―――もし、醜悪な黒い翼だったら、イオンはためらい無く撃っただろう。翼ではなく、ベッドにうずくまる、血まみれの青年を。
銃を下ろしたのは、そして、苦悶の表情を浮かべる青年に何事かを話しかけられ、近づいてしまったのは、小さい頃通っていた教会の中でも一際脳裏にやきついている、ステンドグラスの天使画を覚えていたからだろうか。

青年の風貌は、別人のようだった。
顔の色は土気色、頬は短時間でそげ落ち、自らの血を浴びて、いっそう凄惨である。
肩を抱いて固まっていた腕が、ゆっくりと伸びた。イオンの方へ。酷く節が立って、乾ききっている指先。
目を堅く閉じ、唇を震わせながら、彼は助けを乞うているように、イオンには思えた。

「おい」

いったい、どうしたら。
イオンは、腰をかがめて、彼の両肩を支えた。そして、顔を覗き込もうとして―――突然、腕を振り払われた。否、銃を持った右手を。

今までの苦悶が嘘のような敏捷さで、彼はベッドの足下に落ちた銃を拾った。イオンが動けないでいる隙に、両手で銃把を握る。

「―――!」

撃たれる、と、イオンは瞬間的に体をひいた。だが、それが間違いだったと、すぐに気づいた。
銃口は、青年自身のこめかみにあてられていた。
震える右手を、左手で堅く握りしめ、その指先がトリガーにかかる。

「やめろ!」

叫んだが、間に合わない。
青年に迷う間など、まったく無かった。指先に、力が込められたのを、イオンは見た。
ひゅっと小さく息を吸って―――目を離せず。

だが―――なにも、起こらなかった。
レーザーガンの出力は大のまま、ロックもかけていない。トリガーをひけば、高出力のレーザーが頭蓋骨を貫くはずであるのに。

青年の指が何度トリガーをひいても、レーザーは発射されなかった。
戸惑った表情を浮かべて、青年は銃を下ろす。そして、もう一度よく見ようというように銃をひっくりかえした、その時。

イオンの右手が、青年の頬を叩いていた。いきおいあまって、銃が手を放れ、ベッドの上に転がる。
目を見開いて顔をあげ、目を合わせた青年の、もう一方の頬を、返す甲でもう一度殴りつける。

強かに殴られた体が、ベッドをきしませた。同時に、宙を大量の血が舞う。
その中で、イオンは、微動だにしなかった。
のろのろと体を起こした青年に、イオンの目がひたりと据えられる。
青年は、顔を上げた―――荒い息をつぎながら、イオンを見上げる。そして、見た。自分よりも、辛い表情を浮かべて立ちすくむ姿を。

イオンも、見た。青年の澱んだ目から、涙が次々とあふれてくるのを。

「―――判ったよ」

イオンは、ベッドの脇に膝をついた。ベッドの上でようやく体を起こした姿勢の青年と、目線を合わせる。

「助かりたいんだな、お前。…そんなになっても」

青年の頬には、血と涙とが幾筋も流れて痕をつくっている。とめどなく溢れてくるそれを、まるで血の涙のようだとイオンは思った。

「俺にはどうしたらいいかわからない。でも、助かりたいならそんな方法は選ぶな。死ぬな。死にたくないんだろう?助かりたいんだろう?」

青年に、自分の言葉が通じているとは思えなかった、それでも。

「―――諦めるなよ。死ぬな。絶対に、死ぬな。負けるな」

イオンは、青年から視線をはずさなかった。血で染まった肩に、こんどこそ、両手を添えて、堅く握りしめる。

「生きろ」

肩が、震えていた。時折、二の腕が、ひきつるように痙攣を起こしているのをイオンは見た。

白い翼を持つ化け物がこいつの中にいて、食い破ろうとしているのか。それとも、体を乗っ取ろうとしているのか。腕はかさかさに乾き、皮膚は部分的に鱗のように堅くなっていっている。尋常ではなかった。
―――まるで、鳥の足のように。

「お前は、お前だ。大丈夫だ。化け物になんて、ならない」

―――遠い日の自分が、フラッシュバックする。日のささない暗い部屋。澱んだ空気。握りしめた銃。トリガーに手をかけた。クスリのせいで意識はもうろうとしていた、だから怖くないと思ったのに、酷く寒く、芯から凍えて、怖かった。
―――助かりたかったと。本当は生きたかったんだと。

「お前は、負けない」

繰り返した言葉が、青年に通じたのだろうか―――その瞳が、生気の輝きを取り戻した。
荒く吐いていた口が、きゅっと結ばれる。
イオンに肩を支えられ、安定した姿勢を保てたのだろうか。息を整えるように、体が小さく上下する。
眉根は痛みに耐えるように寄せられたまま、額からは汗とも血ともつかない流れが頬を伝ってベッドに新たな染みを作った。

その体が、ふつふつと白光を放ちはじめていた。

―――この力は、鳥に戻ろうとするもの。

骨格を変え、鳥に変化しようとする凰藍の中の力が、激しく逆巻いていた。
抗いがたい圧力。そんなことは、ムリだと。この体は凰藍じゃない、だから出来ないと。そう願っても、力に意志は存在しなかった。

背の皮膚を割って―――レーザーで焼かれた反動もあり―――生まれたもの。何度と無く凰藍の翼を借り、そのために自分の骨格の一部を変えていた。だからこそ、「凰藍」が色濃く残り、鳥に戻ろうとする力に、一番反応しやすかった。
だが、体全体をねじり上げるようにして変化しようとする力は、それだけですまさなかった。

その一方で、これが神の力か、と感嘆せずにはいられなかった。ヒトの体をこんなにも造作なく変えてしまう。腕の所々が、まるで鱗のように堅く皺がよっていた。
しかし、間違いなかったのは―――このまま耐えていたら、間違いなく不気味な肉塊になっていたということ。おそらく、酷く醜悪な。
そして、それに人間の体は耐えられず、治癒魔法は追いつかず。
だからこそ、そうなるまえに―――この痛みが続いたのちに死を迎えるのなら、いっそこの手で命を絶とうと思ったのだ、しかし。

銀髪の男の目は、強かった。
絶対的なものに抗う力がそこにあった。
言葉はわからないけれども、勇気づけてくれていた。

何度も、辛抱強く。

これは最後の賭だ、と、正樹は目を閉じた。
男の両手に支えられ、体によけいな負担がかからない今なら、もしかしたら。

すべての音と感覚を遮断する。内へと、精神を向ける。きしむ体に意識を奪い取られそうになりながらも、それでも、散らばっていた「かけら」を集めていく。
それは魔法の力のかけら。逆巻く力によって、散り散りに外へと放たれてしまったけれども、まだ残っているそれらに、意識を集中させる。

心の引き出しから取り出された、「生」の魔法のスペルを、そこに、吹き込んだ。

抗いがたい力の奔流は、おさまらない。
しかし、諦めなかった。
銀髪の男の目。
強い光を、うけとめた。

そして思い出す―――約束を。


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