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……つまり人間にとって有害な虫をひとくくりにして総称する「害虫」というカテゴリーは、日本においては近代の産物なのである。 「害虫」というカテゴリーが確立した明治後期は、近代日本が農学研究体制を整備し、「応用昆虫学」という分野が成立した時期にあたる。本書では、日本における「応用昆虫学」の展開を追い、「日本人と害虫の関係」がどのように組みかえられていったのか見ていきたい。そこでは〈害虫〉という小さな生き物が、近代国家の形成(第二章)、植民地統治や近代都市の形成(第三章)、さらには戦争(第四章)といった、日本が直面した重大な局面と深い関係を持ってきたことが明らかにされるだろう。〈害虫〉の歴史は、小さな虫の些末な物語などではない。近代史の重要な一齣として、取り上げるに値するテーマなのである。(「プロローグ」より) |
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本書は2007年に京都大学大学院文学研究科に提出した博士論文「〈害虫〉の環境史――日本における応用昆虫学の成立と展開」を大幅に改稿したものです。出典や資料の所在などを確認されたい方は、博士論文の方を参照してください。構成はほぼ同じですが、序章(プロローグ)と結論(エピローグ)はほぼ完全に書き換え、2章、3章の一部を削除修整し、4章は大幅に修整しています。 |
| ページ | 誤 | 正 | 情報提供者 |
| 44 | 一八〇六年、ドイツの医師アルプレヒト・テーアは、ベルリン大学教授を辞して私立の農学校メークリン農業アカデミーを設立した。テーアがそれまでベルリン大学で教えていたのは、ドイツにおける行政の学問、「官房学」である。 |
一八〇六年、ドイツの医師アルブレヒト・テーアは | 田中浩朗さん |
| 88 | 帝国大学教授の佐々木忠次郎 | 東京帝国大学教授の佐々木忠次郎 | 住田朋久さん |
| 122 | かつて来日した外国人が日本の虫の多さに不満をもらしたように、今度は日本によってアジアへと向けられるようになったのである。 | かつて日本の虫の多さに不満をもらした外国人と同様のまなざしが、今度は日本によってアジアへと向けられるようになったのである。 | |
| 144 | 帝国大学の佐々木忠次郎 | 東京帝国大学の佐々木忠次郎 | 住田朋久さん |
| 153 | 日本の毒ガス研究は一九二一(大正一〇)年に新たに設立された陸軍科学研究所でおこなわれるようになる。 |
日本の毒ガス研究は [ 陸軍科学研究所の設立年は1919年で、1921年は毒ガス研究の開始年です。] | 田中浩朗さん |
| 153 | 陸軍技術本部第六研究所 | 陸軍技術本部第六技術研究所 | 田中浩朗さん |
| 153 | 第六陸軍技術本部 | 第六陸軍技術研究所 | 田中浩朗さん |