結局、警察やマスコミや学校関係者の努力も虚しく(?)1ヶ月後には、調べるべき所は調べ尽くし、新たな事件が起こるわけでもなく、そして何一つ解決することなく(被害者の怪我は完治したが)騒ぎは収束した。
くだんの『子供』については、当初「うちの子が最近夜になると出かけていって」という親からの通報が数十件に達したが、どれ一つとしてあてはまるものがなく(申し出た親たちには、警察からはこの物騒な夜の時間帯に小学生の子供から目を離すなんてとんでもない、とお灸を据えられるというオチまでついたが)大方の見方では、市外もしくは県外から、場合によっては異世界から来たのであろう、という事で落ち着いたのだった。

「彼らは喉元すぎればなんとやら、TVの話題には都心の方が事欠かない素材なのでしょうしね」

新聞にも取り上げられることが無くなった頃、半年ぶりに様子を見に来た珀氷は、苦笑まじりで呟いた。

「そうそうすぐに穴が空いて、また妖魔が出てくるようじゃ、たまらないしな」
「…ずいぶん悠長なことを仰る」

分離魔法の習得に成功していないと見た珀氷は、辛辣だ。
これは凰藍にも言い分があって、なにしろ珀氷が持ってきた魔法書は―――特に人間の魔法書はとんでもない厚さで、しかもびっしりと細かい字で書かれており、ようやく半年で1/4ほどの解読が終わった程度であった。
本を読む時間が、まず正樹が就寝した後である。そして正樹が授業中に眠らない程度の時間に終えなければならない。

更に、凰藍が天上の魔法で得意としていたのは元素の精霊魔法であり、例えば夜に見回りででかける時、部屋に誰かいるように思わせるであるとか、誰にも出くわさないように広範囲に渡って結界らしきものをはるであるとか、そういった分野は全く新規に覚えなければならない魔法であったので、あれもこれもとはいかない。
風の精霊の力を借りて空を飛ぶくらいなら珀氷でも出来るので大して難しくはないが、天上に置いてきたままだった自分の剣を呼び出せるようになるまでにも時間がかなりかかったのだ。
それを、全部本を覚えて組み合わせを研究しろ、など、とてもまだムリな話である。

「ご自分が魔法を覚えるまで、妖魔が待ってくれるなどとはよもや思いませぬな?」

そんなことはない、とさすがにいきり立って詰め寄ったが、珀氷はつんとすましたまま、消えてしまった。
夕方の公園に、音が戻った。
人が立ち入らないように、また無意識に避けるように珀氷が張った結界が、徐々に薄れる。

凰藍はひとつ溜息をついて、近くのベンチに繋いでおいた隣家のコリー犬ランの元に戻った。
ランの飼い主は高齢の老人で、まだ3歳の若い犬をなかなか散歩させることができない為、時々、正樹が散歩役をかって出ている。
ランにはいつもと違うと判るのであろうか―――彼女をここに散歩に連れてきたのは正樹で、ベンチに近寄っていくのも勿論外見は正樹なのだが、何かしっくりこないようで、尻尾の動きが微妙におかしい。
犬の散歩の時間は兄妹達との交信に便利だったので、何度かこうした場面があるのだが、そうそう毎日ではないので、ランにとっては不可解極まりないのかもしれなかった。
その側に座り込んで、手綱のひもをゆるめ、心配げにきゅうんと鳴くランに小さく笑いかけた。

「ラン、もうすぐ正樹に戻るから、ちょっと待っていろ」

小さな頭をぐりぐりと撫でて、手綱を持ってベンチに座った。
正樹はきっと、犬の散歩の途中にちょっと居眠りをしてしまった、くらいに思うだろう。

さて、潜ろうかと目を閉じかかった時、ランが勢いよく吼え始めた。尻尾がこれでもかとちぎれんばかりに振られているので、何か変事ではない。
公園に続く銀杏並木から駆けてきたのは、同じコリー犬だった。ランよりも茶色い部分が多く、一回り大きい成犬だ。
手綱の先には誰の手も無かった。
銀杏並木の方を見やった凰藍の目に、息を切らせて走り込んでくる人影が映った。

「たしか…」

ショートヘア、Tシャツ、Gパン姿の女の子に、凰藍は見覚えがあった。正確には凰藍が、ではない。正樹が、である。3年になって同じクラスになった、遠藤幸だ。
幸は、ようやくランと遊ぶコリー犬の手綱の先に辿り着き、顔を上げた。

「…」

幸の顔が、ふとこわばった。無意識だろうか、手綱を持った右手を左手で掴む。

「…こんにちは」

挨拶をかえしもせずに立ちすくむ幸の様子を見て、凰藍は躊躇した。
凰藍は、正樹の学校内のことをほとんどしらない。だいたい、意識で感じる時間を目安に、正樹の中に浮上―――というのが近い―――するからだ。
正樹の気持ちが、不必要に阻害されるおそれがあるためである。

挨拶をしてよかったのだろうか。
なにか、二人の間にあったのか。

どう切り出していいか判らなくなった凰藍の前で、幸はくるりと廻って、ベンチの隣に座った。
そして、固い笑みをみせた。

「ごめんね、この前… あたし、ちょっとかっとしちゃって」

ケンカでもしたのだろうか?

「…ホントは、もっと早く謝ろうと思ったんだけど。なんかさ、…いいだせなくて」

まずいことになった、と凰藍が腰を浮かせた。
金粉の影響で、正樹の意識は、あと2,3分しないと戻らない。
ケンカをしたならケンカをしたで、幸が黙って立ち去ってくれた方が、よかったのだ。
幸にここで謝られて和解などされて、そして正樹が明日しらんぷりでもしたら、つじつまが合わなくなる。―――双方で。

「五十嵐君?」

幸は一瞬怪訝な顔をみせたが、何か思い立ったのか、ベンチから勢いよくたちあがり、凰藍の―――正樹の両肩を掴んで、有無を言わせず力ずくで座らせた。
その手を離さないまま、口を一文字に結ぶ。固い決意をしているようにみえた。

「あの…え、遠藤さん?」

「謝らせて。ごめんね、五十嵐君のこと、すっごく怖いと思っていた。平手、受け止めた時の目が、怖くて。1ヶ月、まともに話できなくて」

平手を受け止めた?正樹が?
目を見張る凰藍と視線をあわせたまま、幸はにっと笑った。

「なんか、人と話すのとかって、嫌いなのかなって思ってた。…でもさ」

肩に置いていた手を、ランとじゃれあうコリー犬の頭に乗せて振り返る。

「犬、好きなんだ。さっき、頭なでてた。笑ってたでしょ。ちょっと安心…した」

ふと、凰藍の目の前がぐらりと傾いだ。座っているからか、幸は気付いていない。
その幸は、すっきりしたという風に、自分の犬の手綱をとり、手を振った。

「また、明日ね!」

足音も軽く駆け去る幸の後ろ姿を見ながら、なんとかしないと、まずいことになるかもしれない、と思う凰藍の意識が、そこで―――途切れた。

かさり、という音に目を開けた正樹は、ベンチに座った自分の膝上に、ずいぶん多くの枯れ葉が乗っているのに気付いた。
眠ってしまったのだろうか?何時の間に?と頭を振ると、ようやく焦点があった視線の先でランがのんびりとふせの姿勢でくつろいでいた。

「ラン?」

話しかけると、ランは一声鳴いて答えた。ベンチから立ち上がり、喉元を撫でながら、ふと、正樹は気付いた。

「お前、どうしてそんなに砂だらけなんだ?」

ランは機嫌よく、尻尾をぱたぱたと振るばかりだった。


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