「先に―――よろしいですか」

口を開いたのは、カウンターの奥で店の一部と化していたマスターだった。
誰に話が、と思わせる間もなく、正樹の方を向いて軽く頭を下げた。

「先日は、うちの娘を助けていただいてありがとうございます」
「―――マスターの娘さん?」
「暴漢に襲われていた所を、助けられたとか」

正樹には全く身に覚えが無かった。首をひねった様子を見て、マスターの口元がゆるんだ。

「正確には、結果として助けてもらった、という所のようですが。先週、金曜日の夜、見知らぬ男にビルの谷間にひきずりこまれた所で、上から降ってきた方がいまして。ゴタゴタの間を見計らって、警察に保護を求めたそうです」

ああ、あの時の、と正樹の内で声が響いた。
同時に、柿元も声をあげる。

「そういや、あの時に後ろの方が騒がしいなと思ってたんスよ」
「おい、マスター初耳だよ。で、メグちゃん、大丈夫だったのか?」
「ええ、おかげさまで。しばらく、週末は来ないように言いました」

ようやく、正樹の中にその場面が伝わってきた。恐らくは一番みっともない場面であろうから、凰藍が頑として伝えてこなかった場面でもある。

「凰藍が―――よかった、って言ってます」

正樹が伝えると、マスターが改めて会釈を返した。
へぇ、と感心した声が坂本から漏れた。

「凰藍と…なんだったか、体を共有しているんだったか、封じられているんだったか…話も出来るんだなぁ」
「頭の中で考えていることは、お互い判りませんけど。なんだろう。チャンネルをあわせるみたいな感じなのかな。話したいなと思った時に、声と映像が流れてくるっていうか」

仕組みはよくわかりませんけど、と正樹は笑った。

「一応、凰藍が間借りしてるって形なんだろう?」
「…人の体、間借りしてる居候のはずなんですけどね…」

横柄だし気が付くと体借りてるし、なにかと偉そうにして命令口調だし。
そのくせ都合の悪いことは、隠そうとして。
相当勝手なやつだよなぁ、とは思っても、うっかり口に出してしまったら、後が怖い。

「…あまり、主導権認められてないっていうか…」

呟いた言葉をうけて軽く吹き出したのは、坂本だった。その拍子に酒が気管に入ってしまったらしく、ひとしきりむせ返って、まなじりに薄く涙を浮かべながら、それでもまだ口元は笑っていた。

「いや、すまん」
「大丈夫ですか?!」
「ああ、なんとかな。まぁ、やつらしいっちゃやつらしいな。思ったとおり」

なんだかんだと上手くやってるじゃないか、と言いかけた言葉を、坂本は差し出された水と一緒にのみこんだ。
大人しく凰藍が引っ込んでいるのだから、わざわざ起こすこともない。

「で、ところで、何か用事があったんじゃないのか」

水をむけると、正樹はあっと目を見張って、まだ子供の域を抜けきらない表情をのぞかせた。

「すみません」

居住まいを正して、再び、坂本の方を向いた。


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