BLACK VELVETEEN
ここではスポーツを中心に芸能ネタなど、思ったことを日記のようにして書き込んでいきますが、要は野球、ボクシング以外のコラムになってしまいそうです。まだ試行錯誤してる状態で、今後どうなっていくかはわかりませんが、敬老の日からとりあえず第1回をスタートします。
CHAPTER30 大阪に始まり、桜の蕾を出そうとしている時に終わった 2000.3.17(金)
俺の恐れていた事実がとうとうやってきてしまった。横綱・若乃花が5日目、高校の後輩にあたる関脇・栃東に敗れた一番を最後に土俵を去ることになった。春場所が始まって以来、毎日報道され続けてきた引退騒動。栃東に敗れた直後は「気力は衰えていない。明日も(相撲)取る」とコメントしていただけに、このニュースを目にした時は寝耳に水といった感じでもあったのと同時に、やっぱりかという相反する2つの感情が入り乱れていた。俺は若乃花の貫いてきた信念には深く共感を覚えている。それはこのコラムでも数回に渡って述べてきたことだが、安易な休場を選択せずに、あえて茨の道を進んだ姿勢だった。俺には調整不足で勝てないからと言って無理矢理こじつけたように病気と偽り、負けることを恐れてプライドを保つために休場するというよりも、怪我をしながらもそれでも逃げずに、例え自分が今まで築いてきた実績に泥を塗ることになろうとも土俵に上がって行った若乃花の方に本来あるべき横綱の姿を見ることができた。それは大阪府立体育会館に詰めかけた観客も同じ想いだったのだろう。花道に若乃花が現れると大きな拍手が起こり、土俵に上がって四股を踏むと温かい声援が飛ぶ。そして自然発生的な手拍子、「わかっのはな!」というコール。かつて相撲が行なわれている会場でこのような光景は俺は見たことがなかった。できることなら最後の瞬間は見届けていたかったが、それは叶わなかった。でもそんな場面を見ているだけでも胸に熱く込み上げてくるものがあった。
若乃花は引退の記者会見で「体力を補うだけの気力がなくなった」ことを理由に挙げた。特に横綱に昇進してからは重圧との戦いだった。負けが込めば引退。その地位はまさしく相撲界では王様にあたり、志すものすべてが夢見るものである。しかし若乃花の場合は横綱になってしまったことが逆に選手生命を縮めることに繋がってしまった気もする。大関に留まっていれば・・・・。過度の重圧を受けることもなく、本来の生き生きとしたサーカス相撲が今でも見ていられたのかもしれない。そして名大関・貴ノ花の2世という良血サラブレッドであったこと。弟・光司(横綱・貴乃花)と一緒に父が師匠である藤島部屋(現二子山部屋)入門したことでマスコミにとっては格好の標的となってしまった。常にカメラに追われる日々。それは好成績を収めれば誰よりも脚光を浴びせてもらえるが、逆に不甲斐なかったり、ゴシップに対しても人一倍の注目を晒されることになった。こうやって振り返ってみれば悪意に満ちた報道のが多かったように思う。それでも若乃花は黙々と努力精進を惜しまなかった。昭和63年の春場所で初土俵を踏んで以来、最初は若乃花(当時は若花田)が一歩リードしていたが、貴花田(現貴乃花)が16歳9ヶ月という史上最年少で幕下優勝を果たした頃から出世争いは逆転した。それでも腐らずに後ろをついて行き、平成10年名古屋場所で第66代横綱に上り詰め、史上初の兄弟横綱という快挙を成し遂げたのだ。何度もテレビで繰り返された自宅から1階下の部屋の大広間に荷物を運び出してからもう12年も経った。当時小学5年だった俺ももう大学を卒業しようとしている(本来なら社会人なんだけど・・)。俺には月日が経つのは早かったなと思うが、若乃花にとっては辛く長い年月だったかもしれない。もう休息すべき時なのかもしれない。短命と言われながら、あえて選んだ不知火型の土俵入り。そのジンクスを払拭することはできなかった。在位わずか11場所、横綱での優勝回数0。これは双羽黒以来だろうが、俺にとって若乃花は誰よりも横綱らしく、誰よりもその座に相応しかった。5度の優勝はどれも胸に焼き付いている。誰に何を言われようが堂々と土俵を去って行って欲しい。
自称葛飾一の若乃花フリークの俺だが、実は最後の一番は見逃してしまっている。ここ数日、午後5時半には自分の部屋のテレビの前に座るようにしていた。それは当然、いつ最後になるかわからなかったからだ。しかし風邪を引いて体調を崩している俺は栃東戦に合わせて起きようと思っていたが、こともあろうか目を覚ましたのは取り組みが終わった直後であった。悔やんでも悔やみきれない想いで一杯だ。
そして俺が応援しているもう1人の力士、西前頭12枚目の琴錦も引退に直面している。右ヒジを3日目の栃乃洋戦で痛め、翌日の安芸ノ島戦でそれを悪化、5日目から休場することになったのだ。変形関節症及び内側側副靭帯損傷で全治3ヶ月という診断が下されたという。これで十両陥落の危機に直面したわけだが、本人は以前から十両で相撲を取る意志はないことを明らかにしているのだ。まさか同時期に愛すべき2人の力士を失うことになる可能性があるとは。俺のショックはあまりにも大きい。若乃花については次回、改めて足跡を振り返りたい。
CHAPTER29 FIN? 2000.3.16(木)
3月15日、キリンビバレッジサッカー2000、日本対中国戦が行なわれた。結果如何ではフィリップ・トルシエ監督の去就がかかっているだけに、欧州でプレーする中田英(ヒデ,ASローマ),城(バリャドリード),名波(ベネチア)の3選手を召集し、万全の体制を敷いて、言い訳できない状況に自らを追い込んだ。何よりも重視されるものは結果、そして内容も伴っていなければならないわけだが、そんな試合でまず注目されたのはヒデをどの位置で起用するかということであった。考えられたのは3パターン。@小野とコンビを組んで司令塔として前線へのパスの供給役になるA中田を1.5列目、つまりFWとして起用する超攻撃型布陣B最後はローマでこなしているボランチの位置に下がって、守備を固め、起点となってカウンターを狙う。トルシエが選択したのは@とオーソドックスなものだった。そのヒデは随所に渡って世界最高峰での経験を見せつけてくれた。ハーフラインやや前方付近からの精度の高い低い弾道で鋭く蹴り込んだスルーパス、自分自身でドリブルで切り込み、相手を翻弄してファールを誘う場面、相手の動きを読んでパスの方向を塞ぎ、ボールをカットする技術、コンタクトされても簡単には倒されないフィジカルの強靭さ、ゴール前でのふわっと浮かせたパスなど数え上げたらキリがないだろう。そして城だが、試合開始早々に痛めたヒザの影響があったのだろう。動きには精彩がなかったように思う。ボールに絡むシーンも少なかった。成長を覗うことはできなかった。名波は動きは悪くなかったものの、ゴール前での消極さが俺には目についた。試合は日本が大半を支配するものの、課題である決定力不足は相変わらずだ。前半は枠の中にシュートを叩き込むことができず、0−0で終了する。後半に入っても日本が優勢な展開で進んで行くが、得点は挙げられない。そしてトルシエはまず小野(浦和)をベンチに下げ、服部(磐田)を投入する。中山のヘッドで先制したかに見えたが、判定は無情のオフサイドとなり幻のゴールに終わる。局面を打開しようと中田浩(鹿島)に代えて中村(横浜)をピッチに送り出す。直後、日本はフリーキックのチャンスを得る。いきなり中村の見せ場はやってきた。ボールの後ろにヒデで2人で並んでいる姿を見ると、昨年11月6日のカザフスタン戦を思い出し、胸が高鳴ってくる。距離はあったものの、中村の蹴ったボールは地を這うようにしてGKを襲う。GKはパンチングで防ぐのがやっと、しかし転がったボールに日本の選手が飛び込んでうまく合わせることはできなかった。25分にも望月(名古屋)が左サイドからのクロスにダイビングして頭に合わせるが、GKの攻守に阻まれてしまった。終盤には日本の運動量も落ちて、中国に攻め込まれもしたが、何とか凌ぐ。終了間際に大歓声に後押しされて、カズ(京都)が焼け石に水といった感じであった。結局、スコアレス(0−0)のドローに終わってしまった。
点が取れないという日本の長年の問題点はこの日も解消されることはなかった。内容が悪かったとは思えないが、圧倒的にボールを支配しながら無得点という事実だけはは大きく残った。これではテレビの中継で解説のセルジオ越後やゲストのラモス瑠偉が言っていたように中国の事実上の勝利と見た方のが良いだろう。中国の監督にこの1月から就任したばかりの智将ボラ・ミルティノビッチ監督は大喜びしていたようだ。この試合でも右サイド(日本から見れば左サイド)からのスピードに乗った突破が数回あり、肝を冷やされた場面があった。ディフェンスも素晴らしく、このチームにミルティノビッチ・イズムが浸透すれば強敵になるのは間違いないという感じだ。一方のトルシエの進退は微妙になったと言って良いだろう。反省点は一向に直って来ないからだ。結果がすべてという考え方は俺は好きじゃないが、悠長なことを言っていられる時期ではなくなっている。なまじ五輪代表での実績、U−20代表を世界ユースで準優勝に導いた功績があるだけに決断には苦しむところだ。だがそれらはおまけのようなもの。もちろんそういった世代を育成するというのは重要なことに違いなく、それを軽視しているわけではないが、メインはあくまでもA代表。一向に結果という形での光が見えてこないだけに10月までの契約を残して更迭となってもやむを得ないかなというのが俺の感想だ。五輪のマラソン代表を決定するのと同じく判断する人間は大変だ。
CHAPTER28 QUEEN’S ROAD 2000.3.13(月)
女子マラソンのシドニー五輪代表最終選考会となる名古屋国際女子マラソンが3月12日に開催された。この大会の注目は1点に絞られていた。1998年、灼熱のバンコクで行なわれたアジア大会で2時間21分47秒という日本新記録を樹立して金メダルに輝いた高橋尚子(積水化学)がどのような走りを見せるかということである。32度のバンコクで脅威的なレコードを叩き出した高橋は世界で最も五輪で金メダルに近い選手と言われている。今回、出場選手を見渡してみても高橋に匹敵する選手はおらず、興味は勝ち負けよりもタイムということになった。高橋に死角を探すことは不可能に近かった。唯一不安な点を挙げるとしたら昨年のスペイン・セビリアで行なわれた世界陸上を欠場した左足外側の付け根の痛みがぶり返さないかということくらいだっただろう。
高橋は圧倒的なスピードを持っているだけに、かつての名ランナー・中山竹通(ダイエー=ソウル,バルセロナ五輪4位)のようにスタートから独走するものだとばかり思っていた。しかし高橋は中盤まで自重し、集団の真ん中につけて様子を覗っていた。その姿に俺は少々じれったさを感じた。代表争いのライバルとなる東京国際での山口衛里(天満屋)と、大阪国際での弘山晴美(資生堂)のペースから大きく遅れを取っていたからだ。だが高橋は強い向かい風を受けていたために後ろに下がって前のランナーを風除けに使い、後半に力を温存させていたのだ。22km過ぎに一気にスパートをかけると、あとは後続に差を広げるばかりだった。そしてゴールに近づくにつれて、その走りは鋭さを増した。凄まじいピッチで前に進んで行った高橋はいつの間にか(2時間)22分台のペースに乗せ、日本記録も視野に入ってくるようになった。スタミナも十分の高橋はペースを落とすことなく走り切り、2時間22分19秒でゴールのテープを切った。あれだけ前半がスローペースでありながら、後半に盛り返してこのタイムを叩き出したというのは賞賛に値する。その力強い走りはスケールの大きさを感じさせ、世界への期待というものを抱かせてくれる内容的にも素晴らしいレースだった。周囲から勝って当たり前と見られることと選考レースという2つの重圧を克服し、結果を残したことも称えられてよかろう。勝利者インタビューの時の一見飲んだくれアル中おやじ風の名匠・小出義雄監督への月桂樹のプレゼントは揺ぎ無い師匠への信頼が感じられた。
爆発力,クレバーさをアピールした高橋がこれで代表の座をものにしたのは間違いないだろう。フルマラソン4戦3勝という高い勝率という実績も考慮すれば選ばれないわけがない。これで選出されなければ陸連を訴えたって良いだろう。すると残る1つの枠を巡る争いとなる。CHAPTER26でも言ったようにレースによって天候やコース状況が異なるだけに、タイムを単純比較するのは難しい。陸連も世界で通用する選手を選びたいとしており、タイムだけを選考基準にしないとしている。タイムで選ぶなら山口ということになる。ただし俺には山口は一発屋という印象があるのも否めないのだ。バルセロナとアトランタの時を思い出して欲しい。この両大会で有森裕子(リクルート)はそれぞれ銀と銅の2色のメダルを獲得した。この時、有森は2大会とも3番手の選手であった。バルセロナの選考ではかの有名な松野明美(ニコニコドー)との争い、アトランタの際は鈴木博美(積水化学)としのぎを削った。前者は1991年東京・世界陸上での4位という実績が、後者は前大会でのメダル獲得と北海道マラソンでの優勝での熱さに対して強いというところが評価されてのものだった。このどちらでも有森はライバルにタイムでは遅れを取っていた。よって有森の代表に対し、批判の声も上がっていたのだ。結果は周知の通り。有森は雑音を自らシャットアウトし、それだけでなく日本のヒロインのように扱われた。一発屋というと小鴨由水(ダイハツ)が思い出される。1992年の大阪国際で現在でも破られていない初マラソン2時間26分26秒というタイムを出して優勝し、まさに無名の存在から一躍、代表に選ばれたが、本番では惨敗を喫した。このように五輪ではキャリアというのも非常に重要な要素になるのだ。特に駆け引きが鍵を握るマラソンはそれが大きい。マラソン経験では山口の8回に対し、弘山は3回と大きく山口が上回る。ところが弘山にはトラックで世界を相手に戦った経験というものがある。山口には世界での経験というものが不足しているように思う。それに弘山は大阪国際で敗れたとはいえ女王リディア・シモン(ルーマニア)との神経をすり減らした戦いがあるのに対し、東京国際での山口は独走で勝利を掴んだ。ここで何が引っ掛かるかというと、世界を相手にした場合、揺さぶられた時についていけるのかという不安が俺にはあるのだ。すべての相手が強敵になる五輪ではレース展開に沿った走りが要求される。そうなるとタイムだけ見れば44秒と大幅に上回る山口よりも弘山のが臨機応変な走りが期待できるように思うのだ。
今言ったところでどうしようもないが、なぜ市橋有里(住友VISA)に早々と内定を出してしまったのか、前々から疑問に感じていた。五輪の舞台はオーストラリアのシドニー。南半球に位置する場所にある。時期は9月。日本で言えば残暑の季節ということになる。つまりシドニーは逆の気候になるから涼しいはずなのである。ということは夏の実績はあまり関係ないのではと思うのだ。これが選手層が薄かった納得は行く。ただ現在の日本女子マラソン界は例え誰が代表になったとしても、メダルが期待できる選手が揃っているのである。やはり俺は市橋も選考会に出場させるべきであったと思うのだ。出場枠が2つに狭められたことも混迷を極める原因になったと言えるに違いないはずだ。
そして結論。市橋,高橋,弘山で行くべきだと俺は思う。ただ何となくタイム順、つまり弘山が落選ということになりそうな気がする。泣いても笑っても結果が出るのは今日13日である。
最後に高橋は女子スポーツ選手の中ではちょっと前の言い方で表現するならば”いけてる”方ではないか。だから俺はQちゃんを応援します。
CHAPTER27 LAST CHANCE 2000.3.12(日)
横綱・若乃花が今日から行なわれる春場所に強行出場することになった。昨年秋場所、若乃花は周囲の反対を押し切って左大腿部を痛めながらも出場を続け、結果7勝8敗で負け越すという不名誉な記録を残してしまった。場所後、引退の声が高まる中、時津風理事長に現役続行の許しを得た若乃花は横綱審議委員会(以下横審)と休場勧告を受け入れ、約5ヶ月間怪我の治療と回復に充ててきた。それによって怪我は回復を見せてきた。そのため若乃花は夏場所から満を持して出場という大方の予想を裏切り、春場所の出場を決意したのだ。
まさに巨人の清原同様、若乃花は待ったなしという状況に置かれている。進退を懸けるべき場所にもかかわらず万全とは言えない体調でなぜ出場するのかという声も上がっている。治りたてで稽古不足だけに体の切れがまだまだという状態らしいのだ。若乃花ファンの俺としても完璧な状態で土俵に上がってくれることを望んでいるだけに心配の種は尽きない。それにしてもなぜ横審はこうも個人の考えに口出ししてくるのか。一力一夫委員長は「意外だ。なぜ急いで今場所で進退をかけて出場しなければならないのか?これは私たちに対する挑発とも取れる」と語った。俺にしてみれば若乃花の行動の何が挑発にあたるのか理解に苦しむ。若乃花は横審に楯突くために出場するというわけではないだろう。もう若乃花は力士を続けていく上で精神的な張りを維持するのには限界のところまで達しているのだろう。二子山親方の「5月まで待っても(怪我が)良くなるかどうか。相当悩んだが、本人の勝負をかけたいとの気持ちが強かった」というコメントはいてもたってもいられないという若乃花の精神状態を如実に表すものであると思う。そこまでの覚悟を持って決断したことに、どうして外から口を挟むことができるのか。ただ一力委員長の「これではあえて与えた猶予の意味もない。ちゃんと調整すれば、あと3,4年は相撲が取れる。春場所後の巡業で相撲勘を取り戻してからでも遅くはない」という意見も一理あるように思う。もうここまで来たらあと1場所休もうとも一緒。万全を期して夏場所で再起を果たした方が賢明と俺も思うのだ。相撲に対して意欲をなくし、投げやりになっていると取られても仕方ないのかもしれない。
こうなった以上、結果がすべてを物語るということになる。横審の設定したデッドラインは4敗。非常に厳しい数字であることに間違いない。だが数々の修羅場を潜り抜けてきた若乃花だけに追い詰められた時こそ力を発揮してくれるのではないかという期待もある。先場所、大関から転落し、同じように袋小路にいた貴ノ浪は10勝5敗で辛くも元いた番付に復帰した。二子山勢は2場所続けて胃の痛い立場を経験することになるが、若乃花も今の後のない状況を脱出して欲しいと願わずにはいられない。今場所は1秒たりとも若乃花から目を離すことができない。本人にしてもファンにしても長い15日間になりそうだ。
CHAPTER26 駆け引きという名の醍醐味 2000.3.6(月)
3月5日、男子マラソンのシドニー五輪代表最終選考会となる第55回びわ湖毎日マラソンが行なわれた。この注目のレース、俺は1人の男の姿だけを追っていた。その目線の先にいたのは川嶋伸次(旭化成)である。それはなぜか。答えは単純、昔から応援している選手だからだ。ではなぜ川嶋を贔屓にしているのか。川嶋がかつて同じように俺を熱くさせてくれた1991年世界陸上東京大会の覇者・谷口浩美(旭化成)にどことなく似ているのだ。スピードは谷口には及ばないものの、粘り強い走り、そして肝心なところでの勝負弱いところなどそっくりなのだ。谷口はバルセロナ五輪で給水時に転倒し、「こけちゃいました」とレース直後に爽やかに発言したことは有名になったが、川嶋も昨年4月の長野マラソンで終盤まで優勝争いを演じながら、大事なところで腹痛を起こし、草むらに駆け込んで用を足したという荒業を演じている憎めない男なのだ。谷口同様日本体育大出身で、同じく山下りで区間賞を獲得し、旭化成に入社したというまさに谷口の歩んできた道をトレースしてきた川嶋も33歳。今回がラストチャンスで目されていた。
川嶋はレース中盤まで集団の後方に待機して、じっくり様子を覗っていた。過去の経験から給水は取らない作戦に出た。他の選手が給水ポイントではそれを取るのに必死になる中、1人だけ我関せず、集団から離れる。レースは徐々に集団から脱落者が出て行く。元世界チャンピオンのマルティン・フィス(スペイン),日本人では早田俊幸(ユニクロ),武井隆次(エスビー食品),真内明(旭化成)はしっかりと食いついている。その中には西田隆維(駒沢大),佐藤敦之(早稲田大)の顔も見える。レースは30km過ぎ、大きく動く。戦況を見つめていた川嶋が飛び出したのだ。これを機にレースは川嶋が引っ張る形になる。次第に川嶋とフィスの一騎討ちになった。ここでの両者の駆け引きが見物だった。しきりに相手の出方を警戒している。川嶋は積極的に突き放しにかかる。しかしフィスも食い下がる。今度はフィスが前に出る。すると今度は川嶋が執念を見せ、逆に先行しようとする。そういった探り合いがしばらく続く。両者は意地を張り合っていたが、ここはキャリアに勝るフィスのが一枚上だった。相手のスタミナに限界が見えたと判断した38.3kmで一気にスパートを仕掛ける。この踏ん張り所で川嶋には余力は残っていなかった。地力で大きく上回るフィスは差をグングンと広げる。結局はフィスは2時間8分14秒でゴール。2年連続3度目のびわ湖制覇はまさに貫禄勝ちだった。ペースがガクッと落ちた川嶋だが、このレースは一世一大の大勝負である。1秒も疎かにできない。懸命に歯を食いしばってゴールに突き進む。最後、タイムが勝負となった川嶋は力を振り絞って必死にピッチを上げる。テープを切った時のタイムは2時間9分4秒、自己記録を1分3秒縮める快走だった。もちろんこれがオリンピック代表選考の基準になる初のサブテン(2時間10分を切ること)になった。
これですべての男子代表選考レースは終わった。昨年の世界陸上セビリア大会でのブロンズ・メダリストの佐藤信之(旭化成)は既に代表に内定している。2月の東京国際マラソンで2時間8分16秒という好記録を叩き出し、日本新記録がフロッグではなかったことを証明した犬伏孝行(大塚製薬)も確定と言って良い。残る1つの椅子を巡る争いがアトランタ五輪補欠だった川嶋と福岡国際マラソンで2時間9分9秒をマークした小島宗幸(旭化成)との間で繰り広げられることになる。まずお互いのポイントを挙げて行こう。小島は4レース連続でサブテンを切るという安定感が光る。ただし福岡では戦いという観点で見れば4位に終わっている。川嶋は強豪・フィスと熾烈な争いを演じ、その上での2位。しかも小島より5秒タイムで上回っている。しかし今回が初のサブテン突破。一発屋と見る向きもあるだろう。こうなるとどこを評価するかだ。流れの中である程度の結果を出し、積極果敢に姿勢を随所に表したことで好感を持たせた川嶋か、それとも大崩れしないために入賞狙いで安心を持って送り出せる小島か。俺が何を望んでいるかはこの文章を読んでもらえば一目瞭然のはずなので、俺がどちらを代表にすべきだとは言わない。川嶋は「自分の力は出し切れた。やるべきことはやった。あとは待つしかない」とコメントした。その表情には完全燃焼した充実感と、フィスと渡り合えた満足感と、思い描いていた結果を残なかったため代表になるのは苦しいかなという脱力感が見て取れた。望まれるのは当該の選手が納得できるだけの選考理由を提示してあげることだ。密室裁定では疑念が残ってしまう。まあそうは言ってもレースによって気候条件、コース条件が異なるだけに選考委員には酷な作業になることは察するが。代表が正式に決定するのは13日だ。それまでしっかりと熟考して欲しい。
とにかく今まで煮え切らない走りを続けてきた川嶋が人が変わったように魂の込もったレースを披露してくれた。それは今まで声援を送り続けた俺としては嬉しかった。そして3位に武井、4位に佐藤、5位に松田和宏(佐川急便)が食い込んだ。いずれも箱根路を彩ったランナーだ。箱根駅伝フリークの俺としてはそれも喜びたいことだ。特に箱根では期待されながらもなかなかそれに応えることができなかった佐藤が飄々とした表情で歩を進め、昨年のこの大会で藤田敦史(当時駒沢大,現富士通)が作った学生記録を大幅に上回ったことはあまりにも意外でそれがまた印象的でもあった。
CHAPTER25 BLACK PAINTING 2000.2.10(木)
2月8日、TEAM2000の総帥・蝶野正洋が緊急会見を行ない、nWo,犬軍団を吸収合併することを発表した。これによって新日本プロレスの勢力分布は大きく変わることになった。
1994年の「G1CLIMAX」を制した蝶野はそれを機にヒールに転向した。地味なイメージが拭えなかった蝶野はそれ以来、新日本の人気,実力ともにトップに踊り出たわけだが、95年2月にアメリカ修行帰りの天山広吉と合体し、それにヒロ斎藤を加えた狼群団(テレビ朝日辻義就アナが表現するところのエゴイスト集団)を結成した。本隊のエース武藤敬司がメンバーとして加入し、nWoに発展したのが97年6月。そして空前のブレイクが起きるわけだが、98年9月に蝶野が頚椎ヘルニアのためにIWGPタイトルを返上して戦線を離脱すると、武藤との権力抗争が勃発し、昨年2月には蝶野がnWoを離れて、TEAM2000を発足。それから約1年に渡って両軍の激しい戦いが繰り広げられてきた。その結果、武藤を追放したnWoは形式的にはTEAM2000の軍門に下ることになったわけだ。
この黒(ヒール集団)の統一のために陰で奔走したのはヒロ斎藤だったようだ。犬軍団の後藤達俊とはかつてレイジング・スタッフ(ブロンド・アウトローズ)時代に同じ釜の飯を食った中であり、この間までは蝶野の下で働いていた。そんなコネクションが今回の一大勢力結成に繋がったわけだ。そのヒロに蝶野,小島聡,天山,後藤,小原道由,”ムービスター”AKIRA、外国人にドン・フライ,スコット・ノートン,スーパーJ(元nWoスティング)と総勢10人の大所帯になった。個性の強い彼らが手を組んだ理由を蝶野が説明するには「ここにいるメンバーは、対新日本という部分で共通してる。色々経緯はあったけど、これからは新日本を潰すために固い結束を誓う」ということだった。俺はここ1年、蝶野と天山が敵、味方に別れて戦っているのに違和感があった。いずれ元のサヤに収まるだろうと思っていたからそれは予想通り。犬軍団の吸収はちょっと意外だった。2年くらい前に一度、蝶野率いるnWoに加わる可能性があった。その時は蝶野が当時平成維震軍を離脱した(その後再合流するが)犬軍団に屈辱を味じわせ(この1件で犬軍団と呼ばれるようになった)、話はご破算になったといういきさつがあった。そんな因縁があっただけに驚きだったが、現在のプロレス界のサイクルは速い。一般の社会での5倍くらいのスピードで流れは動いている。それだけに2年前のことなど遠い過去のことだといった感じなのであろう。彼ら犬軍団はどちらにせよ鉄砲玉の役割を与えられるのだろうが。この新メンバーの中で唯一反乱を起こしそうなのが小島ではないか。nWoに入ったのも武藤を慕ってのことであり、今回の会見でも「蝶野の子分じゃねえ。勘違いするな。理由なんかどうでもいい。目標が一緒なだけだ」と吠えていた。今後どうなるかはわからないが、TEAM2000にとって大きな戦力になることだけは間違いない。
俺が個人的に密かに期待しているのはブラックライガーも取り込んでしまうことだ。ライガーも新日本ジュニアの選手をしきりに挑発している。ここらで蝶野と合体となれば面白いと思うのだが。それはさておき、TEAM2000が新日本本隊を潰す準備は整いつつある。思えば95年2月12日の平成維震軍と新日本の昼夜興行から蝶野の新日本制圧計画は始まった。あれから5年、今回のTEAM2000の構成員大増殖は蝶野の新日本における地位を如実に表しているもののように思う。蝶野のおける蝶野のための新日本プロレス。もちろん新日本が蝶野に屈することは考えにくいが、それでも蝶野が現在の新日本のマット界の舵取り役を果たしている。ストロングスタイルを標榜する新日本にアメリカンテイストをミックスしようとしている蝶野。それが我々若い世代には非常に興味深いものに映る。新日本がどこまで蝶野色に染めれれるのか。はたまた佐々木健介、復帰が予想される武藤を中心にした本隊がどこまでそれを跳ね返すのか。とにかくTEAM2000の黒の統一は今後の新日本のマットをよりエキシサイティングなものにするのは間違いない。楽しみである。
CHAPTER24 痛いことをやってくれましたなあ 2000.1.29(土)
大相撲初場所は関脇・武双山の優勝という場所前、誰もが予想しない結果に終わった。しかし今場所の後半戦を沸かせたのは武双山を中心にした優勝争いでも、貴ノ浪の大関返り咲きでもなかった。それは1月21日にある人物が投下した爆弾であった。元小結・板井の板井圭介氏が東京・有楽町の日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)で講演した際、今までご法度とされてきた相撲界に蔓延する八百長の存在を告発したのだ。これまで週刊誌で幾度となく取り上げられてきたことだが、このように公の場で八百長発言したのはもちろん初のことである。板井氏はまず自分が過去に関与した八百長相撲については「1991年夏場所14日目に当時関脇だった曙に突き出しで敗れた一番は40万円で取引した」と暴露し、推測だが今場所も18人の関取が八百長をしていたと実名を挙げてぶちまけた。当然ながら日本相撲協会の時津風理事長は否定した。
俺は相撲界に八百長は存在するとは思う。競技の性格上、観客の目を誤魔化して演じることは可能だだと思うからだ。板井氏は角界の浄化を促す為に採った行動だと言うが、どうもこれは胡散臭い。「これだけ名指しされると、八百長ができなくなる。それが私の願い」と言うが、ならばなぜ廃業直後に言わなかったのか。協会に携わっていたら立場上、このような爆弾発言ができないことは容易に察しがつく。でも板井氏は廃業してからかなりの時間が経っている。どうも板井氏は現役時代に巡業での休場が多く、また日頃の言動に問題があるなど、素行面の問題から親方(春日山)襲名に待ったがかかったといういきさつがあるようだ。俺には今回の一件はその腹いせ、もしくは金に困った上での行動ではないかと穿った見方しかできないのだ。
1996年1月、板井氏の師匠であった大鳴戸親方(元関脇・高鉄山)が週刊誌上で同様の発言行ない、物議を醸した事がある。直後、告発していた大鳴戸親方とその友人が同じ日に同じ病院で同じ病気で死亡するという偶然にしてはあまりにもでき過ぎているミステリアスな事件が起こった。結局その時は告発者が死亡しており、事実関係はうやむやになったまま灰色決着を迎えることになった。
今回挙げられた18人のリストを見て、最初に思ったのは二子山勢の名前がないことだった。若貴兄弟対決の折など、しきりにその噂は絶えなかったが、どうも横綱・貴乃花はそのような取引にまったく応じることはないのだと言う。当たり前のこととは言え、正真正銘、自分自身の力で勝ち取った横綱ということになる。また今をときめく武蔵川部屋の力士の名も出ていない。時代を作った部屋は関与していないことになる。
我々が見たいのはガチンコ勝負。本場所の取り組みが巡業やトーナメント大会のようにいまいち真剣みが足りないものでは興醒めしてしまう。でも証拠を提示できない限りは板井氏の発言を鵜呑みにする事はできない。取引の際に領収書が出てるわけでもないだろうし、八百長を立証するものがないのでは、おそらくは不問という形に落ち着くのではないか。俺にしてもまたいつものことかくらいの感じにしか捉えていない。ただ相撲協会は今までのように結論を曖昧なものにするのではなく、これを機に徹底した八百長に対する厳しい調査に乗り出すべきである。あるのかないのかは別にして、板井氏の投じた一石が相撲協会の体質改善に貢献する可能性はある。そういった意味では元武闘派力士の板井氏の果たした役割は大きかったのかもしれない。彼の行動を肯定することはできないが・・・。
CHAPTER23 築き上げる城 2000.1.13(木)
横浜Fマリノスのエースストライカーだった城彰二がスペイン1部リーグのバリャドリードと正式に契約、既に現地に飛び立ってデビューに向けての準備を進めている。この契約が交わされるまでには紆余曲折があった。その過程を簡単におさらいすると、昨年末の段階で城は同じスペインリーグのバジェカーノへの移籍が内定していたが、バジェカーノがアルゼンチン人の選手を獲得した際の移籍金を未納にしていた事実が発覚。その制裁をFIFAから受け、交渉が暗礁に乗り上げる形となった。その為、交渉の窓口となっていた横浜Fマリノス側はバジェカーノとの接触を打ち切り、昨年夏にも城の獲得に動いていたバリャドリードとの交渉に路線変更した。そして1月6日、遂に城は念願のスペインリーグへ移籍の記者会見に臨んだ。スペインリーグと言えばレアル・マドリードなど世界に名だたる強豪チームが立ち並ぶイタリアのセリエAと双璧のレベルを持つリーグ。レアル・マドリードには世界最高の左サイドバックのロベルト・カルロスや1998年のトヨタカップMVPのラウル・ゴンサレスが所属するチーム。そんな世界の猛者に挑戦しに行くわけだが、もちろん壁も多い。食事,言葉といった文化の違いにも適応しなければならないし、何よりまずチームメイトに実力を認めなければ、練習でも試合でもボールが自分に回されないという洗礼を受ける。しかし1998年のフランスワールドカップでの不甲斐ないパフォーマンスに怒ったサポーターから帰国した成田空港で水を浴びせられるという屈辱を味わった城はそれを機に精神的に大きく成長したようだ。スペインでも城の注目度はロベカル級と言うが、本人に浮かれた様子は全くない。「日本人が珍しいから興味を示してくれているだけ。スペインはそんなに甘いリーグじゃない。試合で結果を残さないと一気に人気は落ちるし、日本のサッカーを代表する気持ちでしっかりやりたい」という城のコメントを聞いた時にこれはもしや・・・と俺は思った。カズ(三浦知良)がセリエAジェノアでの挑戦はスポンサーという後ろ盾があってのものだった。でも城は違う。これは自分の力で勝ち取った挑戦だ。もちろん行く手には高い壁が存在が、城からは確固たる決意がと熱意が十分に感じられる。中田英寿(ペルージャ)の活躍で、ただ海外に進出して試合に出るだけでは誰も満足しなくなった。これから肉体的なピークに向かう城はまだ24歳と高度な技術をスポンジのように吸収できる絶好のタイミングでスペインでの挑戦が始まった。かねてから日本代表FWの慢性的な得点力不足が指摘されるだけに、日本人は世界に通用するゴールゲッターに成長してくれる期待を高く持っている。俺は彼の言動,行動を見て、中田ほどとは言わないにせよ、スペイン人が日本に対して持っているサッカーの見方を覆してくれるような活躍をしてくれそうな予感がある。俺は決して城のファンっていうわけではなく、あのワールドカップの時もゴン(中山雅史=磐田)と呂比須ワグナー(名古屋、当時平塚)の2トップを盛んに提唱していたくらいだ。むしろアンチ城と言っても良いくらいだ。そんな俺でも城のサッカーに対する取り組み方,姿勢が変わったと思わさせられた。そんな選手に期待をせずにはいられないのだ。
そして移籍問題と言えばもう1人、中田がいる。ペルージャがローマに移籍金300億リラ(約18億円)と2選手獲得という条件で中田を譲渡するという報道がなされていたが、この問題の結論が昨日に中田本人のHPを通じて発表された。中田自身はシーズン中の移籍を拒否していたが、ローマへの移籍が決定した。ペルージャに入団した時には3億円という値がつけられた中田だが、わずか1年半で株を15億も上げてしまった。日本人がこのような高値で取り引きされるようになったということは感慨ひとしおだ。
詳しくは中田英寿オフィシャルHP(http://nakata.net/)
CHAPTER22 悲願の天下獲り 2000.1.12(水)
第76回箱根駅伝復路は濃い霧が立ち込める中、1月3日午前8時に芦ノ湖をスタートした。往路優勝の駒大はまず、主将の大西雄三(4年)を6区の当日エントリーさせた。大西はフライング後、仕切り直して駆け出し始めたが、調子が万全ではない。5位スタートの順大も満を持して宮井将冶(3年)を継ぎ込むが、序盤から快調に飛ばして駒大との差を詰め、5.6kmで中央大(以下中大)の永井順明(3年)をかわして4位に浮上すると、帝京大,東海大もオーバーテイクして2位まで順位を上昇させる。しかし中大・永井を振り切ることができず並走を続く。小桶園前ではトップ駒大と順大の差は1分22秒まで縮まるが、オーバーペースが祟ったのか宮井が永井に水を開けられてしまう。その後も追い切る事ができなかった。一方で駒大・大西は最後はきっちりとまとめて59分24秒で揖斐祐治(2年)に襷を繋ぎ、重責をそつなくこなした。ちなみに区間2位のタイムだった。2位で小田原中継所に飛び込んできたのは中大。永井は58分36秒という堂々の区間賞を獲得。駒大とは54秒差と今後次第では面白い位置につけた。そして宮井は駒大とは2分7秒差で襷リレーした。ここで差をつけられてしまったことが後々に大きく響くことになった。7区の駒大・揖斐は独特の走法ながらも堅実な走りで着実に順大を引き離して行く。結局揖斐は1時間3分11秒で区間賞を獲得。目下の敵、順大に4分19秒という差をつけるという限りなくセーフティーリードに近い形で8区・平川良樹(2年)に襷を託した。ところが平川が15km以降に突如ブレーキ。その間に2位に上がったライバル順大は奥田真一郎(2年)が猛然と追い上げを見せ、戸塚中継所では1分20秒まで差を詰めた。もちろん奥田は1時間4分37秒で断トツの区間賞。平川はそれでも何とか区間7位の成績を残し、9区のエース西田隆維(4年)に後を託した。順大は入船満(2年)に襷リレー。昨年のことがあるだけに否が応にも緊迫感が盛り上がる。西田,入船とも昨年の高橋謙介(順大)が出した区間記録を意識した走り。しかしそんな中で自分の走りを貫くことができたのは西田の方だった。前を必死で追う入船はその差が思いの他詰まらないことで精神的にダメージを受け、後半失速して行った。が西田は積極的なレース運びを展開し、鶴見中継所に1時間9分0秒のタイムで入ってきた。これは17秒も更新する区間新記録。いくらなんでも大詰めでこの走りをされたら順大としてもたまったもんではない。この時点で勝負は決した。駒大は10区アンカーの高橋正仁(2年)も区間新を樹立し、復路を5時間29分37秒、合計11時間3分17秒というタイムで創部37年目で念願の総合優勝を果たした。それは同時に昨年のリベンジをやり遂げた瞬間でもあった。順大は4分18秒遅れて2位でゴールイン。しかし部員の顔には笑顔はなかった。まるで昨年の順大を見ているかのようだった。3位は大健闘の中大。ノーマークながらこの立派な成績は来年に十分に繋げられるものだった。そして今回、箱根路を湧かせた帝京大は大きくジャンプアップして4位。山本佑樹(4年)抜きの戦いを強いられながら日本大が5位に入った。早大は予想以上の走りを展開して6位でフィニッシュ。強豪と言われていた神大,山学大は最後の最後で意地を見せ、何とかギリギリ8,9位に滑り込んだ。前半の主役の法大は山学大とわずか29秒差の10位でシード落ち。でも徳本一善(2年)が残るだけに、彼が中心となって今年の経験を活かせば、来年は飛躍が期待できそうだ。今年の箱根を総括してみれば、復路はさほど見所がなかったものの、往路は稀に見る激しい競り合いが繰り広げられた。そんな今年のキーポイントは5区であろうか。順大がここで大きく順位を落とした。駒大とのタイム差は昨年とほぼ同じとは言え、高い授業料を払った駒大は同じ過ちを犯さなかった。沢木啓祐監督が復路スタート前に語った「復路のポイントは6,9区」というのはズバリ当たっていた。この両区間で順大は大きく差を広げられてしまった。一言で言えば選手層の差だったろう。そして何よりも大八木弘明コーチの存在がこの優勝を導いたのではないか。こうなると来年も大量に戦力が残る駒大の天下はしばらく続くかもしれない。とにかく来季の大学駅伝が駒大を中心に回ることは間違いない。
CHAPTER21 下剋上 2000.1.3(月)
正月恒例の第76回箱根駅伝往路が1月2日に行なわれた。今年の往路を振り返って見て言えることは、駅伝の醍醐味を存分に堪能できたレースだったということだ。そんな戦いを盛り上げたのは法政大(以下法大),帝京大の予選会から進出してきた2校であった。午前8時、東京・大手町の読売新聞社前で打ち鳴らされた号砲を合図にスタートしたレースは、まず法大の徳本一善(2年)が独走、大きく離されて他の14校は第2位集団を大きな塊となる展開となった。徳本のペースは落ちることがない。まったく後方を振り向くことなく、そのまま鶴見の中継所にかけ込んだときには2位に1分5秒もの大差をつけていた。法大の選手で区間賞を獲得したのは22年ぶりの快挙だ。ちなみにタイムは1時間2分41秒であった。2位集団から12km過ぎに3校が脱落。その中には優勝候補にも挙げられる山梨学院大(以下山学大)の姿もあった。19.5km付近まで第2位集団が形成されていたが、そこを抜け出したのはやはり本命の順天堂大(以下順大)と駒沢大(同駒大)であった。両校はほぼ同時に高橋謙介(3年),神屋伸行(2年)のエースに襷リレーした。山学大の大浜洋平(4年)はトップと2分44秒遅れの14位で雪辱を期す古田哲弘(4年)に繋いだ。結果的にこの出遅れが山学大のその後にも大きく影響することになる。2区に入ると貯金たっぷりの法大・坪田智夫(4年)は変に気負うことなく、マイペースのレース運びを行なう。その安定したリズムが乱れることはない。それを追う順大と駒大の両エースはお互いを牽制し合うかのように並走を続ける。悠長なことを言ってられない山学大・古田は序盤からハイペースで前を行くランナーを追う。しかし思ったほどピッチは上がらない。焦りからかオーバーペースを招き、一時は7人抜きで7位まで順位を上昇させたものの、結局戸塚中継所ではトップに4分10秒差の10位で襷を繋げることになる。法大は坪田が並み居る猛者を抑えて1時間8分16秒で区間賞を獲得、これまた22年ぶりに法大が2区終了時でトップを死守すると言う番狂わせを演じた。もし坪田が大差で襷を貰わなければ、ここまでの快走を演じることはできなかったはずだ。後ろを気にすることなく走れる位置で手渡した1区・徳本の功績の大きさがうかがえる。そして駅伝と言う競技とメンタリティーが大きく関係するというのも証明された。順大・高橋は権太坂直後にライバルを突き放しにかかるものの、ほどなく追いつかれ、両者ともまったく同時で3区に繋いだ。2人のタイムは1時間8分51秒。鶴見との法大との差は35秒ほど広がってしまったことになる。これは両校の監督にとっては誤算だったかもしれない。法大の3区・佐藤研司(4年)は他校の選手と比較しても力量では大きく見劣りするが、ここでもそれまで積み上げてきたリードがものを言い、2位に55秒秒差で中継する。この区間で快走を演じたのは帝京大の北島吉章(2年)であった。1時間3分16秒で走り切り、区間賞を獲得。チームを2位にまで躍進させた。駒大は1分3秒遅れの3位、続いて順大が1分38秒差で飛び込む。前2校と駒大,順大との力の差は歴然としている。十分に逆転可能なタイム差だ。裏返して言えば法大の4区・奈良澤徹(2年)がどこまでで踏ん張り切れるかがポイントだ。その奈良澤は淡々とした走りを展開するが、その後ろからはヒタヒタと足跡が聞こえるようになってきた。帝京大の鎌浦淳二(4年)の走りは力強い。12.7kmで吸収されると、14km地点ではもう奈良澤に追いすがる力は残されいなかった。しかし帝京大の天下もほんのわずか。ほどなくして背後から順大・野口英盛(2年)が接近して、一気に鎌浦を抜き去っていく。15km地点では4校が近距離できれいに等間隔の差となっていたが、1時間2分14秒で小田原中継所に入ってきた野口は2位帝京大に1分5秒の差を与えていた。駒大は1分3秒差の3位で前田康弘(4年)からルーキー・松下龍治へリレー。法大も1分55秒差で踏みとどまった。6位で襷を受けた注目の山学大・ジュリアス・カリウキ(1年)は出だしこそ飛ばしたものの、古田同様尻つぼみ。1時間4分18秒と言う平凡なタイムに終わり、順位を2つも下げてしまった。4区では順大の底力、実力差を見せつけた形となり、このまま勢いに乗って逃げ切るかと思われた。だがこれでは終わらない。更なるドラマが待ち受けていた。駒大は松下が帝京大・飛松誠(1年)をパスすると、遥か前方にいるはずだった順大・佐藤功二(4年)をも9.7kmで難なくかわし、首位に踊り出る。ところがそれ上回るスピードでトップに迫って来ていた選手がいた。昨年の同区間賞を獲得した東海大・柴田真一(2年)である。14.5kmでトップを劇走していた松下の前に出ていたのだ。6位で襷を受けた柴田はこの区間で史上初の5人抜きを達成したのだ。そのままゴールテープを切り、東海大が初の往路制覇を成し遂げるように見えたが、ここでもただでは終わらない。標高最高点(874m)に達し、下りに入ったところで松下が息を吹き返したのだ。17.3kmで再度、追いつくと、今度は松下がスパートをかけた。余力を温存していた松下に、柴田は追いすがることができない。そしてそのまま駒大が総合タイム5時間33分40秒で芦ノ湖のゴールにトップで駆け込んだ。2位は予想外の大健闘の東海大で28秒差。そして3位は東海大以上に大躍進を遂げた帝京大で1分12秒差。順大は1分59秒差の5位、2分45秒差で法大が6位に滑り込んだ。山学大,神大の優勝候補の一角と目されていた両校はそれぞれ6分43秒差,8分42秒差の12位,13位に沈んだ。今回のレースで特徴的なのは復路のスタート時での繰り上げがわずか2校しかないこと。スーパーランナーがいないのもその一因であろうが、それだけトップから下位までの差がない、拮抗した状態だということである。15位がトップと10分28秒の差しかなかったなんてことは過去に記憶がない。つまり復路もちょっとしたブレーキによって大きな順位変動があり得るだろう。そしてこれだけ首位逆転劇が起こったこともそうはないだろう。誰が見ても面白いと思えたのではないか。とにかく法大,帝京大,東海大の起こした下剋上がレースを面白くしたのは確かだ。復路では久しぶりに雪の中での駅伝が見られそうだと言う。そのことからも波瀾が起きそうな予感はある。昨年も順大が9区で大逆転して、そのまま総合優勝を収めた。その時も芦ノ湖スタート時の首位は駒大だったが、タイム差は今回とほとんど変わらないものだった。往路の展開を見れば一筋縄では行きそうにはない。特に「復路の順大」との異名を取るだけに、駒大にとっては昨年の悪夢が嫌でも蘇るに違いない。やはり最後は本命の駒大と順大の一騎討ちとなるであろう。
詳しい箱根駅伝情報はhttp://www.ntv.co.jp
CHAPTER20 伝説への登竜門 1999.12.31(金)
第76回東京箱根間往復大学駅伝競走、通称箱根駅伝は例年通り1月2,3日に行なわれるが、その区間エントリーが12月29日に発表された。今年覇権を争うと見られているのは連覇を目指す順天堂大(以下順大)、潜在能力はNO.1と思われる駒沢大(同駒大)、5年ぶりの王座奪回に意欲を燃やす山梨学院大(同山学大)、王座返り咲きを目論む安定感抜群の神奈川大(同神大)の4校である。箱根駅伝は関東の大学を対象にしたレースで、全日本大学駅伝の方がレベルとしては高いかもしれないが、それでも箱根駅伝が大学駅伝の最高峰と見なされているのは全区間20km以上という長丁場であること、そして視聴率が30%近いという注目度が挙げられる。駅伝は先手必勝の色合いが濃いスポーツ。そのため、全区間最長の23.0kmという距離を誇る2区に各校が勝負をかけることのできるエースを投入する。今回1万メートルの公認タイムで28分台の記録を持つ選手は11校で20人を数えるが、そのうちの8校が花の2区にスピードランナーを配置した。注目されるのは4選手。1年の時に8区で当時の記録を1分も更新し、衝撃的なデビューを飾り、翌年は2区に昇格したものの、レース当日に怪我の為に突然のエントリー変更。昨年は大ブレーキを起こし、区間最下位と屈辱の成績に沈み、ここ数年伸び悩んでいる山学大・古田哲弘(4年)にとっては悪夢の2区が続いているが、ここに来て復活の兆しを見せ、3度目の正直で名誉挽回に挑む。その古田の高校時代からの宿命のライバルが日本大・山本佑樹(4年)。学生長距離NO.1の呼び声が高いが、なぜかエントリーされていない。順当ならば2区に当日にエントリー変更されるはずだが、一説によると状態が完調ではなく、最悪の場合は欠場の可能性もあると言う。これが陽動作戦かどうかはわからないが、山本も過去2年間、2区で快走を見せられていないだけに、最後の箱根では三代直樹(順大)が今年作った区間記録を破るような活躍を見せて欲しいのだが・・・。順大は2区の裏にあたる9区で今年、区間新記録を樹立し、駒大を逆転、優勝に大きく貢献した高橋謙介(3年)が満を持して登場する。駒大は今年の5区で軽やかな走りを見せ、往路優勝のゴールテープを切った神屋伸行(2年)を投入する。今年は最近で言うと渡辺康幸や小林雅幸(ともに早稲田大),藤田敦史(駒大),ステファン・マヤカ,中村祐二(ともに山学大)のようなスーパーランナーはいない。そうなると1人の力への大きな依存は望めないため、チーム力で勝負せざるを得ない。当然の事ながら選手層の厚いチームが優勝へのアドバンテージを握っていると言える。総合力では順大と駒大が一歩抜け出ているだろう。この両チームの特徴の違いを挙げるとすると、順大が沢木啓祐監督の戦術が染み込まれた安定感のあるチームであるのに対し、駒大は爆発力を持つチームであるといったところであろう。ただ箱根には魔物が棲んでいると言われるだけに予期せぬブレーキなどもあり得る。順大のようなまるで機械的にきっちりと個々にプログラミングされたようなチームの方が箱根を制する確率は高いように思える。ただ順大が今年箱根を制するできたのは三代が2区で予想以上の働きを見せたことが大きかった。その勢いをその後も持ち込み、実力以上のものが発揮できて勝利を収めたという感じだった。今年大役を担う高橋がはたしてその穴をどこまで埋めることができるかが鍵になる。安定感で言えば山学大も定評がある。古田以外の注目選手は4区で走るケニアからの留学生ジュリアス・カリウキ(4年)。この2人ががっちり噛み合い、そして上田誠仁監督の指示通りに選手が動けば、そのまま逃げ切ることも可能であろう。混戦に持ち込めれば神大にも勝機は生まれてくる。この他のチームが優勝争いに絡んでくることは考えにくいが、前回を思い出して欲しい。YKKの3強と言われる中、大きく下馬評を覆して優勝を手にしたのはノーマークの順大だった。しかし駅伝ではそういったことは非常に稀なこと。やはり4強の争いに絞られたと言っていいだろう。それでは最後に順位予想をしたい。だたしこれには私情が含まれている。優勝山学大、2位駒大、3位順大、4位神大。冷静に考えれば順大が優勝候補筆頭、その後を駒大がつけていると思う。でも古田が今までの鬱憤を吹き飛ばすような活躍をし、カリウキが度肝を抜く快走を演じるような気がする。そして往路を制し、復路は他校の激しい追撃を際どく振り切り、トップで大手町の読売新聞社前のゴールに帰って来る。そんなレース展開を願望として思い浮かべている。でも順大,駒大,山学大の実力は例年になく拮抗しているのは確か。抜きつ抜かれつの激しい首位争いが繰り広げられることも十分に考えられる。おもしろくなりそうだ。
CHAPTER19 YES PROBLEM 1999.12.20(月)
12月11日、日本平スタジアムでJリーグサントリーチャンピオンシップ第2戦が行なわれ、その試合自体は清水が延長前半9分にファビーニョのVゴールで2−1と磐田を下したものの、勝ち点が2で並んだため、その直後にPK戦で決着がつけられ、その結果磐田が4−2で勝利を収め、2年ぶり2度目の王座に返り咲いた。戦前は清水が有利と思われた。それも仕方がない。チャンピオンシップはどうしても勢いを持ち込むことができるセカンド・ステージの覇者の方にアドバンテージがあるし、まして磐田はセカンド・ステージに名波の抜けた穴や中山の怪我などがあって万全な布陣で臨めず、下位に低迷した。しかしアジアスーパーカップで優勝を果たすなどしっかり調子を戻してきた磐田はここ一番での勝負強さを見せた。この第2戦も試合は清水が押し気味に進めていた。そして勝負も清水が制し、流れは完全に清水に傾いていた。それでも意気消沈することなく、スパッと気持ちを切り替えてPK戦に突入し、結果を収めることができた。この辺りは修羅場を潜ってきた場数,キャリアの差と言うべきか。そしてこの磐田を救ったのはやはり中山であった。だが今回の優勝は彼1人の力ではない。まさに全員で一丸となって勝ち取った優勝と言っていい。GK尾崎勇史のPK戦でのファインセーブなど脇役の活躍も見逃せなかった。今回の優勝は2度目だが、そのいずれもが桑原隆監督の指揮によるもの。その桑原監督はセカンド・ステージの不振の責任をとって辞任する意向であると言う。俺としては是非、桑原監督に続投してもらって磐田を世界に通用するチームになる足がかりを作ってもらいたいのだが・・。
今年のチャンピオンシップは歴代最高傑作であったと言っても過言ではない。両チームとも素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた。負けた清水も恥じることは何一つない立派な戦いぶりだった。それだけにPK戦で決着をつけたシステムは残念でならない。フィリップ・トルシエ日本代表監督がこんな疑問を投げ掛けている。「今日のジュビロは強かった。だがシーズンを全体的に見ると、清水にとっては不公平。1年間、30試合を通して言えば日本のベスト・チームは清水」。シーズン合計の勝ち点で清水を16点も下回る磐田の年間優勝はおかしいというものだ。これには俺も賛同する。トルシエは1ステージ制にすべきと主張するが、俺は違う。Jリーグを盛り上げるためにはプロ野球の日本シリーズにあたるチャンピオンシップは必要不可欠であると思う。俺が改善して欲しいと思うのはホーム,アワエー,ニュートラルのチャンピオンシップ3試合制にしたらどうかというものだ。こうすれば何の異議もなくチャンピオンが決定できると思うのだが。
CHAPTER18 進化の過程 1999.12.8(水)
来年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会で小川直也(UFO)と橋本真也が再び相まみえることになった。とはいってもシングルでの直接対決ではなく、小川は村上一成(UFO)と橋本は飯塚高史と組んでタッグ戦ということになった。でも俺もまた他のファンの人も、飯塚と村上の遺恨にはまったく興味はないであろう。注目するのはただ1点、小川と橋本の対峙だ。橋本にとって1・4での小川との再戦はどう考えても時期尚早。そういった意味でシングル実現のためのハードルを設定した橋本のロードバックは正しい方向に進んでいると解釈しても良さそうだ。ここ最近の橋本の行動には首を傾げることが多かった。あれほど自分を奈落の底に突き落とした1人であるアントニオ猪木を師事したことにはびっくりした。そしてアンコ型だった体格からの脱却。俺は橋本の持ち味はあの重さから繰り出される破壊力だったと思う。135kgあった体重を118kgまで減量したのだが、今のところそれは活かされていない様に感じる。しかし本来、スポーツ選手が肉体改造に取り組んだ場合、その成果はすぐには表れないものである。橋本の肉体改造もまだ過渡期、我々ファンはその結果を早く求め過ぎたのかもしれない。そしてあの屈辱の敗戦からちょうど1年、そろそろ復活の狼煙を上げなければならない。その試金石となるのが1・4でのタッグ戦ということになる。俺は何となくだが橋本復活の手応えを感じ始めている。根拠などはまったくない。ただ新聞や雑誌での報道を見ていて感じただけだ。10・11直前の橋本は目が血走っていた。それも当然だろうが、周りが見えていなかった。それが完膚なき負けを再び喫したことで素直に小川を認めざるを得なくなった。完全に追う立場になった橋本は復讐というよりはプロレスラーとしての意地をかけて戦う気持ちになったに違いない。そこには血を連想させるものは一切ない。あるのはアスリート橋本真也としての勝利に対するハングリー精神のみ。思い出して欲しい。状況は明らかに違うが、橋本は天龍源一郎に負けても負けても何度もぶつかっていった。そして3度目に悲願は成就された。小川と橋本の第3戦はおそらく4月の東京ドームということになると予想する。この興行では長州力が大仁田厚と戦うことになるかもしれない。本当、今から楽しみで仕方がない。あの猪木引退試合の7万人に近い観客が押し寄せるに違いない。その可能性があるだけに1・4には物足りなさを感じずにはいられない。ビル・ゴールドバーグとリック・スタイナーの試合はお年玉かもしれないし、山崎一夫引退試合や武藤敬司対蝶野正洋の決着戦も興味深いが、あとの試合にはそそられるものがない。どうも最近、新日本のドーム大会のカードの質が落ちている気がしてならないのだ。もうちょっと藤波社長、どうにかしてくれとお願いしたいところだが、そのドームクラスの会場で来春、ヒクソン・グレイシーと船木誠勝(パンクラス)が激突することが決定したようだ。安生洋二(フリー)がリングス・前田日明社長を襲撃したり、パンクラスが同じくリングス・前田社長を告訴する動きがあるなど、元U系のリング外での抗争は激しいが、リングの中でも桜庭和志(高田道場)がヒクソンの弟・ホイラーを下すなど、一時期グレイシー勢に歯が立たなかった日本の格闘技界に確実に流れは向きつつあるのも事実だ。それでもヒクソン有利というのは否めない。はたして船木は無敗の男に歴史的黒星をなすりつけることができるのか。
CHAPTER17 光と陰 1999.12.3(金)
11月30日、東京・国立競技場でサッカークラブチーム世界一決定戦、トヨタカップが行なわれた。今回、来日したのは欧州代表のマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)と南米代表のパルメイラス(ブラジル)。パルメイラスにはジーニョ,サンパイオ,エバイールの元横浜Fトリオに加え、”神の子”エウレル(元V川崎)、そして監督が悪名高きフェリペ(元磐田監督)と日本を経由していった面々が揃っているだけに、馴染み易かったが、それ以上に今回の注目を集めたのが世界のスーパースター、あのフランス・ワールドカップで国民からA級戦犯扱いを受けたデビット・ベッカムであった。セットプレーでボールを蹴る瞬間、無数のフラッシュがたかれていた。男の俺が見てもカッコイイと惚れ惚れするような風貌の持ち主だが、この日は徹底マークに遭い、本来の実力を発揮したとは思えなかった。時差ボケに苦しめられるなど、コンディションは万全ではなかったようだが、それでも随所で世界最高峰のプレーを演出してくれていた。試合自体はパルメイラスが押していたように見えたが、GKのボスニッチが20本のシュートを浴びながら、スーパーセーブを連発してゴールを死守し、前半35分、MVPを獲得したギグスが左足で上げたクロスをキーンが叩き込んだ1点を守り抜いた。両チームとも決定的なチャンスを幾度か外していたものの、試合内容としては非常に面白いものであった。実はイングランド勢はトヨタカップに過去4度出場し、いずれも完封負けを喫していた。よってこれがサッカー発祥の地イングランドにもたらされた初のトヨタカップだったのだ。そんな歓喜の輪があれば、それとは対照的に悲しいニュースも飛び込んで来た。あのドーハの悲劇の主力メンバーであった横浜FマリノスのDF井原正巳と清水エスパルスのDF堀池巧,FW長谷川健太,ジェフ市原のFW武田修宏がチームから戦力外通告を受けてしまったのだ。最近、井原は代表候補から外れるなど第一線から退きつつある印象は否めなかったが、チームを解雇されるというのは予想だにしなかった。他の3人は体力的な衰えを見て取ることができたので、驚きはしなかったが。俺はサッカーは好きだが、専門的な知識はないため、カズ(三浦知良=京都)のスピード,体の切れの衰えはわかるものの、DFである井原はどこを判断基準にして衰えを探して良いかが理解できない。ただ近況を考えると、井原に確実に選手としての終焉が近づいてきてることは間違いなさそうだ。ただ井原には川崎フロンターレやFC東京が獲得に名乗りを挙げており、近いうちに新天地が決まることになると思う。U−22代表の活躍で若い選手が続々と台頭する反面、Jリーグ発足当初のスター選手はポツポツと消え始めている。そんな世代交代の波は世界に通用する出てきたという意味で喜ばしいことだが、と同時に一抹の寂しさは拭えない。現役を続けているベテラン選手の踏ん張りに期待したい。
CHAPTER16 SUDEENDEATH 1999.11.30(火)
今季からファーストステージとセカンドステージの成績をポイント換算して、その15位と16位のチームがJ2へ自動降格するシステムとなったJ(J1)リーグ。最下位はベルマーレ平塚に決定していたが、残る1つの枠は最終節までにもつれ込むことになった。その可能性が残されていたのはジェフユナイテッド市原,浦和レッドダイアモンズ,アビスパ福岡の3チーム。先に挙げていった方から降格の可能性が高かったのだが、11月27日、市原はガンバ大阪にアウェーながら1−0で勝ち、浦和は延長後半Vゴールで広島を1−0で振り切り、福岡は横浜Fマリノスに2−0で敗れたものの、得失点差の関係で浦和がJ2落ちすることが決まってしまった。Jリーグ発足当初、浦和はお荷物と言われたほどチーム状況は酷く、1993年,94年の総合順位は10位,12位とそれぞれ最下位であったが、それ以降は着実に戦力補強を行ない、最近ではJリーグのトップチームに挙げられるまでに成長していた。それだけにシーズン前、浦和がJ2に降格するなどと考えた人は皆無であったはずだ。それがこの最悪の結末になってしまったのだが、その要因の1つとしてMF小野伸二の怪我による長期欠場があっただろう。とは言うものの、それでも残留できるだけの戦力はあったはずだ。フィールドプレーヤーを見れば福岡より上だったはずだ。それでも生き残ることはできなかった。それに伴い小野の移籍問題が取り沙汰されるようになっている。小野のレベルは世界クラスだけに引く手数多の状態で、J2でプレーすることは実力の低下にも繋がるのでできれば避けた方がいいと言われているが、個人的には来季も浦和で頑張って欲しいと思う。これは小野だけでなく、チームの看板である福田正博,岡野雅行の両FWをはじめとするレギュラー選手全員に言えることである。この屈辱は誰か1人の責任によるものではない。チーム全体で受け止めなければならないものである。ならば今年と同じメンバーで来季、J2を勝ち抜いてJ1に復帰するべきであると思うのだ。ただ球団側は小野自身の意向を尊重するようであり、そうなると移籍の可能性が高くなるわけだが、そうなるんであったら将来の事を考えて海外のチームに行った方が得策であると思う。また1年間のレンタル移籍の案も出ているようだ。浦和のサポーターは時として大暴走してしまうこともあるが、その熱狂ぶりは間違いなくJリーグ1である。幸い、彼らの大半はJ2に落ちても応援し続けてくれることを誓ってくれているようである。勝っているチームを応援することは誰だってできる。でも真のファンとは応援している選手,チームが苦境に立たされた時にこそより大きな声援を送らなければならないと思うのだ。ここでファン離れするようでは本当のファンとは呼べないと思う。またそこで応援してくれるサポーターがいるから、浦和の選手はその期待に応えるために奮起しなければならない。また違った見方をすればどうしても注目度が低いJ2に脚光が浴びることにもなる。コンサドーレ札幌,大分トリニータ,アルビレックス新潟との争いになるであろうが、チーム力を落とさなければあっさりとJ1に戻って来れるはずである。だから浦和の選手はモチベーションを落とさずに1年間を乗り切って欲しい。
CHAPTER15 7年目の正直 1999.11.27(土)
1999年Jリーグセカンドステージ優勝に清水エスパルスが輝いた。清水がステージ制覇したのは初、鹿島,V川崎,横浜,磐田に次ぐ5チーム目の快挙となる。Jリーグ発足当初はレオン監督の指揮の下、2位が続き、その後は大物イタリア人マッサーロを獲得するも、チームの成績は伸びなかった。97年11月には球団運営会社が経営危機に陥り、新会社に営業権を譲渡するなど苦難を乗り越えての栄冠だった。チームの礎を作ったのはアルゼンチン人のアルディレス元監督。伊東,斉藤,という日本代表選手を育て、チームの核を作った。そしてその後を引き継いだペリマンが選手を型にはめない個性とフェアプレーの精神を重視した練習方法で磨きをかけた。ペリマン監督自身も「この優勝はオジー(アルディレス元監督の愛称)との合作だった」とコメントをしている。チームに大スターと呼べるような選手は存在しない。しかし選手全体のレベルは非常に高く、地味ながらも着実に仕事をこなせるのがこのチームの強みだ。まさにチームワークの勝利ということができるだろう。その中でも立役者となったのがMFアレックスである。大抵外国人選手というのは海外で活躍している選手を引っ張ってくるものだが、アレックスは日本の高知・明徳義塾高出身で日本で育てて、ここまで成長させた。これには資金不足が絡んでいるはずだが、逆にそれがプラスの方向に作用したようだ。スピードを生かした突破力は世界レベルとも言われており、ファンの間からは帰化を望む声も高まっている。またチーム解散によって横浜Fから移籍してきたFW久保山も期待以上の活躍を見せてくれた。もちろん38歳のMFサントス,MF沢登も健在で優勝に貢献を果たした。そしてU−22代表組の戸田,市川のDFの活躍も見逃せない。このようにベテラン,中堅,若手の3世代がガッチリ噛み合って勝利だったわけだが、いよいよ12月4日,11日と磐田との静岡ダービーによるチャンピオンシップが行なわれる。この方式では当然、勢いに優るセカンドステージの覇者が有利になるわけだが、今回もその例に漏れないだろう。磐田はMF名波が抜けた影響で、チームのバランスを崩し、セカンドステージは14位と低迷している。FWゴン中山の調子も今ひとつなだけに、リーグ最少失点の守備力の安定感を誇る清水に分はあるように思える。それにしても俺の中でサッカーの街といったら清水というイメージがあるだけに、7年目での初優勝はちょっと遅かった観があるが、この優勝を機に鹿島や磐田に代わって常勝軍団に名乗りを挙げるようになるのかもしれない。最後にチームの黎明期を支えたGKシジマールはこの知らせをどんな思いで聞いているのだろうか。
CHAPTER14 技のデパートに蛍の光 1999.11.23(火)
1年納めの九州場所は横綱・武蔵丸の2場所連続の優勝で幕を閉じた。これで武蔵川部屋は春場所からの5連覇を達成、1978年に北の湖の5場所連続優勝で三保ヶ関部屋が達成した史上6位の記録に並び、時代の波は二子山から武蔵川に流れていることを印象づけた。今場所の武蔵丸の成績は12勝3敗とお世辞にも高いレベルでの争いだったとは言えない。賜杯を争奪した2人の横綱の調子は万全ではなく、いずれも9日目に3敗目を喫しており、早々に優勝戦線から離脱したかに思われた。大関・出島が11日目まで10勝1敗と独走し、優勝経験もあることからこのまま行くように見えたのだが、残りの4日間をまさかの全敗。土俵を沸かせた栃東,土佐ノ海も中盤から後半にかけて尻つぼみになり、結局残ったのが両横綱だった。この辺りはさすがと言わざるを得ない。場所前から体調不安が囁かれた貴乃花は秋場所まで今年積み上げた白星は25。今場所も優勝は逃し、1999年は優勝なしというプライドの高い横綱としては屈辱的な年になってしまった。しかし来場所に繋がる手応えは確実に掴んだ。それは大きな収穫と言えるに違いない。限界説を払拭する内容を見せてくれた。一方、武蔵丸からかつて北の湖が言われたような憎らしいほどの強さというのはまだ感じられない。ついこの間まで見せていた貴乃花の圧倒的な有無を言わせぬ強さはない。が武蔵丸には他の追随を許さない安定度がある。55場所連続勝ち越しという自身の記録を更新したわけだが、これは休場をしないという前提条件が整わないと築き上げられない記録である。怪我で休みがちな3横綱を尻目に、武蔵丸はコツコツと出場を重ねている。これは成績以上に評価されて然るべきだと思う。また武蔵丸も土俵に上がり続けていることが最大の誇りで、この記録だけは途切れさせたくないと言っている。それは前記録保持者・北の湖の50場所連続勝ち越しというレコードに並んだ今年初場所に、体調不良で記録更新に絶体絶命の危機に陥りながら、執念で千秋楽に勝ち越しを遂げたというところから、この数字へのこだわりを窺い知ることができる。これで今年4度目の優勝でしかも年間最多勝も獲得。俺にはまだ武蔵丸時代の完全到来は実感できないが、着実にその道を進んでいることは確かなようだ。そして忘れちゃいけないのが元小結・舞の海の引退だ。1990年春場所の新弟子検査で身長が合格基準に達しず、不合格。翌場所の再挑戦の際には頭にシリコンを埋め込むという涙ぐましい努力の末に合格を勝ち取ったというのはあまりにも有名な逸話だ。そのおかげで学生で実績のある者は身長に関係なく特例で合格できるようになった。そんなレールを敷く下地を作ってくれた舞の海はそれだけでも功績を残したわけだが、171cm,97kg(引退時)という小さな体で土俵上も湧かせてくれた。本人としてはあのような奇抜な技を繰り出すことは本意ではなく、この世界で行き抜いていくためのやむを得ない手段だったようだが、何一つ恥じることはない立派な戦術だった。先ほど、3倍近く体の違う小錦や曙に持てる力を駆使して勝利を収めて姿をテレビで見たのだが、その当時よりもむしろ今の方がその華麗さに驚きを隠せなかった。しかし最近は満身創痍で戦っており、舞の海は遂に限界に辿りついてしまった。その怪我との戦いは想像を絶するほど過酷だったようだ。今後、舞の海は年寄株取得が困難であるため、協会には残らずにタレントへの転身が有力のようだが、その舞の海は「相撲は体の大小ではない。小さい人でもチャレンジしてくれれば」というメッセージを残した。常識を覆す挑戦に見事に勝利を収めた舞の海の果敢な精神に改めて拍手を送り、第2の人生での成功を祈りたい。
CHAPTER13 HIGH QUALITY 1999.11.16(火)
13日、サッカーU−22日本代表は敵地・タイに乗り込み、見事6−0というアジア最終予選とは思えないゴールラッシュを見せて有終の美を飾った。カザフスタンに地力の差を証明し、3−1で勝利を収めた6日の時点で既にシドニー五輪の出場権は獲得しているが、それだけにこの日の試合はモチベーションの欠如が見られるのではという点が懸念されていた。そんな心配を吹き飛ばしてくれたが、何よりアウェーでヒデ(中田英)抜きでこれだけの圧勝ができたというのが一番の収穫である。例え相手が格下であったとしてもだ。それだけ選手層が厚いということの表れだが、この試合でトルシエ監督はGKに南(柏),DFに戸田(清水),FWに小島(G大阪)をスタメンで起用した。いずれも最近はレギュラーを外れていた選手であるが、3人とも仕事をきっちりとこなした。途中からはFWに北島(柏)を投入したが、初召集ということもあって緊張で堅さが見て取れたが、同じく途中出場の藤本(広島)と市川(清水)は両選手ともゴールを決め、存在感をアピールした。個人的にこの日一番素晴らしかったと思うプレーは後半12分、中村(横浜)のニアに蹴り込んだCKが相手にクリアされ、その直後に放った2発目のCKは大きくファーサイドのペナルティー・エリアの外まで流れてしまうが、そこにフリーの明神が走り込んでダイレクトボレーを軽く合わせ、ボールをネットに吸い込ませたビューティフル・ゴールである。実はこれはスリーピングと呼ばれる作戦で、何度も繰り返し練習したものだった。練習したものがすぐに試合で出るというわけではない。しかし辛抱強く、熟成を重ねればやがて実は結ぶということを実証してくれた。あまりの差に途中からやや大味になってしまったような気もするが、それは致し方ないであろう。宮本(G大阪)を中心としたフラット3も予選を通じて安定感を維持した。それは予選12試合でわずか3失点という数字にも表れている。日本の永遠の課題である点取り屋不在に関しても、平瀬(鹿島)がこの予選で17得点と急成長を遂げた。とにかく史上最強と言われる日本五輪代表チーム。28年ぶりの出場だったアトランタ五輪はブラジルに金星を挙げ、ハンガリーにも土壇場での逆転勝ちをし、2勝1敗と善戦を見せたが、惜しくも決勝トーナメント進出はならなかった。今回は間違いなくそれ以上の結果が残せると俺は確信する。スピード、技術ともかなりの高い次元で整っていると思う。元名古屋グランパスエイト監督で現在は母国イギリスのプレミア・リーグのアーセナルで指揮を執るアーセン・ベンゲルも「技術、体力で日本は南米や欧州の強豪にも引けをとらない。差があるのは経験だけ。これらは決して社交事例ではなく、本心である」と言っている。世界の名匠の言葉なのだから、信じて間違いない。ただ心配なのはアジアを圧倒的な力を見せつけて勝ち抜いたことが選手の過信に繋がらないかということである。世界とアジアの間には大きなレベルの隔たりが横たわるのだ。自信と過信は似ているようでまるで違う。その点が唯一、気がかりである。だがこのチームの選手は求めているものが高い。まだまだ向上しなければならないという気持ちの持ち主がだけに、さほど気にする必要はないかもしれない。とにかくこのチームならベスト8を狙えるのではないかと思う。本当の勝負は2002年の日韓ワールドカップ。そこで結果を出すための前哨戦という意味合いも強い。そう考えると、五輪の舞台は日本に欠けている経験を積み、世界の実力を肌で味わうことができる格好の舞台となろう。チームの質をより向上させ、五輪で旋風を巻き起こしてくれることを期待したい。
CHAPTER12 記録も記憶も 1999.11.11(木)
ちょうど1年前、俺をそして九州を大いに熱くしてくれた男がいた。西前頭12枚目の琴錦功宗(佐渡ヶ嶽)、当時30歳であった。怪我に泣かされとうとう番付が9年ぶりに二桁まで落ち込んでしまい、剣が峰での土俵だった。場所前には師匠の佐渡ヶ嶽親方に「以前のような気力もなくなりました。体力もついていかなくなりました」と言って引退を決意していた。そんな中、持ち前のスピード相撲が鮮やかに復活して、14勝1敗という見事としか言いようのない成績で賜杯を手中にしたのだった。場所前、琴錦の優勝を予想するものなど誰一人としていなかった。俺は若乃花と琴錦の大ファンなので、場所前は必ず両者とも優勝してくれと願うのだが、そんな俺でさえも予期できぬ出来事だった。そんな前評判を嘲笑うかのように、琴錦は初日から飛ばし続けた。5日目に全勝の土佐ノ海を押し出しで破った時、俺の脳裏にはもしやという思いがよぎった。それからは家に居る時にはNHKにチャンネルを合わせ、学校の時は図書館でラジオを欠かさずチューニングしていた。7日目に単独トップに立ち、翌日には平成3年初場所以来、2度目の無傷での給金を果たす。この頃には期待で大きく胸が膨らんでいたものの、それでも上位との対戦が控えているだけに一抹の不安があった。しかし当の琴錦は「毎日たまたまが続いているだけ。優勝なんてとんでもない」と無欲を貫いていた。10日目に栃東を破った瞬間もドキドキしながらラジオに耳を傾けていたことを鮮明に記憶している。この日を終わって1敗に土佐ノ海、2敗に若貴兄弟と貴ノ浪の二子山勢が不気味に追走していた。本来ならプレッシャーに押し潰されてしまうところだが、琴錦は違った。12日目は横綱若乃花との対戦だった。双方ともファンである俺は複雑な心境だったが、この時ばかりは琴錦を応援していた。琴錦は速攻で若乃花を土俵際に追い詰めた。俺はその瞬間に勝ったと思ったが、業師若乃花はそこで本領を発揮し、琴錦の勢いを逆利用して網打ちを仕掛ける。さらに琴錦は攻めるが、突き落としに敗れてしまった。俺はがっかりしてしまったが、観客も同じ思いだったようで、横綱が勝ったにもかかわらず館内には座布団が舞った。これで勢いが止まってしまっただけにまずいと思ったのだが、琴錦はとどまることを知らなかった。13日目、不利を予想された大横綱貴乃花を相手に金星を挙げる。これで再度、軌道に乗った琴錦は翌日に史上初の2度目の平幕優勝を達成したのだった。
91年秋場所で初優勝を遂げた時には23歳だった。その時は大関候補として将来を嘱望された。しかし私生活でのトラブルや怪我で期待されたような出世をすることはできなかった。あれから43場所、俺はもう優勝することはないかもしれないと半ば諦めかけていただけに感慨もひとしおだった。時津風理事長は「まさに芸術品の相撲。彼の感性はもちろん、相撲一途に打ち込んでいる姿勢が美しい。大型化した中で30歳の小兵が人間の可能性を無限に表現した。私は感動をもらい、言うことない」と大絶賛し、人目もはばからず感涙にむせんだという。琴錦は決して記録も優れていないわけでなく、三役在位34場所は歴代1位、三賞合計獲得数18も安芸ノ島に次いで2位である。でもそんな数字以上に俺の中では偉大な力士として記憶に一生残るに違いない。今場所は今のところ星は2勝2敗となっている。もちろん1つでも多く勝って欲しいというのが本心だが、それ以上に1場所でも多く土俵に上がり続けて欲しいという気持ちのが強い。
CHAPTER11 客寄せパンダ 1999.11.5(金)
現在、4年に1度のバレーボールのワ−ルドカップが開催されている。とはいっても毎回、日本で行なわれており、サッカーのような権威もあったもんじゃないという感じだが、この大会はフジテレビが独占放映権を獲得して、連日放送されている。でもこのフジテレビの放送の姿勢ががどうも納得いかない。あからさまに視聴率を稼いでやろうという野心がミエミエなのだ。その筆頭に挙げられる戦略が、先日ジャニーズ事務所からデビューしたばかりの5人組グループ嵐をイメージキャラクターとして起用したことだ。4年前を思い起こして欲しい。前回のワールドカップの際にもデビューしたてだったV6を同じような形で起用した。その結果、会場には若い女性が詰め掛け、観客動員という営業的側面だけを見たら成功したように思えた。でも会場に詰め掛けた中でどれだけの人間がバレーボールを目的として足を運んだのか。大半はV6が目当ての客だったに違いない。それでもまだそれをきっかけにバレーボールに興味を持ち、Vリーグの会場にも観戦してくれるようになるなら長い目で見ればバレーボールの人気回復戦略として大成功だったといえる。だが俺が思うにVリーグの会場は活況を呈していないのではないか。そう考えると、本当のバレーボールファンは迷惑しているのではないかと推測できるのだ。会場でもバレーボールなどには興味を示さないから、試合そっちのけで私語をしていたりして、真剣にバレーボールを楽しみたい人はカリカリしているのではないかということは容易に想像がつく。テレビ局とて1企業。利潤を追求するのが主目的なのだから、視聴率至上主義になるのはやむを得ない。しかしそれと同時に、スポーツという文化を根づかせるのもテレビ局の役割ではなかろうか。フジテレビはバレーボールだけでなく、K−1やF−1なども同じような手法を採ってきた。その結果、一大旋風を巻き起こしたが、やはりそれではメッキが剥がれるのは早い。現在ではF−1ブームは完全に去り、K−1人気も下火になろうとしている観がある。関心のない層に興味を持たせるという点では有効な策である。でもそういうものを見る度に、真のファンはやりきれない思いをしているのではないかと思うのだ。もちろん市場の拡大には新しいものを取り込まなければならない。でも見た目の派手さだけをアピールするだけでは一時的に支持はされても、潮が引くのも早いであろう。それよりも競技自体のレベルアップというものが重要であるのだ。そういった意味で現在の日本のバレーボール界は根本的な間違いを冒している。はっきり言って、これではこの競技は衰退していくだけであると思う。
CHAPTER10 看板に偽りあり 1999.10.21(木)
ヴェルディ川崎が本拠地を現在の川崎市(等々力陸上競技場)から東京都調布市に2000年秋に完成する東京スタジアムへ移転することが計画されているが、Jリーグの川淵三郎チェアマンもこれを認める発言をした。実は1993年12月にもヴェルディは東京への移転を表明したが、その時はJリーグの理念である地元密着に反するとして白紙撤回を強く要求、その結果、ヴェルディ側が移転を断念したといういきさつがある。それとは正反対な今回の承認の裏にはヴェルディの経営者が代わった事が挙げられるだろう。前回の騒動の際、ヴェルディの経営権を握っていたのは読売新聞社だった。ここの社長は言わずと知れたナベツネこと渡辺恒雄である。渡辺社長は事あるごとに正式チーム名を読売ヴェルディにすることを要求したり、先ほどの移転問題を突きつけた。その度に川淵チェアマンはJリーグの理念に基づき、毅然とこれらを固辞し続けた。それを機に両者は犬猿の仲になったが、俺はその川淵チェアマンの一貫した姿勢に深く共感を覚えた。しかし現在、ヴェルディの経営権は日本テレビに移譲されている。その途端のヴェルディの移転承認。こうなるとただの天敵に対する意地の張り合いというものだったのじゃないかと疑いたくもなるものだ。それくらいの方向の転換なのだ。
現在と6年前のJリーグを取り巻く環境が異なっているのはわかる。当時Jリーグバブルだったが、現在は観客動員なども冷え込んでいる。こうしたことからヴェルディの移転の真の目的は経営危機脱出にあることがわかる。たしかに1企業である以上、大幅な赤字を出してはいけない。しかしJリーグの理念は地元密着ではなかったか。そう考えるとここに矛盾が生じることは否めない。これについて川淵チェアマンは「この移転で観客数が飛躍的に増えるなら、むしろ歓迎すべきではないか」とコメントしている。これを聞く限りでは6年前は何だったんだと言いたくもなる。強烈なまでの掌返しだ。
こうなるとJリーグの理念など無いにも等しい。俺は移転すること自体が悪いとはちっとも思わない。むしろそれが経営にプラスをもたらすなら、やってもいいように思う。当然ながら地元と密着してるところは別だが、ヴェルディは決して川崎とは密着してたとは思えない。その背景には川崎フロンターレ(J2)が存在することもあるのだろう。俺が問題にしたいのは、地元密着という理念だけを掲げてカッコだけつけておいて、その実態は違うということである。だったらこの際、地元密着という看板を外したらどうかと思うのだ。今回の問題はJリーグというものが何なのか、改めて考える良い機会になった。でも鹿島や浦和のように地元に密着してる球団もあるのだ。川淵チェアマンはこのようにJリーグの理念に素直に取り組んできた球団関係者やファンに対し、どういう言い訳をするのだろうか。地元密着という理念は素晴らしいと思うが、お上がそれを無視してるようじゃJリーグに明るい光は差し込むはずがない。
CHAPTER9 日出る国へ 1999.10.14(木)
10月11日、東京・国立競技場で行なわれたJOMO CUP、JAPAN DREAMS(Jリーグ日本選手選抜)対WORLD DREAMS(Jリーグ外国籍選手選抜)戦で、ゲストとしてロベルト・バッジオ(イタリア,インテル)とレオナルド(ブラジル,ACミラン)が招かれ、WORLD DREAMSの一員として試合に参加した。バッジオはさすがと唸らせる華麗な技術を披露してくれた。前半11分に右足ボレーで先制点を決めると、同42分にはゴール右隅に右足でピンポイントで決め2点目。当然の如く、堂々とMVPを獲得した。レオナルドも後半6分にバッジオのセンタリングにオーバーヘッドを合わせるなど、大ハッスルしてくれた。ご存知の通り、レオナルドは3年前まで鹿島でプレーしていたのだが、ブラジル代表を引退した今、鹿島に復帰したい意向を明らかにしてくれた。あの鹿島スタジアムで見せた胸トラップしてから、逆回転して決めた芸術的シュートがまた見れるのかと思うと、嬉しくてたまらない。人気が低迷しているJリーグの起爆剤となり得るだけに、是非とも実現して欲しいものだ。でもACミランとの契約は2年残っている。あとしばらくの我慢が必要である。そしてバッジオもJリーグでのプレーを希望しているという。以前から親日家だけに、その噂は絶えなかったのだが、ここに来てそれは現実味を帯びてきたようだ。インテルではロナウド(ブラジル代表),ビエリ(イタリア代表),サモラノ(チリ代表)など、ライバルがひしめき合い、満足行く出場機会が与えられていない。加えて32歳と年齢的にも世界の第一線でやっていくにはきつくなってきているはずである。ここで日本行きを決めても、決して不思議ではない状況にあるのだ。
Jリーグ発足当初、鹿島にジーコ,名古屋にリネカー,磐田にスキラッチなど多くの世界の超大物選手がいた。しかしピークを過ぎていたことから年金リーグなどと揶揄されたりもした。しかし今はJリーグでの大物外国人選手というとストイコビッチ(名古屋)くらいになってしまった。経営難のチームが続出しているのが原因だが、それはそれで寂しさを感じる。幸いにもバッジオ,レオナルドの2人はまだまだ選手としてバリバリ働いてくれることができそうである。ひいては日本サッカー界の実力向上にも繋がる。2選手の日本へのラブコールは、久々にJリーグにもたらされた朗報となった。計画が実現してくれることを祈るばかりである。
CHAPTER8 抜群の安定感 1999.10.11(月)
ロードレースのシーズンの幕開けを告げる第11回出雲全日本大学選抜駅伝が体育の日に、島根・出雲大社正面鳥居前をスタート、浜山公園陸上競技場をゴールとする43.1km、全6区間での熱戦が繰り広げられた。優勝候補は大会3連覇を狙う駒沢大(以下駒大)と今年の箱根駅伝でノーマークという下馬評を覆して、まさかの逆転優勝を遂げた順天堂大(以下順大)の2校。しかしこの両校はチームを引っ張ってきたスーパーエースの藤田敦史と三代直樹がともに今大会を協賛する富士通に就職してしまった。それだけにこの穴がどれだけ埋められるかが鍵となる。山梨学院大(以下山学大)、神奈川大(以下神大)も復活を遂げられるかも見所だった。1区(7.2km)、先頭で襷を繋いだのは第一工業大のモロッコからの留学生アジス・ドリウッチ(2年)だった。記録は20分22秒。順大は2秒遅れの3位と好スタート、駒大は大西雄三(3年)が20秒遅れの8位で出足を躓く。2区(6.0km)では、今年の箱根で屈辱の2区最下位を味わった古田哲弘(山学大4年)が強烈な追い上げを見せ、トップに1秒差の3位まで順位を上げる。順大はしっかり首位に立ち、足場を固める。駒大も揖斐祐治(2年)が4人抜きを見せるが、先頭には届かない。神大は9位と奮わない。3区(5.7km)では順大・奥田真一郎(2年)の背後に、山学大の大浜洋平(4年)がぴったり着く。先に襷を繋いだのは大浜。そのタイムは区間記録にあと1秒に迫る16分1秒だった。しかし奥田も1秒遅れで襷を渡す。4区(5.6km)も中間点まで山学大と順大がくっついていく。それを過ぎると順大・野口英盛(2年)がペースを上げ、大きく突き放す。その差は中継点では18秒にまで広がっていた。5区(7.3km)では尾崎輝人(山学大3年)が必死に追い上げるものの、順大との差は6秒しか縮めることができなかった。駒大も西田隆維(4年)が21分20秒の区間新の快走を見せたが、時既に遅し。最終6区は今年の箱根の9区で区間新を出し、順大の優勝に大きく貢献した高橋謙介(3年)が安定した走りで区間賞を獲得。順大が2時間9分15秒でゴールのテープを切った。順大はこの大会初優勝。2位は山学大、20秒差だった。それから遅れること14秒、駒大のアンカー・神屋伸行(2年)が3位でフィニッシュ。4位は中央大、5位は神大だった。終わってみれば順大の安定した強さが目を引いた。とは言っても本番は箱根。この大会の距離の2,3倍はあるため、ここで勝ったからといって安泰というわけではない。だが順大は見事なスタートが切れたことは事実だ。今年は大学界を代表するようなスーパーエースは不在である。それだけにチーム力を見せつけた順大が今年の大学駅伝をリードしていくのではという印象は強く与えられた。
CHAPTER7 とりあえず好発進 1999.10.10(日)
加茂周が日本代表監督を更迭された地、カザフスタン・アルマトイ。あれから2年、U−22日本代表がシドニー五輪の出場権を奪いに、再びその地に降り立った。この若い世代にはあの時の屈辱など頭にない。あるのは自分達は自分達、ただ勝つのみというものだけだ。グランド状態など日本とは比べ物にならないくらい悪い。でも国際経験豊富な彼らにはアウェーという特別な意識はそれほどなさそうである。そして日本には世界に誇れる司令塔・中田英寿(ペルージャ)がいる。日本にとって負ける要素などない。ただ油断は禁物である。それでも必要以上の警戒心を抱く必要などない。今のU−22日本代表はそれほど充実しているのだ。それが試合前の俺の見方だった。
前半24分、ヒデのミドルシュートが鮮やかに決まって、日本は先制する。先手必勝というのがスポーツの鉄則である。まして敵地での試合。主導権を先に握れるというのはとてつもなく大きい。その後も日本は地元ガザフスタンを圧倒する試合運びを見せる。しかし幾度のチャンスにもゴールを割ることはできない。特に高原(磐田),平瀬(鹿島)の2トップの動きが悪いように感じた。それでも余裕を持って試合を見ていることができた。そのまま1−0で前半を終了する。すると後半、カザフスタンは地元の声援に後押しされ、猛反撃を仕掛ける。この試合に敗れれば、カザフスタンは五輪行きの切符を失うことになる。その激しい攻めを予想することはできた。しかし日本はカザフスタンの攻撃に危ない場面を数多く迎える。それを何とか凌ぐが、日本も点を奪うことはできない。何度かゴール前でチャンスを作るが、キーパーの攻守に阻まれてしまう。試合も後半に入った頃、俺の脳裏には悪夢が蘇る。2年前、日本は先制しながら、終了直前にゴールを決められ、引き分けに終わっているのだ。日本にとっては苦しい展開が続く。しかし40分過ぎ、中田はトップスピードでゴール前にドリブルで切り込むと、キーパーに倒される。一瞬、PKかと思われたが、主審の判定はコーナーキック。そして右サイドから右足でヒデがニアサイドにボールを放り込むと、稲本(G大阪)がボレーで合わし、貴重な追加点を奪った。これで勝負あり。あのまま1−0で終わっていれば苦戦という印象が強かったが、2点差をつけたことによって快勝というように、その雰囲気は変わった。
この試合はヒデの素晴らしさは相変わらずさることながら、中村(横浜)の動きの良さが目を引いた。中盤にヒデ、そして左サイドに中村がいることは日本にとって攻撃のバリエーションに幅を持たせることができる。守備面では完封したとはいえ、ピンチを数多く誘発したことから反省が必要かもしれないが、決定的なものはなかった。GKの曽ヶ端(鹿島)も落ち着いてプレーしていた。途中、苦しみはしたものの、まずは順調な出足を切ることができたと言える。
CHAPTER6 10・11、恐怖の大王が舞い降りる 1999.10.9(土)
いよいよ橋本真也(新日本)にとってリベンジの時がやってきた。10・11、東京ドーム、小川直也(UFO)と9ヶ月ぶりの再戦が行なわれる。前回の1月4日、同会場での第1戦はノーコンテストに終わったが、事実上は小川の一方的なKO勝利だった。その無法ファイトに新日本は怒り、UFOに対して絶縁を突きつけた。橋本もこの1戦をきっかけに地獄に落ち、一時戦線を離脱。復帰後も不本意な戦いが続いている。それに対し、橋本戦を機に一気に飛躍した感のある小川はNWA王座を手に入れるなど絶好調、そんな近況を見る限りでは、小川有利と言わざるを得ない。しかし俺は新日本派であり、橋本ファン。そしてアンチ小川であるだけに、当然ながら橋本の勝利を願っている。果たして橋本は復讐を成し遂げることができるのだろうか。橋本は前回の屈辱を倍以上に返そうと思っているはずだし、小川は自信をつけていることから、また泥々の試合になるだろうし、俺もそれを願っている。1月以降、橋本から明るい話題はまったく提供されなかった。それに比べ小川から流れてくる情報は景気の良いものばかり。この試合の下馬評も小川に傾いている。とはいっても橋本は元IWGP王者、9度防衛と1年4ヶ月間の君臨という輝かしい実績があるのだ。しかしその積み重ねてきたものはガタガタに崩れ落ちてしまった。王者時代の橋本には有無を言わせない強さがあった。それは「ミスターIWGP」という称号に相応しいものだった。しかし今の橋本にはそれはない。今度の試合は破壊王が持ってた威圧感を取り戻す試合なのだ。橋本も瀬戸際であることをひしひしと感じているのだろう。9月29日、王道を走ってきた橋本が遂に暴挙に出た。米国ロサンゼルスで練習中の小川を襲撃したのだ。それは決して許される行為ではないが、橋本が本気になっていることの表れであると俺は解釈した。技術的な裏付けはないが、橋本の精神的な昂ぶりを感じた。これで橋本に少しながら一筋の光明が差し込んだ気がした。本気になった時の橋本は強い。1994年5月の福岡ドームで藤波辰彌を秒殺してIWGP王座を奪回した試合。1997年5月の大阪ドームで小川を失神させて完全勝利を収めた一戦。1996年4月29日、東京ドームで流出していたIWGPのベルトを高田延彦((UWFインター)から取り戻した試合。俺はその時の強さを知っている。だから橋本真也を信じたい。小川に自分が味わった以上の屈辱を浴びせるには、柔道技での勝利しかない。減量の影響は心配だが、10分4秒、三角締めで橋本が元柔道世界王者からギブアップを奪う。これは予想ではない、願望だ。そしてこの試合実現のために尽力した藤波新社長への恩に報いて欲しい。でもそれ以上に自分のために勝って欲しい。
さてここからは他の試合を予想していく。メインに予定されている(当日に試合順の変更の可能性もあり)IWGP王者・武藤敬司対G1覇者・中西学のタイトル戦は、個人的には中西に勝ってもらいたいが、やはり一発勝負となると武藤に分がある。現在の充実ぶりは著しいだけに、中西が崩すのは難しい。17分15秒、足4の字固めで武藤の防衛。佐々木健介と天龍源一郎(フリー)の一戦は、健介を応援しているが、何となく天龍が勝つような気がする。18分39秒、エビ固め(パワーボム)で天龍が勝利を収めるのでは。永田裕志対キモは、これも直感で「怪人」キモの勝利。IWGPジュニア戦はケンドー・カシンが21分35秒、大熱戦の末に飛びつき逆十字で獣神サンダー・ライガー越えを果たす。IWGPジュニアタッグ戦は金本&田中組が15分56秒、金本の猛虎原爆固めで高岩をフォール。天山広吉対後藤達俊は9分3秒、片エビ固めで完勝。藤田和之対マッコリーも藤田がギブアップ勝ち、5分以内の秒殺。藤波&越中組対木戸&飯塚組は一瞬の隙を突いて木戸が7分24秒にキドクラッチを決めて、越中に3カウントを聞かす。これが俺の何の根拠もない予言だ。
CHAPTER5 日本サッカー新時代突入 1999.9.29(水)
27日、U−22日本代表が敵地・韓国で見事な勝利を収めた。内容的には前回の日本での試合と違って、押されていたが、それを凌いでの勝利。よく日本人は海外に出ると萎縮して実力を発揮できないと言われるが、そういった精神面でもタフなところをこの試合で見せてくれた。中田英(ペルージャ)抜きだっただけに、技術レベルはどうしても落ちてしまうが、それでも勝利を掴むことができる。日本代表の層の厚さも十分に証明できたことと思う。賞賛したいのは後半36分の得点に繋げた明神(柏)のプレー。気迫でボールを奪取して、ゴール前に鋭いクロスを放つ。諦めずに向かって行ったことがゴールを呼び込んだ。そのゴールも鮮やかなものではなかったが、世界で勝つためにはこのような泥臭いもの必要なのである。相手の猛攻に危ない場面も何度かあった。このあたりは再度、守りの修正は必要だろう。ただしその中、GKの曽ケ端(鹿島)が再三のファインセーブを見せた。高いボールに対する反応も素晴らしかった。現段階でチームの正GKは南(柏)だろうが、実力のある控えがいつでも準備が整っているというのは心強い。それも収穫の1つだった。あと遠藤(京都)の攻撃参加のタイミングも良かったと思う。一方で残念なこともあった。後半37分の柳沢(鹿島)の一発退場。俺が見た限りでは柳沢が仕掛け、韓国のDF沈載源がその行為にクレームをつけたところ、柳沢が逆ギレしたように見えた。それにしても最近の柳沢の行動はいかがなものか?エースとしての自覚が足りないとしか言いようがない。意味のないレッドカードで、五輪最終予選のカザフスタン戦も出場停止の可能性もあるらしい。日本には他に吉原(札幌)などの好選手もいる。確かに柳沢の実績には劣るが、ここは自覚を促すためにも彼らを入れて、柳沢を外してもいいのではと思う。まあそれ以外は日本代表にケチをつけるところはない。パーフェクトではないものの、しっかりと結果を出してくれた。今、重要なのは自信をつけることだけに、内容以上に結果が大事なのである。最も選手たちは内容に満足することなく、常に高い次元を求めている。本人たちも課題は十分にわかっているだけに、我々が余計な心配をすることはなさそうだ。期待は大きく膨らむ。
CHAPTER4 RE−BORN 1999.9.27(月)
負け越してしまいました若乃花。史上2人目の不名誉な記録。CHAPTER2では優勝を狙ってくれと書き込んだけど、それどころじゃなかった。この若乃花の出場に対しては賛否両論あった。負けるのが目に見えているのに、出場するのはお客に対して失礼だという意見もあった。でも俺は贔屓目になるが、こう思う。彼は何ひとつ恥じることなどない、立派に土俵を勤め上げたと。特に千秋楽の武蔵丸戦。どう考えたって前日までの状態を思えば、勝負にならないことはわかっていた。でも実際は涙なしでは語れない熱戦だった。土俵際まで押されながら、脅威の粘りを見せる。勝負の最中も痛そうな表情を見せながら、必死に耐え、執念で相撲を取っていた。結果は黒星、でもそんなのは関係ない。彼は明らかにこの日の土俵に選手生命を賭けていた。壊れてもいい、これが最後というのはテレビの画面から伝わってきた。またそうでなければ、あれほどの戦いはできるわけがない。そんな若乃花に対して文句など言えるだろうか。横綱として負け越したことに本人は気分が良いはずはない。批判されるのを覚悟して、あえて茨の道に突き進んだ若乃花。安易に休場という選択肢を取る力士が多い中、彼はそれに対し、真っ向から反発した。彼にとっての美学は勝ち負けにこだわることではなく、自分自身に対して妥協を許さないことだったのだ。俺も今までの風潮には疑問を抱いていたので、彼の横綱としてのプライドよりも自分の美学を貫いた姿に男の中の男を感じた。
これから雑音も耳に入ってくるに違いない。でもそんなものには耳を塞いで構わない。俺は彼の行き方は絶対に間違いではなかったと思うからだ。そしてこれを打ち込んでいる今、嬉しい情報が入ってきた。若乃花が現役を続けるというのだ。ここ何日間、家族での食事の際の話題も若乃花のことばかりだった。ほとんどが横綱に対して冷ややかな反応だった。そんな中、俺はただ一人、引退というのが決めつけられているのに異議を唱え、こうなったら思いっきり予想を裏切って欲しいと思っていた。そしてそれは現実となった。何度も不死鳥の如く、再起を遂げているだけに、また元の強さはケガさえ治れば、戻ってくると信じている。ただ反省すべき点はきちんと見つめ直さなければならない。とにかく今はゆっくりと体を休めてほしい。この苦い経験は横綱としてだけでなく、引退後にも生きてくるはずだ。そして勇気を与えてくれてありがとう。俺も若乃花を見て、妥協しがちな自分の生き方を改めねばならないと痛感させられた。そう思ったらいち早く、実行に移さねば。最後に、もし若乃花が華麗な復活を遂げた時、掌を返す奴は俺は許さない。
CHAPTER3 YOU’RE KING OF KINGS 1999.9.25(土)
9月23日、長野・白馬で行なわれたサマーコンバット大会で、荻原健司(北野建設)が2位に大差をつけて、初代王者に輝いた。「キング・オブ・スキー」の称号を得た荻原が世界の頂点に立ったのは7年半前。それまでスキー複合という競技は世間にまったく認知されていなかった。俺もそんな競技があることすら知らなかった。それが突如として脚光を浴びるようになったのは、アルベールビル五輪で日本チームがまさかの金メダルを獲得してからだ。あれは俺が中学3年の時、翌日に高校受験(若貴の母校)を控えているにもかかわらず、テレビの前に釘付けになって応援してしまった(そりゃ、受かるわけないわ)。それ以来、荻原は世界のトップに君臨し、ワ−ルドカップ19勝を挙げる大活躍を見せた。しかし、94年のリレハンメル五輪では団体は2連覇を果たしたものの、個人では優勝候補の最有力と見られながら4位に沈んでしまった。96年辺りから技術的な壁にぶち当たり、めっきりと勝てなくなってしまった。それに加えて、年齢的な衰えも隠せなくなり、ここしばらくは長いスランプが続いていた。97年の世界選手権で優勝の栄冠を手に入れたものの、それ以外での成績は冴えなかった。記憶に新しい長野五輪ではジャンプで9位と出遅れながら、後半のクロスカントリーでは懸命の力走で4位まで引き上げ、入賞を果たした。念願の金は取れなかったものの、荻原はまだまだやれるということを満天下に示した。6位に入った双子の弟・次晴は「完全燃焼した」と言って既に引退している。そして兄・健司もついに今年3月、今季限りでの引退を表明した。その決意の表れだろうか、精神的な迷いが吹っ切れたせいだろうか、荻原に以前の力強さが戻ってきたようだ。現在、荻原は去就については白紙であると語っている。雑誌などでインタビューを読むと、彼は一見、ちゃらちゃらしてそうに見えるが、さすが世界の頂点に君臨したことがあるだけの意志の強さが感じられた。スキーに対して真摯に取り組んでいる。そんなのを読んだりすると、人間はいくら才能があっても、磨かなければただの石になってしまうということを痛感させられる。多くの一流選手の例外に漏れず、この荻原も人一倍の努力を積み重ねてきて、栄光を掴んだようだ。彼も今年で30歳。長い間、スキーを息つく暇なく続けてきただけに、そろそろ休息を欲する時期に違いない。俺としてはもうしばらく荻原の選手としての姿を見たいが、ここは彼の決断を尊重したいと思う。複合競技をこれだけ知らしめた最大功労者だけに、納得のいく形で今季を終えて欲しいものである。そしてその上で前人未踏のワールドカップ通算20勝が叶えば、こんなに嬉しいことはない。とにかく何かやってくれそうな予感はあるだけに、冬が来るのを首を長くして待ちたい。
CHAPTER2 SHOW MUST GO ON 1999.9.22(水)
しばしの沈黙を続けていたこのコーナー、約1週間ぶりのテーマも相撲である。秋場所9日目、横綱・若乃花は8連勝で単独トップだった雅山にはたき込みで勝ち、洗礼を浴びせた。それを受けて9月21日付けの日刊スポーツでこんな記事を目にした。「逃げ勝ち若」という見出しが掲げられ、敗れた雅山のこんなコメントが書かれていた。「同じ位の地位だったら(変化も)いいけど、横綱ですよ。先場所、貴乃花関はケガでも胸から受け止めてくれたのに・・・」と吐き捨てたというのだ。最初に断っておくが、これは俺が若乃花のファンだからといって肩を持っているわけではない。俺の相撲観である。雅山の言葉は負け犬の遠吠えにしか聞こえないのだ。なぜ横綱が変化をしてはいけないのか。横綱が立ち合いに変わってはいけないと、決まりで縛られているのなら仕方ないが、横綱にだって変化は許されているのだ。昨年名古屋場所7日目の栃乃洋戦。同じく立ち合いに変わって連敗し、時津風理事長(元大関・豊山)に「横綱として慎むべき」と警告を受けた。大体、横綱って何なのか。同理事長は横綱が負けが込むと、決まって「休場しろ」と言う。何場所か前、貴乃花が序盤で負けを重ねた時もそうだった。その時は貴乃花は出場し、勝ち越しまで持っていくことができた。今場所の若乃花にしてもそうである。俺はむしろ、無理をしてでも土俵に上がる姿に感銘を覚える。横綱は負けられない立場にいる。勝って当たり前、しかし負ければ批難が集中するという重圧の中、戦っている。だからといって負けると地位が下がらないために安易に休場するというのはプロとして違うのではないかと思う。プライドをかなぐり捨てて出場する方が真の横綱だと思う。89年秋場所、横綱・大乃国は7勝8敗で負け越してしまった(偶然にも俺はその瞬間を両国国技館の2回席で見ていた)。決して誉められたことではないが、戦い続けた姿は立派だと思った。応援している力士が負けると(俺の場合は若乃花と琴錦)がっかりすることはある。でもそれ以上に辛いのは彼等の勇姿を土俵の上で見られないことである。我々ファンは当然、贔屓の相撲取りが勝つに越したことはないが、実際は勝敗は2の次、重要なのは元気な姿を見るということではないかと思うのだ。
話をもう1回、元に戻そう。今場所の若乃花はご存知の通り、初日から連敗し、引退報道がされた。余裕などない状態である。負ければ引退と騒がれる。勝てば勝ち方が悪いと批難される。じゃあ、どうすればいいのか。これらは非常に矛盾してるように思うのだ。若乃花はプロである。プロということはそれで飯を食っているのだから、本人が勝ちに拘るというのは仕方ないと思うのだ。まして今場所は瀬戸際に立たされている。そういった切羽詰った状況を考えれば、立ち合いの変化は理解できし、また若乃花は変幻自在な相撲が持ち味のはず。ならば師匠の二子山親方(元大関・貴ノ花)の言うように「これも技だ」というのも納得がいく。
横綱には品位だとか風格がなければいけないというが、その明確な基準って何なのか。その辺は別の機会に譲るとしよう。とにかく若乃花自身も9日目の相撲内容は満足はしてないが、納得はしているようだ。10日目も左太腿を痛めながらも、執念で勝利を掴んだ。こうなったら雑音を封じ込める為にも優勝してもらうしかないかもしれない。チャンスはまだあるのだから。でも若乃花優勝となったら、週刊誌の八百長疑惑という文字が出るのは必死だろうな。
CHAPTER1 花田勝に戻るのはまだ早い 1999.9.15(水)
12日から大相撲秋場所が両国国技館で開催されている。今場所の注目は新大関・出島と再起に賭ける横綱・若乃花の2人にあると思う。3日目までを終えて、ともに1勝2敗。苦しい状況に立たされている。特に若乃花は引退という窮地に追い込まれている。
昨年夏場所後、2場所連続優勝を果たした若乃花は第66代横綱に推挙された。その後、東京場所がある度にマスコミを騒がせてきた。昨年秋場所は弟・貴乃花との絶縁騒動、今年の初場所は美恵子夫人との離婚問題、そして今回もルーティンのように引退騒動を引き起こした。
俺は長男である。だから1988年春場所で角界デビューして以来、お兄ちゃんをずっと応援してきた。最近、彼のインタビュー記事を幾度か読んでその思いを強くした。俺と若乃花は考え方が非常に共通している部分が多く、共鳴することができたのだ。
若乃花の引退騒動は今回に始まったわけではない。97年初場所、安定した強さで3度目の優勝を飾った若乃花は翌場所、綱取りを目指して順調に3連勝を挙げながら、右大腿二頭筋断裂で休場を余儀なくされた。まさに天国から地獄である。夏場所は出場せず、治療に専念し、復活を誓った名古屋場所、若乃花は2日目から3連敗を喫する。すると今回と同じように「引退」の2文字がスポーツ紙に踊った。その場所を8勝7敗で乗り切り、カド番を脱出した若乃花は徐々に調子を回復させ、ご存知のように不屈の闘志で最高峰に上り詰めた。
絶縁騒動の時は貴乃花に、離婚問題の時は千代大海に敗れたものの、想像を絶するプレッシャーの中、いずれも準優勝を収めているのだ。彼は逆境に強い、だから今回も持ち前の精神力で荒波を乗り越えてくれると信じている。
若乃花は周囲からその言動について度々注意を受けるという。「もっと横綱らしい風格のある振る舞いをしろ」と。でも若乃花はその姿勢を曲げない。「俺らしく生きたい。横綱と呼ばれるより、お兄ちゃんと呼ばれる方がいい。風格よりも親しみのある横綱でいたい」と常々、言っている。相撲界のしきたり、慣習に背を向ける若乃花。俺は角界特有の伝統的な閉鎖性がいいとは思えないだけに、彼にはまだまだ頑張って欲しいと思うのだ。
若乃花は「現役に対するこだわりはない。いつやめてもいいと思っている。ただ、応援してくれている人がいるので、その人たちのためにも簡単にやめることはできない」と引退についてコメントしている。青島俊作(踊る大捜査線の主人公)が「正しいことをするために偉くなる」と言っているように、若乃花が横綱でいてくれないと、相撲界も良い方向に進んでいかないと思うのだ。無責任な第三者の意見だが、若乃花がやるべきことはまだ残されてると思うのだ。
若乃花に対してもっとも感心するのは、将来の視野をしっかりと持ってることだ。横綱といえども、引退すればただの一般人。良家の育ちながら、そういったことをきちんと理解しているのだ。彼なら例え今、引退したとしても大丈夫とは思う。でも俺が見たいのは土俵上で輝く若乃花の姿だ。