男日記(1999年)





■12月31日(金) 晴れ

友人達が帰省してきた。
高校時代からの仲間が集まり、大晦日恒例となったバーベキューをした。
いつも何故か夜に河原でやるので非常に寒い&暗い。
とりとめの無いことを話すだけなのだが、毎年楽しみにしている。
気難しいこの俺を、腹の底から笑わせてくれる人間は少ない。
彼らの存在はありがたいことだ。
一緒に年を重ねているのでピンと来ないが、俺達も確実に年を取っている。
あと何年こうしていられるのだろう。

信じられないことだが、俺にもいつか静かに目を閉じる時が来る。
その時俺は何処にいて、側には誰がいるのだろう。
そして今日のことを思い出すのだろうか。
最近そんな事をよく考える。



■12月30日(木) 晴れ

仕事で病院に行った。
この時期は病院も忙しいようで、ナースステーションでしばらく待たされた。
看護婦さん曰く、

「お待たせしてごめんなさいね。なにしろ殺人的な忙しさで」

病院でそれはいやだなぁ、と思った。



■12月29日(水) 晴れ

嗚呼・・・何もしなくてもお金だけもらえる方法はないものか・・・
誰かお年玉くれ。



■12月28日(火) 晴れ

ま〜たタヌキが死んでいた。
馬鹿かお前ら。

ふと気付く。
「アメリカタヌキ」や「アフリカタヌキ」というものを聞いたことが無い。
もしやと思い図鑑を見てみると『生息地=東北アジア・日本』とある。
日本固有とはいかないまでも、お前らけっこう珍獣じゃん。
死んでる場合じゃないぞ!自覚持て!!

とっくに手後れなトキなんかにかまってるヒマがあったらタヌキを保護した方が有意義なのではないだろうか。



■12月27日(月) 晴れ

またタヌキが一匹死んでいた。
通勤距離が長くなってから見かける機会も多くなった。
本当に奴等は路上でよく死ぬ。
「誰も保護していない割に結構いるもんだ」と変な感心をする。
「あぁ、まだいたんだ」と妙に安心したりもする。

しかしそろそろやばいんじゃねぇか?
保護せんでいいのか?
カワウソの例もある。
気付いた時には一匹もいなくなっているかもしれない。

今日見たタヌキが最後の一匹だったりして・・・



■12月26日(日) くもり

ホームで「ひかり号」を待っていたら300系でやってきた。
ちょっとした満足感にひたる。

200系の「のぞみ号」に出くわした人の話を読んだことがある。
それはイヤだなぁ。

こういうチープな感覚ってなんだろう。
けっこう好きだ。



■12月25日(土) くもり ときどき 雨

『カール』を踏んづけた。
袋ごと。
軽やかなとてもいい音がした。
破滅の音とはこういうものかもしれないと思った。



■12月24日(金) 晴れ

2年ぶりに一日中サンタで仕事をした。
俺がやる限りはハンパじゃないぜ。
ファーストフードのバイトとかが嫌々やってるサンタとはワケがちがう。
一分の隙も無い完璧なサンタだ。
「オラオラ!道を譲らんかい!なんせわしゃサンタじゃけぇのぅ」
気持ちまでサンタになりきって車を走らせる。

うつむいて歩いていた女子高生が目をみはる。
「あっ!サンタさんだー!」
「やぁ」

ノーヘル二人乗りのヤンキーが急ブレーキをかける。
「おわー!サンタさんじゃー!」
「イェー」

公園のガキが車道に飛び出してくる。
「サンタさーん!ウルトラマンの人形ちょうだーい!」
「オッケーオッケー」

ヨボヨボのばあさんが話し掛けてくる。
「サンタさんですか?」
「そうですよ」

う〜ん楽しい。
サンタさんとさん付けされるあたり、俺のサンタも堂に入ってきたというもんだ。
7年目だもんな。

用事でスーパーに行った時も、めんどくさいからそのまま入った。
買い物カゴを持ったサンタがアトラクションをするでもなく、
普通に買い物をしたり、出会った知り合いと立ち話をする姿はシュールだったろうなぁ。
俺も見てみたいなぁ。

俺の姿に多少なりとも感動を覚えたガキどもよ。
次はお前達の番だ。



■12月23日(木) くもり

まったくイヤになる。
てめぇらの狭い了見で他人をはかるんじゃねぇよ!
「お前もな!」
了解!!



■12月22日(水) くもり

放射線被爆事故による初の死亡者が出た。
東海村の核燃料加工会社JCO東海事業所の作業員、大○氏だ。
各メディアは「いたましい事故」「ずさんな原子力開発の犠牲者」という論調で報道している。
俺もいたましいことだと思う。
だが彼は純粋に犠牲者か?
マスコミは「死人に鞭打つ行為」として視聴者から糾弾されるのを恐れて見て見ぬふりをしているが、あえて言う。
「○内さん。あんた当事者だろ?加害者じゃないか!」

裏マニュアルの使用。上司の命令。不十分な社内教育。
情状酌量の余地はあるが、常識ある大人なら、バケツでウランを扱う危険性はわかるだろう。
責任ある社会人なら、裏マニュアルや安全性を無視した指示に異議を唱えるべきだろう。

最も弾ぜられるべきは組織の上層部だ。
しかし作業員の罪も明らかにされるべきだとおもう。
地域住民の命と健康を危険にさらしていたのだから。

今後、彼ら作業員の責任追及とその報道の在り方に注目しよう。



■12月21日(火) くもり ときどき 雪

『ジャンヌ・ダルク』のポスターにある「逃げない!」っていうコピー。
ありゃ詐欺だよな。ぜんぜんそんな話じゃないじゃん。
期待しちまったよ。
あー、一日たって腹立ってきた。
広報担当、火刑に処す!



■12月20日(月) くもり ときどき 雪

リュック・ベンソン監督の『ジャンヌ・ダルク』を観た。
監督もジャンヌ・ダルクも両方好きなので楽しみにしていたのだが、期待外れだった。
「宗教がもたらす悲劇」「信仰の危険性」「教会の権威主義への批判」「神からの自立」がテーマか。
キリスト教圏の人達には衝撃的だったかも知れないが、
神道文化を愛し、宗教を否定する俺にとっては新たに得るものはなかった。

神は、あるいは本当にいるのかもしれない。
けれども今ある神は人間の心の弱さが創り出した幻だと思う。
不幸も戦争も神の思し召しであれば心は痛まずにすむ。
しかしそれは現実逃避だよ。
いつまでも迷える仔羊ではいけないよ。

自分の行いに責任を持ち、現実を受けとめ立ち向かう。
「神なぞいらん」
そう言い切れる強さを持った時、人類は進歩するんじゃないかなぁ。

作品で印象的だったのは、
獄中で自分を追いつめる良心(を象徴する幻)に怯え、ふるえるジャンヌ。
『ニキータ』『レオン』『フィフス・エレメント』
どうもこの監督は怯える少女が好きらしい。
いい趣味だ。

一人の少女が歴史を変えた。
なぜそんなことができたのか。
この作品では扱われなかったが、フランス王室によるヤラセだったという説がある。
うなずける話であり現実味がある。
例えそうでも、奇跡が嘘だったとしても、俺にとってジャンヌ・ダルクは世界史で一際大きく輝く人物だ。
宗教ネタに走らず、彼女のカリスマ性や葛藤についてもっと掘り下げて欲しかった。
この作品は映画史上に残らないだろうと俺は思う。

もっとも、いたく感動していた客もいた。
人によって感じ方は違うものだな。



■12月19日(日) 雪 のち 寝てたので不明

川沿いをドライブ中、尿意をもよおす。
最近トイレが近いような気がする。ガマンも効かない。
「これが30代というものか?いやだヌワァ〜ン」
とか思いつつ、土手の端に車を止めて河原に降りた。
隠れてできそうなところを探していると、河原のあちらこちらに異様な光景が見られた。

犬を連れた麦藁帽子の少年が、釣竿を手に川面を見つめていた。
雪が降ってきそうな空の下、ランニングシャツに半ズボンだ。
寒くないのだろうか?
その視線の先を見ると、岩の上に人魚がしどけなく座っている。
「川に人魚?」
いぶかしく思っていると、川下から掛け声が聞こえてきた。
大学のボート部のようだ。必死の形相で川上に向かって漕いでいる。
さらに川下からは鳥肌が立つほど美しい歌声も聞こえてきた。
ボートはその声の方に引き寄せられているように見えた。
沐浴する人、指で歯を磨いている人。
対岸では火葬が行われていた。
こっちの河原では柔術か空手かの果し合いが始まるところだった。
川上に目をやると、背中に子供を乗せた鯉が果敢に滝越えに挑戦している。
「こりゃできないよ」
と思っていると、公衆便所が目にとまった。

息せき切って駆け込んだ。
外観はきれいだったが中は暗く汚かった。
便器は無く壁の下に溝が切ってあるだけだ。
用を足して出ようとすると人とぶつかりそうになった。
あわてて避けると向こうも同じ方に避ける。これが3回続いた。
「どうもすいません」
照れ笑いをしながら謝ると。
「Hey ジャパニーズ!チンポ立つゼ!やろうゼ!」
相手は190cm以上有りそうなたくましいスキンヘッドの黒人だった。
腕力ではとても勝てそうにない。
自分がノーマルであることを説明してその場を逃れようとしたが、
会話の途中で聞きかじりのホモ知識が出てしまったらしく、ますます気に入られてしまった。
注文していた仔熊が2頭今日届くので見に来ないかという。
身の危険を感じたが警戒心より仔熊に対する好奇心が勝り、そいつの家に行くことにした。

そいつの家は純日本的なお屋敷だった。
何者かと思いを巡らせていると、そいつが熊を抱いて入って来た。
1頭目は病的に痩せていた。黄色く濁った目をギラギラとさせていて狂っているように見える。
牙を剥き、泡を噛んでいた。
気に入らないと言うと、2頭目を引きずってきた。
今度は完全に病気だった。ひどく痩せている上に全身の毛が抜けていた。
たまに目が動かなければ死んでいるとしか思えなかった。
しかも前足が二本根元から切断されていた。後ろ足も1本骨折しているようだ。
逃げられないように切ったのだと言う。
さすがにヤバイと思った俺は、隙を見て逃げ帰ったのだった。

目を覚ますと見知らぬ天井。
ビジネスホテルの一室だった。
何が俺に夢を見させたのだろうか?
カーテンを開けると、この冬最初の雪が舞っていた。



■12月18日(土) くもり/寒波襲来!

知人の中から一組のカップルが誕生した。
来春にも結婚となるだろう。
実にめでたい。
二日続けての結婚話に、ふと自分を顧みる。
「う──────────────────────────────────────────ん」
まぁいいか。
このまま行こう。



■12月17日(金) くもり

結婚し、母になったと聞いた。
あのひとの胸に今もエメラルダスは居るのだろうか?



■12月16日(木) 晴れ

立ち食いそば屋でそばをたぐる。
となりにやってきたじーさん、食べる前に小さく合掌。
美しい!その姿にショックを受ける。

それは、そばやカツオの命に対する畏敬か?
社会インフラと従事する人への感謝か?
作ったねーちゃんに対する礼か?
神への祈りか?

食い終わった後にまた合掌。

じーさんカッコイイ!

マネをすることに決定!俺も合掌して去る。
流行らせるゼ!Let’s合掌!!



■12月15日(水) 晴れ

久々に駅通り商店街の書店に入った。
広い駐車場を持つ大型店全盛の時代、駐車場を持たない商店街の本屋は衰退している。
俺も車に乗りだしてからは行っていないから、かれこれ8年ぶりだ。

店に入る。せまい。
20畳くらいか。期待していたわけではないが、中途半端な品揃えにブルーな気分にさせられる。
「これじゃあな・・・」
探していた本はなかった。
「出るか」と思ったその時、店のじいさんとばあさんの話し声が聞こえてきた!

「こまったのぉ。どうすればええんかのぉ」
「やっぱり商工ローンでお金かりましょうよ」
「けど返せるめどがないわぁや。テレビでやっちょるけど、取りたて恐いしのぉ」
「けどこの店やめたら○○や△△はどうするかいね」
「あぁ、昔はよかったのぉ」

そのヘビーな会話は店内何処にいても聞こえてくる。客は俺ひとり。
「か、帰れん!」
俺ピーンチ!
そこへ女が一人入って来た。
ハーレクィンロマンスなぞ物色している。
「いいぞ!買え!ねーちゃん!お前にもあの会話が聞こえているはずだ!
お前が金を払うその隙に俺は、っておい!帰るんじゃねぇよ!!ひとりにしないで!」

仕方なく欲しくなる本を一生懸命探すオレ小心者イェーィ!
で買ったのが『Newton』と『YAHOO!』と『天使と悪魔の大辞典』。
ついでにガムまで買っちった。

レジを打つじいさんの口元がニヤリと動いた。
もしかすると新手の商売テクニックだったのかもしれない。


後日談:病死した妻の後を追い、じいさんが焼身自殺した。店は閉店となった(2002年11月加筆)



■12月14日(火) 晴れ

母へ、さつまいもにヨーグルトをかけるのはおもしろいけどやめて下さい。



■12月13日(月) 晴れ

『皇太子妃御懐妊』について女性レポーターが妊婦にインタビューをしていた。曰く、

もしかすると雅子様のお子様と同い年になるかもしれませんね」

それは二人の内のどちらか、もしくは両方とも流産する可能性を強く示唆することにならないか?
「失礼なことを言うな」とテレビにつっこむ俺は少しさみしいか?
今後も浮かれたワイドショーはいろいろやってくれそうだ。
『御懐妊』に関心はないが、『御懐妊報道』からは目が離せないな。


インタビューを受けた妊婦は「光栄です」とにこやかにこたえていた。


後日談:数週間後、流産が報道された。



■12月12日(日) 晴れ

『皇太子妃御懐妊』でワイドショーが盛り上がっている。
女性レポーターが道行く人にマイクを向ける。
「男と思いますか?女と思いますか?」
つまんねぇ質問だなと思って聞いていたら、あるおっさんが気の利いたコメントをした。

「どちらでもいいと思う。女性が皇位を継いでもいいではないか」

なるほど、おっさんあなたは正しい。
そうか、男じゃなければならないだろうと思っていた俺の考え方の根底には、
女性差別意識があったということか。



■12月11日(土) 晴れ ときどき ヒト

乗っていた新幹線が止まった。
すわコンクリート落下事故かと思いきや人身事故(自殺)だった。
ほっとしつつ「なんだよ止めんじゃねぇよ」と思ったオレ悪人イェ〜イ!

生きる苦しさが生のメリットを超えるならば自殺もいい。
生きていればそのうちいいことがあるとは限らないから。

でも『死』に魅せられてはいけない。



■12月10日(金) 晴れ

今日から日記を付けることにした。
他でもない自分の為に。

著名人じゃない男の日記など誰も興味無いだろう。
それでも俺はわめき、愚痴り、泣き、すがるのだ。相手がいてもいなくても。
そしてスッキリするのだ。

その点、参拝と似ているかもしれない。
読者が神で参拝者が俺だ。
叶うかどうかは問題ではない。
ただ聞いてくれる存在が欲しいのだ。

日記というものは普通他人には見せないものだが、
Web上の日記は読まれることを前提に書かれている。
興味深い現象だ。
まるで見せる為のセクシーランジェリーのようで恥ずかしい。
しかし、やがてそれも快感に変わるのだろう。

「見てー!私を見てー!ステキよお客さーん!」ってなものだ。






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