人気のない官庁街の近くに広がる、大きな自然公園に戦いの場は移っていた。
剣を一閃するたびに、まとめて数匹が消え去っていく。
だが、まだ10匹ほどが、素早く木々の中をすり抜ける。背の高いケヤキに阻まれ、うっかりすると見失いそうになる。

「…あと、3」

額から汗が流れ、視界を奪われそうになる。左手でぬぐうが、気休め程度だ。
正樹の身体を凰藍に変化させてから、こんなに長い間空を飛んだことは無かった。 空を羽ばたく翼はまやかしではない。正樹にとけ込んだ、凰藍の身体が顕現しているものである。
長時間の戦いと、慣れない人間体での飛行で、背を中心に、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。
痛み止めの魔法をかける余裕など、勿論ない。限界が近づいていた。

3匹の化け蜘蛛が広い空間に出た。いわゆるスポーツ広場である。
僅かな街頭の光を浴びた肢体は、おぞましくも硬質な光をはじいていた。

―――最後だ。

軋む腕を持ち上げて力を込め、剣を振ろうとした、刹那。

身の内から、何かがぐっとせり上がってくる感覚を、凰藍は感じ取った。

―――…まずい!

剣を収め、内側に意識を集中させる。今、出てきてはいけない。最悪のタイミングなのだ、と。
だが、相手に意識が通じたことなど、一度もない。しかも命令形の意識なら、なおのことはじかれるだろう。

正樹の意識が徐々に覚醒しつつあった。それ同時に、凰藍の手足の感覚が麻痺していく。

―――だめだ。絶対に、身体は渡せない。

意識が覚醒すれば、正樹は無意識に身体を使おうとするだろう。それを直前で止め、身体は自分が動かせる状況にしておかなければならなかった。
だが、事態は更に悪化した。

背の双翼が、風をはらむのを止める。
空中で体のバランスが崩れる。

正樹の意識が浮上する。

―――落ちる。

凰藍の身体が、力を失った。
重力にひかれ、地上に落下していく。

正樹の意識が、光を捉えた。

―――落ちる!

猛スピードで迫る地上。
空を裂く音。
地面。
芝生。
草。

ぱしん、とはじける音がした―――刹那。

―――ああ、草のにおいが。

夜露を吸った芝生のにおいを感じたのは、どちらだろうか。

金色の光は、地面に激突する前に、中空に舞い上がった。
だが、高度を保てず、大きな翼を広げたまま、ゆっくりと芝生の上に降り立った。

異常を察知してか、逃げるのをやめて向き合う化け蜘蛛との距離は、50m。

剣を地面に突き立て、杖がわりに体重を支える。凰藍の身の内に、確かに彼のものではない意識があった。

「正樹、見えるか」
『…みえちゃってる』

凰藍の心の中で、瞬時に声が響いた。寝ぼけてはいないらしい、正樹の声。

「説明は出来ない。だが頼みがある」
『頼み?』

再び、剣を構えなおしながら、凰藍は賭けに出ることに決めていた。
その賭けに勝てなければ、あの化け蜘蛛に喰われるのは明確であった。
翼が、まるで自分のものではないように重かった。立っていられるのがやっとである。
それをしってか、化け蜘蛛はじりじりと間合いを詰めてくる。

「治療魔法を使ってほしい」
『?…?…魔法!?』
「説明はしない。方法だけ伝える」

強く念じて、正樹の意識に治療魔法のスペルを伝える。出来るかどうか判らなかったが、戸惑ったような正樹の様子から、成功したと凰藍には確信がもてた。

「もう時間がない。失敗したら二人とも…」

死ぬ、という凰藍の意識が、正樹に酷くリアルに伝わった。50m先の化け蜘蛛。ほとんど視認できないが、あれは悪いものだという事は、正樹にも何故か分かっていた。
更に、痛みや疲れを正樹は感じることは出来なかったが、凰藍が酷く疲労している事も、判った。 伝わったというのが正確だろうか。
そして、凰藍から伝えられたスペルは、まるで脳裏に焼き付いたようだった。
一字一句、間違えずに詠唱する事は出来るはずだ。

―――でも、魔法なんて。

躊躇する正樹の気持ちを悟ってか、凰藍が深呼吸する。落ち着け、ということなのだろう。そして、気持ちが落ち着くことによって、化け蜘蛛との距離がよりはっきりと認識出来た。
ぞろりと並んだ牙。無数に光る、赤い目。飛びかかられれば一度で切り裂かれるだろう。

『…時間、ないね』
「ない」
『やってみる』

正樹は再び心の中で深呼吸をした。じんわりとスペルが魂に吸い込まれていく。

―――理解できる。

そして思った。魔法は魂と同化して、使うものなのだと。同化できるものが、使えるのだと。
魔法の呪文は言葉で唱えるものではなく、魂で唱えるものだと。

ふわりと。
暖かい風が、凰藍を包んだ。ほんの一瞬で、風は拡散していった。

だが、それで充分だった。
瞬間、凰藍の双翼が唸った。弾かれたようなスピードで空中に舞い上がり、手にした剣に光の力をこめる。

振り払った瞬間、光が刃の形を為した。
そして、地上に光の柱がそそり立った―――。


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