それからの一週間は、正樹にとっては瞬く間に過ぎていった。
『JENOVA』で死亡したのは87名。その半分が訓練生と整備士であり、さらにその前のエイリアンの幼生による警備員の犠牲者も含めると100名に達し、艦全体の半ばを数える。さすがにそこまでの死者を出すと、軍の必死の箝口令も功を奏さず、しばらくは全宇宙のニュース記事をにぎわすこととなった。

行くあてのない正樹は、事故直後はトルテと共に『LAB』で居住していたが、生存者の生の声をとひしめくメディアに辟易し、トルテと別れて惑星コーダイへと向かった。
引責辞任した、元艦長レッセンブルグに招かれたのである。レッセンブルグは、ガードマンを雇っており、煩わしい訪問者からは逃れることが出来ると約束した。

だが、たかだか一週間会わなかっただけの艦長は、空港で出迎えを受けた正樹が思わず足を止めるほど憔悴し疲れ果てていた。
それに気付いたのだろう、老人は、ただのじじいになってしもうたわい、と笑った。

空港から2時間。車で高速を走り、ブドウ農園の続く田園地帯を抜けた所に、白い邸宅があった。二階建てではあるが、中世ヨーロッパの貴族の館かと見まごうほどの大きな屋敷で、遠くからでも目印になるほどに壮麗な建物である。邸宅をぐるりと囲む壁にはたった1つの扉があり、小さな詰め所にガードマンが常駐していた。レッセンブルグが小さく挨拶を交わして扉を開けると、真正面に庭園が開け、丹念に手入れされたバラの垣根が奥へと誘った。

「ようこそ。さぁ、入って」

扉を開けて迎え入れたのは彼の妻アンジェラだった。ふくよかな体にカントリー風の洋服がよく似合う。正樹は彼女と握手を交わして、中へと足を踏み入れた。

そこには、 まるで現実感のない空間が拡がっていた。大理石の床、2階へと螺旋を描いて伸びる階段。広大な玄関と、吹き抜けのそこから見渡せる、2Fのいくつかの部屋の扉。ぽかんと口を開けたままの正樹を笑って、アンジェラは2階へ案内した。

「どうぞ、気兼ねなく使ってちょうだい」

そう言われて開け放たれた部屋には陽光があふれるほどに注いでいた。綺麗に整えられた広い部屋には、さして豪華な調度は無い。

が。

「あの。…艦長、僕の事、ちゃんとお伝え下さってましたか?」

後ろでにこにこと微笑むアンジェラは、勿論ですとも、と笑う。
であれば、これは。

良く言えば、カントリー風。判りやすく言えば、少女趣味。
壁紙は小さな花柄、天蓋付きのベッドはフリルが風にそよぐ。レースのカーテンはひらひらと舞い、ローチェストには陶器製の取っ手がついている。ごていねいに、ベッド脇にきちんと揃えられた室内履きの一対はくまさんのぬいぐるみだ。

生活感が無い、という以前に、こういう世界もあるのだ、正樹は変なところで感心した。

「気に入ってくれたら、嬉しいわ」

その名のとおり、まるで天使のように微笑まれては、部屋を替えてください、とはさすがに言い出せない。きっと彼女なりに掃除をし、綺麗にしつらえたのだ。ありがとうございます、というのが精一杯だった。
夕飯が出来たら呼びにきますね、というアンジェラに、固い笑顔で応えて、ようやく一人になれた所で景色を見晴らす。

部屋の下には、テニスコートが3つは入りそうな芝生の庭。小さい木もまた丁寧に刈り込まれており、どうやら庭師がいるらしいと察しが付いた。
ガラス戸を大きく開けて風を入れ、見上げると、青い空。青い色は大気の色なのだ、と学校で教わったことをふと思い出す。
地球からどれほど離れていたか、思い出せないが―――1000年を経て、人類は居住できる星をいくつか得られたらしい。

渡る風は湿気を含んでいない。雨が少なく、乾燥帯が多いのだ、とレッセンブルグは車の中で話していた。
土地の匂いがあるとすれば、かすかに砂の匂いと感じられた。
それさえ気にしなければ、まるで、地球にいるのと変わりないが―――ふと、後ろを振り向いて、大きくため息をつく。

―――これは全然違うと思う…。

よく見ると、チェストの上にはガラスのポプリ入れが鎮座していた。
なんだか部屋がトイレくさかったのはこれか、としか思えない正樹には、この無敵で素敵な部屋に慣れる日が来るとは、とうてい思えなかった。

いっそ寒々しいほどの広々としたダイニングで、たった3人だけの夕食は、落ち着かないことこの上ない食事の場となった。
これでコックまでいたら笑うしかない、と腹をくくったのだが、幸か不幸か食事はアンジェラの担当らしい。通いのメイドがいて、掃除を担当している、と聞いて、やっぱり何か違うと力無く笑ったが。

「あの。艦長…じゃなくて、ミスター」
「なんだね?」

暖かい家庭料理を一通り食し、食後のコーヒーを出してもらい、アンジェラが片づけのために退出した所で、正樹は切り出した。

「僕、キッセに行きたいんです。…教官から預かった、ていうか、家族に返した方がいいんじゃないかって物があって」
「そんなものが、あったかね?」
「指輪を。教官が、なんとなくそう言ったように思って」

老人は遠い思い出をさぐるように目をさまよわせて、ああ、と笑った。

「それはナースチャの兄と父君から、確か…大学の合格祝いに渡されたものだよ。新しいものじゃなかったとは思うが、ずいぶん気に入っておったな」
「そうだったんですか」
「最後に君に渡すことになったというのは、何かしらえにしのある物かもしれんな。まぁ…彼らも忙しい身であろうから、すぐにとは行かないがなんとかしよう」

ありがとうございます、とお礼を言って、コーヒーを一口含む。レッセンブルグとこうしてコーヒーを挟んで会話をするのは、2回目だ。
1回目は、その場にイオンと、アナスタシアがいた。
1ヶ月も前ではない。それが、まるで嘘のように遠い日のように感じられるのが不思議だった。

「…イオンは、キッセの基地におる」

顔を上げると、レッセンブルグは目を合わせて笑う。―――どうやら、見抜かれていたらしい。

「『LAB』のエアポートで別れて、それからどうなったか判らなかったんです」
「そのままキッセの基地に入ってな。状況が状況だけに、ずいぶんと細かく聞かれたらしいな。わしが基地を離れる時にすれ違ったが、くたびれておったよ」

暖かいカップを手にしているのに、どこかがひやりと冷えた。思い起こすと、ずいぶんと綱渡りをしていたように思えた。否、綱渡りどころではないはずだ。生存者に、かなり見られてしまっている。整備士にも、厨房の仲間にも、タリス教官にも、場合によってはオペレーター達にも。

正樹に軍からの出頭要請が来ないのは、その誰もが正樹のことを黙っているからに違いなかった。そう思うと、改めて、自分の立場をあやうくしているのは自分自身にほかならない、それ以上に隠し通してくれている周囲を危うくしているのだ、と気付かざるを得ない。

だから、なのだろうか。
何故か、イオンに酷く逢いたかった。逢って、話をしたかった。彼としか話せない、色々なことを。今すぐにでも。

「君を心配しておった。面会に行くといい。予約さえ通せば、すぐに会えるはずだ」

そうして、くしゃりと笑ってみせた。

「イオンはともかく、君は、言葉通り飛んで行ってしまいそうだからの」

またしても見透かされ、今度こそ耳まで真っ赤になって、正樹はうつむいた。

「さて、今日は移動で疲れたろう。風呂は二階にある、自由に使うと良い。わしらは一階の風呂場を使うでな、気がねはいらん。着替えはあるな。他に、何かいるものや…困ったことはないかね?」
「いえ、特に…」

心の奥から喉の上まで「部屋を替えてください」と出かかったが、来たばかりなのにいくらなんでも失礼かと思ってやめてしまった。
だが、「そうかね」と言って小首をかしげたレッセンブルグが、「あの部屋に文句が無いとは、たいしたものだ」と感心したことなど、思いもよらない。

こうしてニッポン人独特の奥ゆかしさが、せっかくの機会を逸してしまった。正樹がそれに気付かなかったのは、幸か不幸か、どちらだろうか。


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