次の日の朝。
正樹が何時ものように早朝の勉強を済ませ、学校が休みであるものの普段どおりの時間に居間に降りていくと、キッチンに立つ母親、そして珍しくそこに父親の姿があった。
どうやら今日は会社が休みらしい。
しかし、 新聞を読みながら難しい顔をして、何事かをぶつぶつとつぶやいていた。

「おはよー父さん母さん。 …なにか気になる事件でもあった?」

正樹の父親は、都心の出版社に勤めている。お堅い本から漫画、週刊誌まで手広く展開している大手の出版社で、その中で主にグラビア写真集の出版に関係した部署にいる。

正樹に気が付いて、おはよう、と言ったものの、目は新聞から離れない。

「…何読んでるの?」

後ろに回ってのぞき込むと、多くの記事に混じって、ひときわ目を引くタイトルが目に入った。

「昨日さ、俺、昔の友達と呑んでたんだよなぁ。やつぁカメラマンで、カメラは常に手放さないっていうスクープ記者みたいなこともやっててな。…これ見たら、悔しがるだろうなぁと思ってさ」

新聞に踊った文字―――『春日大和市に翼の剣士現る』『何故か走って逃走、忽然と消える』 。

写真がないので確たる証拠はないものの、しかし何十人もの人が逃げる姿を見て、追っている。そのただ中に消えたというのだから、本物であろうという事であった。
正樹は動きが止まってしまった。開いた口が塞がらないとは、この事だ。

「剣士さんも大変ねぇ、あたしは見たことないけど、ずいぶん綺麗な子なんですって?ファンもたくさんいるでしょうし、こんなに騒がれちゃうんじゃ呑みに行きたくても行けないわねぇ」
「…母さん、多分、そういう問題じゃあないとは思うんだがね…」

正樹としては、更に別の意味で、そういう問題ではなかった。
凰藍は正樹が目覚めるまで起きている事が多いのだが、何故か今日は目が覚めたらその気配が全くない。
狸寝入りを決め込んだのだと想像出来た。

―――僕にはさんざん怒っておいて、なんだよ、自分も人のこと言えないじゃんか…

繁華街にいたのは、おそらく巡回の為だろう。
もしかして、何か気になる事があって、調査を試みたのかもしれない。が、巡回も調査も、普通は姿を隠して行う。それを忘れて地上に降りてしまい、見つかって、追いかけられたというのがシナリオなのだろう。

「…っとにバカだなぁ…」
「ん?正樹、なんか言ったか?」

気持ちが高じて、つい声に出てしまったらしい。慌ててなんでもないと首をふって、朝食の席についた。
だが、久しぶりに凰藍をやりこめる事が出来そうなのは、確かだった。

朝食を食べ終わって、片づけをし、さぁ今日は何をしようかと正樹が部屋に戻りかけた時に家の電話が鳴った。階段の下にある電話の近くにいたので、電話をとる。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、久しぶりに聞く声だった。

「―――湊太!」
『よ、久しぶり。元気か?』
「僕は元気だよ。湊太こそ、夏からずっと忙しくて、大変だったんじゃない?」

湊太の声を聞いたのは3ヶ月ぶりくらいであった。夏の大会に向けての練習、そして秋季大会に向けての練習などが立て込んでいて、別の高校に進んでしまったので、会うのはおろか電話すらかけていいのか判らない状況だったのだ。

『ああ、ま、結果オーライだったからな。ところでさ、お前に話しておきたい事があってさ。忙しいから電話でごめんな』
「ううん、いいよ。今日も練習なんだ?」
『休みなんてぜんっぜんなくってさぁ。たまーに休みがあっても、つい寝ちまって。気が付くと夕方なんだよな。それはいいんだけど、あのさ、実は、今度、俺、イタリアに留学に行く事になってさ』
「―――イタリア!?」

思わず大きな声が出てしまい、それを聞きつけ、なんだなんだと二人が居間から出てきた。

「イタリア、って何、サッカーの勉強しにいくの?」
『おう、サッカー留学ってヤツでさ。急に決まったんだ。学校がカネ出してくれるんっていうから、じゃ、行ってみようかなって思って』
「湊太、すっげーじゃん!お前だったら絶対に大丈夫だよ!」

電話の向こうで、へへ、と小さく笑う声が聞こえた。

『サンキュ、正樹。ま、行くのは来月なんだけどさ。準備とか忙しいから、そのままになるかも。落ち着いたらまた電話か手紙、書くよ。俺インターネットって出来ないんだよ、メールはカンベンしてくれよな』
「大丈夫、僕もパソコン苦手だから。そっか、じゃ、頑張って。応援してっから」
『おう、じゃ、またな』

電話が切れた。
湊太がサッカーをはじめてから、早いものでもう10年は経つ。最初は小学校のサッカークラブのレギュラーになれればいいと思っていた程度だったのに、もうプロに片足がかかる所にいるのだ。

今でさえ日本のサッカーの未来をしょって立つ有望な選手、という見出しでスポーツ情報誌や地元TVに紹介されているのだ。
留学から帰ってきたら、あっという間にトップレベルの位置にいるかもしれない。

「高崎君から電話?」
「―――うん、なんか、湊太、イタリアに留学に行くって。来月から」

へぇ、という声が二人から漏れた。

「奥さん、何も言ってなかったけど…」
「急に決まったって。忙しくなるから、留学が終わって帰ってくるまで会えないかも」

時間がうまくあえば、見送りにいけるんだけどな、と父親が腕組みをした。そうだね、と正樹は答え、それでももし見送りにも行けなくても、最後の日にはこっそり姿を見に行こう、と決めていた。
凰藍には、少し借りが出来たことだし。


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