まめちしき



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神道まめ知識


簡略を旨としていますので説明が不十分なところも有ります。
詳しく知りたい方には神社本庁のHPをお勧めします。






○厳島神社(イツクシマジンジャ)(伊都伎島神社、厳島大明神、安芸の宮島)

ここをクリックして下さい。


稲荷信仰(イナリシンコウ)

祭神は宇加之御魂大神(ウカノミタマ)、保食神(ウケモチ)、御食津神(ミケツ)。
ウカ・ウケ・ケは食物を意味します。
稲荷は「稲成り」「稲生り」の読みに通じることから、もとは稲の信仰を基盤としていたことがうかがえます。
後に、商売繁盛・殖産興業の神として信仰を集めました。
漁村では漁業の神としてまつられていることもあります。

稲荷社は全国に3万余といわれますが、
屋敷神や邸内社(個人所有?の社。旅館とか工場の一角にあるアレ)を含めるとその数は見当もつきません。
最も信奉者の多い信仰形態と言えます。
ちなみに他の信仰形態の社は、八幡=約2万5千、神明=約1万8千、天神=約1万5百、宗像=約9千。

「山の神が春に降りてきて、田の神になる」
「山の神は馬に乗り、狐を御先(ミサキ。神の使者となる動物)としてやってくる」
こうした民間信仰と稲荷信仰が結びつき、稲荷神社に狐が置かれるようになったのでしょう。

(関連→稲荷鳥居


稲荷鳥居(イナリドリイ)

朱で塗られた鳥居。稲荷神社に見られる。黒とのツートンカラーも有り。
詳しくはTorii Pageへ。





大麻(オオヌサ)

「ヌサ」の美称。
ヌサとは、神に祈るときにささげられるものや、罪を祓う時に差し出されるもののことです。
木綿・麻・紙などが用いられます。
大麻には、榊(サカキ)に紙垂(シデ)等を付けたものと、
六角または八角の白木の棒に紙垂を付けたものがあり、後者は祓串(ハラエグシ)とも呼ばれています。
これを左右左と振ってお祓いをします。

関連→榊・紙垂


○オクンチ(オクニチ)

(参照→重陽


○おにやらい

節分行事。

(参照→節分


○お百度ひも(オヒャクドヒモ)

(参照→お百度参り


お百度参り(オヒャクドマイリ)

神仏に祈願する為に行われる参詣の一形態。
特定の社寺に百度参詣する行為のことで、個人的な祈願の成就を目的として行われることが多いようです。
本来は百日間にわたり参詣するものであり、百日詣と言われていました。
一日に百度参詣する簡略化されたお百度参りがいつ頃から行われていたかは定かではありませんが、
鎌倉時代の文献にはすでにその様子が記されているようです。

俗に「お百度を踏む」といわれるこの行為は、社寺の入り口から拝殿・本堂までを祈願しつつ百回往復するもので、
社寺の入り口にはその目印として「百度石」という石柱が立てられていることもあります。
回数を間違えないように、あらかじめ小石や小枝やこより(お百度ひも)を100個用意して、
祈願するたびに神前・仏前に置いていくのが一般的(?)なやり方。
人目に触れないように行ったり、裸足で行ったりした方が効果が大きいと信じられています。




○菊の節供(キクノセック)(参照→重陽



○栗節供(クリセック)

(参照→重陽



○啓蟄(ケイチツ)

二十四節気の一つ。
地中で冬ごもりをしていた虫等が、地表に這い出てくる日。

(関連→二十四節気



黒印地(コクインチ)

江戸時代、大名が寺社などに黒印状を下付して年貢諸役を免除した土地のこと。

(関連→御朱印地


○御朱印(ゴシュイン)

参詣の証として神社仏閣が発給する証明書。
墨で記された社寺の名前や本尊の名号等に朱色の印が押されているものをいいます。
本来は写経を納めた者に発給されるものでしたが、現在では記念スタンプ的な性格が強まってきています。
中世の霊場巡りブームから今日に至るまで、多くの旅人のコレクター魂をくすぐり続けているとか。
一枚200円〜400円。
リンクページで御朱印専門ページを紹介しています)


御朱印地(ゴシュインチ・朱印地)

江戸時代、幕府が寺社などに朱印状を下付して年貢諸役を免除した土地のこと。

(関連→黒印地


○小正月(コショウガツ)

1月15日を中心とした三日間のこと。1月1日は大正月。
1月1日を男正月と言うのに対して、小正月を女正月とも言う。
神を送る行事、吉凶を占う行事、豊作祈願が行われ、古くは小正月が本当の年始めと考えられていた。
この日は男正月を忙しく働いた女性が正月を楽しむためのものともされている。
望年、小年、若年、二番正月、もちもち節供とも言う。


五節供(ゴセック)

江戸幕府が定めた五つの式日。

人日 ジンジツ 1月7日 七草粥
上巳 ジョウミ・ジョウシ 3月3日 桃の節供・雛祭り
端午 タンゴ 5月5日 端午の節供
七夕 タナバタ 7月7日 七夕祭
重陽 チョウヨウ 9月9日 菊の節供・オクンチ・オクニチ・栗節供

いずれも中国古来の風習がもとになっています。

(関連→人日・上巳端午七夕重陽


金刀比羅宮(コトヒラグウ)

ここをクリックして下さい。

(関連→金毘羅信仰


○狛犬(コマイヌ)

境内の入り口や拝殿の前に置かれている、ライオンに似た一対の像
魔除と神の守護を担っています。
古代オリエントにその起源が有るとされています。
高麗犬とも書きます。

現在「狛犬」と一言でくくられていますが、厳密には「狛犬」と「獅子」に区分されます。
拝殿に向かって左手にある角の有る「吽」像が狛犬。
拝殿に向かって右手にある角の無い「阿」像が獅子。

犬型の他、兎・狼・狐・猿・虎・鹿・河童型のものも有ります。


金毘羅信仰(コンピラシンコウ)

金毘羅神社に対する信仰で、中心地は金刀比羅宮(コトヒラグウ)。古くは琴平。
所在地は、香川県仲多度郡琴平町。
祭神は大物主命(オオモノヌシ)、崇徳天皇。

航海と漁業の守護神。
雷神・水神の他、農村では、農耕神・留守神としての信仰もあります。
16世紀末から台頭してきました。
航海技術の進展と航路の発展に伴い、全国的に信仰が広まりました。
祈願すれば必ずかなうという信仰も広まり、今もなお庶民に人気を博しています。
江戸時代にはインドの神、クンピーラ(王城鎮守・海神竜王)と習合しました。

(関連→金刀比羅宮



○左義長(サギチョウ)

正月十五日を中心に行われる火祭りの行事で今日でいうどんど焼き。

(参照→どんど焼き


○山王信仰(サンノウ)

比叡山麓の日吉(ヒヨシ・ヒエ)大社より生じた信仰で、山王とはもとは比叡山の山の神。
後に、天台宗および延暦寺の鎮守神として信仰されるようになりました。
山王の御先(ミサキ)・神使(シンシ)は猿とされており、
山王信仰の有る神社には庚申塔などの猿の神像がよくみられます。

三猿で有名な日光東照宮もその一つで、
徳川家康の葬儀が、山王信仰を基盤とした山王一実神道により執り行われたことを今に伝えています。


参拝(サンパイ)

毎月一日と十五日に行うのが古くからのしきたり。
具体的な作法は How to visit をご覧ください。
二礼二拍手一礼が基本ですが、二礼四拍手一礼(出雲大社)、八度拝・八開手(伊勢神宮)など例外もあります。

(関連→略拝詞



○七五三(シチゴサン)

11月15日に行われる、数え年で三歳・五歳・七歳になった児童の成長を祝う祝儀。
一般に男児は三歳と五歳、女児は三歳と七歳に行われますが、この辺は地域や時代によって異なるようです。
晴れ着を着て氏神に参詣し、子供の成長を感謝し祈願します。

11月15日になったのはこの日がもとより吉日であることと、
五代将軍徳川綱吉が子の徳松の祝儀をこの日に行った事に由来しています。

七五三が盛大に営まれるようになったのは大正以降の事。
その後、華美になりつつ全国に広まりました。
必須アイテムの千歳飴は神田神社や浅草で売られていたものが始まりといわれています。


○春分(シュンブン)

二十四節気の一つで、春の彼岸の中日にあたります。
昼と夜の長さが同じになる日。
この日以降、徐々に昼の方が長くなります。

(関連→二十四節気


上巳(ジョウシ・ジョウミ)

五節供の一つで、現在で言う雛祭りの事。

(参照→雛祭り/関連→五節供


○小揖(ショウユウ)

浅いお辞儀。

(参照→


神使(シンシ)

神の使者とされる特定の鳥獣虫魚のこと。
「かみのつかい」「つかわしめ」「御先(ミサキ)」ともいいます。
下はその一例です。

鹿→ 春日・鹿島・厳島
猿→ 春日・日吉
烏→ 日吉・熊野・住吉・諏訪・羽黒
蜂→ 日吉・二荒山
狐→ 稲荷
鼠→ (大黒天)
蛇→ (弁財天)


神仏習合(シンブツシュウゴウ)(神仏混淆・神仏同体・本地垂迹)

神道という言葉及び概念は、仏教の伝来以降に確立されています。
日本人にとって神道は精神生活の一部だったのでしょう。
そこに外来の宗教が入って来たために、それらと区別する必要が生じました。
「・・・じゃあ、俺らがやってきてたものは何にする?」
「神道とかどう?」
「それいただき!」
こんな感じで決まったのではないかと・・・

儒教は応神天皇(270〜310年)の頃、仏教は宣化天皇(535〜539年)の頃。
仏は最初、蕃神(トナリグニノカミ)、仏神として認識されていました。

【飛鳥時代】
排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の権力争いがありました。
これは崇仏派の勝利に終わります。
聖徳太子も仏教保護政策を取ります。
当時の為政者が大陸から導入した律令制度にとって、
仏教思想は民衆を支配するのに都合がよかったんでしょうかね。
大化の改新以降、次第に神道と仏教は歩み寄ります。

【奈良時代】
神仏の関係はますます緊密になり、最初こそ
「神様も仏の教えをよろこぶからチョットだけ」
と神社の境内に寺院を建てていましたが、後に僧侶が権力を掌握していきます。
これらを神宮寺・宮寺・神供寺・神護寺・神宮院・別当寺といいます。

【平安時代】
仏教界に空海・最澄という二人の天才が現れました。
仏教はますます力を強め、ついには
「なに言ってんの?あんたらの言う神は仏様の化身じゃないか」
と言いはじめます。
これを「本地垂迹説」(ホンジスイジャク)といいます。
神も仏も元をたどれば一緒。ただし仏が主、神はそれに従するものとする考え方です。
こうした神の在り方を菩薩・権現と呼びます。もちろん仏より下位です。
寺院の中に鎮守社が作られ、僧や尼が神々に仕える傾向(社僧)が強くなります。

こうした流れの中、それでも神道は生き残ります。
逆に仏教から発展をとげた神道もありました(真言宗から両部神道、天台宗から山王一実神道)

【明治時代】
廃仏棄釈(ハイブツキシャク)運動がおきるのですが、それはまた別の項目で。


○神紋(シンモン)

神社ごとに定められた紋章。
家の家紋にあたるものです。
発生も家紋と同じ頃で、平安時代に始まり、鎌倉時代に広まったようです。
ポピュラーなところでは皇室系の「菊紋」、八幡系の「巴紋」、稲荷系の「稲紋」があります。

リンクページで紹介している「松玄子の記憶」に詳しくまとめられています。


○深揖(シンユウ)

深いお辞儀。

(参照→




節分(セツブン)

本来は、季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをさします。
特に立春の前日は二十四節気の起点であることから年の初めとして重要視され、
いつしかこの日だけが節分と呼ばれるようになりました。
太陽暦では二月三日ですが、前述のように立春の前日を指すので、年によっては四日になる場合もあります。
節分に行われる行事に「追儺(ツイナ)」「豆まき」があります。

追儺は、祭文を奏して鬼に扮した人を桃の棒や弓や葦の矢で追って悪疫邪気を退けようとするもので、
本来は大晦日に行われていました。
「おにやらい」とも呼ばれ、唐から取り入れられたとされています。

豆まきは、炒った大豆を打って鬼を払うもので、室町時代に始まったとされています。
「豆打ち」とも呼ばれます。

他に節分の風習として、柊の枝に鰯の頭を刺して戸口に挟み魔除とする「やいかがし」があります。

神社において行われるこれらの行事は節分祭と言われています。

(関連→二十四節気




○太鼓谷稲荷神社(タイコダニイナリジンジャ)(津和野おいなりさん)

ここをクリックしてください。

(関連→稲荷信仰


七夕(タナバタ、シチセキ)

七月七日に行われる行事で、江戸幕府が定めた式日では五節供のひとつ。星祭とも。
年に一度、織姫(織女星=琴座のベガ)と彦星(牽牛星=鷲座のアルタイル)がカササギ(白鳥座)の橋渡しで会う日。
二人にまつわる故事にちなんで婦女子が技芸の上達を祈願する中国の乞巧奠(キコウデン)という行事が元。
現在では笹に願い事を書いた短冊を細工といっしょに飾りつけているが、
平安時代の宮中では果物や魚など山海の産物に金銀各七本の針を刺し、そこに五色の糸を通して供えたという。

機織機、または機を織る女性を棚機(タナバタ)と言い、七夕の読みはそこからきているものと思われる。

ちなみにべガとアルタイルの距離は14.8光年。

※二人にまつわる故事

もとは働き者であった二人だが、一緒になってからはあまりにラブラブで仕事がおろそかになった。
それを怒った神様は二人を引き離した。
年に一度の逢瀬のために二人は今日もせっせと働くのであった。

(関連→五節供


端午の節句(タンゴノセック)

5月5日に行われる男児の祝いの日。
五節供の一つで、菖蒲の節供とも言われています。
菖蒲には邪気を払う力が有ると信じられていました。
今でもこの日に菖蒲湯につかる風習が残っています。
この他、柏餅・ちまき・武者人形・鯉のぼり・流鏑馬(ヤブサメ)等の風習や行事があります。
3月3日の雛祭りに対して、この日を男児の祝いの日とするようになったのは近世以降のようです。

(関連→五節供



茅の輪くぐり(チノワクグリ)

年二回の大祓い(六月晦日と十二月大晦日)のうち、六月に行われる行事。
茅(カヤ)で作られた大きな輪を「蘇民将来(ソミンショウライ)」と唱えながらくぐり、無病息災をねがいます。
茅で作った輪を身に付けていた蘇民将来の家族だけが疫病を免れた故事にちなみ、
「私は蘇民将来の子孫ですよー」と偽って、疫病から逃れることを目的としています。
そんなので効くのでしょうか。

六月の大祓えは「夏越しの祓(ナゴシノハラエ)」の他
「夏越祭(ナゴシマツリ)」「六月・水無月祓い(ミナヅキハライ)」と呼ばれています。


重陽(チョウヨウ)

陰暦9月9日(西暦2000年でいう10月6日)に行われる行事で、江戸幕府が定めた五節供の一つ。
陽数の極である「九」が二つ重なることから、めでたい日とされています。

古来中国では、この日、野外で菊花を浮かべた酒を飲んだり、
邪気を払うとされる「グミブクロ」を身につけたりしたそうです。

日本でも古くからこの日は佳日とされていたようで、
日本書紀には685年(天武天皇14年)のこの日の宴が記されているそうです。
一般的には菊の節供と呼ばれています。
上記以外にも、菊に被せておいた綿で体を拭って不老長寿を願う風習もあったとか。

民間行事としては、この日が収穫終了後の骨休めの時期にあたることから、
「オクンチ・オクニチ」と呼ばれる収穫祭が行われ、今に続いています。

栗を送り合う習慣から「栗節供」と呼ぶ地方もあるそうです。

(関連→五節供



○追儺(ツイナ)

節分行事。

(参照→節分


○月読命(ツキヨミノミコト・ツクユミノミコト・月読尊・月夜見尊・月弓尊)

三貴子(サンキシ=イザナギより生じたアマテラス、ツキヨミ、スサノオ)の第二神でありながら、
古事記でも日本書紀でもほとんど語られない謎の神。
と書くとかっこいいが、はっきり言ってカゲが薄い神。

黄泉(ヨミ)の国から帰ったイザナギが禊(ミソギ)で右目を洗った時に誕生し、
イザナギより夜食国(ヨルノオスクニ)の統治を託されています。
日神であるアマテラスに次ぐ月神。アマテラスの弟でスサノオの兄。
名前は月齢を数えるところからきているとされています。陰暦、農事暦の時代ですから。

古事記では出生しか語られてませんが、
日本書紀には、稲荷の祭神である保食神(ウケモチ)との次のようなエピソードが有ります。

月読命がアマテラスの命により保食神を訪ねたところ、
保食神は口から御馳走を取り出してもてなした。
それを見た月読命は大いに怒り、保食神を斬り殺した。
アマテラスは気分を害し、以来、世界は昼夜に分かれることになった。

絵的に笑えるエピソードと感じるのは私だけでしょうか。
月読命はスサノオほどではないにしても、けっこう乱暴な奴のようです。
「月読み→月齢→陰暦→農事暦」「食物神の殺害→農作物の収穫」のイメージから、
農耕神の神格も付与されています。




○どんど焼き

小正月を中心に行われる火祭り。
村境や広場に門松や注連縄、御札などを持ち寄って燃やす行事。
今日では餅を焼いて食べるのが一般的だが、時期も内容も地方によってかなり異なる。
火を燃やすときに「とうどやとうど(尊や尊)」とはやした言葉を語源とする説あり。
左義長(さぎちょう)、鬼火、道祖土(さいと)焼き、どんどん焼き、とんど焼きとも呼ばれる。

(関連→小正月



○夏越しの祓(ナゴシノハラエ)

(参照→茅の輪くぐり



二十四節気(ニジュウシセッキ)

立春から大寒までを暦の上で二十四に分けたもので、その間隔は約15日。
季節の節目を表しており、民族行事が多く行われる。
春分・秋分・夏至・冬至等。



○ヌサ

神に祈るときにささげられるものや、罪を祓う時に差し出されるもののこと。

(参照→大麻





○八幡信仰(ハチマンシンコウ)

発祥地は宇佐八幡宮(大分県宇佐市)。
祭神は、応神天皇(オオジン)=誉田別尊(ホムタワケ)
比売大神=多岐津姫命(タギツヒメ)・市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)・多紀理姫命(タギリヒメ)
神宮皇后(ジングウ)=息長帯姫命(オキナガタラシヒメ)

720年に大隈・日向両国で起きた隼人(ハヤト)の反乱を時の朝廷が鎮圧。
あまりに多くの隼人を殺してしまったので、「怨まないでね、祟らないでね」と建てられた神社です。
その後、東大寺大仏造立にともなって中央(京)に進出。
神仏習合の影響を受けつつ全国に広まりました。
皇祖神・清和源氏の氏神・武家の守護神として発展したようです。

○祓串(ハラエグシ)

六角または八角の白木の棒に紙垂を付けたもの。

(参照→大麻



雛祭り(ヒナマツリ)

3月3日に行われる行事。
五節供の一つで桃の節供・上巳(ジョウシ・ジョウミ)とも言います。
古来中国では、水辺で飲酒し不浄を払い、招魂の行事を行う日でした。

平安時代、体を人形でなでて、その人形を川に流す厄除けの行事が貴族を中心に行われていました。
流し雛の習慣はそのなごりです。
人形を美しく飾るようになるのは江戸時代になってからとされています。

(関連→五節供


○百度石(ヒャクドイシ)

お百度参りの目印として、社寺の入り口付近にたてられる石柱。

(関連→お百度参り


○百日詣(ヒャクニチモウデ)

神仏に祈願する為に行われる参詣の一形態で、特定の社寺に百日間にわたって参詣することをいいます。

(関連→お百度参り





○本地垂迹(ホンジスイジャク)

(参照→神仏習合



○豆まき(マメマキ(豆打ち)

(参照→節分



○御先(ミサキ)


(参照→神使





○桃の節供(モモノセック)


(参照→雛祭り



○やいかがし

(参照→節分



揖(ユウ)


拝礼の前後に行われる一般で言う会釈にあたるもの。
深い「深揖」(シンユウ)と浅い「小揖」(ショウユウ)があり、神前では通常、腰を45度折る深揖がなされます。





○立冬(リットウ)

二十四節気の一つ。
太陽の黄経が二二五度のときのことで、太陽暦では11月7日頃に当たります。
昔の中国および日本ではこの日から冬になるとしていました。

(関連→二十四節気


略拝詞(リャクハイシ)

「祓へ給へ、清め給へ、守り給へ、幸へ給へ」(はらえたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さきわえたまえ)
と唱えること。念じてもOK。
お祓い 下さい、お清め下さい、お守りください、幸せにして下さい、の意味。
神前・神棚・墓前で用います。
「祓へ給へ、清め給へ」でもよいとのこと。

(関連→参拝









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