■場景至上派として(坂口尚)
 
◆坂口尚氏の観察眼

シリーズ「12色物語上巻」(潮出版社’82年6月)収録の、紫の炎(初出・コミックトム 潮出版社’81年1月号掲載)などをあらためて観てみると、坂口尚氏の観察眼がかいまみえてくるように思えます。

骨董屋のガラクタ達のモチーフなどどこにあったのか?想像だけでもし描いているのなら、すごすぎるとしかいいようがありません。
同様に、「恋人」という短編(初出・みのり書房’78年Peke11月号)での、室内のガラクタ達もまたどこからわいて出てきたのだろう?

絵を自分で描いていて思うのは、こんなにもさりげないモチーフを自在にこれほど扱える作家がどれほどいるのだろう…という事です。
自分の部屋の中にもたくさん描写しようとおもえばモチーフがあるのかもしれません。普段何気なくみている風景もそうなのかもしれません。
しかし、それを巧みに作品に織り込んでいく力は、並大抵のものではないとおもいます。

永島慎二氏のすすめでマンガの道に入っていった坂口尚さんは、永島慎二さんの「漫画家残酷物語」のテーマにあるように、けっして読み捨てではない作品を描き続けた人だったといえるのでしょう。

ヒトコマ、ヒトコマが絵画ともいえる作品たち…構図のセンスの卓越さ。他の作家の追従を許さないものがあるではないでしょうか?
 


 
神との賭
画像をクリックすると大きくなります図版は「神との賭 」
坂口尚氏著(’69年COM12月号より引用)
坂口尚さんは「場景至上派」

と、「マンガ応用テクニック講座」(美術出版社 ’90年9月)
で紹介されましたが、人物は小さくそして、コマの場景でみせていくその作画の姿勢は、デビュー当時からあったと思えます。

引用している図版のCOM掲載作品は、デビューから4作目の短編作品、「神との賭」ですが、その後も、人物の表情はかきこまれないまま、風景と一体となった場景が描写されています。

「おるごおおる」のワンカットの画像を下に引用しましたが、年代をへても、この基本姿勢に変わることはなかったように思います。

絵を描く人。マンガを描こうという人にとって、坂口尚さんの作品は、指標となるのではないかと考えています。
どうでしょう?この構図。そして背景は… 

 
おるごおおる

画像をクリックすると大きくなります

図版は「ぱふ」(清彗社)’80年11月号
坂口尚氏の掲載作品「おるごおおる」より引用

「神との賭」の引用画像とおなじく場景至上派であることがこのヒトコマからも伝わってくるようです…

年代をへても基本的な姿勢、こだわりは変っていない…
そう思えてきませんか?

 
「マンガ応用テクニック講座」(美術出版社 ’90年9月)より。 

「実は私は、人物を描くのはあまり好きではないんです。表情がいろいろ変わるとはいえ同じ顔を何回も描くのはあきてしまうんです。どちらかというと風景が好きで、人物描きたくない、なんて思ったりします。でも、人物が出てこないと、ドラマにならないですからね(笑)」

(坂口尚)

たしかに、この引用している画像の作品でもキャラクターがいないわけではありません…ただ驚かされるのは、初期作品の短編では同じキャラクターはもちろん、同じ顔をほとんどみかけない事です。

図版の絵のキャラクターは絵描きのミダン君です。が同じシリーズであったCOMのシリーズ「霧の中」全体をみても同じ顔はほとんどないといって良いのかもしれません。

「同じ顔を何回も描くのはあきてしまうんです」という坂口尚さんの言葉は、その後の「あっかんべェ一休」でも貫かれいたのでしょう。
幼年期の一休。少年期・青年期・そして晩年とどんどん顔が変わっていくのですから…


図版は「神との賭 」
坂口尚氏著(’69年COM12月号より引用)

引用画像は、公認ファンサイトとして許諾を得ている範囲研究の為の引用の範囲と解釈し掲載させて頂いています。 99/08/01
このページを作成した時点では、 引用・紹介している短編作品はすべて絶版でしたが、現在では、坂口尚短編集チクマ秀版社刊に収録されています。

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