i
更に二年後 腹部大動脈瘤手術
発端
2009年4月、私たち、旧制中学時代の同窓会が急遽私が幹事を引き受けることによって執り行うことになった。と言うのは前任幹事(Ha君)が膵臓癌で愛知県がんセンターに入院したことによるものであった。
ここで話はちょっと逸れるが、Ha君はこの地元ではなかなかの名士で、オヤジがK市の市長までやつた家柄でもある。だが、彼の代々掛かり付けの老ホームドクターが何を間違えたのか、それとも特別な事情でもあったのか正確な情報を得ていないが、糖尿病持ちの彼が短期間の間に、少なくとも一年以内に、糖化ヘモグロビンHbA1cが7から9まで急速に増えていったにも拘わらず単にインシュリンの調整ですましていたと言う事実を彼から直接聞いて識っていた。
そのここと彼の膵臓癌との因果関係は素人のボクには分からないが、膵臓癌は末期であり最早手遅れであると言うことを彼から直接電話で聞いた。がんセンターがどのように告知したかは分からないが、彼からの電話は次のようなものであった。
「田尻君、いよいよ今年の同窓会だが、ボクは幹事を続けるわけには行かなくなった。」
ここで言葉が少しとぎれ、
「実は、オレ、末期の膵臓癌に罹っていることが分かった。もう助からないことは充分承知だからある程度覚悟は決めている」
このとき、彼の声は多少震えているかに聞こえだ。
「Ho君も同じ膵臓癌だったが、奥さんの話を聞くと眠るように逝ったと聞いている。おれもそうありたいが………」
Ho君というのは同じクラスメイトでもあり同窓会のレギュラーでもあった。彼だけはクラスの中でも突出していて、中日新聞の副社長から中日球団(中日ドラゴンズ)の社長、その他、大島コンツェルン各社の重要ポストを経て、膵臓癌で亡くなる直前までは超高齢にも拘わらず中日ビルの社長を勤めていた。だからクラス会はずつと長い間、この建物の中の中日パレスで行われていた。
Ho君はかねがねボクとの個人的な会話の中でずっと以前からオレは「胃ガンで死ぬ」と密かに漏らしていたことがある。と言うのはボクの妻が胃ガンだったので病気についての知識を共有していたからだ。だからHa君の言ったHo君の膵臓癌は転移した胃ガンのことであった。彼は今年の二月に亡くなっている。
Ha君から引き付いた同窓会名簿は、ほんの二十数人のものであったから、しきたり道りの出欠を問う往復葉書を書くというのは味気ないので、ボクは一人一人に電話をし、最近の事情やら生活風景など聞くことにした。
昭和十八年当時、卒業生は二百名余りいたのだが、若くして亡くなった者や、音信不通のものが年々増えて現在では卒業総数の一割、約二十名そこそこまでになっていたのである。この二十名は殆ど出席する。少なくともこの二、三年は間違いない顔ぶれであった。
ところがである。各人に連絡してみると、昨年まで何とか顔を出していたレギュラーの凡そ半数が亡くなってしまったか、何らかの病気療養中という結果となった。中には今回ボクがこの病院で治して貰った腹部の動脈の乖離とか肺ガンなど様々である。
自分はどんな病気で死ぬのか?
僅か一年の間に同級生が十名近くが亡くなったか、再起不能状態にあるという現実はなかなか信じ難い。だが、現実であると言う認識は、不思議なことに、他人の死は客観であるが、自分自身の死は思惟の対象になり得ないと言う深層心理には気付かない。
自分を支配している潜在意識が自分の死だけは認めない。だが、病老苦正に眼前にあり、と思うと同時に、反射的に思い浮かべるのは、老いも病も苦も死もまるで存在しないかのごとくに、綺麗に日常から追い払われている我が国の現実がある。
近い内には何かで死ぬだろうという意識と同時に、目の前のエコポイントで買い直した大型テレビがバカタレントを総動員して我々を眩ましてしまう。
「明日は、そのレストランに車で乗り付け、思い切りあの分厚いステーキーを食べてこよう。そのときには、きっと何か良いことがあるに違いない」
恥ずかしながら八十四歳と言う老醜の心が躍るのだ。そして、たったこれだけのことで、死の陰は薄ぼんやり影を潜め、あのHa君やHo君達の死のへの思いは跡形もない。これはどういうことか!何と言うことか!何と恥ずべきことか!!
だが、薄型の中のバカギャルが、再び大声を張り上げた。
「甘い〜!ジューシ〜!」
次々に出てくる料理を目の前に恥も外聞もない。されど老醜は己を顧みることなく画面にのめり込む。"欲望と死"が何のためらいもなく、仲良く同居し矛盾を感じることがない。何の生への哲学もなく痴呆症と化したこの時代を有り難いと言うべきか。だが、
かっての若い頃の老醜は死と隣り合わせの生活であった。兵舎の病棟では毎日必ず一人は赤痢で息途絶えていた。殆ど無栄養状態の若者の肉体は死の苦しみの声を上げることすら出来ず、ただ「おっかさん〜」と弱々しく口走り息途絶えた。欲望は既に枯れ果て死を待つだけの日々を過ごしていた。
又、この老醜が幼い頃、家の婆様が往生するときは、縮こまってしまった小さな身体を布団の上で横たえ「息が苦しい」と呻く中、医者と看護婦はそっちのけで、家中の者が取り囲み、かわるがわる背を撫でたりさそったりしていたが、いよいよ顎式呼吸を始めると、オヤジが「間もなく逝くぞ!」と叫び、皆が緊張する中、遂に息途絶えると、皆が大声を張り上げ「よう頑張った。この小さな身体でよう頑張った!」大声を張り上げ泣きわめいた。
つまりその頃の死は日常であった。だが現代は、死は不潔と化し、存在し得ないものと思わせる風潮がちまたに溢れかえっているのだ。つまり、死を直視することはタブーとなりそれから逃れることに国も国民も懸命なのである。
だが、この老醜の死は眼前に迫っている。最早薄型の中のバカギャルと付き合っている暇はないのだ。真剣に死を考えねばならない。そこで、生の哲学はさておき、一体、具体的な死の原因は何かと考えざるを得なくなった。
統計によれば先ず癌だろう。次に動脈硬化による心臓と脳の機能不全。それに、肺炎などの感染症。
現に、この老醜は膀胱癌に罹り既に五年経過しているがドクターは膀胱癌はそれで無罪放免になるわけにはイカンと言う。心臓も冠状動脈を取り替えてもらったが、これは今のところ何とか持っているが、今度は腹部大動脈に瘤が出来ていることが分かった。
次々襲いかかる死への病。恐怖に怯える毎日のことであった。
老醜はすることもなく、このくそ暑い日々から逃れるため、クーラー付けっ放しの自室の板の間に上向きになって、頭の中は空き缶のように空洞のまま寝ころんでいたら、此が運の尽きかそれとも運の付きか、手が自ずと腹の上をなぞり始めたのだ。いわゆる無意識の行為であった。
すると、どうだ!臍の左側で妙に明確な脈拍を感じたのだ。おなかの一番外側は腹膜に覆われていてその中には小腸、胃袋などがぎっしり詰まっているはずだ。ここに大きな拍動を感じるとは何事か?
いくらこの老醜と雖も疑問を持たざるを得ない。そのとき、直感的に思い起こしたのは、かっての職場の同僚が手術も出来ないほどでかくなった腹部動脈瘤を抱えて、力なくOBの会合に顔を出したことを思い出した。その直後、彼は逝った。
何たることか!このオレも彼と同じ運命を辿るのか!
われながらミットモナイことであった。この慌てようは様にならなかった。当日、土曜日であったが、八年ほど前、老醜が冠状動脈バイパス手術を受けた名古屋徳洲会総合病院の心臓血管外科は診療体制を取っていた。
取りも直さず車に乗って病院に駆けつけた。そのときの担当医南木先生であった。彼は直ぐ腹部CT等の諸検査を命じた。その結果腹部動脈は直管部分で直径凡そ4.5もふくれあがっていることが分かった。(通常は2p以下)
彼はこの結果を見て、私に一時診察室外に出なさいと命じた。なんだこりゃあ、と思ったが、考えてみると上司に私に下す指示の確認を取っていたに違いない。そして再び私を呼んだ。
「こりゃあ腹切るより仕方ないな」
手 術
術前、彼が私に見せてくれた人工血管は弱々しい網の目に組んだ、直径凡そ3pぐらいの直管(ポリエステル繊維?)だった。長さは凡そ10pぐらい。これを腹部を最小限(殆ど人工血管の長さぐらい)の長さに切開し、更に、腹部大動脈を切開して中に詰まったアテローム(粥腫)を削り取り埋め込むのだそうだ。
我々素人が考えても難しい手術ではないかと思う。小腸がどくろを巻いている間をかき分けほぼ同じ長さに
置き換えるべき大動脈を、瘤を含めて必要な範囲だけ露出させるのだが、広く切れば仕事はしやすい、しかし、患者の負担は大きい。最小限に切ってポリエステルを入れるのだ。ちなみに、老醜がこの病院での入院期間は7日間であった。
以下撮って貰った写真を参考にして欲しい。
★ この病院(名古屋徳洲会総合病院)での事前による腹部大動脈瘤手術の死亡率は0.78%である。
自分はこの後どうすればいいのか?
何〜あに、朝起きては飯を食い、夜になれば大型テレビでバカタレントの出る番組を見て大笑いをし、そして寝る。それで良いじゃないか。小難しい人生哲学など何になる。…………と言うが、その一方で?
この役立たずの、老醜の命をドクターという特別な教育を受けた他人に国家が大金を支払い、助けたと言う事実をどのようにとらえるのか。つまり、この疑問にどう応えればいいのか???
ところで話は全く変わるが、人間の本質は何か?と問われれば誰でも直ぐ欲望と答えるだろう。此は言うまでもなく種の保存という本能から来るものだ。つまり、心理学(多分野からのアプローチがあるので簡単なものではない)で言う精神構造の中で最も低いエスと言うこ自分のことだ。
ある初歩的な心理学の本の一部に次のようなことが書かれている。
……フロイトは人間の精神構造を超自我、自我、エスの三つに分類した。超自我とは、倫理的、道徳的なもの、つまり人間の理性のことで、自我とは論理的で合理的・現実的なもの。エスとは食欲、セックスなどの本能的で衝動的なものである。
エリックバーンは、超自我をP、自我をA、エスをCと言う記号で表している。
そして、我々の心は、
@親のような自我状態(P)
A大人の自我状態(A)
B幼児のような自我状態(C)
Pは両親など、幼児期に自分を育ててくれた人によって作られた自我であり、自己批判、権威的態度、理想の追求と言った心的態度となって顕れる。
Aは成長するに従って経験的に習得し、作り上げた自我であり、現実のデーターを直視し、それを集めて分析して、現実の状態に対応した意志決定をする。冷静で、かつ理性的な態度として顕れる。
Cは本能に代表される生まれながらの部分や、幼児期の体験や反応の様式が含まれている。つまり、子供の頃に見たり聞いたりしたことが記憶されて、それが大人になっても、ときどき瞬間的に蘇り感情を支配することが少なくない。無邪気さ、わがまま、あるいは本能的態度となって顕れる。………
するとお〜
おれは最初に幼児にも似た心的状態だったのか!!ああ何と言うことだったのか。この老醜は幼児と同じ心だったのか。
ところが幼児と雖も発想の転換があるしAの心になることだってある。PACがバランスよく働いていることだつて有るのだ。またCが思いがけないこともする。例えば、
幼児は絵本や物語から大人とはまったく違うストーリーを想像することがある。
つまり老醜は、発想の転換をしたのだ。つまり、このとき老醜はAの心になったのだ。
思えば、二十歳のとき兵役にかり出された。そして、「お前達は天皇陛下のために死ね」と言われたし、先輩達は特攻隊として若い命を無理矢理捨てさせられた。また、それ以前の江戸時代では、お家のために腹を切るとかなど日常茶飯事であった。
だが、現代では、全く役立たずの老醜を国が金を払い、ドクターに治療させてくれる。
此は天と地の差ではないか。なぜか?人の命の重みなど、時代時代の政治情勢などに左右され、どうにでもなってしまう。 また、全世界的に見ても人の命の重みなど、政治経済、貧富、文化、教育等の格差より甚だしい違いが顕著である。実に非論理的ではないか。
ただ、唯一科学的なのは、「人は遺伝子の乗り物」と言った、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子論」てある。
遺伝子は個の生存よりも、種の繁栄を優先させるように、メッセージが組み込まれていると言う。母親が危機にあったとき、身を挺して子供の命を救うのは、利他主義ではなく、個の命を犠牲にしても種の繁栄を優先させようとのことだという論旨である。だが、この考えは「自然界に福祉主義・人道主義はない」と言う考えになってしまう怖れもある。
だから、話は小難しくなり、老醜の心は再びAからCへと急転換し、もう余計なことは考えず、ひたすら、大型スクリーンの中のバカギャル達が脂の載ったステーキーをほおばる映像に涎を垂らし、見惚れていて何が悪いと言うことになってしまったのだ。
i
|