ホプキンズの通訳で、ようやく、イオンは青年の名前を知ることが出来た。
マサキ・イガラシ。
そして、自分は魔法使いだと明かした―――ホプキンズがその言葉を知らず、結局、正樹自身が何度か繰り返して―――イオンが理解できる発音に到達するまで、何度もやりなおしした―――判った。

羽根はいったいどうするんだと聞くと、手足のように変化しつくす前だったら治せたが、形を作ってしまったものを消すのはかなり難しいのだということ。
またしてもこの説明に多大な時間がかかり―――そのうちにサイレンが止んで、戦闘が終わったことを告げた―――もう少し力が戻れば、魔法で抑えていられるという。
どうしてそんなことになったのかをイオンは知りたかったが、ホプキンズの通訳が全く役に立たず、正樹自身言葉を話すことも出来ないので、結局それは諦めた。

さいごに、どうしても聞いておきたいことがあり、イオンが訊ねた事―――それに対する返事は、NOだった。

「帰る方法がわからない、ねぇ…」

恐縮するようにうつむいた正樹を見て、イオンは頭をかいた。
投薬され殺されかけた、それはアナスタシアの予想通りだった。だが、気を失ってから先のことを全く覚えていない、気が付いたらここにいた、というのでは、解決のしようもない。
しかし、イオンには、正樹はそう凶悪な人物でもなさそうだと感じられた。
言葉さえなんとかなれば、まだ若いのだから、働けば生計がたてられるだろう。

「あの…ホプキンズ。もし出来れば、こちらのお願いを通訳してもらえないかね?彼が、OKかどうか、わからないんだが」

なんとなく所在なげに佇んでいたサイケルが、おずおずと話しかけた。
まさか、キミの体を研究させてくれとかいうつもりじゃないだろうな、とにらみ付けたイオンに気づいて、慌てて両手を振った。

「いや、大したことじゃないんだ、いや、大したことか。その、魔法なんてものは映画や子供の頃に読んだ絵本でしか見たことがないんだが、―――この中を、こう、治せるのかなー出来れば治してほしいなーと思って…」

サイケルのいうことは尤もだった。
これでは、医務室としての機能は全く果たせないだろう。サイレンが鳴り終わって20分近くが経ったが、けが人の一人も運ばれてこないことをみると、とりあえず今回の戦闘では医務室を使う用事はなさそうであったが、それにしてもこの惨状はいかんともしがたい。

サイケルの願いに対して、正樹は少し考え込んでいたが―――軽く頷いて、ホプキンズ経由で、割れたものの残骸を、出来るだけ割れたもの別に持ってきてほしい、と頼んだ。
サイケルとイオンとが手分けをして、ガラス、ベッドのパイプ、医療用器具…と、おぼしきもの。

それらが、ベッドの上に並んだ。
どれも残骸だが、サイケルの記憶にある、それぞれが個別の物体であったはずのものが揃った。

正樹の手が、それらに軽く触れていく。としか、イオンとサイケル、そしてホプキンズには見えなかった。
その手にふれられた部分が、ほんのりと光を放ち、まるで重力の手綱が切れたように、宙にうかぶ。

それぞれが、空を舞った。ガラスの破片はガラス壁に当たり、澄んだ音を鳴らしたかと思うと、凪いだ海のように、そのガラス面すべてからひび割れが消える。
部品の一つが床に落ちると、それが核となり、散らばっていた部品が次々と自動的に繋がっていく。
医務室のドアに突き刺さっていたベッドのパイプは、溶接でもこうは綺麗にならないだろうという程、元どおりにの場所におさまる。

5分も時間がかかっただろうか。
部屋の中は、あっという間に元通りの姿を取り戻していた。

なにか大層な呪文を唱えて杖でも振り回すのだろうと期待していた三人は、拍子抜けをした。

「終わった、わけ?」
「終わった、ようだなぁ…」
「ほんとか?」

三者三様に、ベッドの上で一息ついた魔法使いを見やった。
魔法使いは、視線に気づいて、にこりと笑った。

そして、そのまま、倒れた。

2人分の着替えと大量のタオルを持って現れたアナスタシアは、廊下の両側から誰も来ないことを確認して、ドアを開け、そして、部屋が間違ってないかどうか何度もまばたきをすることになった。
サイケルとイオンの二人から―――ホプキンズは、これ以上は徹夜になるからといって、一旦回線を切った―――事情を聞き、ようやくのみこめた。

サイケルにタオルを渡して、半数をお湯に浸して固く絞るように指示し、イオンに着替えを渡し、自身は血で汚れ破れた正樹の入院着を手早く脱がせていく。
濡れたタオルで拭いていくとほとんどが返り血で、どこにも傷跡は無いことがわかる。
それでも注意しながら、背を丹念に拭いていると、翼の付け根から腰にかけて黒い染みのような固まりがあったが、触ると、かさぶたのようにぽろりと落ちた。

「ホントに、傷が治ってるわ」

感嘆半分で呟いて、うっすらとピンク色に染まった皮膚をタオルで拭いていく。

「魔法使いねぇ…絵本の中だけだと思っていたわ」

しかも、魔法使いとして出てくるのはたいがい老婆か、もしくは老婆が美女に化けていたりというおきまりのパターン。
ハイスクールかシニアか判らないが、こんなに若い青年の魔法使いがいるなどとは、思いもしなかった。

「ところで、教官。俺、どういう扱いになってるんですか?」

血で濡れた上半身をタオルで簡単にぬぐって、新しい服に着替えたイオンが、アナスタシアと一緒に羽根を拭きながら訊ねた。
時刻は午前6時をすぎている。起床時間―――その前に、全員がエイリアンの襲撃で起こされてはいるが、それを過ぎてもいないのだから、バレクやカイトは不審に思うだろう。

「急な発熱で医務室にいるって伝えたわ。うつるといけないから、行く必要はないって。これが終わったら、シャワー浴びて、部屋で休んでいていいわよ。結局徹夜になったし」
「ああ―――はい。でも、なんか…こいつ、一人にしとくの、大丈夫かなって」
「サイケルがいるから大丈夫よ」

驚いたこと、とアナスタシアはちらりと横目でイオンを見た。
異常事態の経過の中とはいえ、誰かをここまで気にかけるのを見たのは実際始めてであった。
おそらく、誰が見ても驚くだろう。

手の中の羽根は、白鳥の羽根のように純白だった。光を反射して、所々金色に光ったりもする。
全体はかなり大きく、切っ先の羽根はゆうに1mを超えるかという長さ。
片翼だけで、拡げれば3mはあるだろう。

「これ、飛べるのかしらね」
「…さぁ」
「人間の体の構造では、基本的には飛べないことになってはいますがね」

アナスタシアとイオンは、無菌室の更に奥にある部屋で、汚れたタオルを黙々と洗っていたサイケルの方を振り向いた。

「鳥の体がどうして飛べるかっていうと、勿論骨の構造もそうなんですが、とにかく筋肉の力なんだそうですよ。全身、筋肉。だから、人間が天使のように羽根をつけても飛べないっていう一番の理由は、筋力の問題なんだそうです。飛ぶための絶対的な筋力が足りないんだそうで」
「そうなの…」

じゃあ、あっても飛べないのね、と落胆した様子のアナスタシアを見て、イオンが苦笑する。

「あいつだったら、別に羽根なんかなくても飛べそうですけどね」
「それはそうね」

大判のタオル5枚を費やして、ようやくあらかたの血の汚れは拭き取れた。
これだけの出血と、そして部屋を元通りにしたのだから、それは倒れもするだろう。
ベッドに横たわる正樹の顔を見て、アナスタシアは苦笑した。

「寝顔は可愛いわね、とても―――すごい魔法を使うなんて、全然思えないわ」
「ずいぶん物騒な理由でとばされてきた割には、かな。勿論、いい子に見えるように振る舞っているなんてこともありえるんですけど、うん…教官の最初言ったとおりかなぁ…そう悪いやつには見えないんですよね、こいつ」

あら、と、アナスタシアは笑った。

「わたしたち、彼の魔法にかかっているのかもね」

それはあるかもしれない、とイオンも笑い、そして後を二人に任せて、医務室を出ていった。


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