|
―――本当に、何を考えておられるのか。
正樹の身体を、一時的に凰藍が使うために作ってもらった金粉の力が徐々に薄まるのを感じながら、10年前の事を思い出さずにはいられなかった。
天上界のさらに高位にある界から渡ってくる、「黄妃」。
すべての世界を最初に作った『創世の神』から『創生』の力を継いだ存在。
わたしには『創世の神』のように、未来を視る力はないのだけど、と呟きながら伸ばした手から放たれた巨大な力に、凰藍の意識は一瞬にして拡散した。
あの、時から。
●
凰藍の兄妹は、他に5人。
鳳凰の片割れ、白蛇の一対、獅子の一対。
主に人間界の動物たちの守護を担い、天上界の東の果てにある樹海に居をかまえる。
通常、天上界の住人は精神体であるのだが、彼らは肉体を持ち、たまにではあるが食事を摂らないとならない。
それを慮って、近づく物もほとんど無い樹海で暮らしていたのだ。
彼らと共に住む母親の、その姿は上半身は人間の女で背に翼、下半身は獅子で、長い尾は蛇の物。名を火蓮という。
彼女もまた先代から力と名を継ぎ、ほんの20年前に人間界から天上界へ召し上げられた。
黄妃も同じくという証拠はないが、ほとんど面識のないと思われる二人がよく樹海の外で落ち合っているのを見る、と、獅子の弟・威乾が話したことがあるから、もしかしたらそうかもしれないと凰藍は思っていた。
凰藍達が生まれたのは人間界の、昔から森の番人が代々守り続けている森の中である。
森は大きく、番人以外の人間が入ってくることは滅多にない。火蓮もそれを知ってか、ずいぶんと足繁く通っているうちに、番人の老夫婦と仲良くなっていった。
生まれたときのことは覚えてはいないが、かなり長い間―――2,3年は―――小さな小屋で、老夫婦と一緒に暮らしていた。
老夫婦は優しく、子供達が生まれて1年して人間の形をとれるようになると、ずいぶんと褒めてくれた。子供達は褒められるのが嬉しくて、人間形を誰が一番長く保てるかの競争が生まれたくらいだ。
その影響もあるのか―――生活空間に慣れてしまったという事もあるが、天上界に帰っても、彼らはほとんど人の姿をとっていた。
黄妃の命を受け人間界に降り立っても、それは無論変わらない。
むしろ食事をすることで、人間達の中にあってもさほどの差異を感じさせないともいえる。
「どうせ食事をするのなら料理した方が美味しいし、フライパンやお鍋は必需でしょ。持つには人間の手が必要だし、料理だってやらなきゃ忘れちゃうし」
とは、獅子の姉・蒼胡の言である。
今は兄妹たちと都心の一等地にあるマンションに住んでいて、聞くところによると、料理学校に通っているらしい。やるなら徹底的にやるタイプだ、という兄弟の中の認識は一致している。
兄妹の性格はそれぞれ違うが、人付き合いという面からみると、おそらく凰藍が2番目に悪い。1番悪いのは威乾で、勝ち気な蒼胡とは全く違って、一人で樹海を巡ったり生まれた森を散策するのが趣味で、昔からほとんどの時間を一人で過ごしている。
現在の様子は、まったく聞こえてこない。おそらく借りているマンションに籠もっているのだろう。
凰藍が黄妃に「選ばれた」理由は、全く思い浮かばなかった。
特に人間が嫌いというわけでも無い。
5歳か6歳だったか、その頃一度だけ、果ての断崖から落ちて、落ちた先がたまたま狩猟区で、鴨と間違われて(なにしろ泥沼に落ちて、鴨の雌と区別が付かないような色だった)死にそうな目にあったこともあるが。
鳥を食べるためにそういう手段があるのだと知れば、…食べもしないものを無闇に狩るのであれば腹も立つのだが、仕方がないとも思えた。
なにしろ、自分たちだって生きるために食事をするのだから。
―――漠然としか、判らないのですが。
「選んだ」理由について、黄妃自身が言っていたとおりなのだろう―――
あの時、10年前。
都心に妖魔の住む異界への穴が空き、異界の生物たちを封印、消去、もしくは追い返す旨の命を拝領する為、天上界の中央にある宮へ兄妹達と向かった。
長い時間がかかるかもしれないので、と、肉体を持ち人間界に慣れている凰藍達が選ばれたのだ。
生を受けてまだ10年ほどしか経っていなかったが、彼らは既に大人として扱われていた。
天上界を治める者の名を、佳仙という。
滅多に人前に出ないが、長いひげを蓄えた好々爺である。
佳仙の住まう寝殿へ向かうため、長い渡り廊下を歩いている時、凰藍の目の前を瑠璃色の蝶が舞った。
一瞬目を奪われ、ふと視線を戻した時、すでに兄妹達の姿は無い。
もう一度蝶の姿を求めて振り返ると、そこには蝶ではなく、瑠璃色の衣を纏った女がたたずんでいた。
長い黒髪を結い上げ、質素ではあるが繊細な造りの留め金具で留めている。化粧をしているのかしていないのか、目鼻立ちの整った顔には化粧などしなくても凛とした雰囲気が漂っていた。
誰、と聞く事はなかった。天上に住む者なら、面識がなくともお互いの存在を見分け、知ることができるからだ。
「あなたが凰藍ですね」
とっさに片膝を付き、手を組んで礼の姿勢をとろうとした凰藍を、黄妃は手で制した。
「妖魔の封じの一件ですが、あなたには、別に、願いたいものがあります」
「わたくしに、ですか?」
黄妃は制した手を、そのまま水平に上げ、凰藍の目の高さでぴたりと止めた。
「わたしには『創世の神』のように、未来を視る力はないのだけど」
掌から、まばゆい光が溢れ出る。力をいれているでもないのに、光は徐々に圧力を増し、凰藍の身体を包み込み始めた。
ただ呆然となすがままになっていた凰藍は、ようやく何故と疑問を声に出してみたが、出来なかった。声が出ないばかりではなく、光に包まれた身体はすでに固まり、動かすことができなくなっている。
視力そして聴力を失っていく凰藍の、その精神に、黄妃の声が響いた。
「あなた自身が大きな布石になる予感がするのです。 漠然と、しか判りませんが」
完全に五感を失い、暗闇に閉ざされた中で、消え入りそうな光をちらりと底の方に見た。
「その光に向かってお進みなさい」
声は完全にとぎれた。深淵の闇の中で、凰藍が進むべきはその光しか無いようだった。
そして、 光の中に飛び込んだ――――――。
|