、最近ではスーパーなどでふぐちり用のセットパックが売られていたり、ふぐの刺身を産地直送してくれたりと家庭でもずいぶん手軽に味わえるようになりました。 鮮度の見分け方は、身が締まって弾力のあるもの、さらに身に透明感のあるものが良いようです。 ふぐちりは、鍋の中にふぐの旨みが出ているので、最後にいただく雑炊は何とも言えない上品な味わいになります。「ふぐは食べたいし命は惜しいし」、ふぐ免許制度からは死語になりつつありますが、それだけの美味しさがあるんですよね。 今日はふぐちりについて話しました。 | |
| 2005年 2月 9日 | フグ |
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下関ふく連盟が1981(昭和56)年に、「ふ(2)く(9)」の語呂合せからふくの日と制定しました。 下関では河豚は「ふく」と発音し、「福」と同音である事から縁起の良い魚とされています。ちなみに、「ふぐの日」は9月29日、「とらふぐの日」は10月29日だそうです。 現在は養殖物や冷凍物が一年中出回りますが、ふぐの旬は9月〜3月末と言われています。そして、冬の河豚が一番美味しいと言われています。ただ12月〜1月頃は各料理屋さんで引き合いも多いので、値段が一番高い頃です。 ふぐは高級魚として有名ですが、毒魚としての悪名も高い魚です。体は円筒形でやや長く、腹びれは無く、背びれは1つで軟条のみからなっています。胃に特殊な弁があり、水や空気を吸い込んでお腹を膨らませる事ができます。歯はくちばし状になっていて、目を閉じる事ができます。 ふぐの種類は非常に多く、日本では厚生省が認めた22種類のみ食べる事ができるそうです。有名なのを挙げていくとトラフグ、カラス、マフグ、ハリセンボンなどがあります。 ふぐは漢字だと「河豚」と書きます。「河豚」の字が生まれたのは漢字の本場中国で、4〜5月に黄河や揚子江を産卵のために河を遡ってくるメフグという種類のふぐを獲って春のご馳走としていました。 そのふぐの姿が豚に似ているから「河の豚」と書いて「河豚」と名付けて呼んでいた事が始まりという説があります。また別の説では、「豚」のように美味しい魚という説、ふぐがお腹を膨らませるときの音が「豚」の鳴き声に似ているからだという説もあるそうです。 日本で「河豚」の文字が使われ始めたのは江戸以降だそうです。日本の場合は海でよく見るので「海豚」としたかったのですが、すでに「海豚」はイルカに対して使われていたため、「河豚」の字をそのまま使ったそうです。 ふぐの歴史は古く、3千年前に発生したと言われています。それから人類の発生と同時に食べられていたかもしれないと考えられたりもしています。確実にわかる範囲ですと、2500年前の縄文時代の貝塚からふぐの骨が発見されています。 ただ、ふぐ食が広く普及したのは、江戸時代半ば過ぎだと言われています。このため、ふぐ中毒死する人も多く、各藩でふぐ食禁止令を設けるほどだったそうです。 そして、いろいろな時代でその毒性からふぐ禁止令が行われてきました。したたかな庶民はその禁止令の中でも根強くふぐ食が行われていました。その頃のふぐに対する隠語が「鉄砲(当たれば致命傷にかけたもの)」です。 そこから、「てっさ(てっぽうのさしみ)」「てっぴ(てっぽうの皮)」、「てっちり(てっぽうのちり鍋)」と呼ぶようになったのが現在でも使われているようです。 ふぐの毒は「テトロドトキシン(Tetrodotoxin)」で、フグの学名に使われるテトラオドンTetraodon(4つの歯)とトキシンToxin(毒素)とを一緒にして、「ふぐからとった毒」という意味です。 この毒は熱に強いため通常の加熱では毒性はなくならず、毒性の強さは青酸カリの千倍以上とも言われています。ふぐの毒力や毒量は、その種類や各種部位、雌雄や個体によって異なり、漁獲海域や季節によっても差があるため、一度食べてふぐ中毒を発症しなかったからといってこの次も大丈夫だという保証はありません。 養殖物は比較的毒が無かったり少なかったりするようですが、ふぐの毒がどうしてできるかについては明確な結論はでていないため、まだまだ防止策が必要です。 ふぐ毒の防止策として、「ふぐ取扱届出済証、ふぐ取扱施設設置届」があります。社団法人食品衛生協会が行うふぐ取扱衛生責任者講習会を受講して認可を受けたしるしです。このしるしがあるお店では安心してフグが食べられます。 2年に1度講習会が行われて、技術の確認やフグの新情報などを得ているそうです。免許制なのは東京、神奈川、滋賀、鹿児島だけです。ふぐを食べる時は免許を持ったお店や料理人さんに頼みましょう。 ふぐには、旨味の素であるグルタミン酸やイノシン酸が豊富で、鍋物にした時に、だしを入れなくてもふぐを入れると、ふぐ独特の甘味とコクがでます。 また、タウリンも豊富に含まれていて、血管、心臓、肝臓、気管支などのさまざまな臓器や器官の障害に有効で、動脈硬化や高血圧症に改善効果あるそうです。 あと、背側の黒い部分に、セレンというミネラルが含まれていて、抗癌作用があるそうです。さらに更年期障害の予防にもなるそうです。そして低脂肪でカロリーを抑える事ができます。 ふぐはいろいろな料理に合いますが、やっぱり鍋や刺身で食べるのが一番美味しそうですね。もちろん、プロに任せて危ない事無く食べてください。 今日はふぐについて話しました。 | |
| 2005年 2月 8日 | 〒(郵便番号) |
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1887(明治20)年の今日、後の郵政省となる逓信省が「今より(T)字形を以って本省全般の徽章とす」と告示した事から、〒マークの日とされています。 〒(郵便記号、郵便マーク)は、日本の郵便事業で郵便局の記号でもあり、シンボルマークです。逓信省が考案・発表し、後身の郵政省・郵政事業庁へと引き継がれ、現在は日本郵政公社のシンボルマークとなっています。 郵便番号を表示する時にも使われています。ちなみに郵便番号は郵便物の宛て先を簡素化した番号の事です。都道府県、市区町村の郵便局(配送局)別に番号が割り当てられ、番号を機械が読み取り振り分ける事で効率よく郵便物を配送できるようにしたものです。 1871(明治4)年に日本の郵便事業が始まりましたが、特に定められたマークはなく、「郵便」の文字だけでした。1877(明治10)年頃から、大きな丸に太い横線を重ねた「赤い丸に一引き」が郵便マークとして用いられ始めたとされています。「赤い丸に一引き」マークは郵便配達員の帽子・制服・郵便旗などに記され、1884(明治17)年に郵便徽章に定められました。 1885(明治18)年には逓信省が創設され、1887年にに発表されたのは漢字の「丁(てい)」を図案化したものでした。これには「甲乙丙丁」の「丁」が逓信(ていしん)の「てい」の読みに合うからという説と、「逓信」をローマ字で表した「Teishin」の頭文字だという説があります。 ですが、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしい事がわかり、6日後の14日に「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤字だった事にして変更しました。2月19日の官報で「実は〒の誤りだった」という事にして発表したと言われています。 郵便番号は1968(昭和43)年に、当時中心であった鉄道郵便輸送の路線・経路の駅順を元に大規模局では3桁、それ以外の局では5桁形式の郵便番号が導入され、自動読み取り区分機の採用等により郵便事業のオートメーション化を推進しました。 1998年より7桁化されて、町域や大型ビルの階層までも郵便番号で指定できるようになりました。番地と併せてバーコード化する事で効率よい配送を実現しています。ただ、郵便番号を記入する事で都道府県や市区町村などの記入は省略できますが、町域は省略できません。 7桁化後は宅配便などでも郵便番号が使われるようになっています。 現在、〒は日本国内で広く認知されています。あと、郵便局では住所の確実を期すために、7桁の郵便番号だけでなく市町村名からの記載をと呼びかけているそうです。 今日は〒(郵便番号)について話しました。 | |
| 2005年 2月 6日 | 湯豆腐 |
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東京帝国大学教授の池田博士は、湯豆腐の美味しさに関心を持ち、1908年昆布の旨味グルタミン酸が湯豆腐の美味しさの素である事を発見します。「旨味」と名づけられ、甘味・酸味・塩味・苦味に続く第5の味覚の誕生と言われたみたいです。 湯豆腐(ゆどうふ)は、昆布だしで豆腐を煮る料理です。どの鍋をする場合にも「豆腐」は欠かせない材料ですが、湯豆腐は豆腐が主役で豆腐本来の味を楽しめる鍋料理です。京都地方の伝統料理でもあり、上品な京料理というイメージもあります。 湯豆腐の歴史は古くからあるみたいです。古くは温泉湯豆腐として、遣唐使がその手法を日本に伝えたものと言われています。温泉湯豆腐は昆布だしでなく、温泉の成分で美味しく食べてたみたいです。その後、嬉野の里で、その製法に手が加えられ現在の湯豆腐ができ上がったようです。 湯豆腐としても歴史はかなり古く、「日葡辞書(1603〜1604年)」に「Yudofu(ユダウフ):ソースをつけて食べる、薄く切った豆腐料理のひとつ」という訳が記されているそうです。 江戸時代の豆腐料理の書「豆腐百珍(1782年)」では湯豆腐を「京都では湯とうふ、おほさか浪華では湯やっこと呼ぶ」と紹介していて、「守貞謾稿(1838〜1853年)」には「京都南禅寺前の湯豆腐も名物也」との一節があって、京都地方の伝統料理である事も伺えます。 湯豆腐の作り方は、簡単です。お鍋と豆腐(絹ごしが良いようです)と昆布(まれるだし昆布、真昆布、はぼまい昆布などが良いようです)を用意します。昆布が大きすぎる時は、量によって調整しますがだいたい10cm×5cm位の大きさに切ります。 お鍋に水を入れて、そこに昆布を入れます。 その後、程良い大きさに切った豆腐を鍋に入れ、火にかけます。また、お鍋の水が沸騰(またあ80℃以上に)してから豆腐を入れる作り方もあります。豆腐に「す」を入れにくくするために塩を入れます(重曹や小麦粉でも効果があるみたいです)。 豆腐は煮すぎないようにして、ユラユラと浮きあがる頃に豆腐すくいなどですくいます。あまり熱しすぎると豆腐の風味が損なわれるので注意が必要です。 タレは漬け汁(煮出し汁大さじ3、醤油大さじ4、みりん大さじ2)や醤油にネギ、削り節、しょうがスライス、酒、みりんなどを入れたり、ポン酢などで、薬味を加えたりして食べます。 湯豆腐で水から煮る場合と沸騰したお湯(80℃以上)から煮る場合がありますが、これは豆腐に使われている凝固剤によって変わります。凝固剤の種類によって凝固温度が違うからです。 硫酸カルシウムが主だったり、凝固剤が必要以上に含まれている豆腐は余剰分の凝固剤を抜くために低温水から徐々に温度を上げる方が美味しく食べれるみたいです。塩化マグネシウムが主で、凝固剤がちょうど良い豆腐は沸騰か80℃以上のお湯から煮るのが美味しいようです。 湯豆腐は簡単にできる料理ですが、豆腐を使っている料理の中でも最も作るのに神経を使うかもしれないみたいです。シンプルなだけに、というところでしょうか。 今日は湯豆腐について話しました。 | |
| 2005年 2月 6日 | 海苔 |
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全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1966(昭和41)年に海苔の日と制定し、翌年から実施されました。 702(大宝元)年1月1日(新暦2月6日)、大宝律令が施行され、その中で海苔が産地諸国の物産として年貢に指定された事と、この頃に海苔の生産の最盛期を迎える事から、2月6日を記念日としています。 ちなみに「海苔ウィーク」は1月31日〜2月6日です。 海苔(のり)は浅草海苔とも言われ、アマノリの事を指します。ノリはヌラ(ぬるぬるするの意)のなまったもので、アマノリの名は新鮮な物は甘い芳香と噛みしめるとかすかに甘味を感じる事によるそうです。 海苔1枚(全型)は原則として縦21×横19cmで約3g、昭和40年代に全国統一されました。それ以前は、大判や小判など、各産地で海苔のサイズはマチマチだったようです。また、海苔は10枚が1単位です。10枚を束ねた海苔は「1帖」という単位で表わします。 1年中出回っている海苔ですが、海苔は海の天産物です。魚に旬があるように、海苔にも旬があります。11月頃から摘み取りが始まり、3月中旬頃まで続きます。各産地で一番最初に摘み採られた海苔は「新海苔」と呼ばれ、やわらかく、香り高い風味が特徴みたいです。 海苔の歴史は、周囲を海に囲まれている日本では古くからあったと考えられています。縄文時代〜弥生時代の貝塚の跡から貝類が発掘され、海苔などの海草類は貝類と共生する特性を持っているため、紀元前から海苔は食べられていたのではないかと、言われています。 海苔の養殖が始まるまでは海苔は自生している岩海苔を採取したものだけで、生海苔で食べるのが一般的であったようです。そのため、ごく僅かしかなかったみたいです。 文字として残っているもっとも古い記述は、地方の風物を記した「陸奥国風土記(むつのくにふどき)」にある日本武尊(やまとたけるのみこと)の「古老のいへいらく、倭武の天皇 浜辺に巡り幸して 乗浜に行き至りましき時に浜浦の上に多に海苔を乾せりき」という歌です。 日本初の法律書の大宝律令(701年)には、税金として約30種類の海草類が挙げられており、その中でも海苔は高級品だったと言われます。そのうちに海草類を売る「にぎめだな」という市場や、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場ができました。しかし、それでも庶民には高嶺の花で上流階級である貴族のごちそうだったようです。 鎌倉時代に入ると食文化は大きく変わり、これまでの朝廷の公家や貴族たちが贅を極めた食生活は改められ、質素倹約を旨とした精進料理を完成していきます。日本の伝統食材をふんだんに取り入れた精進料理でも海苔は珍重されたようです。 江戸時代中期、海の中で魚を囲っておくために木の枝や竹を立てて「いけす」を作っていました。この海のいけすに海苔が付着した事をヒントにして養殖が始まりました。ここから庶民も海苔が食べられるようになります。 また、それまでの海苔は、生海苔か素干しにしたものでしたが、浅草紙の紙すき法をまねて「抄きのり(現在の乾海苔の様式)」が考案されて、「浅草海苔」として全国にその名が広まったそうです。 海苔養殖は江戸時代から始まったものの、海苔のライフサイクルがわからなかったためタネ付け作業はカンや経験だけを頼りに行われていました。そのため生産高は不安定で、長い間海苔は相場商品として「運草」と呼ばれていたそうです。 しかし、昭和初期にイギリスのキャサリン・メアリー・アンドリュー女史が海苔の糸状体を発見し、それに基づいてそれまで不明だった海苔のライフサイクルが解明され、人工採苗の実用化へとつながりました。 人工採苗技術の普及は、それまでの天然採苗の不確実さをなくし、また天然タネ場が近くになかったため、海苔養殖ができなかった地区も産地の仲間入りをしたそうです。その後、養殖技術は全国に普及し、冷凍保存法などの技術進歩により、天候に影響されにくい安定した海苔の生産が可能となりました。 現在、日本で養殖されている海苔は約80%がスサビノリで、種々の病害にも強く、形も大きい点などもあって次第に浅草海苔にとってかわったのです。 海苔の栄養は、バランスよく栄養源を摂れます。ビタミンA、B1B2は海苔2枚で1日に必要な量が摂れ、ビタミンCも野菜や果物に匹敵するほどで熱にも強いというお墨付きです。他に、タンパク質、カロテン、ヨウ素を多く含んでいます。料理に使う海苔は僅かですが、それでもかなりの効果が期待できるみたいです。 海苔の保存方法なんですが、一番問題なのが湿気です。とにかく、袋(缶など)を開けたら、必ず閉める事が重要です。さらに乾燥している冷蔵庫に、乾燥剤を入れて密閉します。 冷蔵庫に入れて保存した場合、冷蔵庫から出してすぐには使わず、袋などで密封したまま海苔が常温に戻るまで待つ必要があります。これは冷蔵庫で冷やされて乾燥した海苔が、常温の湿気のある所にいきなり出されると空気中の水分を吸収してしまうからです。 海苔は直前にあぶって食べるのとまず美味しくなります。また、食べた後の吸収もされやすくなるそうです。 海苔をあぶる方法は炭火が良いと言わていますが、手っ取り早いのがガスコンロです。この時、ガスコンロの火とあぶる海苔の間に魚を焼く網などを置くようにします。こうするとガスコンロの炎から出る水蒸気を、網が海苔に当てない役割をしてくれます。 そして、海苔を火の遠めで少し乾燥させるくらいで暫らくあぶり、乾燥してきたら、網に近づけてあぶっていきます。体に火が通ったら一度透かしてみて未だ黒いとこをを重点にあぶります。注意点はあぶり過ぎると苦くなってしまう事です。 海苔には表と裏があったりします。表はツルツルして光沢があり、裏はザラザラしています。おにぎりや手巻きずしを作る時は、海苔の裏面をご飯の面に合わせるときれいにでき上がります。 今日は海苔について話しました。 | |
| 2005年 2月 5日 | ちゃんこ鍋 |
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ちゃんこ鍋は、お相撲さんが食べる鍋で、太るというイメージを持たれたりしていますが、栄養のバランスが取れた完全食とも言われる事のある鍋料理です。 「ちゃんこ」というのは、相撲力士の食事の事を指します。お相撲さんの食事は、相撲を行うための体格を身に着けるために、鍋を食する事が多く、それが広く知れ渡ったのが「ちゃんこ鍋」です。 この「ちゃんこ」という言葉の由来はいろいろあります。「ちゃんこ」はチャンとコ。父と子、つまり親方と弟子です。師匠と弟子が共に食べる鍋料理だから「ちゃんこ鍋」というのがあります。 他に、長崎に巡業したお相撲さんが中華鍋(支那鍋)の「チャンクォ(チャンは支那、クォは鍋の意味)」の料理法を取り入れたという説があります。 また、力士の使う「ちゃんこ鍋」は持ち手が二つあるので「イイリャン」、「リャンコ鍋」が訛って「ちゃんこ鍋」という説もあります。 「ちゃんこ」は料理人を指した呼び名というのもあります。明治〜大正頃まで、料理番は古参力士の役目だったそうで、年配の料理番のを「おとっつぁん」のかわりに、「ちゃんこ」と呼んだそうです。ここから、相撲料理を「ちゃんこ」と呼ぶようになったそうです。 最後に、西暦500年頃にいたモンゴルのチャン・コーというモンゴル相撲の達人は、相撲だけでなく料理にも長けていました。最も得意としたのは鍋料理で、魚・肉・野菜などを鍋でごった煮にしたものであったそうです。その後、モンゴル相撲が日本に相撲として伝わると共に、この鍋料理も相撲の料理として伝わり、チャン・コーの名前から「ちゃんこ鍋」と言うようになった説です。 本来のちゃんこ鍋は、主役の魚介または鶏肉に、野菜などを取り合わせたもの。鶏肉が主だったのは、四足の獣肉だと「四つんばい(土俵に手がつく)」になるので嫌っていたからなようです。 調理法は、水炊きしたものに酢醤油を添える「水炊き」と、だし汁に味をつけて汁ごと食べる「ソップ炊き」の2種類です。ソップは鶏ガラのスープの事で「スープ」をどこかで聞き間違えた事から生まれた言葉のようです。 今では味付けや具の決まりはなくなり、相撲部屋では「ちゃんこ番」と呼ばれる下位のお相撲さんが、工夫しています。家庭で楽しむには、ボリュームのありすぎる魚や肉の変わりに、練り製品やつくねなどを入れて楽しむのも良さそうです。 近年は、引退する力士が経営する店を筆頭に、ちゃんこ料理屋が増え始めました。各相撲部屋ごとに、その部屋独特の作り方もあるとも言われているので食べに行ってみるのもいいかもしれませんね。 今日はちゃんこ鍋について話しました。 | |
| 2005年 2月 4日 | もつ鍋 |
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もつ鍋は、博多を中心に古くから親しまれてきました。1992年に一度流行になり、また近年人気の出てきた鍋料理です。 博多のもつ鍋は、たっぷりのキャベツとニラを山盛りにのせるのが特徴です、起源には昔筑豊炭鉱に強制連行されてきた朝鮮人労働者達が広めた食文化みたいであるというのと、50年程前からすき焼き風もつ鍋の原点である「万十屋」の初代女将の松隈ハツコさんがもつ鍋を作っていたというのがあります。 第一次もつ鍋ブームの1992年は、チェーン店「もつ鍋元気」がその年の流行語大賞(銅賞)を受賞したほどこの鍋料理が知れ渡りました。しかし、流行りにのってできたもつ鍋料理店の味が評判悪く、翌年には廃れるほどの勢いで姿を消していきました。 現在は恵比寿「蟻月」の大ブレイクを機に、もつ鍋がまた流行り始めています。もつ鍋料理で話題の店が続々誕生しているそうです。 もつ鍋の作り方の一例 牛もつはあらかじめ料理酒と塩を加えた熱湯で茹でておき、臭みをとっておく。キャベツはざく切り、ニラは5cmの長さに切ります。ゴボウはささがきにし、豆腐は一口大に、ニンニクは薄切りに切ります。 鍋にもつ鍋スープの素を入れて、水を入れて煮立て具材を加えて煮ます(もつ→野菜の順に)。好みに応じてスープの濃さは調節します。煮立ったら弱火にして2〜3分で完成です。これも好みですが赤唐辛子の小口切りをかたりして食べます。 あらかた食べ終わった後の鍋にちゃんぽん麺を加えて食べ、更にその後の鍋にご飯と万能ネギを加えて、雑炊にして食べれます。 もつ鍋のもつには、必質アミノ酸が多く含まれ疲労回復やストレス解消の効果があります。鍋の中に入れる野菜の玉ねぎ、ニラには硫化アリルがビタミンB2の吸収を促進しています。 キャベツにはビタミンUが含まれ胃や十二指腸を守る役目を果たしています。キノコ類は疲労回復作用の成分が多く含まれ鍋の材料として今や欠かせません。 これらの中で、もつを食べる事による効用が大きいのは咀嚼(そしゃく)です。「かむ」事で顎(あご)を鍛えられて、更に脳を刺激して活性化します。また、「かむ」事はもつの旨さを感じ、更に栄養分がたくさん出てくるそうです。 世の中には「もつ」という旨いものがありますが、今まで日本人はこの「もつ」を放るもん(ホルモン)として嫌っていた。原因は臭いや生の状態みたいですが、最近は臭わないもつや、茹でた状態で出したりするところが増えています。 もつ鍋も栄養バランスが良く、冬だけでなく他の季節でも積極的にとっていきたい料理ですね。 今日はもつ鍋について話しました。 | |
| 2005年 2月 3日 | 豆乳鍋 |
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最近流行となっているらしい豆乳鍋ですが、ただ流行となってるだけでなく栄養もかなりあります。 豆乳鍋は豆乳を使っているので、豆乳の効能を簡単に得られます。また、豆乳から湯葉を作ったり、豆乳が苦手な人でも食べられたりします。作るのが簡単で、冬以外でもお勧めの鍋です。 先に具材を適当な大きさに切っておきます。具材はスープにコクがあるので塩分が少ない具材の方が汁を吸収しやすく、味がよく馴染みます。肉なら豚の薄切り、魚は鮭やタラが合います。 豆乳を鍋に入れて中火にかけ、温まってきたらすぐに弱火にします。弱火でしばらく待つと、表面に膜がはります。これが湯葉で、2〜3回豆乳の中をくぐらせて引き上げ、わさび醤油やしょうが醤油で食べます。 豆乳は焦げつきやすいので、ごく弱火で熱します。 湯葉は薄すぎるとやぶれてしまうので、うちわで風を送ったりして膜のはり具合をたしかめてください。 豆乳の表面に膜がはらなくなったら、豆乳鍋を作ります。鍋にだしを加えます。豆乳鍋の基本の分量は豆乳:味付きだしの割合が1:1です。そのあとは具材を加えて、火が通ったら完成です。 お好みでポン酢醤油、または紅葉卸で食べます。締めにはきしめんやお餅だと、スープが絡んで美味しく食べられるみたいです。もちろんご飯やうどんも美味しく食べられます。 豆乳鍋は豆乳から植物性タンパク質、豚肉や魚から動物性タンパク質と、同時に摂れます。また、必須アミノ酸が自然にとれ、疲労回復を促進できます。不足しがちな野菜も美味しく食べれます。 他に、豆乳の機能性成分で健康効果を高められます。更年期症状の緩和、脳の働きを活性化、カルシウム吸収、抗酸化作用、血液サラサラ効果、などがあります。 豆乳は無調整や調整されたものなどありますが、湯葉は無調整からというくらいで特にこだわる必要はないみたいです。豆乳鍋の素なんてのもあるので、試してみるのも良いと思います。 また、豆乳スープにキムチや味噌など身近な素材を加えて、ベースを変えての豆乳鍋もバリエーションが増えて良さそうです。 豆乳鍋は具材の動物性タンパク質と豆乳を自然に一緒に食べるので、鉄分が摂りやすくなります。女性は不足しがちなのでかなり良さそうです。 今日は豆乳鍋について話しました。 | |
| 2005年 2月 2日 | 交番 |
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1881(明治14)年のこの日、1つの警察署の管内に7つの交番を設置する事が定められました。その事から2月2日を交番設置記念日としています。 交番は世界でもKOBANで通用し、町の中に交番の建物を置いてそこを中心に制服の警察官が活動するという制度です。1874(明治7)年に東京警視庁が設置した「交番所」が世界初のものでした。 当初は、建物がなく街中の交差点等に警察署から警察官が出向いていましたが、1881年より常設の建物を建てて警官が常駐する現在のような制度になりました。 1888(明治21)年10月に全国で「派出所」「駐在所」という名称に統一されましたが、長い間「交番」と使っていたために、交番の呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になっているという事から、1994(平成6)年11月1日に「交番」を正式名称とする事になりました。 交番は警察署の下部機構で、交替で番をするところであるためこのように呼ばれています。原則として、担当警察官の交代勤務により、警察官が24時間常駐しています。人口が多いけど予算上独立の所轄署を置く余裕のない市に設置され、各種申請・届出事務が可能なものを特に幹部交番と呼ぶそうです。 市街地の各所に警察官の詰め所を設ける事で、周辺地域の治安の維持と住民の利便を図っているものです。日本の治安が良いのは交番にあるのではないかと言われたりします。 交番は地域のパトロール担当の警察官が常駐するところにあるだけでなく、緊急事態の場合は警察官の出動依頼も可能です。110番電話よりも、最寄りの交番に電話をかける方が到着が早い場合もあります。他にも、管轄地域内で起こった事件・事故・盗難などの報告などができるそうです。 また、交番には付近の地図が掲示されてたり、付近のパトロールを行ったりして地理に詳しいため、交番で道を尋ねられる事もあります。また、交通量の多い交差点付近の交番では、交通の監視の機能をもたせスピーカーを通して注意を促したりする場合もあるそうです。 交番の効果はかなりありますが、最近は警察官が減少しているため、一定時間のみ警察官が滞在する交番や、警察官を配置せずにテレビ電話を置いてるだけの無人交番も運用されています。 そのため、交番としての機能を果たせずにいたりします。アンケートでは「交番にはいつも警察官が常駐していて欲しい、いつもパトロールして欲しい」といった要望があり、今後の課題となっています。 交番は歴史によっていろいろな呼び方があり、様々な効果がありますが、改善しないといけない部分もあったりします。上手に機能して欲しいですよね。 今日は交番について話しました。 | |
| 2005年 2月 1日 | キムチ鍋 |
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キムチ鍋は1994(平成6)年に流行して以来、冬が主ですが時には夏でも食卓に上るほど好まれています。 キムチ鍋はキムチの辛さがいっそう体を温めてくれる冬にはもってこいの鍋です。キムチ鍋の素で作るのも簡単ですが、基本のだし汁をストックしておけば、後はキムチや具材を切って煮るだけで、本格的な美味しさになります。 鍋にだし汁(煮干しやかつお節が相性抜群らしいです)、お酒、豆板醤、みじん切りにしたニンニク、一口大に切った白菜キムチを入れ、煮立てます。煮立ったら火の通りやすい野菜や豚肉は最後にするようにして具材を投入します。お好みで、すりごまをかけていただきましょう。 他に、キノコ類(えのき、しめじとか)、こんにゃく、餃子、肉団子、海老、鶏肉、白ネギ、チンゲン菜、卵、ニラ、ゴボウなどさらに好みでいろいろ加えても美味しくできます。 キムチ鍋のキムチには整腸作用のある乳酸菌、疲労回復効果のあるアスパラギン酸などいろいろな成分が含まれています。また辛味成分のカプサイシンによる消化促進、脂肪燃焼効果もあります。 キムチ鍋は鍋として野菜などがバランスよく摂れるだけでなく、キムチの効果でさらに栄養のある美味しい鍋になります。 キムチ鍋はもちろんキムチが決め手ですが、キムチ鍋のスープの素もあるくらいなので適当にあっさり味の具材を買ってきて煮こめば簡単にできます。それじゃ味気ないという人は、キムチに凝ってみてください。 また、キムチは炒めると濃縮されて旨味成分が濃くなったり、キムチの中の糖分とアミノ酸が反応してくっついて香りや美味しさを高める反応が起こるそうです。試して見ると良いかもしれませんね。 キムチ鍋の最後には雑炊よりも、ラーメンとかの方が似合うみたいです。いつもは雑炊と言う方もたまには変えてみるのも良いかもしれませんね。 今日はキムチ鍋について話しました。 | |