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私の冠状動脈パイパス手術体験記・その後 私たちは、成人病という言葉は、いつ何処でも聞きますが、自覚症状がありませんと、つい、なおざ りにしてしまいます。 【老人は、老人と 言うだけで、既に、病気なのだ】と、何かに書いてあったことも記憶しています。 悔やまれますが、私は、自らそれを実体験してしまいました。 偶然にも ( 後述します ) この病院で、日帰りカテーテル検査と、このバイパス術を受けていなかったら、83才にもなった今頃、このような記事を書くことなど、とても出来なかったと思います。 ところが、今度は、いよいよ、色々な自覚症状が出てき始めたのです。 いよいよ年貢の納め時かと思いましたが、なかなか、自分が死ぬと は考えられないのです。
OPCAB(オフポンプバイパス術 ) 実際の動画 が別の頁に掲載していますのでそちらも見て下さい。 つい四、五年前までは、人工心肺という機械で心臓の拍動を止めて手術をしていたそうですが、 今では、この病院は勿論ですが、かなりの 病院でも、OPCABで行われるとのことです。その頃、私の掛かっていた、ある 公立の総合病院は、カテーテル検査が2泊3日掛かると言われました。 (注) 名古屋徳州会総合病院 心臓血管外科撮影の、 手術時の写真をお借りして、それを基に、FLASH MXというScriptを用い模擬的にしたものです。 第二には、あるインターネットサイトで、末期の胃ガン患者の、最後までの闘病記を読んで感銘を受けたことです。 彼が、何のためにそれを書いたのか分かりませんが、私と同じ心境ではなかったかと思います。 それでは、本題に戻って、術後、どんな自覚症状が現れて、自分はどうしたかを書いていきます。 先ほど紹介しましたように、私は、自分でも目を剥くほどの、もの凄い年になっているのです。 もう、じたばたするのは見苦しいとは思いましたが、本能的に、再び、この病院に転げ込みました。 もう一度、助けて貰らいたかったのです。 それは無意識のうち、先に言いました末期胃ガン患者の心境を思い浮かべていたかも知れませんが、 本当は、単なる死への抵抗と言うより恐怖だったかも知れません。 それでは、私がこの手記を書き始めた動機となった先の末期胃癌患者の絶筆の概要を 先に書きましよう。実のところ、その時点で、彼は、既に死んでいたのです。死んだ者がなぜ書けた のか? と、読者の方は思われるかもしれません。此は、彼の奥さんの、夫への追慕なのか、それとも読者 のために役立てよと言う、彼の意志だったのか分かりません。ただ、文末に彼の奥様が、しばらくの 間、主人の手記を残しておきます、とだけ記されていました。 私は、その記事にリンクしようとブックマークしておいた標題を クリックしましたが、残念ながら、僅か一ヶ月足らずの間に、無くなっていました。 では、その記憶を辿りながら、概略を書いてみます。 彼は、ごく普通のサラリーマンでした。年は定かでありませんが、多分、四、五十才ぐらいだったと思われました。 毎年、会社で健康診断を受けていて、その中に胃バリューム検査もあったそうです。その年、疑いのある陰影 を指摘され、胃カメラ検査を受けるよう指示されたとのことでした。ところが、何の自覚症状もなかったし、 会社の仕事に忙殺され、その検査を忘れてしまったとのことでした。
そのうち、何となく胃が重かったり、食欲が無くなり、また、好きだった肉類がまるで嫌になったりしたので
すが、胃腸でも壊したのだろうと思い、薬局で胃腸薬を買って飲んだのですが、なかなか改善しないので、
病院を訪ね、診て貰ったそうです。
私は、此を読み、人間の生への執念と言ったようなものを感じましたが、同時に、イギリスの精神科医
、E・キュウプラー・ロス博士の著書【死ぬ瞬間】という著作に書かれている
「人間の無意識は自分の死を認めない」と言う記述を思い出しました。
最初のところで、もの凄い年の老人が慌ててこの病院に駆け込んだことを、自嘲めいたように書いたか
も知れませんが、
そうではありません。前述の胃ガン患者の闘病記のように、最後の最後まで、
自分の出来る得ることをやり続けるということは、人間として、至極、当たり前だと思うのです。
と、言ったところで、精神的に、何か大きな悩みを抱えている場合は、私も分かりません。
それでは、心臓の話に戻します。 INDEX |