午前中はさりとてやる事もなかったので、宿題をすすめることにした。
正樹にとって精霊魔法が使えるようになって助かったことの一つが、部屋で勉強出来るようになったことだった。

というのは、水の精霊達にお願いして、氷の結晶になってもらう。そのままだと暑さで溶けて元の水に戻ってしまうので、風の精霊にも協力してもらって、風を氷に向かって吹き付けてもらう、というものだ。
簡易冷房とでもいうのだろうか、部屋の中をぐるぐる廻ってもらうだけで、部屋の温度が下がって、過ごしやすくなった。

なにしろレベル1と自負するほどの制御力しかないので、扱える精霊の数も自然限られてきてしまう。凰藍などは訓練には丁度良いと素っ気ない。

昼になり、母親が出がけに作って置いてくれたお弁当をダイニングに取りにいくと、タイミングよく電話が鳴った。受話器を上げると、少し遠く、雑音混じりだったが、父親の声がした。

「…お父さん?」
「ああ、正樹、悪いな。…聞こえるか?」
「うーん、なんとか。どしたの?」
「ちょっと、母さんに代わるから」

電話口からは、駅のアナウンスが切れ切れに聞こえていた。どこかの駅の、待ち合わせ時間なのかもしれない。

「正樹?聞こえる?」
「うん、聞こえるよ」
「あのねぇ、さっき高崎さんに電話したのよ」
「―――え?」

素っ頓狂な声が出てしまったが、お互いに電話が遠いらしく、母親は気にする様子もなく続けた。

「そしたらね、旦那さんも奥さんも、二人で昨日からゴルフに行ってるんですって。で、家には湊太君だけいるんですって、ほら、サッカーの練習があるから。で、お二人とも明日帰るっていうから、だったら、母さん、湊太君が家に泊まりに来てくれたらいいなって言ったのよ」
「―――え、で、でも、お母さんどうやって連絡とったの?」
「だって高崎さんは父さんの会社の同僚でしょ。旦那さんの番号くらい、父さんの携帯にも入ってるわよ」

―――そうだった。

正樹からはすっかり抜け落ちていた。が、考えるまもなくずっと社宅―――勿論同じ会社の―――に居たのだ。

「正樹、まだ家にいるでしょ?湊太君、今日明日はサッカーの練習無いんですって。遊びに来てもらいなさいよ、明日だって大会に応援に来てもらえばいいし。―――あ、じゃ、電車きちゃったから、またね。連絡しておくからね。夕飯は、適当に何か頼みなさい」

電話が切れた。

受話器を置いた正樹は、しばらくその場に立ちつくし、とりあえずどうしようかと考え―――何にしてもお昼を食べることが先決かな、という結論に達して、弁当を食べることに決めた。

蒼胡達のマンションに行く機会を又失ってしまったのは残念だったが、何時でも行けると思えばしようがない。
それに、蒼胡が空間魔法を使ってぽんと現れるのも困るので、それは後で凰藍に頼んでおけばいいし。など思いながら、弁当箱に残った最後のウズラの卵をくわえた時、その動きが止まった。

部屋。クーラーも扇風機も無い部屋は、今、とっても快適で涼しいはずだ。
今、もし、湊太が来てしまったら、これ以上になくおかしく思われるだろう。
ようやく、それに思い至ったのだ。

「…やば」

弁当箱を台所で水につけておき、慌てて階段を駆け上がる。
閉じてあった扉を開けると、すっとした冷気が頬にあたった。

「えと、ごめん、風さん水さん、もういいよ。ありがとう」

何もない空間に、ふんわりとした存在感が浮き出てくる。正確な形をとらないが―――凰藍によると、扱える数が多くなれば、それなりに形を為すのだそう―――毛色の違う存在感は風と水の精霊だった。

『あたしたちはまだ踊っていてもいいのよ』
『そう、遠慮はいらないよ、だって楽しいもの』

本来、精霊は楽しいことが好きなのだそうである。氷になって風と戯れるのも、お互いダンスを踊っているようなものらしい。
少しだけ開けてあった机の前の窓を全開にし、外の空気を取り入れながら、正樹は更にお願いする。

「友達が来ちゃうんだ、ごめんね」

しぶしぶといった風に、精霊達は空いた窓から離散していった。
もう一方のベッドの窓をあけると、暑い南風が部屋に流れ込んできた。風にもいろいろと種類があるらしく、南風は例えると陽気なダンサーという所だ。
自分の存在を認識できると判ると、気軽に話し掛けてくる。

『あら、もう、踊りは終わりなの?』
「うん。友達が来るんだ」
『うーん、つまらなーい!朝の風だけ毎日踊って、ずるーい!今度あたしたちも誘ってよ』
「そうだね、みんなで一緒に遊ぼう」
『やったー!…ねぇねぇ、ところで、お友達って、後ろの人間?』
「―――へ?」

何気に後ろを向くと、そこには少年が立っていた。ドラム缶バッグを肩から下げた、よく日に焼けた顔は―――湊太だった。

「…なに一人でぶつぶついってんだ、お前」
「そそそそ湊太、あれ、は、早かったね」
「ああ、ヒマだったし、お前んとこ遊びに行こうとは思ってたから。あ、玄関のチャイム壊れてたから、後で直してやるよ。鳴らなかったし。んで、鍵もかかってなかった。オレが泥棒だったらどーすんだ、お前」

正樹の耳元を、じゃ、またねーと言い残して南風の精霊が去っていった。
一方の湊太は、さきほどの会話が聞こえたようでも、ずっと前から居たわけでもなかったらしく、さして気にする様子もなくバッグを降ろして中をごそごそとさぐりはじめていた。

部屋の温度は外気温より少し涼しい程度にまで落ちていた。なんとか、ギリギリセーフという所のようであった。


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