日課となった深夜のパトロールは、今夜も平穏に済みそうだった。
目抜き通りにある警察署まで、あと一走りという所まで彼らはきていた。

「今日も平和でよかったッスね、坂本さん」
「気を抜くなよ、ハンドル握ってるんだぞ」

判っていますよ、と言いながら、運転席の柿元は赤になった信号の前でブレーキをかける。渡る者もないのに、横断歩道は青になった。

こんな真夜中のしかも官庁街、人のいるはずもなかった。―――が。

かしょかしょという金属の擦れたような音を立てながら横断歩道に飛び出してきたのは、人の腰ほどまでもある、巨大な蜘蛛。一匹や二匹ではない。それぞれに黒い鋼のような無数の足を動かし、横断歩道を渡っていく。

あまりにも異常な光景にとっさに動きが取れなかった二人だが、続いて現れた金色の光に我を取り戻した。

「…あれ!」

二人は見間違うはずもなかった。金の髪、黒の服、金の翼、そして銀の剣。
凰藍、だった。
彼は何度も大きく空中でその剣を一閃させ、その剣から鋭い圧力を発した。その度に、まとめて2,3匹が蒸発していく。
横断歩道上に累々と残骸だけが残されていった。

横断歩道を渡った所に建つ保健所の、その高い門を乗り越えようとした一匹が切り倒され、それで最後だった。
内容物を撒き散らしながらまっぷたつになった化け蜘蛛は、近くでみたらとてつもなくグロテスクであろうと思われた。
柿元は、近くに行きたくないと心から思ったが、坂本は違うようだった。助手席のドアを開け、柿元にも来るように促す。

パトカーから出てきた二人に、その足音を聞いた凰藍が気が付いたらしく、振り返った。
柿元は少しだけ、彼の笑顔を期待していた―――久しぶりです、とかなんとか、あの綺麗な顔で言ってくれたら、と。

だが、柿元の希望に反して、凰藍は街灯に照らし出され、厳しい顔を向けただけだった。

「何故車を降りたりしたんです」

ぴたり、と二人の動きが止まった。

「あの化け蜘蛛は、まだいます。…100はいたかもしれません、そのうち70ほどは消しましたが」
「…あと、30も…?」

凰藍は頷いた。息が荒いのが、10m離れて立ちすくむ坂本にも見て取れた。

「被害が出る前に、なんとかしないと。やつらはこの逆側、北にいるはずです。決して来ないでください」

二人は無言で頷いた。自分たちが化け物に太刀打ちできないのは、先般体験済みだ。
と、坂本は凰藍が保健所の中に立てられている大きな時計台に目を移したのに気付いた。
街灯の光でようやくつぶやきが見て取れた―――「時間がない」。

瞬間、光の洪水が二人の目を射た。凰藍が大きく羽ばたき、その光が拡散したのだ。
一瞬の後に、金色の光は彼らのずっと後ろの空を滑空していた。

見送って、再び坂本は時計台に目をやった。
1時45分。

―――彼は、何故時間など気にしていたのだろうか。

だが、そんなことをゆっくりと考えているヒマは無かった。北に向かったという化け蜘蛛が、気を変えてこちらに向かってくる事も充分あり得た。
二人は足早にパトカーに戻り、二つ先の信号機の角にある本署に戻るべく、エンジンをかけた。

「ど、どうするんです?報告しますか?」
「したらあいつの足手まといになるだけだろ」

坂本は、警視庁の「未確認生物対策班」から回されてきた極秘扱いのファイルを思い起こした。
都心にアレが出て、もう10年にもなる。だが、化け物は目撃情報が多いわりには、ほとんどその手にかかった者がいない。
どうやら、複数の人間か獣か―――人によってはライオンだといい、大蛇だともいう―――、その化け物を退治してくれている、「らしい」。

あくまで仮定だ。10年も経つというのに、警察はその尻尾すら掴めていない。
そんなことはありえるのだろうか。

まわってきたファイルは薄く、簡単な報告書と、偶然撮られた化け物の写真が数枚。
助けられた人々が口々にいう『獣』達の写真は一枚もない。
そして、一般の人々が知るのは「化け物がいるが、誰かが人知れず倒すらしい」という都市伝説レベルの話だ。

―――だが、現場ではもっと広く知られているはずだ。

初めてこの街に化け物が出現した時に渡されたファイルを見て、坂本は思った―――8年も費やして、これがせいぜいか。何故市民に情報提供をしないのだ。

しかし、本当は違うのだと悟った。それは、恐らく警察という組織の軋みだろうと。

上は判断した。
(公表すれば警察の威信に関わるとも考えられる。)
(手を出して、警察に死者でも出れば色々と煩い。)

現場は判断した。
(警察が公式発表できるほどには、警察の力が及ばない。 )
(人間ではない者達が倒してくれるのだから、手を出さない方がいいだろう。)

上の判断は、触らぬ神にたたりなし、なのだろう。
現場の判断は少し違う。恐らく足手まといになりたくないのだ。

そして報告書は、書けないのではない。あえて、書かないのだ。

まさしく、都心と同じ事が春日大和市でも再現されている。凰藍の存在は上層部に認識された。だが、認識されただけだ。事件の1ピースとして。化け物に対峙する存在として。
化け物がいる、そして、倒す者がいる。
上層部にとっては本庁の敷いた道を進むだけでよくなった。

―――だったら、自分たちはせめて足手まといにならないよう、息を潜めるだけしかないのか。

坂本は小さく息をついた。
だが、何か協力してやれないものか、という気持ちをぬぐい去ることは出来なかった。


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