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新しい塩基対
今週、日刊工業新聞に、科学技術振興事業団の研究で、人工塩基対の合成が試みられているという研究紹介記事が掲載されていた。DNAやRNAを形づくる、従来の5種類の核酸塩基とは異なる、全く新しい塩基対である。正直な感想として、ああ、とうとうここまできたか、と驚くと同時に空恐ろしさを感じた。
遺伝子操作の情報が報道される時、よく「神の領域に踏み込む」という表現が使われることがある。でも私はそのたびに、それは違うんじゃないかなと心の中で思っていた。
従来の遺伝子治療や遺伝子操作というものは、あくまでも働きが明らかになっている遺伝子の活用であった。塩基対3セットからなるコドンでアミノ酸が定義され、コドンの集合体である遺伝子は、アミノ酸を並べてタンパク質を合成する・・・それが地球上のすべての生物に共通する自然界のルールである。遺伝子が個体内で直接手を下すのは、タンパク質の合成だけであり、生物の行動に直接指令しているわけではない。「遺伝子は生物の設計図」というが、車の設計図に喩えるとしたら、車を作るための工具をつくる設計図が遺伝子にあたり、工具とは生体内でいえば酵素のことである。例えばお酒に強い遺伝子というのは、アルコールを分解する酵素やアセトアルデヒドを分解する酵素(酵素はタンパク質です)を合成する遺伝子のことだったりする。このように、塩基配列というデジタルな情報が元になって地球上の全ての生命が営まれ、地球という一つのシステムが成り立っているということは、鳥肌が立つほど感動的である。
人間はいつしか、生命の根幹である遺伝子の存在に気付き、利用しはじめた。しかし従来の遺伝子操作というのは自然界が与えてくれたルールとお手本に沿って既知の現象を模倣し、利用していたに過ぎない。「神」という表現を使うのは本当は私は好きじゃないけれども、敢えて使うとしたら、とても「神の領域に踏み込む」とまで言えるようなことではなく、まだまだ「神の手のひらの上で遊ばされている」だけのように思う。しかし、遊ばされているだけとはいっても、与えられた素材でさえ、人間は十分に理解し使いこなせていない。例えば遺伝子の乗る個体が異なると遺伝子の働きも異なるなど人間の手におえない未解明の部分は多く残されている。
ところが、新しい塩基対となると話は全く違う。それこそ、神が創らなかったものを創るということだ。コドンの組合せパターンが増える分、タンパク質のバリエーションも格段に増える。地球上に存在しないタンパク質ができる可能性もあるだろうし、場合によっては全く新しいアミノ酸が合成されることはないのだろうか? 既存の遺伝子だけでも分かっていない部分が多いというのに、この世に存在しない新たな塩基対が遺伝子の素材として働きはじめれば、それから先の動きは全く予測しようがない。
私にも、5種類の核酸塩基以外に新たな塩基は存在し得ないのだろうか? とか、もし存在したら何が起こるのだろうか? というような純粋な興味は確かにあった。しかし、もし現実にそれが創られたとしたら話は別だ。
もっとも、試作は今のところ上手くいってないらしい。他の塩基と対になってしまったり、新しい塩基同士で対にはなるけど自己複製能力がなかったり・・・・。そう簡単にいくはずはないんだろうな。記事の中でも合成研究に携わっている研究者の方が、「自然がいかに巧妙な仕組みで成り立っているか理解できる」とおっしゃっていた。そのとおりだろう。自然の仕組みに感心すると同時に、人間にはこれを創るのはきっと無理に違いない、と少し安堵した。そろそろ自然のすごさを認め、引き返しても良い頃ではないのかなぁ。
2000.6.9記
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