「んなトコ、何時までも掃除してられっかよ!!ギャレッシーのどあほぉ〜!!!」

語尾に重なって、いかつい形のアルミのバケツが派手な音を立てた。
その音は広いドック内に幾重にも反響したが、動力の低いモーター音にかき消されて、おそらく上層で働くオペレーター達には聞こえていないはずである。

飛び散った汚水はそのままに、空になったバケツだけを手元に戻してひっくり返す。
モップを床に転がし、バケツをイス代わりに座って、大きく、ため息一つ。

―――だいたい規則違反したのはバレクもカイトも一緒じゃねーか、どーして俺だけドックの掃除なんだよ…

もしその場にバレクとカイトがいたらこう答えるだろう―――

「イオン、お前がギャレッシー教官の恋人にちょっかい出したからだろう!」

しかもその現場を当の本人に押さえられて、平然としているものだからたちが悪い。
広い額に幾筋も青筋を立てて、寝室のドアの前で立ちすくんでいた上官に向かって、片手を上げて「よっ」などと挨拶する訓練生など、そうはいないはずである。

事に及ぶ前だったんだから未遂ですよと言いながら何事もなかったかのように笑ったイオンに対して、ギャレッシーが精神的に立ち直る時間は与えられず、そのままドアを閉めて出ていくまで、ついに一言も声をかけることは出来なかった。
ムリもないだろう。

当の本人がそれを周囲に漏らしたのか、もしくは酒場でギャレッシーがくだをまいたのかは判らないが、イオンの武勇伝としてその話が訓練基地中に広まったのはあっという間。
そして、話を聞いた訓練生や教官達は皆一様にこう思った―――

「ああ、またか」。

皆の認識として、イオンの輝かしい女性経歴に新たな一頁が加わっただけのことであるようだ。
だが、ギャレッシーにとっては他人事ではない。
ほんの一週間前の事を忘れるはずもなく、ドックの片隅で隠れてタバコを吸っていた3人の規則違反生を偶然見つけるなり、イオンを指し、

「貴様が主犯格だな!」

と決めつけ、イオンだけに広いドック内の清掃を命じたのである。
違反切符を切られ、教官命令とあれば、応じないわけにもいかない。
そうして、掃除をはじめてかれこれ2時間。
野球場以上の大きさもあるドックを、モップだけで掃除しきれるわけもなく、イオンはいい加減イヤになって座り込んだ。

―――ったく、たかだかキスの1つや2つ、挨拶代わりだろうが。

エスカレーター式の中等部でも高等部でも、そして志願して入った戦闘機パイロット養成の訓練基地でも、イオンは常に女性達に囲まれていた。
モデルのバイトには事欠かない、整った顔立ちとすらりと伸びた痩身は、彼の家族から「いいとこどり」をしてできあがったものである。
血統だけはよかった祖母から譲り受けたプラチナの髪と、丈夫だけが取り柄の、母の灰色の瞳。
今のイオンに負けず劣らず女性遍歴の多かった父譲りの長身。
祖母と父が交通事故で共に死んだ時、葬式に現れた親族が「あれはいい意味でも悪い意味でもサラブレッドだな」と呟いたのを、イオンは後から聞いて、苦笑したものだ。

付き合った女は数知れず。振った女は皆無だが、去っていった女の数は数えたことはない。
彼の密かな特技―――男の顔は忘れても女の顔と名前は必ず一致させるという―――がそれを助けていた。

―――だが、佳い女だったなぁ。

このままおとなしくギャレッシーにくれてやるにはもったいない、と口の端を持ち上げた時。

―――なんだ?

右手前方にある物品倉庫の入り口に、明日搬出される為に積まれているカーゴの間で、何かが一瞬光った。
訓練時間を過ぎ、明かりがほとんど落とされたドック内で光るものといったら、旧式の発煙筒の燃えかすか、切れかかったライトくらいなものである。
しかし、その光は、まだ仄かに中心を照らしているようだった―――カーゴの間から、わずかながら光が漏れているのだ。

イオンは腰を浮かした。
耳を澄ますと、低いモーター音に混じって、何か堅く乾いた物が細かく折れるような、パキ、パキという音がその方向から聞こえてくる。
物品倉庫の入り口付近は、最初に掃除をした所だ。
入り口を示す表示灯は元々点いていなかったし、カーゴの中身は確か欠陥品のはずであったから、光るようなものは何も無かった事を、イオンは知っていた。

わずか100mほどの距離を、イオンは足音を消して近づいていった。
乾いた音は徐々に小さくなり、カーゴに手がかかる直前に完全に消えた。
カーゴは全部で5つ。1つの大きさは3m四方。それが壁際に2つ、その上に2つ、Lの字になるようにもう1つが置かれている。カーゴの向こうにある倉庫のドアとの間。

イオンは無意識に、モップを手にしていた。
それしか武器は無かった。
銃剣の所持は訓練中以外許されていないからである。

カーゴまでたどり着いて、あと一歩身を乗り出せば判るという所になって、イオンは少しだけ躊躇った。
モップの柄を握りしめて、自問自答する。

―――もし、異星外生物だったら。カーゴについてきた小さな卵から孵った凶暴なエイリアンだったら。

そんなバカなことがあるか、と思いながら、しかし、手にしたモップは万が一の時には頼りなさすぎた。
静かにこの場を去り、警備班を呼んだ方が間違いはないだろう。

―――でも、確認するくらいだったら。

警備班を呼んで、結果何も無かったのなら、いい笑い者になってしまう。腰抜けの称号をいただくことにもなりかねない。
イオンは、もう一度モップの柄を握りしめた。
息を潜めてカーゴの壁面に背をつけ、じりじりと移動する。
そして背面から、ゆっくりと、目線を「そこ」に遣った。


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