静まりかえった鉄塔の上には、渇いた風だけが吹き渡る。
地上の喧噪は、今日ばかりはさほど聞こえてこない。無論、上を見上げる者も無い。もし上を見上げる者があっても、金色の光は小さく、航空障害灯としか見えないだろう。

光は、一つだけそこに在るのではなかった。
小柄な影が、寄り添っていた。

「すごく、久しぶり」

呟いてから、そうでもないか、と一人ごちる。正樹の中では4ヶ月近く経っていても、凰藍にとっては二週間程度のはずだった。

「よかった。元気になったんだ」

正樹もそうだったが、凰藍もまた、かなり疲弊していたのだ。今、隣にある姿を見ると、あの時の輝きはずいぶんと弱々しかったのだと気づく。改めて、幻のように美しい生き物なのだと実感できた。
が、凰藍の様子はどこかぎこちない。鉄塔の上に連れてきて、以降、一言も口をきかなかった。

「…どうしたの?」

少しだけ心配になって、正樹は顔を覗き込んだ。深い碧の瞳は長いまつげに遮られて、やはり、正樹に向けられない。
しかし、ようやく、諦めたように重い口が開かれた。

「2度も…私は、お前を救うことができなかった」

言葉尻に、悔しさだけが滲む。

「上で聞いた。お前が、あの外国人の男に殺されかかったこと。その時、時の魔法を継いだこと。そして―――今も。私はどんな顔をしていいのか、わからない」

正樹は、顔を伏せた。鉄骨から投げ出された脚の下、本来、ネオンが拡がる街は闇に沈む。その闇の色は、ほんの数分前、自分の目前にあった。正確には、その、心の中に。

「それをいうなら、僕もだ」

凰藍が頭をあげたのが気配で判った。が、正樹は、今度は自分の顔を見られないように反対側を向く。

「さっき、酷い顔してたから」

あの男のいうとおりだった。なにもかも誰かのせいにしてしまえば、自分が救われる。そんなあさはかな思いに囚われて、無理矢理にでもあの男を憎もうとしていた。魔物が現れるのも、幸が傷ついたのも、波方が死んだのも、あの男がいるから。全ては、あいつのせい。あいつがいなければ、と剣を振るった。が、幸が傷を負ったのは巻き添えをくらったからだし、波方は生きていた。魔物を操るのは間違いないだろう、だが、自分のいらだちの本質は、おそらくは―――あの男が原因ではない。

「ごめんね。これ、凰藍の顔なのに」

無理に笑顔を作って顔を戻してみると、凰藍は笑う気配もなく、静かに目を向けてきた。

「私たちは16年も一緒にいたのに、お互いに判っているようで何も判っていなかったのだな」
「…どういうこと?」
「心を共有していた。だから、お互いの考えは判っていたはずだ。だが、心の奥底までは…お互いを知りはしなかった。…むしろ、他人の事に無関心でいた私の影響を、正樹もどこか受けていたのかもしれない」

その心が神とヒトとの中間にあるからこそ、どちらでもない、不完全である自分自身を苛むこともあるのだと、正樹は思い出す。

「私は、お前があの男と戦っていたのを見ていた」

はっとして、正樹の目が見開かれた。

「だが、何を思って戦っていたのかなどとは、全く考えもしなかった。地上に降りて、すぐにお前の傷を治そうとした。あの男が戻ってきたら、また、戦えと…そう言おうとしていた」

一瞬で正樹の表情が歪み、凰藍は、それが答えだと悟る。が、そうしなければならないというように、更に言葉を続けた。

「その時に酷い顔をしていたといわれれば、今になって、何故と思える。あの女性が魔法ではない方法で目覚めさせたのは…何故私の魔法が効かなかったのかも、判った。―――お前は、全てを拒絶しようとしていた。心を固く閉ざして…」

長い沈黙が、二人の間に横たわった。
ただ鉄塔の上に吹き渡る風だけが、唯一、そこに存在する音だった。

どのくらい経ったろうか。口を開いたのは、正樹だった。

「僕は、本当は、戦いなんてしたくない」

目線を、遙か遠く、地平と夜空の境目まで伸ばして呟く。

「でも、魔法は好きだよ。もっと覚えたいと思ってる。自分の力を知りたい。あの時、チャールズの誘いに乗ったのも、だからなんだ」
「それは、私も知っている」
「うん。だからすぐ凰藍もOKしてくれたんだよね。多分、僕は…魔法を使いたかっただけなんだと思う。魔物を倒して街を救うっていう、すごく、子供じみてるヒーロー願望もどこかにあったのかな。でも、実際って、そんな簡単なことじゃないよね」

力が巨大すぎれば、どこかに軋轢を生む。それを嫌って抹殺しようとするチャールズのような者も現れる、そうした外部からの干渉も当然あるだろうが。問題は、自分の心。

「お前はすぐ泣くって、ガキだって、言ってさ。人のことさんざんバカにしてくれた超失礼な友達が最近出来たんだけど」

バカにするだけじゃなくて、ずいぶんとゲンコツも飛んできたけれども。

「僕が辛い、寂しいっていうと、そいつ―――イオンっていうんだけど。イオン、すごくやさしくしてくれた。大丈夫だって言ってくれたり、抱きしめてくれたり。落ち着くまでずっと側にいてくれたから、安心したんだ。僕に欠けているところを、冷たくなってる所を埋めてくれるみたいに」

常には飄々として女癖は悪いし素行もよろしくないが、他の誰よりも強かったのは、あのグレイの瞳だった。あの強さに頼って、つい愚痴をこぼしたのも、一度や二度ではない。だが、そのたびに、救われていたように思えた。

「今、イオンがいなくなって…凰藍もいなくなって一人で戦わなきゃならなくなって…色々あって、なんか、急に、どーっときちゃったのかな。あのまま…目覚めなくてもいいかなって、思った」
「私には、そんなそぶりは見せなかったのにな」

自嘲じみた呟きは、目を伏せた凰藍のものだった。

「お前に、そんな一面があることすら、今、ようやく知った。辛いときに辛いと言ってくれれば、私ももっと早く気づけたかもしれない。いや…私がお前の辛さを受け止められる存在ではなかったのかもしれないが」
「そんな意味で言ったんじゃないよ、だって、イオンは禁断魔法を継いだらもてる特別な友達ってやつだし」
「それでも、16年だ」

強い口調で、吐き捨てるように断じる。

「私では、相談相手にすらなれないのか」

ためていた気持ちが、ようやく、言葉になった。それを凰藍は感じた―――心に落ちていた鉛が溶けたことを。

「…と、ずっと、思っていた」

驚いて硬直したままの正樹を、優しい瞳が受け止める。

「お前が色んな思いを抱えていたことを、私は今初めて知った。同じように、お前も、今まで私の本心を知らなかった」

そうして、苦笑するように、闇夜にあって五色に輝く美しい羽根を、軽く、震わせた。

「私たちに足りなかったのは、素直な気持ちを伝えること、なのかもしれないな」


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