「熱がありますが、大丈夫でしょう」

ベッドの上の青年は、またしても気を失って倒れ込んでいた。
酷い汗をかいていたので、イオンとサイケルの二人がかりで着ている物を取り替えた。
これ、俺が洗濯するのかなというイオンの予想ははずれ、アナスタシアがそれを引き取った。
白い入院着を手にかかえて、アナスタシアは小さく息をついた。

「驚いたわね」

脇で寝息をたてる青年に掴まれた腕は、あざになっているかもしれないとアナスタシアは思った。それほど強い力だった。すがるような、目。
あれほどの力を持ちながら―――酷く、脆く感じられた。

「さきほど、彼の血液を採取して、ちょっと調べ物をしたんですがね。結構な量の薬品が検出されましたよ」
「薬品?」
「まぁ、睡眠剤とか筋肉弛緩剤とか、そういった類のもので。目眩がしているようでしたが、熱のせいだけじゃないでしょう。成分の分析に手間をとったんで、解熱剤の調合が少々面倒で。一応分解の効果がある薬を注射しておきましたよ。まぁ、とりあえず、水をたくさん飲んで出して、代謝を高めた方がいいとは思いますね」

じゃあ、とアナスタシアはサイケルを見た。サイケルもアナスタシアのいわんとしていることが判ったように、頷く。

「誰かに強制的に眠らされ―――もしくは、殺されようとしていたんでしょうな」
「それで、逃げようとして、間違えて時間まで飛び越えてしまった、ということかしら?」

笑おうとして、失敗した。笑いとばせるような事態ではないことを、彼女もよく判っていた。

「そんなん、時間飛び越えたんだったら、また飛び越えて戻ってもらったらいいじゃないですか。自分は言葉も判らないヤツがこんなところに何時までもいるのはどうかと思いますけどね」

イオンは、もうどうでもいいから眠らせてくれといわんばかりに大あくびを語尾に重ねた。その様子を見て、アナスタシアが腕時計を見ると、午前2時を少々廻っている。午前6時起きの訓練生には少々夜更かしが過ぎるようだった。

「付き合わせてしまってごめんなさいね、イオン。戻っていいわ」
「へーい」
「…へーい?」

ドアに向かいかけていたイオンは、氷点下の声に慌てて振り向いて敬礼をした。満足げに頷いたアナスタシアを確認して、今度こそ部屋を出ていった。

「―――あなたも、もう部屋に戻られたらどうです、ミセス・ラブローレン?」
「…そうね…そうするわ」

アナスタシアはもう一度青年を見た。年はどのくらいだろう。イオンよりは年下に見えるその顔立ちは秀麗だがどこか幼げでもある。
さかのぼること1000年前から来た―――トリックではない事象を見てなければ、頭から笑い飛ばせていただろう―――青年。

「訓練の合間に、また来るわ。出来るだけミスター・ホプキンズと通信をしていただけるかしら。彼の意識が戻ったら、もう少し色々聞いてほしいし」
「判りました」

アナスタシアは頷き、イオンに続いて医務室を出た。
静まりかえった、居住棟への通路を歩きながら、考える。

―――どうして私は、あんなに彼のことを気にかけるのだろうか。

昔の夫の姿に似ているわけでも、遠い昔の初恋の男性に似ているわけでもない。産んだ子供とは似てもにつかない。
恩師に似ているわけでも、教え子と重ね合わせるでもない。

―――守ってあげたい気にさせるのかしら。

もしかしたら無意識に、彼の力でそういう気分にさせられているのかもしれない、と思った―――危機的状況にあって、敵意ではなく守らせる気持ちを相手に持たせるのは、なるほど、それはそれで合点がいくようにも思えた。

―――イオンには通じていないようだけども。

対象が男だからだろうか、イオンは彼に素っ気ない。というよりも、面倒だと思っているらしい。ムリからぬことだろうが―――アナスタシアとしては、女にしか執着がもてない性格をなんとかしたいという考えもある。
どうせパイロットに志願したのだって、宇宙軍のパイロットだなどと酒場で明かそうものなら、綺麗所が寄ってくるのは間違いない、そういう理由からだろうから。

青年の体調はさほどよくないらしいから、少なくとも一週間ほどはイオンが彼の相談役に―――言葉が通じなくてできるかどうかはまだ判らないが―――なるだろう。
少なくとも、アナスタシアが半年間の地上訓練で見てきた経過では、イオンの協調性には多大に問題があった。
人に合わせるのが、面倒だと思っているふしがある。それが露骨に相手に判ってしまうのだから、団体生活には向いていないのは勿論のこと、訓練や合同のカリキュラム消化にも影響があった。
イオンの評判はすこぶる良くない。本人も自覚しているのかもしれなかったが。

―――これを機会に、変わってくれればいいのだけど。

でも、あの青年がまた時間を遡って「それじゃ」って帰ってしまうなら、せっかくの機会だけどしょうがないかしら、と思い、自室への最後の角を曲がろうとした、その時。
腕時計に重ねられた認証ブレスレットが、小さく呼び出し音を鳴らした。足を止め、点滅している箇所に手をふれると、医務室のサイケルからのメッセージだった。

「どうしたの」

機械室の区画が続く廊下で人がいないのは判っていたが、声を抑えてブレスレットに向かって呟いた。

「た、たいへんなんです。急に苦しみだして―――いや、暴れ出して。すぐ来て下さい。私じゃ抑えられない」

アナスタシアはきびすを返して、廊下を駆け戻る。走りながら、イオンには連絡をしたの、ともう一度訊ねてみたところ、暫くして、した、という答え。声に何かガラスが割れる音が重なった―――彼女は足を速めた。
ほどなく医務室のドアの前にたどり着くと、彼女の部屋よりずっと先にあるはずの部屋にいたはずのイオンがちょうど追いついてきた。

「悪いわね、何度も」
「サイケルがいなくなったら、怪我した時、困るし。解剖マニアよりはずっとましだろ、あいつの方が」

そうはいっても、半分くらいはあの青年のことが気になっていたかもしれないわね、とアナスタシアは心の中で笑った―――イオンが聞いたら、反対したかもしれないが。

「急ぎましょう、なんだかすごい音がするわ」

ドアを開けた瞬間、ひとしきり派手な音が響いた。医務室が、中の患者の安静のために居住棟よりも相当防音に優れていることが幸いなほどの音だ。サイケルは警備システムを解除してあるらしく、警備員がとんでくる様子もなかった。

医務室の中は、酷い状況だった。
厚いはずの無菌室のしきりガラスは何カ所も割れ、ひびが入っている。備え付けの器械類はことごとく倒され、コードはひきちぎられて、床に散らばって絡み合っている。
サイケルはというと、コンソールの前で屈み込んで、膝をかかえて震えていた。

「あああ、よ、よかった、私じゃどうしようもなくって」
「どうしたの、サイケル」
「―――危ない!」

イオンが、アナスタシアを横抱きにして床にダイビングした。二人がもといた場所に、パイプイスの残骸が突き刺さった。ドアに当たり、跳ね返って床でまたしても派手な音をたてる。

「…これは、また」

イオンは残骸を見て、小さく息を吸った。
誰に投げつけられたわけでもないのだろう。目の前には誰もいなかったのだから。

「まるでポルターガイストね」

イオンに小さく礼を言って、アナスタシアは体を起こした。コンソールパネルから少し顔を出してのぞくと、ベッド―――というか、もう、マットから下の部分しか残っていないような気がする―――の上で丸くうずくまっている青年の姿。

「まるで、っていうか、そのものですよ、こりゃ。もうどうしようもありません、お手上げです」
「いったいどうしたの」
「どうも、こうも。私ももう引き上げようかと思って、帰り支度をしていたんですよ。そうしたら、急にうめき声が聞こえたものだから、慌てて近寄ってみたら、また、はじき飛ばされたんですよ」

みてください、捻挫しちまいましたよ、とサイケルは足をさすった。確かに腫れている。

「薬の調合は間違えてはいません、これは断言できますよ、私、元々は薬剤師でしたから。いったいどうして急に苦しみだしたのか、さっぱり」

また一つ、何かの部品がガラスにぶち当たった。割れても大きな破片にならないように処理を施された強化ガラスに、また、細かなひびが入る。

「くっそ、めちゃくちゃやっかいなヤツじゃないか、あいつ!やっぱり超能力者で、しかも力をコントロールできなくて自棄になってるんじゃねぇの?」
「…かもね」
「俺、ちょっといって張り飛ばしてきますよ」
「―――って、え!?イオン、無茶よ!」
「あいつが収まってくれないと、俺、寝れないじゃないですか!俺は寝たいんです!!」

イオンの目が血走っていた。
これはどうやっても止められないだろう、と二人共思った。イオンはすっくと立ち上がり、何時何が飛んでくるか判らない嵐の中心に向かって歩き出した。


次頁