生物学史研究 No.65 (2000) 1-13

生態系生態学から保全生物学へ


−生態学と環境問題,1960-1990−

瀬戸口明久

京都大学大学院文学研究科

From Ecosystem Ecology to Conservation Biology:
Ecology and Environmental Problems, 1960-1990

SETOGUCHI Akihisa

はじめに


 この特集号のテーマは自然保護,野生生物保護をめぐる自然観・社会的体制・政治性である。本稿はそのうち,自然保護と生態学の自然観との関係を中心に議論したい。また生態学が自然保護を通じて成長していく過程についても言及する。
 1960年代末,農薬汚染・放射性降下物・人口問題などのさまざまな環境問題が噴出した。「環境革命」と呼ばれる(1)この時期に注目を浴びるようになった科学が生態学である。生態学は20世紀初頭に制度化され,生物と環境との関係をあつかってきた。また自然保護運動としてのエコロジーの語源が学問分野としての生態学(ecology)にあることはよく知られている。しかしかつての生態学は環境問題にさほど積極的に取り組んではなかった。生態学と環境問題との間の密接な関係が始まったのは,環境革命が起こった1960年代と言ってよい。この時期に生態学者たちは環境問題に対して積極的に発言し始め,エコロジー運動の昂揚は生態学を零細な科学からビッグサイエンスへと変えた。
 環境問題に対する生態学者たちの語りは,一見すると普遍的な環境倫理のようにみえる。たとえば著名な生態学者であるEdward O. Wilsonは,人間が多くの生物を守ろうとするのには本能的な基盤があるとするバイオフィリア仮説を提唱している(2)。彼によれば人間が生物の多様性を守ろうとするのは,進化の過程で獲得された本能なのである。このような社会生物学の環境倫理学的な応用には批判も多いが,この仮説は広範囲の生物学者たちに受け入れられている(3)。
 しかし自然保護の起源は,人間の生得的な本能だけからは説明することはできない。自然保護はむしろ歴史的な文脈の中から生まれてくる。本稿の主題は,生態学者たちの語る保護戦略が彼らの自然観に強く依存していることを示すことである。さらに一定の社会的条件がそろうことによって初めて環境問題は社会問題となり,生態学の保護戦略が受け入れられる。その結果,環境問題を解決することを期待された生態学に大規模な資金が投入されることになるのである。このような環境問題と生態学との相互作用にも注意を払いつつ,生態学の自然観と保護戦略との関係を分析する(4)。
 以下,次のように議論を進める。まず第1章では,1960年代から70年代前半にかけての生態学の主流であった生態系生態学の自然観と保護戦略について分析する。第2章では80年代から問題となっている生物多様性の危機から生まれた保全生物学の保護戦略を明らかにし,それが生態系生態学の保護戦略と異なっていることを示す。続く第3章では生態系生態学と保全生物学の保護戦略の違いが,両者の自然観の違いから来ていることを明らかにする。ただし本稿の記述はそのほとんどをアメリカに限っている。生態系生態学も保全生物学もアメリカに制度的な起源を持ち,そこで最もよく発達したからである(5)。

1. 生態系生態学−機械仕掛けの生態系−

 「植物にたとえて言うならば,生態学はがっしりとした幹と根によって支えられた一本の大木であるというよりも,いくつもの茎と多くの交差した根系を持つ灌木に相当している。」(6)生態学者R. P. McIntoshがこう言うように,生態学は動物生態学,植物生態学,個体群生態学,群集生態学などの多くの下位分野からなる複合的な学問である。1960年代の環境問題の顕在化によって,これらの生態学のすべての分野が同等に注目を浴びたと言うわけではなかった。当時,生態学の中でもとりわけ注目の対象となったのが生態系生態学である。「生態系」とは,ある一定の地域に住む生物すべてとその周りの物質的な環境――一つのシステムとしての――を指して用いられる言葉である。この言葉はエコロジー運動家のBarry Commonerらが盛んに用いたことによって,エコロジーの重要なキーワードの一つとなった(7)。以下ではまず生態系生態学の保護戦略と自然観の関係について見てみよう。

1. 1.生態系生態学の保護戦略と自然観

 環境革命の時代,多くの生態系生態学者たちが環境問題に対し積極的に発言している。ここでは最も著名な生態系生態学者の一人であるE. P. Odumの主張を取り上げる。Odumはジョージア大学の生態学者で,彼が1953年に著した教科書『生態学の基礎』は世界中で広く読まれ,アメリカでは70年代に至るまで生態学の教科書と言えばOdumの教科書を指すほどであった(8)。
 Odumは1971年に出版された『生態学の基礎』の第3版で,人口増加や汚染が抑制不可能となった結果,自然が本来持つ恒常機能が追いつかなくなっていることが環境の危機を招いているとしている。そして環境汚染を予防するためには,「人間が地球の資源を完全に略奪し,そして自らを滅ぼしてしまうことを防ぐ良いフィードバックを」作りだすことが必要であると主張した(9)。また1971年にオレゴン州立大学で開かれたコロキウム「生態系の構造と機能」において,「現在の成長状態にある生態系を安定状態にある生態系」へと移行させる試みが進行中であると述べている。そして「自然がどのように同じこと[安定状態への移行]を実現しているかを調べること」によって多くのことを学ぶことができるはずだと主張した(10)。
 これらの言説から読みとれることは,安定状態にある生態系のバランスを保つことこそが生態系生態学の保護戦略であるということである。生態系は汚染などの攪乱要因によって一時的に安定性が崩れることがあっても,再び安定状態へと戻るフィードバック機構を持っている。しかし一定の閾値以上の攪乱が起こると生態系は暴走し崩壊する。システムとしての生態系の構造と機能を明らかにし,暴走しつつある生態系を安定状態へと戻すことが生態系生態学の保護戦略だったのである。
 このような保護戦略は生態系生態学の自然観と密接にリンクしている。1940年代頃の生態学者たちは,しばしば群集や生態系を一つの「有機体」として見ていた。たとえばシカゴ大学の動物生態学者Alfred Emersonは,個体間の協力行動をホメオスタシスという生理学的な概念を用いて説明した。Emersonによれば協力行動は集団全体の目的のための手段であり,進化は集団全体のホメオスタシスを高める方向へと進んでゆくのである(11)。またネブラスカ大学の植物生態学者Frederic Clementも植物群落を一つの有機体と見なし,群落の発展を生物個体の成長とのアナロジーから理解しようとした。多少の攪乱要因があっても群落は段階的に変化していき,最終的には極相と呼ばれる安定状態に達する(12)。生態系生態学の方法論的な先駆者となったRaymond Lindemanの研究もこのような自然観に基づいたものだった。
 1942年に出版されたLindemanの論文「生態学の栄養動態的側面」の先駆性は,その論文の出版を助けた生態学者G. E. Hutchinsonが述べているように「関係するすべての生物的な現象をエネルギーへと還元した」点にある(13)。Lindemanは生態系内の栄養段階を流れるエネルギーを量的に扱うことによって,生態系の構造と発展パターンを明らかにしようとした。またHutchinsonは生態系研究に地球化学的方法を取り入れ,生態系内の物質循環の研究を始めたことで知られている。エネルギー流と物質循環はその後の生態系研究の最も一般的な研究課題となっていった。生態系生態学者たちは生態系を一つの有機体として扱い,生物個体の生理学と同じように,生態系の代謝のメカニズムを明らかにしようとしたのである。
 しかしこのような有機体論的なアナロジーは,1960年代以降徐々に見られなくなる。熱力学や情報理論が生態系研究に応用されるようになると,目的論的な「有機体」として自然をとらえるよりも,サイバネティックス的なフィードバック機構を備えた「機械」であるとみるシステム論的な思考が支配的になっていったのである。さらに1960年代初頭には,コンピュータモデルを用いて生態系のふるまいをシミュレーションするシステム分析の手法が工学から移入された。かくして生態系は一種の平衡状態にある機械であるかのようにふるまうことが期待される。そこでは歴史的な偶然性は無視され,生態系がたどってきた進化の過程も顧みられることは少なくなっていった。その結果,安定状態にある生態系のバランスを保つこと,生態系という一つの「機械」が暴走するのを防ぐことが,生態系生態学の目標となったのである。
 生態系生態学者たちは自らを生態系という「機械」のエンジニアとして位置づけた。生態系生態学における有機体論からシステム論への移行の歴史をあとづけた科学史家Peter J. Taylorは,生態系生態学者たちが自然という大きな機械の管理者となろうとするテクノクラティック・オプティミズムを有していたと指摘している(14)。生態系生態学はこのオプティミズムを持って当時の環境問題に立ち向かっていった。またそのオプティミズムは当時の政治家たちや市民にも共有されていた。そのため生態系生態学は環境問題の解決を託され,制度的,資金的な発展を促されることになったのである。次節では生態系生態学の制度的な発展を見てみよう。

1. 2.環境問題と生態系生態学

 アメリカにおける生態系生態学の発展の契機となった環境問題には二つある。一つは1950年代に顕在化した放射性降下物問題であり,もう一つは1960年代末の化学物質による汚染の問題である。
 1954年3月,アメリカはマーシャル諸島のビキニ島で水爆実験を実行した。その時危険区域外で操業していた日本のマグロ延縄船第五福竜丸上にいわゆる「死の灰」と呼ばれた放射性物質が降下し,乗組員が被爆した。この事件は世界的な関心を呼び,それまで放射性降下物問題を看過してきたアメリカ原子力委員会は,放射性降下物の人の健康への影響を深刻な問題としてとらえざるを得なくなった。放射性降下物問題を考える際,放射性物質が食物連鎖のなかでどのようにふるまるかを知る必要がある。食物連鎖における物質の循環は生態系生態学があつかう問題である。1955年にアメリカ原子力委員会は植物生態学者のJohn Wolfeを迎えた。3年後にWolfeは委員会内に環境科学部門を設置し,以後原子力委員会から生態系生態学への資金提供は急激に増加した。そして意外なことに,アメリカ原子力委員会は1974年の省庁改編によるその廃止まで,アメリカにおける生態学の最も重要な資金源だったのである。科学史家Joel B. Hagenはこの事態を「原子力と生態学の共生」とまで言っている(15)。
 1960年代末になると,化学物質による生態系の汚染問題が社会問題となり,生態系生態学は再び大きく成長することになる。汚染問題が生態学にとって初めてのビッグプロジェクトである国際生物学事業計画(IBP,International Biological Program)を生んだのである。IBPは1957-58年の国際地球観測年の成功に刺激されて提唱されたもので,「生産性と人類の福祉のための生物学的基盤」をテーマに世界各地で実行された。アメリカにおけるIBPは,1968年から74年まで行われた。当初の計画では,遺伝学,生理学,進化生態学の研究も含まれていた。しかし当時の汚染問題が後押しとなることによって,IBPのほとんどを生態系生態学が占めることになったのである。その結果,生態系生態学への資金の流れは再び激増することになる。基礎研究に資金提供を行う政府機関である全米科学財団はIBPの発足時に,新しく「生態系研究」という独立プログラムを設置した。IBPに提供された資金の7割は生態系研究に流れ込み,その総額は2700万ドルにまで達した。それまで生態系生態学は決して大規模な科学ではなく,注目されることもあまりなかったが,IBPによって一躍衆目を集めたのである。
 IBPは1974年に終わったが,その評価はさまざまである。というのもあまりにも包括的なコンピュータモデルの構築を目指したため,計画の一部は途中で困難に直面し,規模を縮小せざるを得なくなったのである。生態学者のR. P. McIntoshは後にIBPを次のように評している。

  1967年になり,大規模な環境問題のためには天然および人工の生態系の機能をよりよく理解しなければならないという認識が急速に広まった。その結果,生態学的な分野では十分な対応が出来ないまま応急的なプログラムが生まれた。・・・生態系の種類や機能についての知識は不足しており,生態系のふるまいの予測も不可能であった。それは環境問題が政治問題となり始めていた時期に,行政や立法機関に従事していた人々が持っていた大きな期待と対照的であった。(16)

IBPがこのような結果に終わったことが,生態系生態学のテクノクラティック・オプティミズムに陰を落としたことは間違いないだろう。かくして多くの生態系生態学者たちは「実験室へと戻って」(17)しまった。IBPの終わった1974年ごろから新たな環境問題が出現した。野生生物の大量絶滅である。

2. 保全生物学−生物多様性と生態系−

2. 1.生物多様性問題と保全生物学の出現

 1970年代半ば,熱帯雨林の破壊によって多くの野生生物が絶滅の危機に瀕していることが,一部の生物学者たちによって問題とされるようになった。この問題はNorman Myersの『沈みゆく箱船』(1979)やPaul EhrlichとAnne Ehrlichの『絶滅』(1981)などの啓蒙書によって一般にも知られるようになった(18)。しかし大量絶滅の問題が「生物多様性の危機」として社会問題となったのは1980年代後半のことである。この時期,生物多様性問題は地球温暖化やオゾン・ホールなどのいわゆる地球環境問題の一つとして国際政治の問題にまで発展した。
 生物多様性を守るために生まれたのが保全生物学という新しい分野である。保全生物学が初めて登場したのは,1978年にサンディエゴで開かれた第1回保全生物学会議においてであった。しかし当時は誰も保全生物学が確固とした分野となるとは思ってはいなかったであろう。実際,第2回保全生物学会議が開かれたのはそれから7年後の1985年のことだった。その年に設立された保全生物学会の会員は3年後には2000人近くまで膨れ上がった。また同年にはカリフォルニア大学バークレー校で初めて保全生物学のコースが設けられ,その後多くの大学で保全生物学の教育と研究が行われるようになった(19)。このように保全生物学は,1980年代後半になって初めて一つの分野として制度化したのである。
 生物多様性問題によって保全生物学が制度化されてゆく過程については既に前稿(20)で論じたので,ここではこれ以上詳しくは述べない。次節では保全生物学の保護戦略とはどのようなものなのか,また生態系生態学の保護戦略である生態系の安定性とはどのように関わってくるのかを論じよう。

2. 2.保全生物学の保護戦略と生態系

 まず保全生物学が守ろうとしている生物多様性とは明確にはどのようなものなのか確認しておこう。実は生物多様性にはさまざまな定義があり,何を指しているのかは一義的には決定されない。だが最も一般的な定義では,生物多様性には種の多様性,遺伝的多様性,生態系の多様性の三つのレベルがあるとされる(21)。
 種の多様性とは一つ一つの種を絶滅から守ることによって多様性を維持することを指している。アメリカでは既に1973年に「危機に瀕する種に関する法律」が成立していることからもわかるように,種の保全自体は何ら新しい概念ではない。しかしそれまでの野生生物保護の対象とされてきたのは,ジャイアントパンダやハクトウワシのような特定の種であった。大抵は高等脊椎動物であるそのような種をNorman Myersは「カリスマ種」と呼んだ(22)。それに対して生物多様性保全においては,微生物から脊椎動物に至るまですべての種が保護の対象とされる。
 遺伝的多様性も,従来の自然保護では顧みられることのなかった視点である。集団の遺伝的な多様性が減少すると,近交弱勢という集団遺伝学的な効果によってその集団が絶滅する確率が高くなる。つまり遺伝的な多様性を守ることは,直接的に種の多様性を守ることにつながるのである。また遺伝的多様性の保全は遺伝子資源の保存という意味も持っている。80年代以降,遺伝子組換え産業の勃興により,遺伝子資源の重要性は高まる一方である。遺伝的な多様性が減少することは,有用な医薬品や遺伝子組換え作物の原材料となる潜在的な可能性を持つ遺伝子を消滅させてしまうことになるのである。
 最後に生態系の多様性とは,生物の生息域である生態系全体を守ることによって種を絶滅から守ることを指している。しかし初期の保全生物学において問題となったのは,主として種の多様性と遺伝的な多様性であり,生態系の多様性が問題となることはまれだった(23)。保全生物学者の中には「生態系の多様性」という概念自体が不必要であると主張する者さえいたのである(24)。
 これまで見てきたような生物多様性保全と生態系の安定性とはどのような関係にあるのだろうか。生物の多様性を守ることは,そのまま生態系の安定性を保つことだと長い間信じられてきた。たとえばE. P. Odumは,生物の多様性が高いときには生態系全体も安定な状態にあると考えた。Odumは生態系の発展パターンについて論じた論文の中で次のように論じている。生態系の成長が進めば進むほど生物の多様性は増し,生態系の安定性は高まる。そして遷移の終着点である極相に達したときに生物の多様性は最大となり,フィードバック機構によって安定性を維持する(25)。このような考え方はOdumに特有のものではないし,また生態系生態学者たちに特有なものでもなかった。イギリスの個体群生態学者Charles Eltonは多くの経験的な事実から,生物の多様性が減少すると生態系の安定性は崩れると考え,生物の多様性を維持することが自然保護の目標であると主張した(26)。このような考え方は多様性−安定性仮説と呼ばれ,生態学者にとって長い間自明のこととして受け入れられてきたのである。
 しかし1970年代の数理生態学の研究はこの仮説を突き崩す方向へと進んだ。1971年,数理生態学者のRobert Mayは,数理モデルによれば生態系の複雑性が高ければ高いほど安定性が低くなるという結論が導かれることを示した(27)。その後,種の多様性は生態系の安定性に寄与しないとする仮説と多様性−安定性仮説との間の論争に決定的な結論は出ていないのである。
 生物多様性と生態系の安定性との関係については現在も議論され続けている。しかし保全生物学者たちは生物多様性が生態系の安定性につながらないとしても,生物多様性の保全は重要であると考えている(28)。保全生物学,とりわけ初期の保全生物学にとって生態系の安定性は必ずしも第一義的な意味を持つものではなかった。保全生物学者たちにとって問題であったのは何よりも一つ一つの「種」を絶滅から守ることであったのだ。次章ではこれまで見てきたような生態系生態学と保全生物学の保護戦略の相違が両者の自然観の相違に由来していることを示そう。

3. 生態系生態学と保全生物学

3. 1.保全生物学の自然観

 保全生物学とはいったいどのような科学なのだろうか。しばしば保全生物学は総合的で学際的な自然保護科学であるとされる。たとえば保全生物学の確立に大きく貢献した集団遺伝学者Michael E. Souleは,保全生物学を生態学・集団遺伝学・野生生物管理学・環境哲学・社会科学などからなる複合的な学問として特徴づけている(29)。しかし草創期の保全生物学は決して総合的な学問とは言えなかった。実際の保全生物学の学問的な内容は,島の生物地理学という群集生態学の理論や集団遺伝学の理論を自然保護へ応用したものに著しく偏っていた。というのも,集団遺伝学者や群集生態学者などの基礎的な生物学者たちが自然保護の領域へ進出したことが保全生物学の出発点となっているからである。保全生物学の理論的な基盤となったのは,一つは集団遺伝学であった。そしてもう一つは,Souleが別の場所で言っているように,1960年代から70年代にかけて発達した群集生態学の理論である(30)。
 かつての群集生態学は,群集の生物種の構成を記述し分類する記載的な学問であった。しかし1960年代から70年代初頭にかけて,群集生態学はそれまでの記載的な科学から,理論とそれを検証する実験からなる精密科学へと生まれ変わった。数理生態学者のRobert MacArthurらによって作られた理論的なモデルが群集生態学に変革をもたらしたのである。それらの理論の多くは進化の観点から群集の構造を説明することを試みたものだった。そのため群集生態学は,同じく進化論的な視点を持つ個体群生態学とともに,進化生態学の一部に含まれるようになったのである(31)。そしてこれらの分野は60年代を通じ,同じく進化を扱う理論的な科学である集団遺伝学と学問的に緊密になっていった(32)。
 これら二つの分野,進化生態学と集団遺伝学を自然保護に応用することによって生まれたのが保全生物学であった(33)。それゆえ,保全生物学の自然観は進化生態学的自然観であると言えよう。1980年に出版された保全生物学の最初の論文集が『保全生物学―進化生態学的展望』と題されたことは、そのことを端的に示している(33a)。では,進化生態学と生態系生態学の自然観の相違点はどこにあるのだろうか。

3. 2.生態系生態学と進化生態学

 進化生態学の理論が次々と登場した1960年代に環境の科学として注目を浴びていた生態系生態学も,理論的という点では従来の記載的な生態学と一線を画していた。とくにコンピュータ・シミュレーションを行うようになった1960年代以降は,生態系のモデルづくりに高度の数学を用いるようになっていた。進化生態学も生態系生態学も理論的な生態学という点では共通しているのである。そしてG. E. Hutchinsonが進化生態学・生態系生態学双方の発展に寄与したことからもわかるように,この二分野は決して完全に独立したものではない。1960年代前半までは,両者の間を行き来する生態学者は少なくなかった。しかし60年代を通してこれら二分野は分化していった。つまり生態系内の物質循環・エネルギー流をあつかう生態学者と,個体群や群集の進化をあつかう生態学者とに分極化していったのである。この分化は両者の自然観の違いに起因している(34)。その違いとして次の二点があげられるだろう。
 第一に両者は還元論と全体論という生物学にとって古典的な対立軸の両極端にあった。生態系生態学は自らの手法を全体論的なものと位置づける。たとえばE. P. Odumは次のように述べている。

  過去半世紀,科学と技術は還元主義に独占され,超個体的なシステムは無視されてきた。・・・わたしがかつて「新しい生態学」と呼んだものを考えついたのは,少なくとも部分的には,科学技術において全体論にもっと注目する必要があると考えたからだ。・・・学問領域の中で,生態学は全体論をとる数少ないものの一つとして際だっている。(35)

 一方進化生態学や集団遺伝学は,自らの手法を全体論とは対極にあるものとして位置づけた。集団遺伝学者のRichard C. Lewontinの主張を見てみよう。

  分子生物学がデカルト的で,集団生物学が全体論的ということは決してない。集団生物学は厳密に分析的なものであり,単純化,分析,再統合の過程によって自らの問題の枠組み内で機能する。残念なことに,生態学と進化の問題はあまりに複雑なので全体論的な説明以外では扱えないと主張する集団生物学者が存在することは事実である。そのような人々の影響は長い間集団生物学の進歩を止め,集団生物学の科学としての価値を落とした。(36)

ここで言う集団生物学とは個体群生態学と集団遺伝学を総称したものを指している。ちなみにLewontinは後に徹底した還元論批判に転じ,古生物学者Stephen J. Gouldとともに激しく社会生物学を攻撃することになる。
 進化生態学と生態系生態学の分化の第二の理由は,両者の進化の扱い方の違いである。進化生態学にとって進化は遺伝子型とそれに対応する表現型の変化という集団遺伝学的な意味合いを持っている。一方生態系生態学は物質循環やエネルギー流のような生態系の化学的な性質を問題としているため,集団遺伝学的な意味合いでの進化が問題とされることはない。「種」や「遺伝子」と密接な関係を持つ進化生態学の進化概念は生態系生態学にはそぐわない。生態系生態学者Frank Gollyが言うように,「生物種の進化と同じ意味での生態系での進化はあり得ない」(37)のである。さらにコンピュータ・シミュレーションの手法が生態系生態学に導入されて以来,生態系研究は平衡状態にある生態系のモデリングを主な対象とするようになった。その結果,ダイナミックな生態系の進化が論じられることはほとんどなくなってしまったのである(38)。
 このように進化生態学と生態系生態学は1960年代にその自然観の相違が鮮明となり,分野としてほとんど完全に分化したものとなった。そのため彼らの環境問題への保護戦略も異なるものになった。また対処する環境問題もそれぞれ別種のものであった。生態系生態学は化学物質による汚染問題に取り組み,生態系のバランスを保つという保護戦略をとった。それに対し進化生態学は80年代以降の生物多様性問題に取り組み,一つ一つの種を絶滅から守るという保護戦略をとったのである。

結語


 本稿は生態学の自然観と保護戦略との関係を見てきた。まず生態系生態学の保護戦略は,そのサイバネティックス的な自然観に基づいたものだった。生態系生態学は放射性降下物問題や環境汚染の問題を通じて大きく発展したが,国際生物学事業計画(IBP)の終了によってその成長の時代は一応の区切りとなった。1970年代半ばになると野生生物の大量絶滅が問題となった。この問題に対処するために誕生したのが保全生物学である。保全生物学の基盤は進化生態学と集団遺伝学であり,それらは生態系生態学とは違って「種」「遺伝子」のレベルを対象とする科学であった。そのため,保全生物学の対象は一つ一つの種に重点が置かれることになったのである。
 もっとも最近の保全生物学では再び「生態系」が重要な地位を占めるようになってきている。多くの著名な保全生物学者たちにインタビューすることによって生物多様性概念を分析した科学史家David Takacsによれば,保全生物学者たちの重点は「種」から「生態系」へと移行しつつあるという(39)。しかしそれは,かつての生態系生態学が守ろうとした平衡状態に達した生態系ではない。保全生物学者たちが守ろうとしているのは生態系のプロセスである。彼らが防ごうとしているのは,常に変化し進化する生態系のプロセスが人為的な要因によって断ち切られることなのである(40)。
 最後に生態学史の今後の研究課題について触れておきたい。本稿では,環境問題によって生態学が成長してゆく過程についていくらか記述した。では,さまざまな国々がそれぞれ別種の環境問題を抱えているならば,生態学の発展は国ごとに大きな違いを生じるのではないだろうか。進化生態学が主に英米圏で発達した分野であることは,これまでしばしば指摘されてきた。実は生態系生態学もアメリカで最もよく発達した分野である。日本やドイツでは生態系生態学にはアメリカほど大きな資金投入はなかった。その理由としてFrank Gollyは,日本やドイツでは軍事研究が禁じられていたことをあげている(41)。これらの国では,アメリカのように放射性物質の環境に与える影響が問題となることはなかったのである。異なる社会的文脈が異なる性格の生態学を育んでゆく過程はこれからの生態学史研究の重要な課題である。
 私たちは科学者たちの語る自然保護言説を,そのまま普遍的な環境倫理として受け取りがちではないだろうか。けれども歴史は次のことを明らかにしてくれる。科学者たちの自然保護言説は常に彼らの自然観とリンクしている。また生態学の発展は常に社会的文脈に埋め込まれている。それらを一つ一つ読み解いていくことが科学史に求められている課題であろう。


  1. P. Shabecoff 1993. A Fierce Green Fire: The American Environmental Movement. Hill and Wang, 邦訳:清水恵訳 1998. 『環境主義』どうぶつ社, Chap.6.

  2. E. O. Wilson 1984. Biophilia. Harvard University Press, 邦訳:狩野秀行訳 1994.『バイオフィリア』平凡社.
  3. 佐倉統 1997. 『進化論の挑戦』 角川書店,8章を参照。
  4. 欧米では生態学と環境問題との関係に注目した多くの研究がある。一方日本では中山茂が1982年という早い時期に生態学と環境運動との関係が科学史の分析の対象となることを指摘しているにも関わらず,研究の蓄積は多くはない(中山茂 1982. 「環境史の可能性」『歴史と社会』 1:161-183)。
  5. 科学者や時代によってさまざまな生態系生態学・保全生物学があるが,本稿では両者の差異を鮮明にするため,生態系生態学者E. P. Odumと草創期の保全生物学に重点をおいて記述することに注意されたい。
  6. R. P. McIntosh 1985. The Background of Ecology : Concept and Theory. Cambridge University Press, p.7,邦訳:大串隆之・井上弘・曽田貞滋訳 1989. 『生態学−概念と理論の歴史』思索社, p.17.
  7. Barry Commonerについては鬼頭秀一 1989. 「バリー・コモナーの科学観と政治的エコロジー運動」『山口大学教養部紀要』 23: 55-67を参照。Commonerはエコロジストではあるが学問的な生態学者ではなく,分子生物学者であった。学問的な生態学者,とりわけ個体群生態学者たちの中にはCommonerらの社会的運動に反対する者もいた。個体群生態学者のPeter Crowcroftは,「生態学」という言葉を濫用しないようBarry Commonerに抗議したことを回想している(P. Crowcroft 1991. Elton's Ecologists: A History of the Bureau of Animal Population. The Chicago University Press, p.xiv)。個体群生態学と生態系生態学との分裂については3章で後述する。日本においても伊藤嘉昭や奥野良之助がそれぞれ異なる立場から生態系生態学を批判している。日本の生態学についてはいずれ稿を改めて論じたい。
  8. Odumがこの教科書を執筆した経緯には興味深いエピソードがある。1940年代末にジョージア大学で教育プログラムの改革があった際,Odumは生態学を中心的な教育プログラムにしようとしたが失敗した。生態学が博物学と混同され,独立したコースをつくる必要はないと考えられていたためである。この後Odumは同僚たちに生態学の重要性を訴えるために『生態学の基礎』を書いた。結果としてこの教科書は全米のみならず,翻訳されることによって世界中に生態系生態学の重要性を伝えた(F. B. Golly 1993. A History of the Ecosystem Concept in Ecology: More than the Sum of the Parts. Yale University Press, p.66)。
  9. E. P. Odum 1971. Fundamentals of Ecology, third edition. W.B. Saunders Company, p.32, 432,邦訳:三島次郎訳 1975. 『生態学の基礎』培風館, p.46, 571.
  10. J. A. Wiens ed. 1972. Ecosystem Structure and Function. Oregon State University, p.161,邦訳:木村允監訳 1973. 『生態系の構造と機能』 築地書館, p.208.
  11. Emersonらの有機体論については,G. Mitman 1992. The State of Nature: Ecology, Community, and American Social Thought, 1900-1950. University of Chicago Press, D. Worster 1977. Nature's Economy: A History of Ecological Ideas. Sierra Club Books,邦訳:中山茂・成定薫・吉田忠訳 1989. 『ネイチャーズ・エコノミー』 リブロポート, Chap.15を参照。
  12. Clementの有機体論については,J. B. Hagen 1988. Organism and Environment: Frederic Clements's Vision of a Unified Physiological Ecology. In: R. Rainger, K. R. Benson, and J. Maienschein eds. The American Development of Biology. University of Pennsylvania Press, pp. 257-80を参照。
  13. R. L. Lindeman 1942. The Trophic-Dynamic Aspect of Ecology. Ecology. 23: 399-418,G. E. Hutchinson 1942. Addendum [to Lindeman]. Ecology. 23: 417-418. Lindemanの論文は当初Ecology誌からリジェクトされた。あまりに理論的であったからだと言われている。Hutchinsonが編集者の一人Thomas Parkに強く働きかけた結果,1942年10月に掲載されたが,Lindemanは既にその年の6月,27年の短い生涯を終えていた(Golly, 前掲書(注8), p.53)。
  14. P. J. Taylor 1988. Technocratic Optimism, H. T. Odum,and the Partial Transformation of Ecological Metaphor after World War U. Journal of the History of Biology. 21: 213-244.
  15. J. B. Hagen 1992. An Entangled Bank: The Origins of Ecosystem Ecology. Rutgers University Press, p.101. 原子力委員会と生態系生態学については,C. Kwa 1993. Radiation Ecology, Systems Ecology and the Management of the Environment. In: M. Shortland eds. Science and Nature: essays in the history of the environmental sciences. British Society for the History of Science, pp. 213-49も参照。Kwaによれば原子力委員会による生態学研究への支援は戦後すぐから始められていたが,1950年代後半から本格的になったという(p.218)。
  16. McIntosh, 前掲書(注6), p.235, 邦訳,p.365. 邦訳を参考に筆者訳。
  17. D. Nelkin 1977. Scientists and Professional Responsibility: The Experience of American Ecologists. Social Studies of Science. 7: 75-95. IBPについては,McIntosh, 前掲書(注6), pp.213-220,邦訳, pp.331-41,C. Kwa 1987. Representations of Nature Mediating between Ecology and Science Policy: The Case of the International Biological Programme. Social Studies of Science. 17: 413-42,Golly, 前掲書(注8), Chap.5を参照。
  18. N. Myers 1979. The Sinking Ark: A New Look at the Problem of Disappearing Species. Pergamon Press, 邦訳:林雄二郎訳 1981. 『沈みゆく箱船』 岩波書店,P. Ehrlich and A. Ehrlich 1981. Extinction: The Causes and Consequences of the Disappearance of Species. Ballantine Books, 邦訳:戸田清・青木玲・原子和恵訳 1992. 『絶滅のゆくえ』 新曜社.
  19. J. A. Hannigan 1995. Environmental Sociology: A Social Constructionist Perspective. Routledge, p.149
  20. 拙稿. 1999. 「保全生物学の成立−生物多様性問題と生態学−」『生物学史研究』 64: 13-23.
  21. 4つや5つのレベルを持つ生物多様性の定義もある(M. E. Soule 1991. Conservation: Tactics for a Constant Crisis. Science. 253: 744-750など)。
  22. Myers,前掲書(注18), 邦訳,p.2.
  23. S. T. A. Pickett, V. T. Parker, and P. L. Fiedler 1992. The New Paradigm in Ecology: Implications for Conservation Biology above the Species Level. In: P. L. Fiedler and S. K. Jain eds. Conservation Biology: The Theory and Practice of Nature Conservation Preservation and Management. Chapman & Hall, pp.65-88, esp. p.74.
  24. HarperとHawksworthは「生態系」の多様性ではなく,「群集」「生態学的」多様性と言うべきだと主張している(J. L. Harper and D. L. Hawksworth 1994. Biodiversity: measurement and estimation. Preface. Philosophical Transactions of the Royal Society of London, ser. B. 345: 5-12)。
  25. E. P. Odum 1969. The Strategy of Ecosystem Development. Science. 164: 262-70. Odumはこの論文の本文中では「多様性と安定性との因果関係は不明確でさらなる研究が必要である」としながらも,遷移にともなう生態系の特徴の変化の一覧表の中では,生態系が成熟すれば多様性は「高」,安定性「良」となるとしている。その後この表はしばしば引用され,その可否が議論された。
  26. C. S. Elton 1958. The Ecology of Invasions by Animals and Plants. Methuen, 邦訳:川那辺浩哉・大沢秀行・安部琢哉訳 1971. 『侵略の生態学』思索社, Chap.8-9.
  27. R. M. May 1971. Stability in multi-species community models. Mathematical Biosciences. 12:59-79.
  28. Robert May自身が,最も強力な生物多様性保全論者の一人である。生態系の安定性と生物の多様性について詳しくは,伊藤嘉昭・山村則男・嶋田正和 1992.『動物生態学』 蒼樹書房,第13章などを参照。
  29. M. E. Soule 1985. What is Conservation Biology?. BioScience. 35: 727-34.
  30. M. E. Soule 1986. Conservation Biology and the "Real World". In: M. E. Soule eds. Conservation Biology: the Science of Scarcity and Diversity. Sinauer Associates, pp.1-12, esp. p.4.
  31. ここでは進化生態学を広い意味で用いていることに注意されたい。すなわち,生活史戦略などの行動生態学,個体群動態論などの個体群生態学,島の生物地理学やニッチ理論などの群集生態学を総称したものとして使っている。これらは,生態学的現象を自然選択の観点から説明しようとする理論である。
  32. MacArthurらの仕事については,S. E. Kingsland 1995. Modeling Nature: Episodes in the History of Population Ecology. 2nd ed. University of Chicago Press, Chap. 8 などを参照。この時期,決して完全には成功しなかったが,集団遺伝学と個体群生態学を統合しようとする試みが盛んに行われた。集団遺伝学と進化生態学の緊密化については,Hagen, 前掲書(注15)Chap.8を参照。
  33. このあたりの理論的な詳細については前掲拙稿(注20)1.2項で論じた。
    33a. M.E. Soule and B.A. Wilcox eds. 1980. Conservation Biology: An Evolutionary-Ecological Perspective. Sinauer Associates.
  34. 進化生態学と生態系生態学の分化の原因としては自然観の相違のほか,研究手法の違いや生態学の制度的な成熟に伴う細分化などが考えられるが,本稿ではそれらには触れていない。両者の分化については以下を参照。McIntosh前掲書(注6), pp.199-201, 邦訳, pp.308-311,J. B. Hagen 1989. Research Perspectives and the Anomalous Status of Modern Ecology. Biology and Philosophy. 4: 433-455,P. Palladino 1991. Defining Ecology: Ecological Theories, Mathematical Models, and Applied Biology in the 1960s and 1970s. Journal of the History of Biology. 24: 223-243.
  35. E. P. Odum 1977. The Emergence of Ecology as a New Integrative Discipline. Science. 195: 1289-1293.
  36. R. C. Lewontin 1968. Introduction. In: R. C. Lewontin eds. Population Biology and Evolution. Syracuse University Press, pp. 1-4, esp. p.2.
  37. Golly, 前掲書(注8), p.197.
  38. 生態系研究における進化の扱いについては,Hagen前掲書(注15), pp.158-162を参照。
  39. David Takacs 1996. The Idea of Biodiversity: Philosophy of Paradise. Johns Hopkins University Press, p.69.
  40. 生態学における生態系の安定状態からプロセスへの保護のパラダイムの変化については,Pickett et al. 前掲論文(注24)を参照。そのような変化に伴い,長年独立してきた個体群生態学と生態系生態学を統合させようとする試みも現れ始めている(J. H. Lawton and C. G. Jones. 1993. Linking Species and Ecosystem Perspectives. Trends in Ecology and Evolution. 8: 311-313)。
  41. Golly, 前掲書(注8), p.75.