非番なのよ、とアナスタシアは正樹を先導して艦内の案内を始めた。正樹は既にこの艦のコック長と面談を済ませていた。明日から出勤、とのことだったから、タイミングが良かった。

「うまくいったようね」
「心臓が縮みそうでしたけど」

この2日間を思い返して、正樹は苦笑した。
基本的には、アナスタシアの筋書き通りでよかった。だが、実行するとなると、筋書き通りに進めるのは困難である。
言葉を翻訳してくれる魔法を試行錯誤の上作り出せたのはまるまる一日経ってから。
アナスタシアと話が通じた所で、詳細な打ち合わせをした。
その中で、助け船となったのが、丁度月が変わる明日に計画されていた、『LAB』からの看護士の輸送補充。これに合わせて行動を起こした為に、当初考えていたよりも若干スムーズに事が運んだ。

「迎えの船に乗るのに、センサーにひっかからないように体温消したり、体重消したり、あれは疲れました…」
「そのおかげで『JENOVA』の記録をいじる手間が一つはぶけたわけだし、結果オーライよ」

それはそうですけど、と左腕の細いブレスレットに手をやった。長い道のりだった。

看護士達を迎えにいく船になんとか乗り込み、着いたエアポートで待っている1時間ほどの間で、アナスタシアから渡された小さな通信機器でオペレーターと連絡を取る。
暗示をかけて登録をしようとしたが、登録には粘膜が必要だといわれてしまい、筋書きにはなかったが仮登録をして、その仮登録ナンバーを持って一旦船から降りた。
右も左も判らないまま、人を掴まえては情報管理センターの場所を聞き、親切な人のエアカー(空を飛ぶ車というものに始めて乗って興奮したが、それを押さえるのにも苦労した)に乗せてもらって、登録を済ませ。

『JENOVA』から要請されて、コック見習いで訓練船に乗るという情報を入れた(正確にはオペレーターに入れさせた)認証のブレスレットをひっつかんで、たまたま情報管理センター前から出ていた無料のエアポートバスに乗って再びエアポートへ引き返し、小型船に乗り込んだのが出発10分前。

『JENOVA』の輸送小型船のパイロットは、息を切らせて飛び込んできた正樹を見て、コック見習いなんて予定にあったかなぁ、という表情をしたが、手元のスクリーンに正式な要請の情報と登録情報とが正確に表示されていたので、自分の記憶が間違いだったと思いこみ、笑顔で迎え入れた。

次いで、再び『JENOVA』に引き返した正樹はコック長を探し、彼にだけ「人手が欲しかったので要請した」という暗示をかけ―――どうやら本当に人手が欲しかったらしく、あっさりとかかった―――、最後にもう一人、イオンから聞いていたので、ギャレッシー教官にも「あの日医務室では何も見なかった」という暗示をかけた。

2日間はあまりにも慌ただしく過ぎ去ってしまい、今になってようやく実感がわいてきた事があった。。

「ほんっとに、ここ、宇宙なんですね」

小型船の窓から見た、深淵。浮かぶ星々。船内のライトが窓に照りかえっていたので、あまり綺麗には見ることは出来なかったが、それでも拡がる星の数に圧倒された。
もし照明を落として、フルスクリーンで見ることが出来たら、押しつぶされそうになるのだろうか。それとも、別の感慨がわくのだろうか。正樹には想像がつかない。

「あなたの時代には、宇宙ステーションも他惑星移住も、無かったのよね」
「スペースシャトルはありましたけど。月に行ったくらいで。無人の機械は、ずいぶん飛ばしてたみたいですけど…でも、僕、あまり詳しくないんです」
「大丈夫よ、急いで詳しくなる必要なんてないから。慣れればそのうち覚えるわ。…ところで、荷物は?」

事務室に預けてきました、と正樹は答えた。
荷物とはいっても、『LAB』から「乗り込んでくる」時に手ぶらじゃおかしいだろうと、アナスタシアが艦内で買ってくれた急場しのぎの物―――例えば下着や、簡単な着替えくらい―――である。
当面はそれでいいが、あとは『LAB』への補給時に買い揃えていけばいい、というのがアナスタシアの提案であった。

「そういえば、僕、どこに寝泊まりするんでしょうか。コック長の…ええと、トルテさん。決まってなければ、ベッドが空いているからって誘ってはくれたんですけど」

トルテは大男で、横幅と体重が正樹の3倍近くはある。だから、ベッドが空いていたとしても、おそらくイビキに悩まされるんじゃないか、と正樹は思っていた。どちらかというとご遠慮願いたい所である。

「そうねぇ、彼はとても料理が上手いし、いい人なんだけど。私はイオンと一緒の部屋がいいと思うのよ。だって、息継ぎもしたいでしょう?」

なんの、とは言わなかったが、正樹にはアナスタシアのいわんとしていることが判った。今の正樹は常に二重に魔法を使っている。寝る時くらい、魔法を解かないと大変だろうということだ。
一昨晩は輸送小型船の中で仮眠を取り、昨晩は来客用の部屋を提供されたがどうにも落ち着かず、結局丸々3日は羽根を背に仕舞っていることになる。
魔法力の目減りはほとんど感じないものの、それでも、一旦、体の一部になってしまったからだろうか―――ずっと腕を折り曲げて固定しているかのような窮屈さは感じていた。

「それは、そうなんですけど…彼は一人で?」
「いいえ、同室者がいるのよ。バレクっていう。でも、隣の部屋の子と…カイトっていうのだけど、仲がいいから。カイトは、二人部屋に一人なのよ。多分、頼めば移動してくれるんじゃないかしら。カイトも、部屋を片づけるいい機会になるだろうし」
「いいんですか?」
「私は教官ですから、任せてくださって大丈夫よ」

そういうのは職権濫用っていうんじゃなかったかなぁ、とも思ったが、正樹は黙っていた。

「でも、さすがに1日じゃ移動はムリだと思うわ、今日は私の部屋に泊まりなさいな。シャワールームはこの船で一番広いのよ」

さすがにぎょっとして立ち止まった正樹に、アナスタシアは不思議そうな顔を向けた。

「訓練生の居住エリアは、とにかく狭いの。シャワルームで羽根伸ばしていきなさい。あとで天国のように思えるのは、間違いないから」

なるほど、と小さく笑った正樹に向かって、アナスタシアが悪戯っぽく笑いかけた。

「それに、イオンに変な常識を教えられる前に、色々と説明しておかなきゃ」

正樹の中のイオン像は、かなりの好青年であるのだが―――もしかしたら違うんだろうか、と正樹は一抹の不安を覚えた。
正樹の表情に気づいたのだろう、アナスタシアが正樹の腕を、軽くぽんぽんと叩く。

「そう悪い子じゃないから、大丈夫よ。―――まぁ、素行はあまりよくないのだけど」

フォローになってない。
結局、正樹はイオンに不信感を抱いたまま、アナスタシアに艦内を案内されて1日を終えることになった。


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