| ●「12色物語」 投稿されたメッセージ
かんたろうさんの投稿記事「12色物語」です。
他の方の投稿と別に掲載させて頂いた理由は、12色物語のすべてにコメントがつけられ、完結したからです。
掲載順も投稿された日付順に変更しました。
■12色物語についての補足
単行本には、雑誌掲載時になかったカラーページが挿入されています。前衛的なアクリル絵の具での描画だとおもえる厚塗りの抽象画です。
そのページにあるメッセージは…
太陽が天空を翔け
光が散らばり
影が縁どり
朝と昼と黄昏の夜が巡る
受けとめるのは心のプリズム
一人に一つの四季が訪れる−

書影をクリックすると大きくなります
■表紙について…
12色物語のカバーの表紙は内容の、マンガのキャラクターを全面にだしたものではない事が上の書影からもわかります。
前衛的でキュービズムを思わせるイラストです。
「上巻」のキャラクターは、黄色をイメージした「ひまわり畑」のリータです。「下巻」のキャラクターはオレンジ色をイメージしたマーロのオレンジのマーロです。作品の扉絵になっており本編では、タイトルが絵にかぶさっています。
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
今回は欲張らずに「12色物語」についてだけ、書かせてもらいます。
もちろん、どの話をとってみても珠玉の短編集なんですが、一番好きな作品をひとつと言われれば、「夜の結晶」にしておきます。
主人公の青年のセリフ
「大気の中を突っ切って摩擦熱で燃え尽きるものと、
燃え尽きずに地上に激突するものがある」
これは坂口尚さんの作品の根底に流れるテーマの一つですよね。
自殺願望の少女は、まさに大気圏に突入して燃えている最中の隕石なのです。
そして、誰もが迷いを抱きながら、闇の中を手探りで歩く迷い子なのです。
でも、二人が最後に星の光を見いだしたように、決意を強く持って、自分の大切なものを守り抜く生き方をしたい。私はそんな風に読みました。
この作品のキーワードは、「隕石」と「結晶」にあるわけですね。
人はどうしたって鉱石のような結晶になれる訳はない。プレスしたら90%蒸発してしまうはかないものでしかない。主人公の青年はそう言います。
「でも何か結晶になれる方法があるはずだ」と。地底の灼熱の火口から噴きだす黒曜石のように、あるいは大気圏の摩擦に燃え残り地表に激突する隕石のように。宇宙の漆黒の闇を裡に秘めたままの、強く、揺るぎのない存在に。
裡に秘めたものは、もちろん人それぞれに違うものでしょう。でも、それは等しく常に摩擦熱に焼かれ続けるものでもあるはずです。それを守り続ける事ができない者は、地表に激突することなく燃え尽きていく。
自殺志願の少女の長い独白は、読んでいて涙がでそうな気分になりました。彼女は自分が自分で有るための闘いの真っ最中。まさに大気圏突入状態な訳です。燃え尽きてしまうか、地表に激突する隕石となるか。
いずれにしても、それを決めるのもまた、自分自身でしかないわけです。
坂口尚さんの作品は、どれも提起するものが余りにも高く深いですよね。
私など、どう感想をまとめたらいいのかと悩むばかり。いつか話題をUPしたいとは思っていたのですが、そんなわけで躊躇してたところでした。
さとぴーさんにはもう一度感謝です。他の作品についても、また書きます。
それじゃ、また かんたろうでした
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
「12色物語」について、もう少しお付き合い頂けたら嬉しく思います。
もう一つの私が大好きな作品、紺をモチーフにした「万年筆」について。
読まれた事の無い方の為に、簡単なあらすじを。
雪に覆われたロシア。小さな町に少年が母親と暮らしています。父親は 二人を捨てて、若い女性と出ていってしまいました。父親からもらった 万年筆は少年の宝物。いつも大切に持っていますが母親には内緒です。
少年は、父親に対する憧憬と怒りの両方に板挟み。気持ちのはけ口を、紛らすようにケンカに明け暮れる毎日でした。
ある日友人の情報を頼りに会いに行った父親には既に新しい家族が。荒れる少年は友人とケンカをして大けがを負わせてしまいます。しかし何も言わずに懸命に働く母親の姿を見ながら、少年は少しずつ成長していたのです。自分で働いて友人の治療費を稼ぎだし、母親をいたわるようになります。母親はそんな彼の変化に気づき、静かに喜びをかみしめるのです。
ラストシーン。並んで歩く母子の背中に、酔漢が「旦那さんと奥さん」と声を掛けます。笑い合う二人。いつの間にか、少年の肩は母親より高くなっていたのです。母親はそっと少年の腕に手を回します。私は、この場面を何度読んでも目頭が熱くなります。母親の喜びやいかに・・と。
この作品のキーワードは、ボルガの流れだと思います。
初め、万年筆を手渡した父親の「澄んだ色だろう、ボルガの水の様だ」という言葉から少年にとってボルガは父親だったのです。
しかし物語の終盤では、ボルガの流れは母親に変わっていきます。その変化が少年の心情を示しているわけです。
巧みですねえ、このあたり。もう唸らされるばかり。
この作品に限らないんですが、とにかくセリフが少ないんです。
よく小説は「行間を読む」といいますが、坂口さんの作品は絵を読むんですね。
そして、余分な説明やら何やらを全て排除した後のエッセンスのようになった素材を、巧みな構成力と描写力で織り上げていく。まさに詩人と呼ばれた坂口尚さんの真骨頂たる作品だと、私は思うのです。
かんたろう でした またね
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
かんたろうです。さて、今日も固い話と参りましょう。
既にお気づきでしょうか、12色全てにコメントしようという私の野望(笑)に。だって好きだったんです、これ。
さて「蜃気楼」です。モチーフは赤。戦場ですね。のっけから戦車の砲炎やら飛び散り、したたる鮮血やらですが、物語は主人公の独白によって進みます。
彼は「死神」に対して呼びかけ続けるのです。「最後の決着をつけよう」と。
かつて彼は最愛の人を病で亡くしました。
以来本の中に自分を埋没させるように生きていきます。「幻の中に生き、あの人を幻としないように」と。純朴な女性の暖かみに触れ、現実に引き戻されそうになった時もありました。しかし彼は、「あの人を奪い取った死神と闘う」為に、その女性を選ぶ事もなかったのです。
「あなたは幻を追いかけているのですね」と、その人は彼に言います。
戦闘で大けがを負い、一人砂漠に横たわる彼の前に敵兵が現れます。彼にはそれが死神に思えました。
敵兵に銃を向けるものの、「死神よ、おまえは私を手先に・・」一瞬の躊躇の後、倒れた敵兵の銃が彼の頭を撃ち抜いて物語は終ります。
これは難しいです。
彼にとって追いかけた蜃気楼は本当に「死んでしまった最愛のひと」の幻だったのでしょうか。つまり「いつまでも一人の人を愛し続ける」という思いだったのかどうか。私はそうではないと思うのです。
彼は「全てを幻に化す死神と闘う」といいました。
そして最愛の人の事は「一人の女というより天使と出会った」と。彼が何より許せなかったのは「自分が愛する人を失った事」ではなく、「あの人が死ななくてはならなかった運命」なのです。
その運命に抵抗する為に、彼は「決してあの人を幻にしない」と誓い、現実から逃避するように、本の中に住み続けるのです。
彼は自分自身と闘い続けていたのです。「死神」とは、闘いに疲れた彼が作り出したダミーでしかありません。
彼が追い続けた本当の蜃気楼とは、彼の言う「死神」だったのではないでしょうか。そして、そんな生き方を選んだ男のたどりつく果ては死を望む絶望にしかないと、或いは考えていたのかも知れません。
だからこそ、生きるために敵兵に銃を向けた自分に驚く。彼はドンキホーテだったんですね。「蜃気楼」に闘いを挑み、勝てるはずのない戦だったんです。
そして、彼が勝利する最後の手段が「死」だったんですね。
坂口尚さんの真意はどこにあるのかな。ドンキホーテを否定しているようには読めません。かといって、そんな生き方を賛美している訳でもない。
どうも、そんな人間の愚かしさすら、いとおしい。
そんな風に、私としては読みとった次第です。 かんたろうでした
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
かんたろうです。さとぴーさん、こんばんわ。
今度は軽めの作品をいってみます。「ひまわり畑」など、いかがです?
これ、ラブコメですよね、実際のところ。どうです?理屈抜き。軽いでしょ?
いろいろ読み方はあるでしょうけど、結局あの女の子・リータの魅力に尽きますよね。「12色物語」って、こう考えるとすごいバリエーションですよねえ。
坂口尚さんの作品に、他にラブコメなんてあるんですか?
(まあラブコメとひとくちに言ってしまうにはご異論もあるかもしれませんが。)
私は坂口尚さんの作品の一部しか知りませんので断言はできませんが、かなり特別な分野に属すのではないでしょうか。
それにつけても、リータは良かったです。もし坂口作品で主演女優賞を選ぶなら、私は彼女に一票(笑)。次点ではさとぴーさんもお好きな「野の花」の彼女。
「ひまわり畑」は読後感のさわやかさでは12色中一番ですね。
それではまた かんたろうでした
| 「12色物語・青と橙」(ブルックリン日曜日/マーロのオレンジ)98/12/18 |
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
さて、今回はさわやか路線の2作品について、ちょっとスペース下さいね。
青の「ブルックリン日曜日」そして「マーロのオレンジ」なんですが、
この2作品に共通するキーワードは「少年」だと思うのです。
坂口さんの作品では、よく少年が描かれますね。
もちろん少年漫画だから当然なのかも知れませんが、それ以上に坂口尚さんの少年に対する思い入れというものが、何かあるような気がします。
ありがちな言い方になりますが、それはやはり「純粋」ということなんじゃないでしょうか。坂口さんの描く少年はいつでも真正面を向いて、何かに立ち向かっている印象があります。
彼らは常に、その純粋さゆえに、対象から目をそらすことができないでいる。それは、時には世の矛盾であったり、差別であったりします。
「ブルックリン日曜日」のサムのように。
「石の花」のクリロなんて、純粋性の塊ですもんね。
一方では「マーロのオレンジ」のマーロや「三月の風〜」のしげるのように、好奇心から目をそらせないタイプ。これも、いやこれこそ少年の持つ、最も愛すべき純粋性だと思います。そして、そんな少年を描き出す坂口さんの筆致は限りなく暖かく、優しいんですよね。
これもいずれ書きたいと考えていたんですが、坂口尚さんの作品に共通する二面性・・というか、あの、個人を見つめる限りなくやさしいまなざしと、一方視点をグローバルに転じて世界を俯瞰したときの、あの背筋も凍るシニカルな切り口って、感じた事ないでしょうか。
坂口さんの「少年」を見つめるまなざしは、その前者の代表的な一面ですね。
それにしても「マーロのオレンジ」なんですが、絵的に楽しめる作品ですね。
ディテールや構図にもこだわりが感じられて、とても好きな作品です。
かんたろう でした
| 「12色物語・白とピンク」(雪の道/窓辺のふたり)98/12/31 |
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
今回は坂口尚さんの描くマドンナ像など、考えてみたいと思ってます。
「ヒロイン」とは、また違うんです。
ヒロインは作品ごとにそれぞれの個性を持っているものですし、作品が求める姿で登場するのが「ヒロイン」「マドンナ」は、作者がどの作品でも求めるものが同じタイプなんですよね。
ですからそれは主人公とは限らないし、必ず登場するわけでもない。
まずは当然のことながら美人。「窓辺のふたり」のレイチェルなんて、坂口さん、かなり気合いがはいっていませんか?
カラーページの横顔とか。それからおとなしめで、物静かな雰囲気。口答えとかしないタイプですね。
次に大事なモチーフなんですが、不遇の時ほど男にとって大切な存在である立場にいる。全てを理解して黙って男をもり立てるワケですね。いいですねえ。
「雪の道」の若奥さんがこれですね。それで男がそばから離れても、ただ待つ。
「都合が良すぎるっ」と怒る女性陣の声が聞こえそうですが、そこはマドンナですから(笑)。図らずも「12色物語」では短編集ということもあってか、坂口さんの好みが鮮明に現れた・・・?なんて考えたりしました。
遭難した宇宙飛行士とその妻を描いた「流れ星」という短編がありましたが(実は私、大好きなんです。これがまた。)あの女性もマドンナしてました。
ただし、美人かどうかは判りませんが(笑)。
「石の花」では、ヒロインはフィーですが、マドンナはミルカだったと私は思ってます。
実はピンクの「窓辺のふたり」は、あまり読後感が良くありませんでした。
あれが一つの愛のかたちだというのだろうか。かなり疑問に感じている私です。
白の「雪の道」は、「夜の結晶」とテーマ的には同じだと思います。あのおばあさんがいい味を出してくれました。坂口さんって、年寄りを描くのが上手い!
かんたろうでした
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
かんたろうです。茶色の「錆びた鍵」について書きたいと思います。
例によって読まれた事の無い方のために簡単なあらすじを。
冒頭。土砂降りの雨の中、トラックの運転手がただならぬ様子の少女を拾います。そしてそのまま時を隔てた60年後。老夫婦が一軒の家を買う為に不動産会社を訪れるところから物語が始まります。
老夫婦はあの日の運転手と少女。彼女は記憶を失い、とうとう過去を思い出すこともなく夫婦となって今に至ったのです。財を成し余生を送るだけとなった二人が訪れた古い洋館。ところがこの家では60年前恐ろしい一家惨殺事件が起こっていたと、案内人が調子よく話しだします一人少女だけが行方知れずになったと。
でも老人は顔色も変えません。
「昔トラックでこの辺りを走ったものです」と静かに語るのみ。婦人は誰も知らない鍵置き場を知っていたりして、彼女がその生き残りであることは疑う余地なし。なのに物語は謎解きの方向には進みません結局夫妻はその家を購入し、静かに生活を送ります。婦人がのんびりとその家の鍵の錆びを落としつつ、夫と語りつづけながら。
何しろミステリィ仕立てをあおっておいて、思いっきり肩すかしをくらう作品なんですが、それはそれで読者に想像力をかき立てさせるのです。
事件が殺人か事故だったかも結局判らずじまい。老人が全てを知ってこの家を訪れたのか、知らずになのかも判らない。彼は何を聞いても顔色ひとつ変える事がないし、婦人は最後まで記憶が戻らず意味ありげな仕草を見せるだけ。ああ、もう。じれったい。何が言いたいのだ、この作品は。
ラスト近くまで、私はそうやってジタバタ読んだものです。
すると老人は「ところで・・」とラスト近くでようやく動きを見せてくれました。「行方不明の少女の名はなんと?」名前はミリィだったと聞き、一言「ミリィ・・・」そうつぶやくのです。ここで私の想像は一本の糸で繋がった気がしました。彼はそれだけが知りたくてここを訪れたのではないだろうか。愛する妻の本当の名が知りたかったのでは。錆び付いた事件のことなど、どうでもよかったのだ・・と。いや、私の想像ですが。
錆び付いた鍵の汚れを落とそうとする婦人のラストは象徴的。錆び付いたままじゃ気持ちが悪いのよ・・・。でも、結局は全て過去に過ぎないのですね。事件の真相を知る事は、二人にとって何の意味もないのです。
これは私の読み方。結局真実は判りません。それでは。
| 「12色物語・灰と紫」(遁走曲/紫の炎)99/01/15 |
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
毎度どうも、かんたろうです。
「12色物語」の灰と紫は、坂口尚さんお得意のファンタジー的寓話ですね。味わいは初期の作品に通じるものがありますが、よりマイルドというか、判り易くなっている気がします。
紫の「紫の炎」は、難しく考える必要もないですね。センチメンタルな、いい話です。どんな物にも人の想いは込められていて、用済みになった後でも燃え尽きる直前の紫の炎のような、ほのかな灯りをともしている・・。詩人ですね。
ここでも余分な説明はとことん排除した「セリフの無い漫画」を堪能できます。
一方、灰色の「遁走曲(フーガ)」ですが、こちらはいわば演劇の舞台を見るような作品です。対照的にセリフまわしで楽しめるんですよね。主人公とばあさんとの掛け合いとか、主人公の一人芝居とか。
作品の方は身につまされるというか(笑)、笑えないテーマですねえ。
自分自身を見つめさせられるなんて、誰だって嫌じゃないですか?
自己嫌悪は誰の心の中にもあります。だけど、やっぱりそれだけじゃあ、ねえ。
さんざん自分を見させられて、きっと彼は活力を得たと思います。ラストは、ちょっぴり救いがありましたね。あのお婆さん、定番な怪しさでしたがどこか愛嬌があって憎めませんでした。
かんたろうでした
【投稿者】かんたろう さん YIV00567@nifty.ne.jp
「12色物語」も最後のひとつ。「朝凪」が残っていますものね。もちろん忘れる事のできない作品です。
物語は男が少年時代を回想するように進むのです。宿無しの老人と触れあったつかの間の季節の話。老人はどこからともなくやってきて、少年にわずかの思い出と会話を残し、その季節の中で死んでいきました。でも短い触れあいにすぎない、その出会いが彼に残した人生観の変化は大きいものだったのです。
「一生の時間に何ができるか、いや!どれだけできるか考えるんだ」
少年には、老人の言葉はなんという事もなく聞こえたのです。年寄りのありがちなお説教とでも思ったかもしれません。それきり会うこともなく、ある日老人の死を知ります。
迷惑顔で弔いの相談をする大人達の中で、しかし少年の心には老人の言葉が生命を吹き込まれたように広がってゆくのです。
「朝凪」のキーワードは「森」。
イバーラの森の四季にあると思うのですが。春夏秋冬を人生にたとえるのはありがちかも知れませんが、冬の森にたたずみ日がな風景を眺めている老人の姿は象徴的です。
町の大人達は老人に死の臭いを嗅ぎつけてしまい、彼から目をそらそうとする。そんな人々に対し、老人は言うのです。「死は等しくやってくる」と。「みんながちいさな暗がりを抱えて死に向かって歩んでいく」。冬の森を見つめる老人は、人生の冬を見つめていたんじゃないだろうか。
対する少年は、子供から大人へと成長する過程のど真ん中にいるわけです。悪たれ仲間の子供じみたいたずらに距離をおくようになり、老人に興味を抱く。
「若葉の頃」ってヤツですね。日々これ変化という時期ですから、老人との出会いも、数ある変化の一つにすぎないのです。目覚めたばかりの季節。世界は騒音のような情報にあふれているものです。
老人の死に際し少年は「その時ほど世界の静けさを感じた事はありません」と回想しています。そして「うっすらと青い葉が樹々に生まれていたのを初めて見るように私は目を見張りました」と。
「死を見つめる」ことで、少年は老人の言葉が理解できたのでしょうね。それは、そのまま少年の「若葉の季節」の終わりでもあったわけです。少年があわただしいざわめきの中で、ひとり世界の静けさを感じるというシーンは、彼が成長の階段を一段登ったとでもいうのでしょうか、そんな風に読みました。
やがて森が青葉で緑色に染まる。少年にとっては青春というわけですね。
冬から春への季節だけの短い出会い。それは老人と少年の、心のバトンタッチとでもいうのでしょうか。「緑」というモチーフから、どうしてこういう物語を想い描くことができるんだろう。
つくづく素晴らしい作家でした。
1999 04/07
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