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子供の記憶
妹の子で、3才になる甥がいる。私自身はまだ独身で子供はいないが、小さな子供はやっぱりかわいい。普段は遠く離れているものの、お盆や正月、またそれ以外の時にも不定期に訪ねて来ることがあり、結局は2〜3ヵ月に一度くらいは会っている。
先月(11月)の、ある週末にも家族でうちに来ていたが、その時、その甥が私に「カードのパズルはどこあるの?」と尋ねてきた。最初は何のことか分からなかったが、前回、9月に遊びに来ていた時に良く一緒に遊んだ、雑誌の付録のことだと思い出した。表がカルタ、裏が、並べると絵になるパズルになっているものだ。ああ、そういえば前回、そのカードのことを、「ちゃんとしまっておくからね」と言って私が預かったのだった。
なのに、なんという不覚、「ちゃんとしまって」いなかったので、カードの在処が分からない。心当たりをくまなく探したが、その時は結局出てこなかった。甥もとても残念そうで、ああ、申し訳なかったな、と思ったものだった。そのカードを、最近母が見つけてくれた。感謝、感謝。多分、お正月にはまた甥が来るだろうから、その時は一緒に遊んであげられる。
それにしても、このカードのことに限らず、子供の記憶力って侮れないものがある。何ヵ月も前に行った場所のことでも、あの時どうだった、とか良く覚えている。また、甥は時にパソコンを自分で起動し、一人で遊んで終了まで行うが、自分の家族のPCには入ってなくて、我が家のPCだけに入っているソフトの使い方も、滅多に操作しないわりには良く覚えている。
実際に、自分が3才の頃の記憶を振り返ろうとしても覚えているのはほんのわずかの出来事や情景くらいである。でも、3才の時点では、子供は過去3年間のことを、大人が考えている以上に克明に記憶しているのかもしれない。その中で、多くの記憶はやがて失われ、ごく限られた記憶だけが大人になっても残っているのだろう。
というのも、自分自身が3才の頃の、数少ない記憶の中に、次のようなものがあるからだ。それは、家の食卓の椅子に座って考え事をしていた記憶だが、「今、自分は3才。これまで生きてきた3年間ってものすごく長かったので、これから大人になって年をとるのって、まだまだずーっとずーっと先。人生って長いんだなあ」というような、あまりに子供らしくない内容である。もちろん、当時、「3年間」とか「人生」とかいう語彙があったとは思えないけれど、内容的にはそういったことだった。
「子供がそんなこと考えるわけない」と本気にしない知人もいるが、人になんと言われようと確かに覚えがある。また
その時以来、同じように、「今は○才だから、まだまだ先は長いなあ」「今、○○才か・・・・少しずつ時間がたつのが早くなってきた」と、時々ふと3才の頃の感覚と比較してきた。そして、3才の頃、それまでの3年間をとても長く感じていたのは、その時点では、過去の記憶をかなり持ちあわせていたからではないか、と推測する。むしろ過去の年数が少ない分、逆に記憶の密度は高かったのかもしれない。
今となってはその頃持っていた筈の記憶がほとんど無いので確実なことは何も言えないけれど、今、3才の甥と接していると、やっぱり「子供の記憶って侮れない」と思う。「こんど、○○しようね」「こんど、○○に連れて行くね」と約束したら、必ず実行しないと、うそつきと思われるだろう。期待させて、がっかりさせるのはかわいそうだ。できない約束は最初からしない方がいい。子供だからといって、先延ばししてのごまかしは通じないのだなあ、と、最近つくづく実感するようになってきた。
1999.12.19記
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